AFP通信の報じる「超音速ダイブ」の文字に、我が目を疑った。同記事に掲げられている写真が、普通のスカイダイビングの様子、即ち普通の服とヘルメット、ゴーグル、それにパラシュート程度のいでたちを映し出していたから、尚更だ。
スカイダイビングに限らず、落下する物体に掛かる力は大きくは二つ。重力と空気力で、空気力は特に落下している物体に対してならば、抵抗だ。
此の二つの力のうち、重力は質量比例でほぼ一定だ。厳密には地球中心からの距離に反比例するが、何しろ地球の半径は3000kmもあるものだから、10kmや20km上空に上がったところで重力なんざ代わりはしない。
一方空気力は動圧比例。単純には速度の二乗に比例する。2倍の速度で飛ぶ/落ちるものは、4倍の抵抗を受ける勘定だ。
落下中の物体には、重力は当然ながら下向き(※1)、空気力である抵抗は上向きにかかるから、両者は逆方向に働く。これで重力は一定、抵抗は速度の二条に比例して大きくなるから、「重力で落ち始め、下に向かって加速される物体は、やがて速度による抵抗と重力が釣り合ってそれ以上加速されなくなる。」この状態に至る速度が「終端速度Terminal Velocity」と呼ばれるもので、「下向きに推力をかけるなどの方法が無ければ、これ以上の速度では落下できない速度」。高いところか落とした物体が終端速度に達したら、それ以上の加速は無く、終端速度のまま落下を続ける事になる。
終端速度は「重力と空気抵抗が釣り合う速度」だから、密度と形状が決まれば決まってしまい、人間の場合は凡そ時速にして500km。「零戦の最大速度とほぼ同じぐらい」と聞いたのは随分前だ。勿論人間ったってノッポやチビ、デブやヤセッポチが居るし、落下時の姿勢はそれ以上に自由度がありそうだから、「終端速度500km/h」と言うのは相当な丼勘定だろうが。一方で音速と言うのは、地上で凡そ時速1200km。「500km/h」の倍以上の速さだから、「人間は、終端速度ではとても音速は超えられない。だから、普通の落下ならば、超音速ダイブ何て不可能」な筈だ。
そう、「筈」だった。
先述の終端速度の説明は、詳細が省かれている。「神は細部に宿る」なんて言葉もあるように、AFP通信報じる「超音速ダイブ」の秘密は、その省かれた細部に隠されていた。
1> 大気圏上層部は空気が薄いため抵抗力はほとんど生じないとされ、
2> 落下開始からほどなくスピードは時速約1110キロ以上の超音速に到達する予定だ。
3> 地上に近づくにつれて空気が濃くなり、落下速度が落ちると見られる。
それでは、細部を省かずに行こうか。
人の質量m。重力定数gとして、人に掛かる重力はmgと現される。
これに対して動圧は 1/2 ρ v^2 ・・・式(1) とあらわされる。ρは空気の密度、vは速度。
抵抗は、抵抗係数Cd、代表面積Sとして、 Cd S 1/2 ρ v^2 = 1/2 Cd・S・ρ・v^2 ・・・式(2) とあらわされる。
落下する人間の運動は、下向きを正とし、加速度をa とすると、掛かる力Fと運動方程式から、 F = m・a = m・g ― 1/2 Cd・S・ρ・v^2 ・・・式(3) とあらわされる。
此の式から、「重力と空気抵抗が釣り合う終端速度Vt」を計算すると、 m・g = 1/2 Cd・S・ρ・Vt^2 ・・・式(4) であるから、
Vt = √[ 2・m・g/(ρ・Cd・S)] ・・・式(5) となる。
この終端速度Vtを表す式(5)右辺の内、gは定数であり、「人間が落下する」時点でmとSは一定値にほぼ決まる。可変なのはρとCdだが、抵抗係数Cdは「音速近くなるまでは、形状が一定ならばほぼ一定」と見なせる。さらには「地表付近の高さ」に限定すれば、空気密度ρの変化も小さい事から「人間の終端速度は時速500キロ」と断じてしまってさして間違いではなかった訳だ。
それを上記1>の様に「大気上層部で空気が薄い」=「空気密度が低い」所ならば、式(5)であらわされる終端速度を上げることが出来る。AFP報道記事タイトルに「上空3万7000mから」と態々あるのはそのためだ。
標準大気表から高度37kmと言う「此の高度で飛べる航空機さえ滅多にないような高度」の大気密度を計算して見ると、地表の約0.7%と出た。なるほど、終端速度が上がる訳だ。

但し、「超音速ダイブ」を目指すならばさらにハードルがある。先述の通り抵抗係数Cdを「形状一定ならばほぼ一定」と見なせるのは、速度が音速に対し低い速度だから。速度が音速に近づく遷音速領域では、此の抵抗係数が跳ね上がる。さらに高速の超音速域になると、抵抗係数Cdは急速に下がって、以降緩やかな下降線になるのが通例だが、此の「マッハジャンプ」と言われる遷音速域での抵抗係数激増は、特に超音速飛行が考えられていない鈍い形状では大きくなる。で、人間は、いくらヤセッポチでも、どんな降下姿勢を取ろうとも、「超音速飛行に適した低抵抗形状」にはなりそうに無い。
低速での人間の終端速度時速500kmに対し、上記2>「時速約1110km」を目指すならば、上式(5)の右辺√の中身を、約5倍にしないといけない。高度37kmの薄い空気はその√の中身を142倍化してくれているから、遷音速域での抵抗係数増大を28倍以下に抑えれば上記2>「高空限定超音速終端速度」を実現する筈であるが・・・・どうだろう。
確かに、興味深い実験であることは、間違いないな。
これで目標としている「超音速ダイブ」が実現できなかったとしたら、次回は「スパイク」槍を持ってダイブすることを提案する。スパイクを突き出すことで、遷音速域から超音速域にかけての抵抗を低減する事が期待出来る。
お勧めはしない。
その突き出したスパイクには相応に動圧も掛かれば、振動を起こす可能性もあるので、人間が保持し続けられるとは、限らない。
だが、上手くすれば。此の槍を突き出すことで、マッハジャンプを一気に超えて、超音速飛翔に突入できる・・・・かも知れない。仲々、絵になりそうなシチュエーションだ。
「槍よ、来い!」-うしお-
<注釈>
(※1) 正確には、「重力の引っ張る方向が、下」だろうな。