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「諫死」という言葉は、元々は大陸は支那の「漢語」であったはずだ。意味は「諫めてしぬこと」。表意文字の有り難さで、字面で大凡の意味が取れる。
君主に誤りがあったり、君主が暴虐であったりしたとき、臣下としてはこれを諫めて君主の悪行暴虐を止めさせるのが筋であるが、何しろ「君臣の分」があるから口先ばかりで抗議したところで実効が薄いことがままある。その君主が暴君ならば尚更だ。そこで君主を諫める最高級・最後の手段が「諫死」。一死をもって、命を賭けて君主を諫める、ある種覚悟の自殺だ。
無論、そうやたらに実施できることではない。だからこそ逆に「諫死」を実施した者は、しばしば「歴史に名を残すこと」になる。言い換えれば「諫死」に一定の評価を与える点では、大陸にも日本と同様の精神的風土がある、とも言えよう。
「かつては大陸に日本と同様の精神的風土があった、らしい。」と言い換えるべきか。或いは「日本の精神的風土は、かつての大陸の理想像に近い」と言うべきか。何れにせよ今日の大陸を支配する中国共産党一党独裁政権には「諫死」も効きそうにない、というのが以下転載する産経報道である。
俎上に乗るは、以前にも記事にしたチベット人僧侶の自殺による抗議行動だ。
まずは記事の方を御一読願おうか。
転載開始=========================================
連鎖するチベット族抗議行動 治安部隊発砲 3人死亡
2012.1.30 20:22 [中国]
インドのニューデリーで29日、中国当局との衝突で犠牲になったとされるチベット人の写真と空の棺を並べ、抗議デモを行う亡命チベット人学生ら(AP)
中国「人権状況は最高」
【北京=川越一】旧正月を祝う春節に入ってから、中国四川省のチベット族自治州で住民による抗議行動が続発している。治安部隊の発砲で少なくとも3人が死亡。国際社会からの批判が集まる中で中国当局は現地の統制を強化する一方、中国共産党機関紙は連日、人権状況の改善をうたって反論している。
英国を拠点とする人権団体などによると、同省カンゼ・チベット族自治州炉霍県で23日、チベット族住民数人の拘束に抗議する群衆に治安部隊が発砲し、1人が死亡した。24日には同州色達県に飛び火し、治安部隊の発砲で1人が死亡。26日にもアバ・チベット族チャン族自治州壌塘県で1人が犠牲になった。
国営新華社通信も、衝突で死者が出たことを報じ、治安部隊が発砲したことも認めるなど異例の対応を取った。しかし、僧侶の焼身自殺などに関する情報に扇動された住民が、刃物を手に警察署を襲撃したことに対する「正当防衛」と強調。襲撃は「計画的かつ組織的」と主張して、亡命チベット人勢力や外国勢力の関与を示唆した。
抗議行動が拡大の様相を見せる中、オテロ米国務次官(チベット問題担当特別調整官)が中国政府のチベット政策を批判し、治安部隊の自制を要求。人権団体は除夕夜(旧暦の大みそか)の22日を選んだかのように年度報告を発表し、中国側の感情を逆なでした。
欧米サイドとしては、2月に訪米予定の習近平国家副主席とオバマ米大統領との会談で、中国の人権問題を議題に上げる心づもりとみられるが、人権侵害の認識がない中国を相手に話がかみ合うはずもない。
一方、党機関紙、人民日報は連日、「中国の人権状況は史上最高の時期にある」などとして、チベット族に対する優遇政策の成果を強調し、人権問題の政治化を牽制(けんせい)する論文を掲載している。
住民の通信網を監視・遮断し、武装警察に加え人民解放軍を投入して統制を強めているとの情報もある。これらの措置も、中国当局から見れば「国情に合った管理」であり、国際社会の批判はすべて「偏見」によるものだという姿勢に、議論の余地はなさそうだ。
「中国の人権状況は史上最高の時期にある」―それでも世界じゃ下のほう
さて如何であろうか。
1> 党機関紙、人民日報は連日、
2> 「中国の人権状況は史上最高の時期にある」などとして、
3> チベット族に対する優遇政策の成果を強調し、
4> 人権問題の政治化を牽制(けんせい)する論文を掲載している。
上記報じられる人民日報論文を以って、産経報道は「反省の色がない中国政府」というある種「ネガティブキャンペーン」を展開しているようである。
が、私と「宗教が同じないし類似」で、気が合うことが多い産経の報道とは言え、この人民日報論説を以って「反省の色がない」と非難するのは、至当ではないように私には思われる。つまりはその「ネガティブキャンペン」に私は同意できない。
なぜならば、人民日報言うところの上記2>「中国の人権状況は史上最高の時期にある」と言うのは、紛れもない真実ではないか、と私には思われるから、である。
問題は、「史上最高の人権状況」であっても思想の自由、信教の自由、魂の自由という、少なくとも自立心と自尊心と思考能力を有する人間にとっては不可欠な自由が全く保証されないという現状の、さらには過去「四千年」に渡る、恐るべき「中国の人権状況史」なのである。
中国政府は「反省の色がない」のではない。
現状の人権状況を、「反省しようと言う概念・発想すらもない」のである。
それ故にこそ中国は、少なくとも中国共産党政権による支配は、私のような魂の自由を愛する者にとっては、不倶戴天の敵なのである。