欧米の苦境とは対照的な日本の新聞、強みと使命感 http://www.afpbb.com/article/economy/2852830/8350744
率直に言って、私は新聞と言う情報伝達媒体が、好きだ。
「社説を斬る」シリーズで散々、特に大手全国紙各紙を痛罵し、「社説比較」シリーズで特に三アカ新聞=朝日・琉球新報・沖縄タイムスに辛辣な批評を加えている当ブログである。従って「日本の大手全国紙は凡そ嫌い」と言う事は認めなければならないし、地方紙だって「三アカ新聞の下っ端」沖縄二紙=琉球新報・沖縄タイムスなんてのは酷いものだと思っているのも認めよう。
「社説を斬る」シリーズで散々、特に大手全国紙各紙を痛罵し、「社説比較」シリーズで特に三アカ新聞=朝日・琉球新報・沖縄タイムスに辛辣な批評を加えている当ブログである。従って「日本の大手全国紙は凡そ嫌い」と言う事は認めなければならないし、地方紙だって「三アカ新聞の下っ端」沖縄二紙=琉球新報・沖縄タイムスなんてのは酷いものだと思っているのも認めよう。
だが、新聞の「紙」と言うハードウエアを以って日々配布されると言う情報伝達形態は、「放送しっ放し」「言いっ放し」「流しっぱなし」のラジオやテレビやネット配信とは異なって、記録性や蓄積性に富んでいる。速報性・即時性と言う点では、新聞は、ラジオ、テレビ、ネット配信にはとても叶わない。一方分析性という点では季刊・月刊・週刊の雑誌類の方が優れていよう。だが、日刊の情報と言うのも相応の価値があるし、先述の記録性・蓄積性を活かした「単なる情報ならぬ、知の結晶」としての日刊情報の価値は、別に低下した訳ではない。歴史的に見るならば、放送機器やインターネットの発達により、かつて新聞が享受していた「速報性・即時性」と言う利点は失われた、と言うだけである。
それは新聞業界にとっては不利な条件であろうし、電子新聞と言う新しい配布形態・情報伝達形態も普及し始めている(*1)。が、現時点及び見通せる将来に渡って新聞、現状の新聞形態が有する利点、即ち「記録性」と「蓄積性」は、「紙」と言うハードウエア=記録媒体を以って完全なものとなっている。少なくとも、私はそう考える。電子情報の方がハードコピーよりスペースをとらず、便利な事も認めるが、ウイルス攻撃などによる改竄や、HDクラッシュのような事故、或いは技術的進歩に伴うハード・ソフト両面の陳腐化(*2)などを考えると、ハードコピー=紙の方が「記録性・蓄積性」では、より優れている。
従って、紙として、ハードコピーの形で販売され、配達される新聞と言う情報媒体は、今だその「古臭い」情報媒体であるが故に、その存在理由・存在意義を保っている。先述の私の新聞批判記事が、電子情報に頼っている事は認めるが、同時に「紙としての新聞」の自宅配達サービスも利用し続けている所以である。
引用したAFP通信が報じるは、東日本大震災とその直後の津波で大被害を被った石巻日日新聞を中心とした、我が国の新聞事情。端的に言えば「日本の新聞は、情報技術の発達に拠っても、西洋ほどの苦境に置かれていない」と言う事。
その理由は、明治大学・赤尾教授の言を引用して、①「市民の新聞に対する信頼」と②「新聞社の持つ他のメディアと比べてはるかに大きなネットワーク」を挙げ、立命館大学・金山教授の言として③「新聞の宅配網」と④「新聞が読者の信頼を獲得する努力を重ねてきたこと。特に地方紙は地域との結びつきを大切にしてきた。」を挙げている。
引用したAFP通信が報じるは、東日本大震災とその直後の津波で大被害を被った石巻日日新聞を中心とした、我が国の新聞事情。端的に言えば「日本の新聞は、情報技術の発達に拠っても、西洋ほどの苦境に置かれていない」と言う事。
その理由は、明治大学・赤尾教授の言を引用して、①「市民の新聞に対する信頼」と②「新聞社の持つ他のメディアと比べてはるかに大きなネットワーク」を挙げ、立命館大学・金山教授の言として③「新聞の宅配網」と④「新聞が読者の信頼を獲得する努力を重ねてきたこと。特に地方紙は地域との結びつきを大切にしてきた。」を挙げている。
AFP通信がその記事の大半を通じて報じる、東日本大震災を被った石巻日日新聞の例は、上記①と④の好例と言う事になろう。
1> 発行部数1万4000部の石巻日日新聞は、同社100年の歴史で最大級の記事の執筆をすでに終えていた。
2> だが、印刷する手段がなかった。
3> そこで記者たちは中世にヨーロッパの修道院で聖書に対して行われた方法と同じ手段に出た。
4> 新聞を手書きで作ったのだ。
5> 基本に立ち返るという発想は新聞社社長の近江弘一(Koichi Ohmi)氏から出た。
6> 「ペンと紙があれば新聞は出来っぺ!」
7> 使いものにならなくなった輪転機からロール紙を引きちぎり、
8> 被災者が最も知る必要のあること、各地域の被災状況や配給の日程、医療サービスの情報などをペンで書き始めた。
9> 新聞の配達網もなく、車も利用できなかったため、記者たちは避難所へ歩いて行き、壁新聞として掲示した。
1> 発行部数1万4000部の石巻日日新聞は、同社100年の歴史で最大級の記事の執筆をすでに終えていた。
2> だが、印刷する手段がなかった。
3> そこで記者たちは中世にヨーロッパの修道院で聖書に対して行われた方法と同じ手段に出た。
4> 新聞を手書きで作ったのだ。
5> 基本に立ち返るという発想は新聞社社長の近江弘一(Koichi Ohmi)氏から出た。
6> 「ペンと紙があれば新聞は出来っぺ!」
7> 使いものにならなくなった輪転機からロール紙を引きちぎり、
8> 被災者が最も知る必要のあること、各地域の被災状況や配給の日程、医療サービスの情報などをペンで書き始めた。
9> 新聞の配達網もなく、車も利用できなかったため、記者たちは避難所へ歩いて行き、壁新聞として掲示した。
10> 壁新聞は、電源が復旧してパソコンのプリンターが使えるようになるまで、6日間続けられた。
上記6> 「ペンと紙があれば新聞は出来っぺ!」 と言う東北弁丸出しの一言こそ、当該AFP記事の白眉である。
AFP報道は冒頭でもこの「手書き壁新聞」を「まるで中世のような手段」と表現している。「中世」と言うのはルネサンス・人間復興以前であり、「暗黒の時代」と言う可也否定的なイメージを持った表現だ。同記事では「ハイテク日本」との対比として「中世さながらの手書き壁新聞・石巻日日新聞」を掲げているのだが・・・誰が此の「手書き壁新聞」を笑えようか。
否、事情を知って尚此の壁新聞を笑う者を、私は軽蔑する。そいつが男なら、ぶん殴ってしまうかも知れない。
逆に手書きの壁新聞を発行した石巻日日新聞記者を、私は尊敬する。「中世さながら」?それがどうした。中世だろうが古代だろうが洪積世だろうが、「情報を伝達する」と言う新聞本来の機能を果たせるならば、かまうものか。
「貴男の義務は、新聞を出す事ですよ。」―第1次中東戦争の頃、爆弾テロで新聞社を爆破されたパレスタイン・ポスト紙記者が爆破直後に妻に言われた言葉(*3)
ひょっとすると石巻日日新聞は、沖縄二紙の様なアカ新聞で、私何ぞとは「宗教が異なり」、この壁新聞も私とは相容れないような論説を流し続けていたものだったか、も知れない。もしそうであったとしても、私が石巻日日新聞に、その壁新聞に、払う敬意には一点の曇りも無い。主義主張が異なると言う事と、情報伝達と言う新聞の機能を果たす事とでは、次元が異なる。
「私は君の意見には反対だが、君がその意見を開陳する自由は死んでも守る。」とは、確かヴォルテールの言葉だが、同じ事は三アカ新聞に対しても私は言える/言うべきなのであるから。
逆に言えば、三アカ新聞が、石巻日日新聞のような状態で手書き壁新聞を発行したら、私はその新聞と新聞社に、当然敬意を表するだろう。
尤も・・・・朝日新聞が斯様な状況で手書き壁新聞を発行し、貼って回るとは、到底想像し得ないのであるが。
如何に、朝日新聞。
AFP報道は冒頭でもこの「手書き壁新聞」を「まるで中世のような手段」と表現している。「中世」と言うのはルネサンス・人間復興以前であり、「暗黒の時代」と言う可也否定的なイメージを持った表現だ。同記事では「ハイテク日本」との対比として「中世さながらの手書き壁新聞・石巻日日新聞」を掲げているのだが・・・誰が此の「手書き壁新聞」を笑えようか。
否、事情を知って尚此の壁新聞を笑う者を、私は軽蔑する。そいつが男なら、ぶん殴ってしまうかも知れない。
逆に手書きの壁新聞を発行した石巻日日新聞記者を、私は尊敬する。「中世さながら」?それがどうした。中世だろうが古代だろうが洪積世だろうが、「情報を伝達する」と言う新聞本来の機能を果たせるならば、かまうものか。
「貴男の義務は、新聞を出す事ですよ。」―第1次中東戦争の頃、爆弾テロで新聞社を爆破されたパレスタイン・ポスト紙記者が爆破直後に妻に言われた言葉(*3)
ひょっとすると石巻日日新聞は、沖縄二紙の様なアカ新聞で、私何ぞとは「宗教が異なり」、この壁新聞も私とは相容れないような論説を流し続けていたものだったか、も知れない。もしそうであったとしても、私が石巻日日新聞に、その壁新聞に、払う敬意には一点の曇りも無い。主義主張が異なると言う事と、情報伝達と言う新聞の機能を果たす事とでは、次元が異なる。
「私は君の意見には反対だが、君がその意見を開陳する自由は死んでも守る。」とは、確かヴォルテールの言葉だが、同じ事は三アカ新聞に対しても私は言える/言うべきなのであるから。
逆に言えば、三アカ新聞が、石巻日日新聞のような状態で手書き壁新聞を発行したら、私はその新聞と新聞社に、当然敬意を表するだろう。
尤も・・・・朝日新聞が斯様な状況で手書き壁新聞を発行し、貼って回るとは、到底想像し得ないのであるが。
如何に、朝日新聞。
<注釈>
(*1) それこそ、「新聞社の生き残る道」と考える新聞社もあるようだ。(*2) 8インチのフロッピーディスクがあったとして、あなたならどうやってそれから情報を引き出す?3.5インチフロッピーディスクですら、読み出せるか怪しいだろう。(*3) 彼は妻の言葉を「正しい」と感じ、一面だけの壁新聞をこの日も発行した。