応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
「イタリア軍」と言うと「腰抜け、弱虫」の代名詞である。何時ごろからかと言うと殆どイタリア統一にまで遡れそうだが、私の知る限りでも第1次大戦から冗句の種にされている。
そのイタリア軍の弱さを笑った冗句の一つが、タイトルにもした「イタリア海軍将兵の勇敢さは、艦艇の大きさに反比例する。」であり、「一番勇敢なのが(潜水服と水中スクーター程度の)フロッグマン部隊で、二番目が魚雷艇隊だ。」と続く。「フロッグマン」だの「魚雷艇」だの言っているから、第二次大戦頃の冗句だろう。実際、第二次大戦のイタリアの大型軍艦と来た日には、あるんだかないんだか良く判らない空母は仕方ないとしても(*1)、戦艦は「艦隊現存主義」と言えば聞こえは良いが殆ど港湾に籠もりっ放しで、イギリスの複葉羽布張り雷撃機ソードフィッシュ(*2)の魚雷命中1本で大破着底してしまうようでは、「艦隊が現存する」ことの意義さえ疑われる始末。イタリアがまんまと「第二次大戦の戦勝国」になり果せた為に、イタリアは戦後も「戦艦保有国」であり続けた(*3)が、冗句の通り「イタリア海軍将兵の勇敢さは、艦艇の大きさに反比例する。」のであれば、イタリア海軍将兵の士気を鼓舞するためには「大艦は排するべき」であろう。
がどうも、「勇敢さがフネの大きさに反比例する」のは、イタリア海軍=軍人に限ったものではないようだ。
報じられているのは、イタリア豪華客船コスタ・コンコルディア号の座礁転覆事故に於ける船長の挙動。因みにコスタ・コンコルディア号はコスタ・コンコルディア級のネームシップ=1番船(*4)。排水量11万2000トン(*5)、2006年就航と言うから艦齢も6年ほどの新鋭の大船なのであるが、その船長は・・・まあ、記事の方を御一読頂こうか。
転載開始=========================================
そのイタリア軍の弱さを笑った冗句の一つが、タイトルにもした「イタリア海軍将兵の勇敢さは、艦艇の大きさに反比例する。」であり、「一番勇敢なのが(潜水服と水中スクーター程度の)フロッグマン部隊で、二番目が魚雷艇隊だ。」と続く。「フロッグマン」だの「魚雷艇」だの言っているから、第二次大戦頃の冗句だろう。実際、第二次大戦のイタリアの大型軍艦と来た日には、あるんだかないんだか良く判らない空母は仕方ないとしても(*1)、戦艦は「艦隊現存主義」と言えば聞こえは良いが殆ど港湾に籠もりっ放しで、イギリスの複葉羽布張り雷撃機ソードフィッシュ(*2)の魚雷命中1本で大破着底してしまうようでは、「艦隊が現存する」ことの意義さえ疑われる始末。イタリアがまんまと「第二次大戦の戦勝国」になり果せた為に、イタリアは戦後も「戦艦保有国」であり続けた(*3)が、冗句の通り「イタリア海軍将兵の勇敢さは、艦艇の大きさに反比例する。」のであれば、イタリア海軍将兵の士気を鼓舞するためには「大艦は排するべき」であろう。
がどうも、「勇敢さがフネの大きさに反比例する」のは、イタリア海軍=軍人に限ったものではないようだ。
報じられているのは、イタリア豪華客船コスタ・コンコルディア号の座礁転覆事故に於ける船長の挙動。因みにコスタ・コンコルディア号はコスタ・コンコルディア級のネームシップ=1番船(*4)。排水量11万2000トン(*5)、2006年就航と言うから艦齢も6年ほどの新鋭の大船なのであるが、その船長は・・・まあ、記事の方を御一読頂こうか。
転載開始=========================================
<注釈>
(*1) まじめに艦載航空機を設計開発していなかった事もある。「世界に冠たる科学技術」を誇るドイツですら、艦上戦闘機にメッサーシュミットMe109Tで艦上爆撃機がユンカースJu87では、日米の艦載機に対し航続距離も発着艦性能も大いに見劣りする。相手がイギリスなら、もう少し勝負できそうだが。(*2) それもたった22機。これでも空母一席丸ごと雷撃機にしての出撃だから、イギリスの空母も、それをたった一隻で夜襲をかけさせるイギリス海軍も、大した玉だ。(*3) 腰抜けイタリアが真っ先に降伏したのはまだしも、此の「戦後も戦艦保有国」の方が私には許し難い。それが喩え、航空魚雷1本で大破着底してしまうような戦艦であっても。我らが唯一の生き残った戦艦が、「世界初の16インチ砲戦艦」「七姉妹が長姉」長門が、戦後アメリカの地上核実験に供され、水中核爆発を喰らって尚5日間浮力を保った後、静かに、誰にも見取られずに沈んだ事を思えば、尚更だ。(*4) 必ずしもネームシップが1番艦/1番船とは限らない。が、大概はそうである。(*5) 商船の「排水量」は、軍艦とは異なり「質量=重さ」を直接意味するものではない。商船の「排水量」は、「搭載容積」を直接には示しているが、「重さ」と考えてもさして間違いではない値である。と言う事は、コスタ・コンコルディア級は、米原子力空母ニミッツ級に匹敵する重さな訳だ。
転載開始=========================================
乗客より先に避難の船長に帰船促す イタリア豪華客船座礁で沿岸警備隊
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120116/erp12011608210002-n1.htm
2012.1.16 08:19 [海難事故・水難事故]15日、イタリア中部沖のジリオ島付近で座礁した豪華客船コスタ・コンコルディアと救助隊のボート(ロイター)
イタリア中部沖のジリオ島付近で13日夜、豪華客船コスタ・コンコルディアが座礁した事故で、過失致死などの容疑で検察に身柄を拘束されたスケッティーノ船長が、乗客らより先にジリオ島に避難しているのを沿岸警備隊関係者に見とがめられ、船に戻るよう促されていたことが15日、分かった。ANSA通信が伝えた。船長が島で目撃されたのは14日午前0時半ごろで、船内にはまだ大勢の乗客乗員が残されていた。同船長は船に戻ると答えたものの、その後も島にとどまり続けたという。AP通信によると、緊急時に船を放棄した船長には、イタリアの航海規則で最高12年の禁錮刑が科される可能性がある。ANSAによると、船内から15日に発見された男性2人の遺体はイタリア人とスペイン人と判明した。(共同)
=================================転載完了
「艦と運命を共にする」と言う思想
「艦と運命を共にする」と言うフレーズは、我が国でも先の大戦=大東亜戦争(太平洋戦争)中までは多用されたフレーズである。主として艦長について、戦傷で沈没する艦艇に最後まで踏みとどまり、「艦と運命を共にする」ことでその責を全うすることを指し、讃える言い方だ。日露戦争で接触事故により沈没した防護巡洋艦「吉野」艦長・佐伯誾 大佐や、大東亜戦争(太平洋戦争)はミッドウエー海戦で米軍機の攻撃に沈んだ空母「飛龍」艦長・加来止男 大佐並びに山口多聞少将などがその事例である。こうして並べ立てると「帝国海軍の悪しき習慣」のようにも思えようし、「艦と運命を共にして死んでしまうよりも、生還して自艦喪失の戦訓を今後に活かすべきだ」と言うのも合理的判断と言えよう。が、大東亜戦争(太平洋戦争)劈頭のマレー沖海戦にて我が陸攻隊の雷撃に沈められた英戦艦プリンス・オブ・ウエールズ艦長リーチ大佐並びにフィリップス中将が脱出を拒否して「艦と運命を共に」している。元空自戦闘機パイロットの服部省吾氏は、現役パイロット時代「最後まで努力し、絶対に機体を見捨てない(最後の最後は機体と運命を共にする)」ため射出座席の安全ピンを飛行中は秘かに元に戻し、射出機能が働かないようにしていたそうだから、少なくとも「艦と運命を共にする」事を多とする風潮は、帝国海軍に限らず、空間的にも時間的にも広がりを見せている。
「普遍的に価値がある」とまでは言わない。「生還して自艦喪失の戦訓を今後に活かすべきだ」と言う合理的判断にも理がある事も十二分に理解するが故である。だがその一方で、その「合理的判断」が、我が身可愛さの怯惰・利己的判断の隠れ蓑・言い訳となりうる事も想起しなければなるまい。「二つの選択肢があれば、己が死に近い方を選べ」とは「葉隠」の教えであるが、これはその「合理的判断の美名の下での惰弱」を戒めたものであると、理解している。
「普遍的に価値がある」とまでは言わない。「生還して自艦喪失の戦訓を今後に活かすべきだ」と言う合理的判断にも理がある事も十二分に理解するが故である。だがその一方で、その「合理的判断」が、我が身可愛さの怯惰・利己的判断の隠れ蓑・言い訳となりうる事も想起しなければなるまい。「二つの選択肢があれば、己が死に近い方を選べ」とは「葉隠」の教えであるが、これはその「合理的判断の美名の下での惰弱」を戒めたものであると、理解している。
誤解があると困るのだが、私は此のイタリア豪華客船コスタ・コンコルディア号船長であったスケッティーノ氏に、「船と運命を共にして、共に沈むべきであった」と主張しているのではない。「フネと運命を共にする」事を、平時の民間人に期待するのは、無理無体と言うものだ。
だが、平時の民間人である豪華客船船長に「乗客乗員の安全確保を最優先すること」を期待するのは道理でもあり、法律でもあろう。
1> AP通信によると、緊急時に船を放棄した船長には、イタリアの航海規則で最高12年の禁錮刑が科される可能性がある。
と、報道にもある通りだ。
だが、平時の民間人である豪華客船船長に「乗客乗員の安全確保を最優先すること」を期待するのは道理でもあり、法律でもあろう。
1> AP通信によると、緊急時に船を放棄した船長には、イタリアの航海規則で最高12年の禁錮刑が科される可能性がある。
と、報道にもある通りだ。
問題は、
2> 船内にはまだ大勢の乗客乗員が残されていた。
2> 船内にはまだ大勢の乗客乗員が残されていた。
状態で沈みゆく客船コスタ・コンコルディア号を離れて島に上陸した「船長」が、「乗客乗員の安全確保」を為しうるか、それを最優先していたといえるか、と言う事だ。普通に考えれば、沈みゆく己が船の上で脱出避難の指揮を取り、最後の乗客乗員と共に退船するのが、「船長のあるべき姿」であろう。
況や、「沿岸警備隊関係者に見とがめられ、船に戻るよう促されて」、
3> 同船長は船に戻ると答えたものの、その後も島にとどまり続けたという。
と言うのが事実であれば、最早言い逃れも何も利きはしない。スケッティーノ「船長」は己の安全を「乗客乗員の安全」より優先した、惰弱な卑怯者であり、イタリア以外の多くの国では「船乗りの風上にも置けない」腰抜け野郎である。
もし、同「船長」が「いち早く船を離れて島に上陸したことにより、乗客乗員の安全はより確保された(*1)」と主張するならば、上記3>で「船に戻ると答え」はしないだろうし、その島の状況を知っている「沿岸警備隊関係者」に「見とがめられ、船に戻るよう促され」たりはしそうにない(*2)。
上記3>「戻ると答えたものの、その後も島にとどまり続けた」と言う事実と上記の主張を両立させる為には、「沈みゆく船と言う現場より脱出した乗客乗員の居る島の方が混乱して居り、その混乱が収拾しないので船に戻る機会を逸した」と考えるぐらいしかないが、その「島の沈み行く船以上の混乱ぶり」は各種報道にも見えず、上掲「沿岸警備隊関係者」にも見えていないことになる。
他に可能性があるとしたら・・・「スケッティーノ「船長」が現場=沈み行く客船に「居合わせず、陣頭指揮もしないことにより、混乱を収拾した、少なくとも拡大しなかった」と言う可能性があるか。これならば、上掲3>「その後も島にとどまり続けた」理由にも充分なる。が、今度は、一体なんだってそんな奴が新鋭豪華客船の船長やっていたのかがわからなくなる。
尤も、あ~んなルーピーが前々首相だったり、こ~んなスーパーゾンビが前首相だったりする我が国が、「現場に居合わせないことに拠って混乱の拡大を防いだイタリア豪華客船「船長」」を笑うことは出来ないのだが。「現場に居合わせないことで混乱を拡大しない」と己が分を知るだけ、やたら滅多ら「陣頭指揮」を取ろうとして混乱と遅延だけもたらしたと思われるスーパーゾンビより遥かにマシなのだから。
しかしながら、その自他共に認める船長の無能振りが、今回の客船コスタ・コンコルディア号転覆沈没につながったのだとしたら・・・
「もしも、かつての船乗りの言うように、船に魂と言うものがあるならば・・・・」 アリステア・マクリーン作「女王陛下のユリシーズ号(*3) HMS Ulysses」
新鋭豪華客船コスタ・コンコルディア号の魂としては、座礁転覆なんて「死に方」だけでも不本意だろうに、「ご主人」である船長が乗客より先に避難=船を放棄したとあっては、死んでも死に切れないと思うぞ。
「もしも、かつての船乗りの言うように、船に魂と言うものがあるならば」、スケッティーノ「船長」のところへ、化けて出てくるに違いない。
上記3>「戻ると答えたものの、その後も島にとどまり続けた」と言う事実と上記の主張を両立させる為には、「沈みゆく船と言う現場より脱出した乗客乗員の居る島の方が混乱して居り、その混乱が収拾しないので船に戻る機会を逸した」と考えるぐらいしかないが、その「島の沈み行く船以上の混乱ぶり」は各種報道にも見えず、上掲「沿岸警備隊関係者」にも見えていないことになる。
他に可能性があるとしたら・・・「スケッティーノ「船長」が現場=沈み行く客船に「居合わせず、陣頭指揮もしないことにより、混乱を収拾した、少なくとも拡大しなかった」と言う可能性があるか。これならば、上掲3>「その後も島にとどまり続けた」理由にも充分なる。が、今度は、一体なんだってそんな奴が新鋭豪華客船の船長やっていたのかがわからなくなる。
尤も、あ~んなルーピーが前々首相だったり、こ~んなスーパーゾンビが前首相だったりする我が国が、「現場に居合わせないことに拠って混乱の拡大を防いだイタリア豪華客船「船長」」を笑うことは出来ないのだが。「現場に居合わせないことで混乱を拡大しない」と己が分を知るだけ、やたら滅多ら「陣頭指揮」を取ろうとして混乱と遅延だけもたらしたと思われるスーパーゾンビより遥かにマシなのだから。
しかしながら、その自他共に認める船長の無能振りが、今回の客船コスタ・コンコルディア号転覆沈没につながったのだとしたら・・・
「もしも、かつての船乗りの言うように、船に魂と言うものがあるならば・・・・」 アリステア・マクリーン作「女王陛下のユリシーズ号(*3) HMS Ulysses」
新鋭豪華客船コスタ・コンコルディア号の魂としては、座礁転覆なんて「死に方」だけでも不本意だろうに、「ご主人」である船長が乗客より先に避難=船を放棄したとあっては、死んでも死に切れないと思うぞ。
「もしも、かつての船乗りの言うように、船に魂と言うものがあるならば」、スケッティーノ「船長」のところへ、化けて出てくるに違いない。
<注釈>
(*1) 一寸想像し難い主張だが、沈みゆく船と言う現場より脱出した乗客乗員の居る島の方が混乱していたら、こういう主張は成り立つだろう。(*2) 「それが人間本来の弱さである」と言うのは嘘ではなかろう。が、そんな「人間本来の弱さ」のみを肯定し、己が生物学的生命にのみ執着するものが、何を為せようか。平時の民間客船の船長といえども、為せるとは思わないし、為させる可きでもない。
noblesse oblige 権力・権威には、義務が伴うべきである。(*3) 早川文庫のタイトルは斯様に訳されているが・・・此の小説の舞台は第二次大戦。当時のイギリスは国王ジョージⅥ世の統治下。”HMS Ulysses”は「国王陛下の(軍艦)ユリシーズ号」が正しい