逆張りの発想
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さて、如何であろうか。
先ずは事実の整理から行こうか。先回記事にした際には、良く判っていなかった事実もあるようだから。以下に時系列順に事実を並べていこう。
(1) 明治は、埼玉県春日部市の工場で粉ミルクを生産している。生産しているのは3銘柄だそうだ。
(2) 粉ミルクは、乳原料と水を混ぜて熱風で換装させて作る。
(3) 当然ながら、原料である乳原料と水の安全性は検査で保証されている。(※1)
(4) 東日本大震災と福島原発事故のあった3月11日直後の3月14日から20日にかけても粉ミルクは製造され、全国へ出荷・流通していた。
(5) 厚労省が明治を含む複数メーカーの粉ミルク25検体を7~8月に調べた際は、いずれも検出限界(5ベクレル)未満だった
(6) 福島県の市民団体が11月下旬に明治の粉ミルクの一つ「ステップ」からセシウムを検出したことを明治に伝えた。
(7) 上記(6)を受けて、明治が詳しく検査したところ「最大で1キログラム当たり30.6ベクレル」の放射性セシウムを「ステップ」からのみ検出した。
(8) 上記(7)で検出された放射性セシウムは、国の暫定基準「1キログラム当たり200ベクレル」を大きく下回り、乳幼児相手と言えども問題になるような検出量ではないが、明治は製造日指定(※2)で40万缶の粉ミルク「ステップ」を回収することに決めた。
(9) 上記を受けて、沖縄二紙は上掲社説を掲げ「国民の不安解消に手を尽くせ」「検査態勢の強化を図れ」と、大騒ぎである。
ああ、これで大分スッキリした。ついでに私の頭が冷えた事も認めないといけないだろう。何しろ先行記事や沖縄二紙社説を一読した程度では、「上記(6)の福島県の市民団体が、故意に放射性セシウムを混入した粉ミルクをサンプルとし、「粉ミルクから放射性セシウム検出」を捏造した」と言う疑いを、少なくともその可能性を、払拭できなかったのだから。
私がタイトルにもした「マクリーンの論理」を思い出したのもそのためだ。「福島の市民団体」が発見した「放射性セシウム入り粉ミルク」と、それで大騒ぎしてみせる沖縄二紙と言う状況証拠は、「福島の市民団体」に対する私の疑惑を一層濃くしたからだ。
「何て東電寄り、明治寄りの御用ブロガー(※3)だ!」と批難される方もありそうだが、自慢じゃないが私はわが生涯に於いて、体制派ではあっても多数派であった記憶があまり無いような「ひねくれモノ」だ。章題にもした通り「逆張り」=「態と人の賭けないルーレットの目や馬券に賭け、或いは人の買わない株に投資する事で「あわよくば一攫千金」を狙う賭け方ないし投資法。」的発想するのが常であるから、放射線ホットスポット探しや放射性物質入り食品を求めて「一億一総」とは言わぬまでも相応の数の「放射能ハンター」が現出している昨今に於いては、そんな輩が出て来ても不思議はないし、そうでなくても混乱している現状を、そんな輩に擾乱されないよう、用心が必要だ。
流石に明治はその点心得ているらしく、上記(7)の通り検査は「福島の市民団体」検査結果の丸呑みではないようだし、上記(8)の通りその結果複数のサンプルから放射性セシウムが検出されたようだ。その分、「福島原発事故による放射能セシウム汚染」の疑いが濃厚になったことは認めざるを得ない。が、上記(8)注記に書いたとおり、放射性セシウムが検出されたサンプルの製造日は連続していないし、何より「ステップ」からしか検出されておらず、不可解な「データの偏り」を示している。それまでの明治自主検査では放射性物質が検出できなかったと言うのも、留意すべき点だ。それは、検査方法の不適切か、「放射性物質を含んだサンプルの極端な少なさ」を意味しているかも知れない。前者ならば改善されるべきであるし、後者ならば「そうも放射性セシウムの分布が偏ったのは何故か」と言う疑問が生じる。先行記事でも繰り返したが、当該「放射性セシウムを含んだ粉ミルク」は全く無害であるから、それ故にこの問題は純粋に学術的な興味をそそる。
本件の解明は実施されるべきである。それは、今後の為でもあれば、明治自身の為でもある。
だが、上掲沖縄二紙社説が求めるような「国民の不安解消」「消費者の安心」などは、政府に要求すべきではない。(※4)
敢えて断言しよう、科学技術が確保し、政府なり東電なりが保障できるのは、ある範囲の「安全」までだ。その「安全」までならば、知性と理性と論理で保証する事も出来れば、定量的に評価する事も出来る。
「安心」は心の問題だ。それは、それは、政府が保証できるものでも、保証すべきものでもない。
例えば、全く放射能に対する知識がない、それどころか、放射能や放射線と言う概念すらも持たない人ならば、どんな放射線環境下でも、少なくとも急性放射線症が顕在化しない程度の放射線環境下ならば、「安心」する事が出来る。放射能や放射線と言う概念が無ければ、これを怖がる事も不安になる事も出来ないのだから。政府に小説「1984」並みの絶対権力があって、国民へ「安心」を保証しようとするならば、「放射能や放射線と言う概念すらも持たせない」か、「政府が「安心」と宣言する物は安心だと洗脳する」か、何れかの方策を採るだろう。
無論、魂の自由愛する私は、そんな方策も、そんな政府も、御免被る。
小説「1984」の政府は極端な強権政府であるから、そうではない、普通の政府に対し「安心の保証」を求めるならば、それはほぼ確実に無限責任となり、「安心できるまでタカリ放題」と言う事になる。
従って、現在の日本政府に対し、「国民の不安解消」「消費者の安心」を求めると言う事は、「強請りタカリの奨励」以外の何物でもない。
一寸前に、米国の高官が「沖縄は強請りの名人」と暴言を吐いたとして糾弾された。
が、私の見る所、少なくとも沖縄二紙は強請りの名人だぞ。
如何に、沖縄二紙。
如何に国民。
<注釈>
(※1) 明治が嘘をついていなければ、だが。そんな嘘をついたら信用問題で、下手すれば同じ商売を二度とできなくなるのだから、日本の会社は滅多にそんな嘘はつかない。「絶対に」とは言わないが。(※2) 賞味期限で平成24年10月4日、同21日、同22日、同24日 と言う事は1日の生産量は「ステップ」で10万缶で、多分「放射性セシウムを検出した」サンプルがこの4日間に渡っていたのだろう。(※3) 今、私が作った造語。そんな人種が居ても、九電の「やらせメール」ほどにも役に立たないだろうから、東電も明治も「御用ブロガー」なんて雇っていないと思うぞ。勿論私のところに東電や明治からびた一文だって「流れて」は来ていない。(※4) 沖縄二紙の主張に沿って「政府に要求」していたら、ろくな事にならない事例はタンとあろうが。