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 前沖縄防衛局長が、「前」になってしまった、つまり沖縄防衛局長をクビになったのは、普天間基地辺野古移設の環境評価書提出時期について、「女を犯す前に、犯しますよと、言うか。」と発言し、これが問題化したためである。この発言事態は酒席の、それも新聞記者同席の上で、オフレコと断った上での発言であったそうである。
 
 当ブログは「個人としては相当しつこく普天間基地移設問題を扱ってきた」と言い条、前沖縄防衛局長「暴言」問題をあまり取り上げる気が起きなかったのは、いくつか理由がある。それを列挙するなら、以下の通り。

 ① 酒の席での発言とは言え、知性も教養も感じられない、余りに「情けない」発言であること

 ② 当該発言を女性蔑視だとか、況や「沖縄差別」なんぞに結びつける気は全くないが、「女性軽視」ぐらいとは結びつきうること。想像するに、その酒席は男ばかり、いわゆるオッサン集団だったのだろう。シモネタ、猥談がでるのも無理からなかろうが、それを公開公表するのは問題だろう。

 ③ 「辺野古移設環境評価書」を「いつ出すか明言しない」と言うのは一つの戦術であると認めるし、それを是とするという点では、前沖縄防衛局長の発言はまともである。少なくとも、問題になるようなモノではないこと。
 この発言を巡っては、沖縄タイムスが社説連載を組んでしまうほどの力の入れようであるが、私は半ばあきれて沖縄タイムス社説を読む気すら起きないぐらいだ。
 
 が、産経抄が仲々鮮やかに「斬って」くれている。
 
 まずはご一読の程を。


転載開始========================================= 

【産経抄】
12月3日 最低限の信義を守ってこそペンの力 

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111203/plc11120303510003-n1.htm
2011.12.3 03:50 [安全保障]
 1日から2年後の3月に卒業する大学生の就職活動が解禁された。4年生の夏が近づいてから「就職どうする?」とぼちぼち会社訪問を始めた「昭和世代」と違い、今は長引く不況で有名大学を出てもすんなりと就職は決まらないそうだ。
 ▼近ごろは、就活には何の役にも立たない小欄のところにも何人か「記者になりたい」と訪ねてくる。そのとき判で押したように聞かれるのが「記者になるためには何が必要ですか」という質問だ。
 ▼正解はいくつもあるだろうが、「信義を守る気概だ」と格好良く答えるようにしている。記者は、頼まれもしないのに他人の悪口を書き、他人にみせたくない暗部を世間に暴くのを生業としているからこそ、人間としての最低限の信義は守らねばならない。当たり前の話だが、実はかなり難しい。
 ▼前沖縄防衛局長が、記者との酒席での発言がもとでクビになった一件がいい例だ。前局長は、小社を除く約10社の記者を居酒屋に集めて、発言を直接引用しないことを前提とした「完全オフレコ」懇談であると念を押し、宴会を始めたという。
 ▼酒もすすんだ前局長は、米軍普天間飛行場問題にからめて「(女性を)犯す前に犯しますよと言うか」と暴言を吐いたとされる。懇談会に記者が出席した琉球新報は、翌日の朝刊1面トップでとりあげ、彼は即クビになったが、同じ新聞人として恥ずかしい限りだ。
 ▼暴言を聞いた琉球新報の記者は、なぜその場で「沖縄をばかにするのか」と一喝しなかったのか。記事にするなら「看過できない発言なのでオフレコ扱いできない」と宣言し、酒杯を伏せて立ち去るのがプロの記者だ。最低限の信義を守ってこそペンの力は光るはずである。

【防衛局長不適切発言】
琉球新報「公益性」を強調 新聞協会「オフレコに道義的責任も」 

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111129/plc11112922580027-n1.htm
2011.11.29 22:55
 非公表を前提とする「オフレコ発言」で、閣僚や政府高官が辞任に追い込まれるケースはこれまでもあった。直近では9月に鉢呂吉雄前経済産業相が原発視察後、記者団に「放射能をうつしてやる」と述べたことが報じられ、辞任した。
 沖縄防衛局によると、田中聡沖縄防衛局長の懇談はオフレコが前提だった。29日付琉球新報は「非公式の懇談の席で発言した」と、オフレコを承知していたとした上で、田中発言を報じた理由について「発言内容を報じる公共性、公益性があると判断した」と説明した。同社記者から記事掲載の連絡があったのは二次会の場だったという。
 平成7年10月には宝珠山昇防衛施設庁長官(当時)が米軍基地をめぐる村山富市首相(同)の対応を「首相が頭が悪いからこんなことになった」とオフレコで批判。実名で報じられ、更迭された。同年11月には、江藤隆美総務庁長官(同)が日韓併合をめぐり「日本もいいことをした」とのオフレコ発言が報じられたことで、辞任した。
 日本新聞協会編集委員会は8年2月、オフレコ取材に関し、事実把握の手法として容認した上で「その約束には破られてはならない道義的責任がある」と指摘。一方で、国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材を「厳に慎むべきだ」とした。
=================================転載完了

オフレコに道義的責任を求めるならば、それはオフレコにならないだろう


 言うまでもなかろうが「オフレコ」とはOff Recordingの略。「記録に残さない」であるから、記録させない、記事にさせないという条件で本音なり真相なりを公表暴露する奇怪であろう。或いは、新聞記者などとのつきあいに於いては、ある種の「制限解除」的な意味合いも持つのだろう。
 
 とは言え、オフレコを宣言された以上、一定の信義・義務が新聞記者側にも生じる筈。そのオフレコ発言がオフレコとして許容できる範囲を超えた、是非にも公表すべきであると判断したのならば、産経抄の言うとおり、新聞記者はその場で糾弾し、退席するのが道理であろう。
 実際そうしたのかも知れない。何しろ当該酒席には、産経記者は同席していなかったそうだから、ひょっとすると琉球新報記者殿は、正々堂々沖縄防衛局長(当時)を面罵して席を立ったかも知れない
 
 それならば、筋は通る。
 
 だが、そうでないならば・・・まあ、琉球新報の記者なんてのは朝日の子分。そんなモノと言えば、そんなモノだがねぇ。