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 以前取り上げた東京新聞社説と同様に、朝日が社説に原発マネーを取り上げている。だが、其処は全国紙の朝日だけに三赤新聞筆頭とは言え、仲々巧妙な主張になっている。
 
 先ずは御一読・・・の前に、以前の当ブログ記事を、少なくとも其処に転載した東京新聞社説をご一読される事を、お薦めする。
 
お互い、ワルよのう―東京社説「原発立地寄付 悪い循環を断ち切ろう」を手短に斬る!  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36185577.html
 

朝日社説 原発と自治体―次の道を考えるときだ 

 http://www.asahi.com/paper/editorial20111026.html?ref=any
 野田政権が「脱・原発依存」を進めていくうえで、向き合わなければいけない大きな課題のひとつが、原発を抱える自治体との関係だ。
 70年代、石油危機をへて、日本は原発の増強へとかじを切った。建設地の多くは、これといった産業がなく、過疎に悩む市町村だった。
 迷惑施設を受け入れてもらう見返りに、計画の段階から巨額の交付金が地元に落ちる仕掛けが設けられた。道路や体育館といった箱モノが、交付金や固定資産税などをもとに次々に整備された。03年からは町内活動や病院の人件費といったソフト面にも使えるようになった。
 財政が潤う一方、原発依存度は高まった。一般会計に占める原発関連収入の割合が6割を超える自治体もある。
 だが、福島第一原発の事故をへて、変化が起きている。
 東北電力の原発計画がある福島県の浪江町と南相馬市は、今年度の交付金を辞退すると表明した。原発発祥の地、茨城県東海村の村長は東海第二原発の廃炉を政府に提案した。立地自治体がみずから廃炉を求めたのは初めてだ。将来的な交付金の減額を想定し、対策を考え始めた自治体もある。
 政府は、エネルギー政策を転換するうえで、こうした自治体の問題意識をきちんと受け止める必要がある。
 交付金の仕組みが、地域振興の名目で、ただのバラマキと化し、本当の意味での自治を壊していないか。きちんと検証し、資金の使い方を見直さなければならない。
 引き続き原発の推進を掲げる自治体もある。ただ、周りの市町村は慎重な姿勢を強めている。防災区域の拡大が検討されるなか、原発の存廃は立地自治体だけでは決められない。周辺市町村と一緒になって、次の道を考えるときではないか。
 もちろん、脱原発で交付金などを突然打ち切られては地域経済も立ちゆくまい。どのような移行措置をとるべきか。分散型のエネルギー社会への転換に地域が果たせる役割とは何か。自治体自身が考え、アイデアを実現していくためにも、政府は話し合いの場を用意すべきだ。
 都市部の住民も「知らぬ話」で済まされない。交付金の原資は電源開発促進税として、電気料金に上乗せされて徴収されている税金だからだ。
 原発マネーのあり方を見直すことは、税金をどう使うかという「再分配」の新しいルールを模索する作業でもある。
 国民みんなで考えたい。
 

婉曲表現と責任回避

 さて、如何であろうか。
 
 東京新聞社説との相違は明らかだろう。先行記事もした通り、東京新聞社説は「原発マネー依存を止めよう」と訴えつつ、「原発以外のマネーに依存するのは構わない」と公言している。だから、前回当ブログ記事のタイトルは、時代劇に登場するステレオタイプ的悪代官の決め台詞「お互い、ワルよのう」(*1)としたのである。
 これに対して朝日は、「原発マネー依存を止めよう」と訴えつつ、その代替案については明言しない。
 
1> どのような移行措置をとるべきか。
2> 分散型のエネルギー社会への転換に地域が果たせる役割とは何か。
3> 自治体自身が考え、アイデアを実現していくためにも、政府は話し合いの場を用意すべきだ。
 
 実に巧妙に「脱原発」へ誘導し、「原発マネーに代わるマネー」は臭わせつつも明言しない。挙句が次のフレーズで社説を〆る。
 
4>  原発マネーのあり方を見直すことは、税金をどう使うかという「再分配」の新しいルールを模索する作業でもある。
5>  国民みんなで考えたい。
 
 税金をどう使うかという「再分配」の新しいルール」!ああ、何と巧妙な言い回しだろうと、ほとほと感心する。それが意味するところは東京新聞社説と同様、「原発以外のマネー」に他ならないが、気づく者は多くなさそうだ。最後の最後に上記5>で国民に責任転嫁して見せるのだから、なおさらだ。これが全国紙老舗の処世術と言う物だろう。
 
 だがしかし、当ブログが予てから主張するとおり、社説と言うのは新聞の顔であり、存在理由の一端を担っているのである。社説の「新聞の顔」と言う側面は昔からであるが、昨今の発達著しいIT技術状況下に於いて、「新聞の存在理由」と言う重い責任を特集記事・連載記事・追跡記事共々担っている意味は重い。「2040年までに紙として売られる新聞はなくなるだろう。」などとまことしやかに予想される現状では、その意味する所は深刻なほどに重大だ。
 
 であるならば、今回取り上げたような処世術の見本みたいな社説を掲げているようでは、そんな新聞は長くはもたないだろうと、予想されるのである。
 
 如何に、朝日新聞。
 
 沖縄二紙のように、どこかの地方に特化して、独占状態で生き残りを図るかね。
 

<注釈>

(*1) これに対しステレオタイプ的悪徳商人が「いえいえ、お代官様には適いませぬ。」と返すのが「お約束」だ。