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 以下に転載するのは、国の原子力保安委員会に投書やらウエブによって寄せられた意見の統計。
 記事のタイトルにもなっているが、「「脱原発」が98%」と言う実に恐るべき結果、だ。
 勿論、この統計は国民投票でもなければ世論調査ですらない。原子力保安委に対する投書でしかないから、放射能ヒステリーと反原発アレルギーが猖獗を極める現状で態々同委員に投書された意見だから、相当フィルターもかかっている≒サンプリングが偏っているだろう。
 
 以上も勘案の上で、先ずは御一読、願おうか。
転載開始========================================= 

「脱原発」が98% 原子力委への国民意見

  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110927/plc11092711420013-n1.htm
2011.9.27 11:42
 国の原子力委員会(近藤駿介委員長)は27日、東京電力福島第1原発事故で中断していた「原子力政策大綱」の見直しを議論する策定会議を半年ぶりに開き、東京電力福島第1原発事故後、同委に国民から寄せられた意見のうち98%が「脱原発」に賛成する意見だったことを明らかにした。
 寄せられた原発に関する意見は、約4500件。うち「直ちに廃止すべきだ」が67%、「段階的に廃止すべきだ」が31%で、計98%に達した。理由としては、「環境への影響が大きい」「放射性廃棄物の問題が解決していない」などがあった。
 近藤委員長は会議の冒頭で、「原子力政策を決めることが使命。悩んだが、再開を決意した」と述べたその後、東電や政府が事故の概要や住民避難の状況などについて説明した。
 現行の大綱は、2005年に策定され、同委では昨年12月に改定に着手。事故前までに5回の会議を開いた。今後1年をめどに、新大綱をとりまとめる。
=================================転載完

敵は幾万ありとても全て烏合の勢なるぞ

 さて、如何であろうか・・・・と言うほどもない短い記事だな。原子力保安委員会再開の苦悩も報じられているが、凡そ以下の一行に尽きるだろう。
 
1> (原発を)「直ちに廃止すべきだ」が67%、「段階的に廃止すべきだ」が31%で、計98%に達した。
 
 上記の統計結果が「原子力保安員への投書」である事は新ためて強調しておこう。さらに、件数4500件と言うのは一寸した数だが、社民党や共産党が動員かければその程度の数は集まろう。また、電力会社の「やらせ」が槍玉に上がっている昨今ならば、少なくとも電力会社の社員はまともに意見を寄せ辛かろう。
 
 つまり、今の状況で左様な統計(※1)を取れば「脱原発」が大多数と言うのは予想の範囲である。であるからして、報じられる統計数字は、恐るべき結果ではあっても、驚くべき結果、ではない。
 
 本記事のタイトルについて蛇足覚悟で説明しておくと、「98%の阿呆」とは上記1>の「原発を直ちに廃止すべき」と「原発を段階的に廃止すべき」が合計が98%に達している事を指し、「7割の白痴」とは、「原発を直ちに廃止すべき」と言う意見が67%に達している事を指している。脱原発なぞ愚論であり、「原発を直ちに廃止」に至っては暴論であると、断じるが故だ。
 
 当ブログでもう何本もの記事で明言している通り、私は福島第一原発事故を経てなお原発推進論者だ(※2)。その理由はこれまた何度も書いているが重複覚悟で再度書けば、以下のようになる。
 
(1) 我が国のエネルギー政策の目的は、「電力の安定供給」である。この目的は、見通せる限りの将来に渡って不変である。

(2) 「電力の安定供給」とは、停電を起こさない充分な電力供給量であり、電圧の安定性であり、安価な電力の供給である。

(3) 原子力、火力、水力、太陽光、地熱、風力などの発電方法は、「電力の安定供給」と言う目的を達成するための手段である。その意味では発電方法ばかりでなく、送電方法や、将来的には蓄電・放電方法もまた、「電力の安定供給」のための手段である。

(4) 上記(3)で「蓄電・放電方法」を「将来的には」としたのは、現状技術では大容量の電力を貯めておく方法が無いからである。巷間の一部で取り沙汰される蓄電池は、家庭の照明程度の小口電力の供給には役に立つが、電車や工場を動かすような大容量電力には全く不足である。
 
(5) 上記(4)の大容量蓄電・放電技術の未確立故に、現状の電力は「必要需要量に応じて発電」している。

(6) 発電方法の中で、発電量が可制御なのは原子力、火力であり、水力がこれに準じる。そのほかの発電方法、特に巷間大人気の「再生可能な自然エネルギー」太陽光・風力・地熱などは、「わざと発電しない」事は出来ても「発電量を制御する」事は出来ない。故に、少なくとも大容量の蓄電・放電技術が確立し普及するまでは、制御可能な発電量は絶対に不可欠である。

(7) 現状、「制御可能な発電量」は、主として原子力と火力が担っている。水力は水位の変動が発電の制御量に効く事。最も電力需要が高い夏季が渇水期に当たる事などで、「制御可能な発電量」としては余り期待できない。水力以外の他の発電法には、制御性がない。

(8) 故に、電力用資源(石油、天然ガス、ウラン)を多重化してリスクを分散させるためにも、火力と並んで原子力による発電を続行すべきである。

(9) 福島原発時の教訓は充分に汲み取り、原発の安全性は更なる向上が必要である。その安全対策や、今回事故賠償に伴う「原発保険料」は、原発による発電コスをと上昇させるであろう。が、火力に劣るコストになるとは思われず、上記(8)のメリットはそのままであるから、原発を停止し放棄する「脱原発」に方針転換する理由は、論理的には微塵もない。
 
 以上の論理的考察に加えて、私の感情もまた原発を推進している事も、いくつかの記事には書いた。即ち、核兵器として核エネルギーを兵器としてさえ活用している我が人類が、それをエネルギー源として活用しないと言うのは「ありえない(※3)(あってはならない)」選択である。「核技術は人類の手に負えない」と言う説は、「核が人類を滅ぼすか、人類が核を滅ぼすかだ」と言う説と同様に、人類と人類の技術文明を、舐めているとしか思われない。
 
 以上の視点に立つからこそ、私は、福島原発事故を経て尚、原発推進論である。大流行の「再生可能な自然エネルギー」が発電の主力になるなんてのは、水力を画期的に大発展させる(※4)か、大容量蓄電・放電技術の確立と言う、見通せないほどの将来まで待たねばならない。明後日になれば兎も角、今日と明日の原子力発電は必須であるし、原発は発電を止めても廃炉にするまで時間がかかるから、原子力技術は原子力発電よりもさらに長い期間必須なのである。故に、「段階的に原発を廃止」と主張するのでさえ愚かしい。それをドイツが為そうとしているのは、ドイツがフランスから電力を買えて、フランスなど外国のの原子力技術が確固としてあるからであり、いわば「一国脱原発」で原子力技術も、それに伴う責任も、フランスはじめとする外国に押し付けているのだ。先行記事のタイトルを「ドイツ降伏」と刺激的に銘打った所以だ。そのドイツに、外国からの電力輸入の当てのない我が国が追随しようと言うのは、阿呆でなければ、無責任であろう。
 
 況や、「原発を直ちに廃止」に至っては語る言葉もない。原発による発電と言う最大のメリットを放擲し、今後の原発停止と廃炉のコストもデメリットも考慮せず、電力の安定供給も放念して「安心だぁ!安全だぁ!」と思っているのならば、白痴と評してもまだ足るまい。
 
 で、そんな白痴が7割近くで、阿呆と合わせると98%に達すると言うのが原子力保安安全委員会への投書なのだそうだ私としては、左様な統計が「サンプルの偏りによる物」であると、願わざるを得ない。
 
 それは、「私のような原発推進論者だってもう少し居る筈だ。」と考えるからではない。そうであってくれればそれは確かに嬉しい事ではあるが、それよりも恐ろしい事は、上記統計結果の通りに日本人が「脱原発」をお題目にする放射能アレルギーと反原発ヒステリーの為に、阿呆となり、白痴化されているのではないかと言う想像である。それは我が国民が衆愚化している事を意味し、我が国は曲りなりにも民主主義体制なのであるから、衆愚政治を免れないのである。
 
 
 それやまあ、一昨年夏の衆院選結果で「政権交代」が実現してしまい、民主党政権が誕生した時には、危うく我が国民と民主主義に絶望しかけた私であるが・・・「絶望は愚か者の結論なり。」と言う。此処は一つ、褌を締めなおして、「2%以下からの巻き返し」を図るとしよう。
 
 敵は幾万ありとても、全て烏合の勢なるぞ
  烏合の勢にあらずとも、味方に正しき道理あり。
 ―軍歌「敵は幾万」―
 
 炎よ、行け!

 

<注釈>

(※1) 統計ではある。調査ではない。平たく言えば「数えただけ」だ。
 
(※2) 私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html
 
(※3) 「今風な」この表現は、私は実は気に入らない、ってのもどこかに書いたな。実際ドイツは「脱原発」を決めて、為にドイツのシーメンス社は原子力技銃からの撤退を宣言している。
ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退   http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213     http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36006950.html 
 
(※4) 日本の立地条件では水力を「画期的に大発展」させるのは至難であろう。またそれは、凄まじい数のダム建設を必然とする。「コンクリートから人へ」どころじゃないし、八つ場ダム建設中止なんざ論外だ。
 

参考記事

(1) 原発如きが人類を滅ぼすオーバーテクノロジーなものか  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35039419.html
 
(2)   私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html
 
 (3)  余剰電力は防衛力である-脱原発騒動と電力不足に状況によせて   
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35687699.html
 
 (4)  私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― 
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778071.html