応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
10月10日と言うと日本ではかつては「体育の日」と呼ばれ、戦後の復興から高度成長期への飛躍の象徴と言える東京オリンピックの開催日であるが、大陸や台湾では双十節と呼ばれる「孫文が辛亥革命を始めた日」として祝日であり、自由中国=中華民国ではこの日軍事パレードをやるのが恒例だ( 今年は四年ぶりの軍事パレード、だそうだが。)。
その双十節が今年辛亥革命100年と言う事で、相応に盛り上がっているらしく、朝日が社説で、産経が正論でそれぞれ取り上げて、仲々面白い対比を見せている。
先ずは両紙の社説・論説を御一読願おうか。
その双十節が今年辛亥革命100年と言う事で、相応に盛り上がっているらしく、朝日が社説で、産経が正論でそれぞれ取り上げて、仲々面白い対比を見せている。
先ずは両紙の社説・論説を御一読願おうか。
転載開始=========================================
朝日社説 辛亥革命100年―新たな日中交流の機に
干支(えと)で辛亥(かのとい)の年にあたる100年前の10月10日、中国の長江中流域、武昌で清朝に対する蜂起が勃発した。これが引き金になって、アジアで初の共和国である中華民国が誕生し、清朝は倒れた。辛亥(しんがい)革命である。革命を主導した孫文の理想は、民族、民権、民生という三民主義の実現だった。孫文は袁世凱との対立、亡命などの苦闘を続けたものの、国民党による統一政権は見ることはできずに世を去った。遺言は「革命未(いま)だ成らず」だった。その国民党政権も共産党との内戦に敗れ、1949年に台湾に逃れる運命をたどった。そんな辛亥革命が100年たっても輝きを失わないのは、やはり、中国大陸で連綿と続いた専制王朝を崩壊に導いたという歴史的意義があるからだろう。「革命の最も堅固な支持者であり、最も忠実な継承者」とする共産党は、台湾との統一を見据えて様々な記念行事を開く。しかし、孫文が訴えた民主制を求める「民権」や、行政と立法などの権力分立は受け入れていない。そこが健全な発展の足かせとなっていて、国民の不満の原因でもある。とても、革命の忠実な継承者とは誇れまい。一方で、台湾は民主化を果たした。民主化は言論の自由を保障し、野党からは「大陸で生まれた孫文と台湾は関係ない」との声も聞かれるほどだ。日本で辛亥革命が関心を集めるのは、多くの人々が幅広い支援をしたからだ。また、日本留学経験者が革命の主力を担ったことも注目される一因だ。しかし、現実の日中関係は昨年秋の尖閣諸島沖衝突事件の影響から抜け出せていない。菅直人・前首相は施政方針演説で「孫文には、彼を支える多くの日本の友人がいました」と語った。これは、革命100年を日中関係改善の糸口にしたい意欲の表れだったのだろう。しかし、革命の日本人関係者には無私無欲の人もいたが、中国利権を目指した野心家が多かった。清朝への配慮などから当時の政府は孫文に冷淡だった。そして革命から20年後には満州事変が起きた。日本は孫文の求めた「王道」ではなく覇道で中国を侵略した。そんな歴史を凝視せず、辛亥革命のいいとこ取りをしただけでは、安定した友好関係は築けまい。来年は中華人民共和国と国交樹立して40年を迎える。節目の年に次の100年を視野に入れ、政府と民間は重層的な関係構築につとめるべきだし、大国の地位に戻った中国も未来志向で臨んでもらいたい。
産経【正論】
国際教養大学理事長・学長 中嶋嶺雄 辛亥革命の今日的な意味は何か
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111010/plc11101002590001-n1.htm
2011.10.10 02:59 [正論]今日10月10日は、辛亥革命の発端となった武昌(現在は武漢市に統合)での蜂起(1911年)から百周年の記念日である。中華民国の建国に扉を開いた辛亥革命はまさに、中国近代史の大きな分水嶺となった出来事であった。辛亥革命の結果、翌12年の元日には、米国から帰国した孫文が中華民国臨時大総統就任を南京で宣言し、270年余の歴史を誇った清朝は翌2月に崩壊した。だが、孫文は北洋軍閥を率いてきた清朝の軍事指導者、袁世凱にその地位を奪われ、以後、中国は軍閥割拠の混乱を余儀なくされる。孫文は、「革命未だ成らず」との有名な遺嘱(いしょく)を残して、25年3月に没するのだが、結局は当時のソ連とコミンテルンに頼るという、「連ソ容共」政策に向かい、中国を革命と内戦の時代に招じ入れてしまった。その間には、19年の日本の21カ条要求に抵抗する五四運動や2度にわたる国共合作とその破綻によって、中国共産党の毛沢東と中国国民党の蒋介石という2人のリーダーが歴史の前面に登場することになり、49年の中華人民共和国成立以後も、中国国民党と中国共産党との対立と違和は存在し続けて、今日に至っている。≪号「中山」は日本の表札から≫孫文については多くのことが語り尽くされながら、その実像については意外に知られていない。例えば、孫文の号は孫中山で、中国にも台湾にも「中山公園」や「中山路」など「中山」を冠した場所や建物は数多くあるが、孫文が東京・日比谷の宿屋に名を秘して泊まった際、通りがかりに見た表札の「中山」を使ったのがそのいわれであることや、広東省香山の客家(ハッカ)(中華文化発祥の地、古代の中原などをルーツとし、後に戦乱を逃れて南に下った正統な漢民族)の出身であった孫文が客家語と広東語のどちらが得意であったかも一般には分かっていない。晩年は著名な宋家の慶齢を夫人としたのだが、数多くの女性と関係があり、横浜には2人の日本人女性がいて子供もあったことなども、直木賞作家の西木正明氏が実に丹念に調べ上げた本、『孫文の女』(文藝春秋)を出すまで、全く明らかにされていなかった。≪孫文の位置、中台社会と乖離≫孫文は中国でも台湾でも、「中国革命の父」として、または「国父」としての尊称を得て、いずれにも巨大な像が建てられている。だが、その孫文の言説と現実社会の間には、中国においても台湾においても、大きな背理がある。孫文が唱えた三民主義は、民族(漢族独立)・民権(民国創立)・民生(地権平均)の実現を構想したものである。また、「五族共和」は漢(漢族)・満(満州族)・蒙(モンゴル族)・回(イスラム教徒)・蔵(チベット族)の平等な共存を理想とするものであった。いずれもしかし、共産党の一党独裁と漢民族の優位を実行している今日の中国には全く馴染まない。最近のウイグル族(イスラム教徒)やチベット族、内蒙古自治区のモンゴル族に対する弾圧や、漢族による満州族同化政策が、そのことを雄弁に物語っている。孫文の「三民主義」は、一方、蒋介石統治下で独裁体制を強いられてきた台湾の多くの民衆にとっても、80年代末の李登輝総統の出現によって、自由・民主・均富という「現代の三民主義」が実現するまでは、無関係なスローガンであった。実際、李登輝氏自身、辛亥革命や孫文については、全くといっていいほど語っていない。中国と台湾の社会的現実と孫文の位置との大きな乖離(かいり)にもかかわらず、孫文がなお絶対的な存在として扱われているのは、政治的に利用するためにほかならない。私自身、このことに関して貴重な経験をしている。あれは、66年11月12日に、北京の人民大会堂で「孫文生誕百周年記念大会」が開かれたときのことだった。≪生誕百年記念に見た政治利用≫最近も、東京と長崎で、「孫文と梅屋庄吉」に関する展覧会が開かれていたが、孫文の革命には、日比谷松本楼の梅屋や九州の宮崎滔天ら日本人が支援をしたというので、私たち日本代表団は最前列に席を与えられていた。ヒナ壇には周恩来首相や孫文夫人の宋慶齢国家副主席ら錚々(そうそう)たる要人が並んでいるのに、肝心の劉少奇国家主席とトウ小平総書記の姿がない。訝(いぶか)っていると、劉、トウの2人が舞台の右手から遅れて登壇した。しかし、全く拍手が沸き起こらない。私はその瞬間に、これが実権派打倒を掲げた文化大革命の現実なのだと悟ったのだが、大会が始まると、孫文生誕百周年記念という本旨はそっちのけで、周恩来まで「毛主席万歳! 万々歳!」を絶叫していた。それは孫文の政治利用以外の何物でもなかった。台湾の総統選挙が来年1月に迫ってきただけに、中国との関係の密接化を求める国民党の馬英九総統は、再選を目指して、「国父」孫文の功績を大いに活用するであろうし、民進党主席の蔡英文女史は「国父」との距離をあえて目立たせるであろう。この点にこそ、「中華民国百年」の今日的意味があるといえるのかもしれない。(なかじま みねお)
=================================転載完了
江沢民の仇を辛亥革命で
如何であろうか。
朝日社説の方はもうタイトルを見たら中身は読まなくても良いようなものだ。辛亥革命を「中国大陸で連綿と続いた専制王朝を崩壊に導いたという歴史的意義がある(*1)」と絶賛し、当時は幾人もの日本人が辛亥革命を支援した事に触れ、その100周年を日中友好の機会にしろ、と言う提灯記事だ。
対する産経の「正論」は、大陸でも台湾でも礼賛される辛亥革命とその中心人物・孫文の例を幾つもあげて「違和感」を覚え、「それは孫文の政治利用以外の何物でもなかった。」と喝破する。まるで上掲朝日社説を受けたかのような論説であり、上掲朝日社説もまた「辛亥革命の政治利用だ」と批判している形だ。
社説比較シリーズでも再三繰り返すとおり、「日本の新聞を比較したければ、朝日と産経を比較するのが手っ取り早い」ぐらいに両紙の主張はほぼ常時隔たっており、先だっても「江沢民死亡」の情報に産経が号外まで出して即応したのに対し朝日がそれを誤情報と「嗜め」、朝日が1ポイント稼いだ形に終っている。(*2)
今回の朝日社説は産経がやってしまった誤報道のようなドジではない(*3)が、上掲朝日社説対上掲産経「正論」の此の戦いは、私の見る限りどう見ても産経「正論」の勝ちだ。ルーピー鳩山級のお花畑的「日中友好」しか頭にないような朝日社説では、ハナッカラ勝負にならないが。
先の「江沢民死亡」誤報道による失点を、産経が幾らかなりとも取り返した形に見えるが、如何な物であろうか。
朝日社説の方はもうタイトルを見たら中身は読まなくても良いようなものだ。辛亥革命を「中国大陸で連綿と続いた専制王朝を崩壊に導いたという歴史的意義がある(*1)」と絶賛し、当時は幾人もの日本人が辛亥革命を支援した事に触れ、その100周年を日中友好の機会にしろ、と言う提灯記事だ。
対する産経の「正論」は、大陸でも台湾でも礼賛される辛亥革命とその中心人物・孫文の例を幾つもあげて「違和感」を覚え、「それは孫文の政治利用以外の何物でもなかった。」と喝破する。まるで上掲朝日社説を受けたかのような論説であり、上掲朝日社説もまた「辛亥革命の政治利用だ」と批判している形だ。
社説比較シリーズでも再三繰り返すとおり、「日本の新聞を比較したければ、朝日と産経を比較するのが手っ取り早い」ぐらいに両紙の主張はほぼ常時隔たっており、先だっても「江沢民死亡」の情報に産経が号外まで出して即応したのに対し朝日がそれを誤情報と「嗜め」、朝日が1ポイント稼いだ形に終っている。(*2)
今回の朝日社説は産経がやってしまった誤報道のようなドジではない(*3)が、上掲朝日社説対上掲産経「正論」の此の戦いは、私の見る限りどう見ても産経「正論」の勝ちだ。ルーピー鳩山級のお花畑的「日中友好」しか頭にないような朝日社説では、ハナッカラ勝負にならないが。
先の「江沢民死亡」誤報道による失点を、産経が幾らかなりとも取り返した形に見えるが、如何な物であろうか。
<注釈>
(*1) 呆れたねぇ。今の共産党政権は、専制王朝そのものではないか。中国大陸の専制王朝は、今も連綿と続いている。世襲でない分だけ、北朝鮮よりマシだが。(*2) Dead or Alive―江沢民死亡報道をめぐって― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35594937.html 尤も、先行記事にした通り、これが中国の巧妙な工作ではないかと言う疑念を、私は今でも抱いている。(*3) 提灯記事は、ドジではない。ジャーナリズムの本来からすれば、恥ではあるが。