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放射能アレルギー・反原発ヒステリーによる福島差別は猖獗を極めているようである。大阪では福島県産の橋桁が差別されたと言う。
ま、先ずは報道記事を、御一読願おうか。
ま、先ずは報道記事を、御一読願おうか。
転載開始=========================================
福島製の橋桁「汚染が心配」 大阪・河内長野で工事中断
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/111006/wec11100612290006-n1.htm
2011.10.6 12:25 [westピックアップ]放射能汚染に対する不安の声を受け、工事が中断した現場。福島製の橋桁は、まだ搬入されていない=6日、大阪府河内長野市(川西健士郎撮影)
大阪府が発注した同府河内長野市での道路建設工事をめぐり、福島県内の建設会社が製造した橋桁について、放射能汚染を心配する声が地元住民から寄せられ、工事を中断していることが6日、分かった。橋桁の放射線量は基準値以下だったが、府は今後、現場周辺も測定して安全性を確認し、住民の理解を得た上で工事を再開させたいとしている。府によると、橋桁は河内長野市天見の国道371号のバイパスの一部。福島県郡山市の建設会社が約1億2500万円で受注し、郡山市の工場で橋桁を製造したが、完成後、東日本大震災が起きた。橋桁は、工場の敷地内の屋外に保管されていた。工場は東京電力福島第1原発から約60キロ離れているという。府富田林土木事務所が7月下旬、地元住民対象の説明会で、福島製の橋桁の設置について説明したところ「放射能汚染が心配だ」などの声が上がり、府は安全性の確認のため工事を中断。橋桁の表面の放射線量の測定をしたが、人体に影響がないとされる年間1ミリシーベルトを下回ったという。橋下徹知事は「住民の皆さんの不安に敏感になりきれなかったところはおわび申し上げないといけない」と述べた。
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謝る相手が間違っている―大阪府の事なかれ主義と橋本府知事の大衆迎合を糾弾する
さて、如何であろうか。
日進市では花火だった。群馬県では警戒区域から避難して来た自家用車。今度は大阪で福島県産の橋桁だと言う。
① 「復興支援」とは聞いて呆れる―愛知・日進市、福島産花火を打ち上げず http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36011519.html
① 「復興支援」とは聞いて呆れる―愛知・日進市、福島産花火を打ち上げず http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36011519.html
② 福島差別の惨状―群馬県、避難女性の車を放射線測定 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36085735.html
日進市の花火を扱った上記①のさらに元記事に「あ」さんと言う方から「福島県産の物産は全て放射線検査するのが顧客満足だ」と言うコメントを頂いたのに、頭にきて「恥を知れ」と返したのも記憶に新しいが、世の中には「あ」さんのような思考停止の恥知らずが相応に居ると言う証拠が群馬県や大阪の事件だ。
だが、以前の記事のも繰り返しているが、世の中「間違いと気違いはどこにでも居る」のが常であるから、「あ」さんのような思考停止の恥知らずはどこにでも居ると考えるべきであり、そんな奴バラが「福島県産」「福島から来た」と言うだけで「懸念の声を上げる」のもまた、ありうることと考えるべきだろう。
敢えて断言するが、そんな「懸念の声」は無視すべきなのだ。
せいぜい「当該物件に健康に影響する放射性物質が付着している恐れありと考える科学的根拠はないので、対処も放射能計測も不要です。それを実施することは、税金の無駄遣いですので、やりません。」と説明すれば完了だ。
幾ら大声を出そうが、徒党を組もうが、取り上げるだけの価値はない。無視すればするだけ大きな声を出すだろうし、尻馬に乗るマスコミ・新聞・報道にも事か欠かないであろうが、無視するのが上策である。
何故ならば、そんな「住民の懸念の声」に応えて花火打上を中止してしまったり、放射能計測を実施したりすることは、新たな風評被害を誘発するばかりでなく、福島差別を助長するからだ。
喩え群馬や大阪のように放射能計測を実施し、その結果当たり前ながら「健康に影響ない」と言う計測データが出たとしても、「懸念の声を上げた住民」は新たな福島県産物・福島から来た物にはやはり「懸念の声を上げ」、放射能測定を要求するのに違いない。放射能測定の実施は、せいぜいが特定の福島県産物に対し安全を保証しただけで、同時に「懸念の声を上げた住民」の福島差別に正当性を付与してしまうのだから。
福島原発事故と放射能汚染の問題は、正しく科学と理性によって解決されるべき物理と化学、工学の問題。その科学と理性では、福島県産の花火だろうが橋桁だろうが「懸念の声を上げる」対象になんぞしようがない。それを押して「懸念の声を上げて」しまうのは「福島=放射能」の思考停止故であり、福島差別の為せる業だ。いうまでも無いが差別は心の問題だから、人と場合によっては知性にも理性にも従わないのは人間の業ではある。
だが、その住民の「懸念の声」を受ける側、日進市や群馬県や大阪府は、理性と知性に則り、そのためには住民感情に反する事も行なうべき行政執行者である。さらに言うならば、「懸念の声を上げる」声ばかりでかい少数に阿ると言うのは、如何に「脱原発」の風潮凄まじい中とは言え大衆迎合=ポピュリズム=人気取りであり、さらにそれが福島差別と言う差別を助長する物であるから、福島をスケープゴートとする人気取りとである。最早、言語道断と言うべきであろう。
であると言うのに、その行政執行者の地方自治体トップたる橋本府知事の言に曰く。
> 橋下徹知事は
橋1>「住民の皆さんの不安に敏感になりきれなかったところはおわび申し上げないといけない」
福島原発事故と放射能汚染の問題は、正しく科学と理性によって解決されるべき物理と化学、工学の問題。その科学と理性では、福島県産の花火だろうが橋桁だろうが「懸念の声を上げる」対象になんぞしようがない。それを押して「懸念の声を上げて」しまうのは「福島=放射能」の思考停止故であり、福島差別の為せる業だ。いうまでも無いが差別は心の問題だから、人と場合によっては知性にも理性にも従わないのは人間の業ではある。
だが、その住民の「懸念の声」を受ける側、日進市や群馬県や大阪府は、理性と知性に則り、そのためには住民感情に反する事も行なうべき行政執行者である。さらに言うならば、「懸念の声を上げる」声ばかりでかい少数に阿ると言うのは、如何に「脱原発」の風潮凄まじい中とは言え大衆迎合=ポピュリズム=人気取りであり、さらにそれが福島差別と言う差別を助長する物であるから、福島をスケープゴートとする人気取りとである。最早、言語道断と言うべきであろう。
であると言うのに、その行政執行者の地方自治体トップたる橋本府知事の言に曰く。
> 橋下徹知事は
橋1>「住民の皆さんの不安に敏感になりきれなかったところはおわび申し上げないといけない」
此の橋本府知事発言は何を意味していようか。
此の発言は、「(大阪府は)住民の皆さんの不安に敏感ではなかった」と言っている。言い換えれば「福島県産の橋桁は、言われなくても放射能検査をすべきだった。」と言っている。下手すると「そもそも、福島県産の橋桁を使うのが間違いだった。」と言っている。復興支援どころか福島禁輸=対福島経済封鎖しようと言うのである。実に恐るべき福島差別発言ではないか。
さらに恐るべきなのは上記橋1>の後半だ。「おわび申し上げないといけない」と言っているが、此のおわびの対象は、「福島産橋桁に懸念の声を上げた」大阪府民である。「福島=放射能」の放射能ヒステリーに思考停止して福島差別を公言して憚らない恥知らず共に対し、その福島差別を率先して実施すべきであったと、謝罪しているのである。
橋本府知事と言うと相応に話題になるほどの有名人であろう。私にとっては今までは「単なる有名人」であったが、本件を知ってからは、「私の嫌いな有名人」に昇格した。
思考停止の恥知らずどもに阿る大衆迎合主義者ポピュリストにして府知事なんて地位に在る者は、私にとって嫌悪と軽侮の対象でしかない。
そんな府知事を頂く、大阪府民( の相当部分)も、だな。
如何に、大阪府民。
如何に、国民。