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「ハプニング」と言う映画を、私は見ていない。予告編と短いメイキングを見た事がある程度だ。尤も、「映画の予告編」と言う奴は結構曲者で、つまらない映画でもいかにも面白そうに見せるのが任務であるから、要警戒であるが、映画「ハプニング」に限っては予告編見ただけで私なんかは見る気が失せたから、予告編としては失敗作だろう(*1)。
映画「ハプニング」は「なんだか知らないが人がバタバタと死んでいくという異常事態」を描いたパニックホラー映画だそうだ。走行中の列車が外部のどことも連絡が取れなくなって緊急停止したり、「死の連鎖」が村の外まで押し寄せて村が孤立したりする映画らしい。
その映画の冒頭「掴み」に印象的に引用されるのが、「ミツバチの大量死」蜂群崩壊症候群Colony Collupse Disorder:略称CCD(*2)である。昨日まで健全だった蜂の巣箱に女王蜂と幼虫を残して殆どのミツバチが失踪するこの現象は、2006年に北半球のセイヨウミツバチの1/4を消し去った(*3)と言う大事件だが、映画「ハプニング」の冒頭で引用されているように、さして人々の関心を引いていない。
そのしっぺ返しが今度は「ヒトの大量死」となって現出した、と言うのがパニックホラー映画「ハプニング」であるらしい・・・「らしい」と自信がないのは、私が先述の通りこの映画を見ていないからであり、見ていないのは「パニックホラー映画」と言うだけで「ま、見るだけ時間の無駄だろう」と判断したからだ。
映画「ハプニング」は「なんだか知らないが人がバタバタと死んでいくという異常事態」を描いたパニックホラー映画だそうだ。走行中の列車が外部のどことも連絡が取れなくなって緊急停止したり、「死の連鎖」が村の外まで押し寄せて村が孤立したりする映画らしい。
その映画の冒頭「掴み」に印象的に引用されるのが、「ミツバチの大量死」蜂群崩壊症候群Colony Collupse Disorder:略称CCD(*2)である。昨日まで健全だった蜂の巣箱に女王蜂と幼虫を残して殆どのミツバチが失踪するこの現象は、2006年に北半球のセイヨウミツバチの1/4を消し去った(*3)と言う大事件だが、映画「ハプニング」の冒頭で引用されているように、さして人々の関心を引いていない。
そのしっぺ返しが今度は「ヒトの大量死」となって現出した、と言うのがパニックホラー映画「ハプニング」であるらしい・・・「らしい」と自信がないのは、私が先述の通りこの映画を見ていないからであり、見ていないのは「パニックホラー映画」と言うだけで「ま、見るだけ時間の無駄だろう」と判断したからだ。

映画「ハプニング」に描かれる「ヒトの大量死」は(今のところ)フィクションであるが、CCD蜂群崩壊症候群の方は間違いなく現実であり、今も毎年大量のセイヨウミツバチを殺している。さらに付け加えれば、セイヨウミツバチは養蜂業のデファクトスタンダード(*4)であり、本書はそのCCDを扱うノンフィクションである。
たかがCCD蜂群崩壊症候群、たかが養蜂業と侮れない事は、本書のはじめの方で朝食のメニューを例に具体的に示してくれる。「シリアルとフルーツ」と言ういかにもアメリカ的で日本人にはゾッとしない朝食(*5)であるが、その「ゾッとしない」朝食の救いとも言うべきフルーツも、彩と言うべきアーモンドも、セイヨウミツバチによる受粉のお陰で毎年豊年満作であり、安価に大量に生産されていると言う事が本書では明快に記述されている。それ即ち「高度に工業化された農業」であり、その工業化農業に組み込まれている養蜂業である。それは同時に、昔ながらの牧歌的な養蜂業、「花の咲く頃に農家に断って( =双方無償で)何箱かのかの巣箱を農園に置かせてもらう」ような養蜂業が経済的に成立しなくなっている現状であり、一方で農園の方では「大量導入されるセイヨウミツバチ以外の受粉昆虫が壊滅している」と言う恐るべき現状である。
かかる状況が、人類にとっても良い訳がない、と言うのが( くどい様だが私は見ていないが)映画「ハプニング」の描く「ヒトの大量死」であり、本書でも著者ローワン・ジェイコブセンの訴えるところである。
と、同時に本書ではミツバチの素晴らしさも訴える。昆虫の頭脳は人類のそれに比べて容量的にも質量的にも小さなものであるが(*6)、蜂群=コロニー=蜂の巣単位としては如何に優れた「知性」を発揮するか、そのメカニズムについても詳述している。一言で表すならば、一匹一匹の蜂が為す働きは極単純な評価判断であるが、それが蜂群として有機的に機能した際は「神秘的」とも「神の見えざる手」とも評したくなるような、見事な働きをするフィードバック制御系である。
それは逆に言えば、蜂群=コロニーが壊滅的な打撃を被ると、蜂群毎全滅してしまう事も意味している。「分蜂」=コロニーの暖簾分けと言う事も自然には行なわれるそうだから、「半壊」ぐらいなら回復可能なダメージの筈であるが。
ネタ晴らしになるようだが、本書ではCCDの原因「真犯人」は突き止められない。いくらかの「容疑者」が上げられ、潔白になる容疑者も在るが、容疑者のままの方が多く、どうやら単独犯では無いらしい事が示唆されるに止まる。本書はノンフィクションであって、推理小説や探偵小説ではないし、「プロジェクトX」=サクセス・ストーリーでも無いと言うことだ。
本書が問題にするのはCCDの原因の究明よりも、CCDなる突発事態に至った、自然そのものが本来持つ「復元力」=自己修復能力の喪失である。急速に工業的農業に組み込まれたセイヨウミツバチは、自然にはあるはずの「復元力」を失ったが故に、壊滅的なCCDに陥った。我々人類がなすべき事は、ミツバチの「復元力」を回復させてやる事である、と。
ある種のルソー流「自然に還れ」の主張である。が、私の知る限り(*7)ルソー流が甚だ観念的、感情的主張であるのに対し、ローワン・ジェイコブセン流は、CCDと言う冷徹な現実を背景に、極めて論理的で冷静である。私でも賛同できる部分が多々あるほどに。
何しろ、私は庭弄りさえ面倒くさくてロクにやらない人間だが、本書を読んで「趣味としての養蜂」と言うのも悪くないなと感じてしまった程だから。セイヨウミツバチならぬニホンミツバチが病気や害虫に対する耐性も高く(*8)、高い「復元力」を未だ保っていると期待されるとなれば、なおさらだ。
<注釈>
(*1) 映画の方の出来/不出来は知らない。一定の話題にはなったようだが。(*2) 日本語で略せば「蜂崩症(ほうほうしょう)」と言うところだが、確かにCCDに比べて一寸字画が多く、使いにくそうだ。でもねぇ・・CCDだとCharge Coupled Device 所謂「撮像素子」と重なっちまうんだよねぇ。ま、誤解される可能性は低いが。(*3) 無論、セイヨウミツバチたちは「巣を捨てて何処かに行ってしまった」だけなのである(集中して死骸が発見されていない)が、ミツバチのような高度に社会化した昆虫では、巣を捨て離散する事は死と同義語である。第一、その巣を捨てたセイヨウミツバチたちの後を継ぐべき幼虫達も、その幼虫の元になる卵を産む女王蜂も、巣箱に置き去りにされておるのだから、こちらの「居残り組み」は程なく餓死する他なく、この巣箱の蜂群コロニーは、放って置けば確実に死滅する。(*4) 現時点においては、養蜂業と言うのは「セイヨウミツバチを飼うことで生計を立てること」と言っても殆ど例外はない。幸いにも数少ない例外の一つが、日本の一部にあるニホンミツバチを飼う養蜂業である。(*5) 日本の朝食と言えば味噌汁とご飯(ま、夕食でもそうだし、昼食でもそうであることは多いが)だ。おかずは焼き魚が定番で、焼き海苔や納豆でも付けば旅館の朝食。焼き魚の代わりに目玉焼きとかソーセージとかが付けばホテルの朝食と言うところだろう。(*6) 体重との比率と言う意味では、存外馬鹿に出来ない気もするが。(*7) 認めなければならないが、私がルソーについて知っている事は多くない。(*8) セイヨウミツバチの巣ならしばしば壊滅させてしまうスズメバチに対するニホンミツバチの対雀蜂戦術なぞ、圧巻である。スズメバチに巣が襲われると、ニホンミツバチは兵力=働き蜂を集結して一斉にスズメバチに飛び掛り、冬を越す時のように球状に固まってその中心にスズメバチを取り込み、筋肉運動で( 冬を越す時のように)加熱する。高温に対する耐性はニホンミツバチの方が高いので、この暑さに対する我慢比べでスズメバチは敗北し、「蒸し焼き」にされてしまうのである。この事が発見されたのが1987年と比較的新しい事を含めて、驚きである