いかにも劣る沖縄二紙社説―敗北主義と感情的忌避

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 さて、上記の朝日社説に比べると、いかにも見劣りするのが残りの沖縄二紙だ。
 
 琉球新報はお定まりの先の大戦に対する非難で幕を開け、続いて沖縄の現状を嘆いて見せ(*1)た後、Hotな話題として引用するは、官房長官たる枝野の発言と来た。
 
琉1>  終戦記念日を前に枝野幸男官房長官の口から驚くべき言葉が飛び出した。
琉2> 10日の参院沖縄北方特別委員会で
琉3> 「(尖閣諸島に)他国が侵略してきたら、
琉4> あらゆる犠牲を払ってでも自衛権を行使し、これを排除する(*2)」
と述べたのである。
琉5> 漁船衝突事件などを起こした中国が念頭にあるのは間違いない。
琉6>  憲法9条は
琉7> 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
琉8> と定めている。
琉9>  武力行使をほのめかす発言自体、憲法の理念に抵触する。(*3)
琉10> 平和主義をないがしろにする人物が官房長官の任にあるのは大きな問題だ。(*4)
琉11> 攻めてきたら戦うと言わんばかりの態度は人命軽視にほかならない。(*5)
琉12> 戦火を交えれば必ず住民が犠牲になる。
琉13> 枝野長官は沖縄を再び戦場にしてもいいと考えているのか。(*6)
琉14> 沖縄戦の歴史を学んでいれば「あらゆる犠牲を払ってでも」とは口が裂けても言えないはずだ。(*7)
琉15>  政府に求められるのは、紛争など起き得ない友好な関係を隣国との間に築くことだ。(*8)
 
 私にして見ればこの琉球新報社説の方がよほど「驚くべき」事なのである。それは上記に突っ込んだとおりだが、そこはまあ、宗教の違いだ。それにしても・・・沖縄が嬉々として中国領になるためならば、かかる言説、端的に言って敗北主義も役には立とうが、日の丸の元で米軍駐留を我慢するのと五紅星旗の元にある事とで、後者の方が沖縄県民転じて「中華人民共和国の57番目の少数民族・琉球族」が幸福なんて、よくもまあ信じられるモノだと感心するぞ。賭けても良いが、沖縄駐留中国軍の弊害(*9)は、米軍なんぞの比ではないぞ。
 
 心、此処に在らざれば、見るとも見えず、と。
 
 但し、琉球新報社説の締め最終パラグラフを読むと、別に心は此処になくても良いようだ。何しろ「核廃絶は急務」と章題をつけて曰く。
 
琉16> これまでにも増して核廃絶への取り組みを世界の核保有国に強く訴える必要がある
琉17> 私たちは戦争の惨禍を決して忘れてはならない。終戦記念日を前に、不戦の決意を新たにしたい。
 
 つまりはこの社説自体が、寝言の夢物語と宣言している訳だ。
 
 上掲の琉球新報の首尾一貫した妄想振りに比べると、文字数も少ないし迫力に欠けるのが沖縄タイムス社説である。何しろ掴みからして西暦の年号を5つばかり並べて
 
沖1> 日本と世界にとって大きな転換点となったこの五つの年は、いずれも西暦の最後に「1」がつく。
 
などと神秘主義的な導入部であるが・・・・沖縄タイムスが上げた五つの数字の内最小の「1931」から今年2011年までに「西暦の最期に1が付く」年は9つ在る。今年2011年我が国は東日本大震災に襲われているから、上記5つのほかにもう一つ加えてもいいのかも知れないが、それでも「ハズレ」の年が3つ在るんだから、この神秘主義は説得力に欠ける。まあ、所詮神秘主義の説得力なぞその程度で在るが。
 
 で、その後に続くのが、やはり琉球新報社説同様の先の大戦に対する非難と、戦後沖縄の置かれた体制への恨みつらみが並ぶ。先の大戦への非難に天皇陛下を引き合いに出しているところが新味な程度だ。
 続くパラグラフは「戦争を語り継ぐ」事の大事さを強調し、
 
沖2>  沖縄戦の中から、現在の問題意識に響き合うような「問い」を新たに発掘することが重要だ。
 
と、その語り継ぐ先の大戦と、響きあう「現在の問題意識」を重視する。案の定と言うべきかその「現在の問題意識」は「沖縄の基地問題」だと続くパラグラフで明示し、締めには次の科白を引用する。
 
沖3> 「戦争は決してすぎ去った悪夢ではなく、たえず、われわれをおびやかしている黒い影である」
 
 以上の沖縄タイムス社説が言っている事は、タダ一言に尽きるように私には思われる。即ち「戦争なんか嫌いだぁ!」と言う、章題にもしたとおり、感情的忌避である。
 だがしかし、そんな感情的忌避だけで幾ら「戦争を語り継ごう」が、とてもじゃないが建設的とは言えない。建設的でないのは自己満足だから構わないのかも知れないが、それでは大東亜戦争(太平洋戦争)に散った数多の英霊も、犠牲になった方々も、浮かばれまいと思うがねぇ。
 
 感情的忌避を「語り継いだ」所で防げるのはせいぜい「我が方から開戦する」事だけであり、相手から仕掛けてくる戦争は防げない。それでは「不戦の誓い」とて半分しか効果を上げない自己満足であり、何より実効がないのは安全保障上大問題だと思うのだが、これまた「心、此処に在らざれば、見るとも見えず」の典型例か。
 

<注釈>

(*1) 多分、これもお決まりなのだろう。
 
(*2) Any trouble Boy?我が領土を我が自衛権で保全する。極々常識的な発言だ。これが竹島ならば、現状実効支配していないからトラブルの元かも知れないが。尖閣諸島は我が実効支配下にある。何の遠慮が要るものか。
 
(*3) それは、防衛戦争さえするな、と言う解釈だよね。であるならば、変えるべきは憲法の方であって、防衛政策のほうではないし、枝野発言でもない。
 
(*4) すると何かね。「(尖閣諸島に)他国が侵略してきたら、赤旗と白旗を持って威厳ある降伏をしましょう。」と発言する「平和主義者」を官房長官にしろ、と言うわけかね。
 ああ、仙谷が官房長官だった頃は、非公式にはそう発言していたな。が、一応公式には否定していたぞ。
  仙谷氏の極めて奇妙な中国擁護-そして、極めて危険な。  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33794139.html 
 
(*5) 「攻められても戦わない」のならば、政府も軍隊も要らない。「沖縄が目指すのは赤旗への復帰」ならばなるほど筋は通るが、我が日本としてはそれは許容できない。沖縄は対中最前線の橋頭堡だ。
 
(*6) 「戦場にしないために降伏する」とは考えないだけだろう。ま、どこまで本気かは、疑問符が付くがね。何しろ民主党の議員だ。
 
(*7) 何だこの理屈は??理解不能だな。
 
(*8) それに失敗した時戦端は開かれ( 憲法9条なんてものがあるのは極東では日本だけだから、国際紛争解決のために戦端を開くのに憲法上の掣肘は中国にも北朝鮮にもロシアにもない。当たり前だ。)、戦端が開かれたときに備えるのが軍隊だ。極々、常識的な話しだと、私は思うのだがねぇ。
 
(*9) それは間違いなく略奪を伴い、多分、虐殺も起きるだろう。而してその史実は、「歴史の闇」に葬り去られようとするだろう。中国共産党の私兵たる人民解放軍が「琉球を解放」したら、他に何が起きると言うのだ。