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大根役者が主役を目指しゃ、ロクな作品にゃならないぞ。
「主役」。
仲々魅力的な言葉である。無論語源は演劇歌劇などの舞台演芸から来ているのだろうが、近年では映画さらにはテレビで演じられるドラマなどの主人公を指し、転じては「主要なメンバー」或いは「欠くべからざる重要人物・重要要因」を指す。類似語としては「花形」が挙げられよう。
仲々魅力的な言葉である。無論語源は演劇歌劇などの舞台演芸から来ているのだろうが、近年では映画さらにはテレビで演じられるドラマなどの主人公を指し、転じては「主要なメンバー」或いは「欠くべからざる重要人物・重要要因」を指す。類似語としては「花形」が挙げられよう。
私は歌舞伎歌劇はじめとする舞台演芸にはトンと縁がないし、何度も書いているがテレビと言う奴も今じゃ滅多に見ないぐらいで、テレビドラマはもっと見ないから、「主役」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、映画だ。
「映画の主役」となると、かつてはタダの役者・俳優ではなれるもじゃなくて、「スター」と呼ばれる特定小数の独占。此処に「スター」以外の俳優を起用する作品も勿論あり、そのために無名役者が「スター」に化けると言う事もないではない(*1)が、それは奇手・奇策に属する事。それとて起用した「スター」ならぬ無名役者に何らかの光る物、なかんづく演技力があればこそ成り立つ奇策だ。
ハナッから大根役者以外の何者でもない俳優を主役に据えたりすると、幾ら脚本が良かろうが、脇役陣が名優揃いだろうが、一寸救いようがない。それでも話題性か何かで興行として成り立つ可能性はないではないが、通常は見るに耐えない駄作にしかならない。「スター」なる「俳優中の俳優」は既に絶滅危惧種かも知れないが(*2)、「映画の主役」にはそれ相応の重みが今でもあるのだろうと、半ば推測している。(*3)
今回取り上げた東京新聞社説は、その「主役」に、「電力供給の主役」に、「自然エネルギーを据えろ」と主張、否、絶叫している。やれ「環境省は日本の電力の八割を自然エネルギーで稼げる潜在力があるという」やら「欧州では自然エネルギーが爆発的に普及して二割に達し、基幹電力となりつつある。」などなどと。具体的記述を引用し、再度突っ込みを入れるならば、以下の通りだ。
1> 確かに自然エネルギーは力不足に見えるが、世界の発電量は既に原発を超えている(*4)。
2>「たかが知れている」ではなく、欧州では爆発的に普及し、今や二割近くに達して電力供給の主役を担う基幹電源に近づきつつある(*5)のが現実だ。(*6)
3> 環境省によると、日本も風力や太陽光を効率よく電気に変換する技術革新などによって、発電量の八割を自然エネルギーで賄える潜在力を秘めているという。(*7)
4> 日本の国土の七割を占める森林資源の活用で、発電量の一割を担う北欧並みのバイオマス発電が可能になるとの民間の指摘もある。(*8)
5> 経済界も反対論ばかりではない。
6>商社も農業用水を活用する小水力発電を手掛け、エネルギー政策の転換を商機ととらえて果敢に投資する企業が増えている。(*9)
東京新聞が上記1>~6>の様に絶賛して見せた自然エネルギーは上記の突っ込みでほぼ撃破出来た物と思うが。「ほぼ」と制約条件が付くのは、「水力」と「バイオマス」のためだ。
この内「バイオマス」は殆ど問題ゐならない。原理的には火力発電であるから発電量が可制御であるのは自然エネルギーの中では特筆大書すべき利点ではあるが、「木屑を燃料に変える」プロセスは複雑高価に過ぎて「掘ってきた石炭を燃やせば発電」出来る火力発電にコストで対抗するのは余程の技術革新が必要であるし、「木屑」を得られるまでのタイムサイクルも長いから、北欧実績と言う「電力の1割」は相当厚い壁だろう。
「水力」の方は比較的技術がこなれている。それどころか、水力発電はかつて我が国発電量の過半を占めていたぐらいだ。それが現在では、日本の電力の6割は火力発電、3割が原子力発電で、水力発電は1割程度まで減退している。因みに水力以外の「自然エネルギー」は1%と言うところ。なるほど「伸びシロ」としてはあるかも知れないな。
日本の水力発電が過半から1割に減退したのは、一つには電力供給の安定性のためだ。自然エネルギーの中では比較的発電量を制御できる水力発電ではあるが、貯水量によって制御の自由は制限される。而して我が国電力需要の最大のピークは夏の暑い盛りで、この時期はダムの貯水量が一年を通じて一番少ない渇水期なのである。
もう一つは我が国電力需要の爆発的な伸び。水力発電所は立地条件を選ぶからそうやたらに作れない(*10)上、完成して稼動するまで火力/原子力発電所よりもかかる。急速な電力需要の伸びには追いつかない。
言い換えれば火力発電、原子力発電と言う安定した電力供給を確保できたからこそわが日本は、つい先ごろ中国に抜かれたとは言え、長い事世界第二位のGDPを叩き出し続ける経済成長を果たせたのである。
先行記事にもした通り、エネルギー政策の目的は、見通せる将来にわたって、「電力の安定的供給」であり、この目的にそぐわない電力供給手段(*11)は、電力供給の主役を担えるわけでもないし、担わせる可きでもない。
而して、こなれた「自然エネルギー」技術である水力発電を含めても、我が国電力需要に対応する電力供給手段としては、自然エネルギーは大根役者・大部屋役者揃いなのである。
少なくとも、高効率・低損失・大容量の蓄電技術と言う天才的名脇役が出現するまで、これら大根役者たち=自然エネルギーが我が国電量供給の主役なぞはれよう筈がない。
言うなれば、東京新聞社説絶賛の自然エネルギーは、ピンで主役をはれる役者ではない、と言う事だ。
6>商社も農業用水を活用する小水力発電を手掛け、エネルギー政策の転換を商機ととらえて果敢に投資する企業が増えている。(*9)
東京新聞が上記1>~6>の様に絶賛して見せた自然エネルギーは上記の突っ込みでほぼ撃破出来た物と思うが。「ほぼ」と制約条件が付くのは、「水力」と「バイオマス」のためだ。
この内「バイオマス」は殆ど問題ゐならない。原理的には火力発電であるから発電量が可制御であるのは自然エネルギーの中では特筆大書すべき利点ではあるが、「木屑を燃料に変える」プロセスは複雑高価に過ぎて「掘ってきた石炭を燃やせば発電」出来る火力発電にコストで対抗するのは余程の技術革新が必要であるし、「木屑」を得られるまでのタイムサイクルも長いから、北欧実績と言う「電力の1割」は相当厚い壁だろう。
「水力」の方は比較的技術がこなれている。それどころか、水力発電はかつて我が国発電量の過半を占めていたぐらいだ。それが現在では、日本の電力の6割は火力発電、3割が原子力発電で、水力発電は1割程度まで減退している。因みに水力以外の「自然エネルギー」は1%と言うところ。なるほど「伸びシロ」としてはあるかも知れないな。
日本の水力発電が過半から1割に減退したのは、一つには電力供給の安定性のためだ。自然エネルギーの中では比較的発電量を制御できる水力発電ではあるが、貯水量によって制御の自由は制限される。而して我が国電力需要の最大のピークは夏の暑い盛りで、この時期はダムの貯水量が一年を通じて一番少ない渇水期なのである。
もう一つは我が国電力需要の爆発的な伸び。水力発電所は立地条件を選ぶからそうやたらに作れない(*10)上、完成して稼動するまで火力/原子力発電所よりもかかる。急速な電力需要の伸びには追いつかない。
言い換えれば火力発電、原子力発電と言う安定した電力供給を確保できたからこそわが日本は、つい先ごろ中国に抜かれたとは言え、長い事世界第二位のGDPを叩き出し続ける経済成長を果たせたのである。
先行記事にもした通り、エネルギー政策の目的は、見通せる将来にわたって、「電力の安定的供給」であり、この目的にそぐわない電力供給手段(*11)は、電力供給の主役を担えるわけでもないし、担わせる可きでもない。
而して、こなれた「自然エネルギー」技術である水力発電を含めても、我が国電力需要に対応する電力供給手段としては、自然エネルギーは大根役者・大部屋役者揃いなのである。
少なくとも、高効率・低損失・大容量の蓄電技術と言う天才的名脇役が出現するまで、これら大根役者たち=自然エネルギーが我が国電量供給の主役なぞはれよう筈がない。
言うなれば、東京新聞社説絶賛の自然エネルギーは、ピンで主役をはれる役者ではない、と言う事だ。
<注釈>
(*1) 「駅馬車」のジョン・ウェイン、「夕陽のガンマン」のクリント・イーストウッド、「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーン・・・・(*2) それを言うならば、映画自体がレッドブック入りしかねない存在である・・・・少なくとも、私の好きな映画、戦争映画や西部劇は、そうだ。(*3) 最近は映画自体を見ていない・・・見ようという気にならない。(*4) ソリャ最大発電量の話ではないのか。原発派燃料さえ入れれば何時でも最大電力を供給できるが、自然エネルギーはそうは行かない。一番制御しやすい自然エネルギーは水力だが、それでもその制御自由度は貯水量次第だ。(*5) 爆発しても二割でしかないのに、一体どこが「主役を担う機関電源に近づきつつある。」のだ。馬鹿も休み休み言え。(*6) フランスの発電量の八割が原発で、「脱原発」のイタリアだろうがドイツだろうが、不足する分はそのフランスから電力を買えることについて触れないのは、片手落ちとさえ評し難い。少なくともミスリード。端的にはデマゴーグである。(*7) その潜在力は、発電力を蓄積する技術がなければ発揮されないし、「蓄電」に伴う損失を考慮に入れていない。入れていないのは道理だ。そんな方法は、現状ないのであるから。せいぜいが揚水式水力発電の上のほうに貯める水の質量として、貯めるぐらいだ。新型電池も取りざたされているが、家庭のエアコン動かすぐらいなら未だナントカなっても、工場プラントや鉄道のような大口電力需要に対応できる訳がない。つまり、環境省の言う「日本の電力の八割を賄う風力や太陽光発電」には、風力/太陽光発電地震の技術革新による飛躍的効率向上と、その発電力を大容量低損失に蓄電出来る「蓄電」技術の技術革新と、少なくとも二つの技術革新が不可欠である。(*8) 都合の良い法螺話ばかり並べ立てて、何をしようってんだ。大体、先行する北欧でも占めているのは発電量の1割にしか過ぎないのだろう。(*9) 何を馬鹿なことを。資本主義の原則に従い、商社はその「小水力発電」がブームでも流行でも売れさえすれば良いだけで、電力の安定的供給なんぞに責任を持とう筈がない。何かの足しにはなっても、何かの足しにしかならない。
先行記事にもした通り、エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って、「電力の安定的供給」だ。(*10) 勿論「ダムは自然破壊だから反対だ」とか「前政権のやっていた事だからダム建設は反対だ」とか、訳の判らない反対運動は別にしてだ。(*11) 電力「蓄電」手段を含む、広義の電力「供給」手段。