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 原罪ってのは、キリスト教の多くの宗派(全てではない、そうだ)にある考え方。原初の人間たるアダムとイブのカップルがエデンの園を追われる理由となった、人間が生まれつき背負っている、人間である以上免れようがない罪と言うコンセプト。この原罪故に人間は素っ裸で遊んでいるだけで(*1)暮らしていけた「エデンの園」を追放され、一寸前のキリスト教の考え方では、「それ故に男には労働の苦しみ、女には出産の苦しみが与えられた。」と言う事になっている。
 
 逆立ちしたって一神教徒ではないチャキチャキの異教徒たる私に言わせれば、この「原罪」って概念は実に気に入らない。免れようもなければ償いようもない罪ならば、そんな罪は無いのと同じである、と開き直ってしまう。上記の「エデンの園追放」と「男には労働の苦しみ、女には出産の苦しみ」に至っては、それこそ噴飯ものである。私は男だから出産の苦しみがどれほどの物かは想像するしかないが、少なくとも労働は条件によっては喜びであり楽しみとなる事は知っている。況や、素っ裸で寝転がっているだけでも喰うに困らないと言う「エデンの園」が一種理想郷である事は認めるが、そんな状態は想像するだけで退屈極まりない。

 であるならば、人類がそんなエデンの園を追放され、男に「労働の苦しみ」が課されるのは私としては望むところであるのだが、その理由が原罪=「知恵の実を食べて知恵をつけたこと」であるとなると、これは黙っているわけには行かない。知性が全てを解決するとは言わないが、知性こそ人類最大の利点にして最強の武器。而して人類の存在理由の相当部分を知性が占めると考える私としては、その知性を獲得した事を原罪として糾弾した神に対して「手前ぇは知性ある者として人類を作ったンじゃぁねぇのか!」と詰問したくなる。
 
 「技だよ、シャバスさん。力じゃない。
    神は獣が地上の支配者となることを望まなかった。」―ジャック・ヒギンズ作―
 
全知全能にゃ無理がある http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30480317.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30480325.html
 
 とは言え・・・報じられているようなオーストラリアの「ラクダを殺して二酸化炭素排出量削減」なんて記事を読むと、異教徒中の異教徒たる私でさえ「人間には原罪って奴があるのではなかろうか」と、ふと思ってしまう。
 
 言うまでもなかろうが地球上に生息する生命の大半は酸素を吸収して二酸化炭素を排出している、酸素呼吸生物である。植物とて、光合成を以って酸素も合成しているが、太陽光のない夜間などはやはり二酸化炭素を排出している。言い換えれば「二酸化炭素排出量を削減する」一つの方法は「地球上の生物を減らす事」なかんづく「動物を虐殺する事」である、と言うのは紛れもない事実だ。
 
 だが、二酸化炭素排出量が増えたのは工業化で内燃機関をはじめとするありとあらゆる種類の燃焼反応が全地球的に普及したためである。言うなればある程度「炎が行き渡った」結果が二酸化炭素排出量の増加である。その二酸化炭素排出量の増加を動物の数を減らす=虐殺する事で帳尻を合わせようというのが、報じられる豪州の計画であり、虐殺されるのが野生のラクダであろうとも、報じられるラクダ科研究開発国際協会ならずとも、抗議したくなるのは当然であろう。
 
 「殺して良いのは、喰うためと身を守るためだけだ。」とは、確か映画「ビック・ケーヒル」のジョン・ウェインの台詞。だが、上記のオーストラリアの計画は二酸化炭素排出量を減らすためだからラクダを殺しさえすれば良い。食肉加工しようという案もあれば、ヘリコプターから射殺(だけ)しようなんて案もあるのはそのためだ。タダ二酸化炭素排出量を減らすためにラクダを虐殺しようと言うのは、生命に対する冒涜ではないのかと不信心者にして異教徒である私でも思うぞ。
 
 第一、地球上の二酸化炭素排出量を本気でナントカするためならば、真っ先にやらねばならないのは中国対策だ。中国は、その凄まじい経済成長と野放図な二酸化炭素排出にも拘らず「GDP当たりの二酸化炭素排出量」しか「削減目標」として掲げておらず、その目標を達成したとて1990年の6倍(試算による推定)の二酸化炭素を排出する事になる見込みであり、なおかつ現時点で世界最大の二酸化炭素排出国なのだから。賭けても良いがオーストラリアの野生ラクダを絶滅させても、中国の二酸化炭素排出量は埋め合わせできないぞ。
 
中国の暴走-COP15直前 各国二酸化炭素排出数値目標の比較 見える化版-   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30844339.html
 
 さらに言うならば、私が豪州人の計画する「二酸化炭素排出量削減のためのラクダ虐殺計画」に「人類の原罪」などと言う滅多に感じた事ないものを感じてしまうのは、単にそれが「二酸化炭素排出力削減を目的とした虐殺」だからではない。
 
 彼奴らが、ラクダは平気で虐殺するが、クジラは暴力に訴えても殺させまいとする、そのダブルスタンダード故、である。
 
 それとも、今後は二酸化炭素排出量削減のために、捕鯨容認に転じるのかね?
 
 如何に、豪州。

 

<注釈>


(*1) 後述するが勤労はしていない筈だから、広い意味で「遊んでいる」のだろう。
 
「ビックケーヒル」じゃぁなかったねぇ。じゃあ「百万ドルの決闘」かな。