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 IBさんは当ブログの初期の頃(*1)からの読者である。従って相応に古い付き合いと言う事になるが、当ブログは日本書紀以来の日本の伝統に則って異論・異説に対する寛容を旨としているから、「付き合いが長い」は必ずしも「意見が合う」を意味しない。実際、当ブログの数少ない「発見次第即座にコメント削除の可能性アリ」に指名手配しているJos某何てぇのも、相応に「古い付き合い」だ。
 
IBさんブログ URL:http://blogs.yahoo.co.jp/ib200574

Jos某ブログ URL:http://blogs.yahoo.co.jp/joshur2jpn2005
 
 であればこそ、私とIBさんとの間で福島原発事故を契機として、原発に対する認識の乖離が表面化したとて、異とするには当たらない。
 とは言え、「原発は日本では経営が成り立たず、税金が投入されている。但し戦略核兵器を持つ米仏では経営が成り立つ。」「原発奴隷は存在する。」「原発は火力発電所よりも二酸化炭素を出す」位はまだDiscussiblな異論と構えて居られるが、「核燃料を水冷するのと核燃料で水を加熱するのとは似て非なるもので、後者は実用化されているが前者は成功例が無い。」「全てのエントロピー増大に逆らう活動は生命活動である。」なんて事まで唱えられては、これはもう宗教ないし似非科学の主張であって、断じて科学でもなければ技術でも無い。
 
 まあ、宗教論争や神学論争にも、それぞれの意味はあるので、それはそれで構わないのであるが。
 

<注釈>

(*1) と言っても、当ブログは発足以来僅かに3年ほどであるし、発足当初しばらくの間は全く記事をアップしていなかったが。
 

(1.)奇策:土砂山冷却

 だが、事が福島原発事故に対する対応策ともなると宗教や似非科学では困る。何しろ我が国民の生命財産もさることながら、我が国と世界のエネルギー政策や人類の科学技術に大いなる影響を与えかねないのだから、下手な政策対策を講じるべきではない。私がENIMEMさんの「冷却つき石棺方式」にチェルノブイリ式石棺方式以上の利点を認めつつ、その実施に反対を表明し、今も東電が実施している「冷却最優先。冷却水流し込みつつ、循環水冷却への段取りをつける」と言う方針を全面支持しているのは、正にそのためである。
 
石棺幻想 -福島原発事故処理法としての石棺方式を考える  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35166775.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35166813.html
 
 ところがIBさんの主張は違う。石棺方式ですらない「土砂山」とも言うべき方式であり数多のコメント応酬から浮かんできたその土砂山方式とは、凡そ以下の様である。
 
(1) 福島原発は直ちに放棄し、即座に土砂山の下に埋没させる。
(2) 原子炉内の核燃料にも土砂をかける。かけられた土砂により水と核燃料は分離され、水素爆発の恐れはなくなる。
(3) 固体の土砂の熱伝導で核燃料は冷却できる。地球生成と共に、ウラン原子核は間違いなく存在していた。これこそ「核燃料土砂埋没(冷却でも構わない)」の成功例に他ならない
 
 上記に対して当方はコメントとして、大略以下の通り回答している。
 
(1)について
 ① 現在実施している冷却を放棄して土砂の下に埋めるというのは敵前逃亡である。それはまだ残る原子炉内の核燃料の再臨界の可能性を放置するものであり、更なる放射能汚染の可能性を放置するものである。
 ② 土砂山も石棺も底抜けであるから、それらを設置しても汚染水を通じて土壌中・海中に広がる汚染は止められない。
 
(2)について
 ③ 水底にある核燃料に土砂をかけても「湿った土砂に埋もれる」だけで水との分離など出来ない。 
 
(3)について 
 ④ 精製も濃縮もされていないウラン鉱石が土中にあったとって核燃料土砂冷却の成功例にはならない。
 
 以上についてIBさんからは種々返コメがあったのであるが、最近のコメントに曰く。
 
> 君が「土砂の伝熱で核燃料を冷却できない」と主張しているし、その計算も君がするのが筋。
> 私のは主張でなく提案
 
 即ち、提案であって主張でなければ目処も定量的計算もなしに出来ると、IBさんは「主張」されている。逆に言えば何の目処も成算も無い願望ないし思い付きが先述の「土砂山方式」だと自白している訳だ。(*1)
 まあ、主張と提案にそんな差異があろうが、エントロピー増大に反する事象は全て生命活動であろうが、「水で冷却する方が土砂の熱伝導で冷却するよりも冷える」のは確実であるから、筋はどうあれ、計算して見せるとしよう。
 
 

<注釈>

(*1) ああ、まるで管直人の思いつき提案を見るようだ。君、君たらざれば、臣臣たらざる可し。菅直人がいまだ日本国首相の座にある罪は、道徳的にも重いと言うべきか。

 

(2.)熱伝達の計算 水と土砂 

  さて、取り出だしましたるは「理科年表」。理系の学生ならば大抵一度はお世話になった事があるだろう。国立天文台編纂で丸善株式会社発行のこの小冊子(*1)は、科学知識やデータの宝庫であり、頭から順に読んでいくものではないが、必要な部分と関連箇所を飛ばし読みする分には非常に面白い読み物だ。私が取り出したのは少々古い版ではあるが、なーに、万古不易の物理定数や、今回調べるような「水や土の熱伝導率」なんてものを調べるのには、多少の古さは関係ない。
 
 理科年表を紐解けば、熱伝導率の単位は「W/(m・°K)」で表わされ、「厚さ1mの板の両端の温度差1°Kの時、1秒間に流出する熱量」と定義されている事がたちどころに判る。その意味するところは、高校生なら理系なら確実に、中学生でも出来がよければ判る範囲だろう。即ち、この数値が大きいほど良く熱を伝導し、熱いものに一端が触れていればそこから熱を運び出して良く冷却する事になる。
 
 で、その理科年表による熱伝導率は、以下の通り。

               温度(℃)
砂              0.3    20
乾いた土壌 0.14    20
水             0.561    0
                0.589   20
                0.673   80

 厳密を期するならば理科年表に表示されている水の熱伝導率は温度0℃と80℃のものであり、注記に従って温度20℃の場合を計算したのが真ん中の数値「0.589 【W/(m・°K)】」である。これによって気温20℃の条件を揃えて比較すれば、「水の熱伝導率は、砂の約2倍であり、乾いた土の4倍以上である」事が忽ちにして知れる。
 
 無論、この理科年表の数値を疑ってかかる事はできる。だが、簡単な理科実験で砂や土の熱伝達率は計測できるし、水だって計測が難しいだけで、「土砂よりも良く熱を伝達する」事は確かめられるので、国立天文台にしても嘘の吐き様が無い(*2)。科学実験の偉大なる再現性により、そんな嘘は忽ちばれてしまう。
 
 さらに、水による冷却の場合は通常、熱伝導による冷却ではない。良く知られるとおり、流体の熱伝達は、熱源と冷源の間を回流する流れ「対流」による。熱を伝える媒体自身が熱を熱源から冷源へ移動する事で運ぶ事になるから、その熱移動量=冷却量の計算は種々パラメーターによるため容易ではないが、一つだけ確実に言える事がある。
 
 対流による熱伝達=冷却は、伝導による熱伝達よりも大きい。
 
 而して、水は液体であり流体である。土砂もある条件では「液状化」などで流体と見なしうるが、基本的には固体である。少なくとも土砂による冷却は、よし対流が起きてもその速度が極端に遅いが故に、上記の熱伝導率と大差は生じえず、対する水による冷却は上記の熱伝導率をさらに上回る冷却が可能である。
 
 結論は明らかだろう。水による冷却は、土砂による冷却より効率が良い。極々、当たり前の物理的常識だ。
 
 世に水冷・水を媒体として冷却を行なう機械は多い。一般的な自家用車のエンジンは最もポピュラーな例だろう。だが、土砂を詰めて冷却しようなんて奇怪器材、もとい、機械器材は聞いたことが無い。ま、上記の考察からすれば、余りに当たり前のことではあるが。
 
 「焼け石に水」とは無駄な努力の喩えであるが、それでも「焼け石に土砂」よりも遥かに効果があるということだ。
 

<注釈>

(*1) と言うには少々ページ数が多いが。
 
(*2) さらに言えば、嘘をつく理由も無い。幾ら「大きな嘘はばれない」と言ってもねぇ。