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 何度か記事にも書いているところだが、私は逆立ちしてもキリスト教徒でもなければ一神教徒でもなく、一神教徒の側からすれば正真正銘掛け値なしの異教徒だ。
 
 「お前の宗教は何か?]と問われれば。「日本神道」と答えるが、「但し、日本神道には教義も聖典も布教活動もないから、宗教と言うより土着信仰であり。土着信仰であるが故に極めて強固である。」と注釈をつけねば居られない。内村鑑三はキリスト教徒で、「日本Japan」と「キリストJesus」を「二つのJ」と並び称したそうだが、普通のキリスト教徒ならば最上位に置くであろう「Jesus=キリスト」と同列に内村鑑三が扱った「日本Japan」と言うのは「日本神道の一形態である。」と主張するし、逆にそう言う意味での日本神道が私の宗教・信仰である、とも主張する。
 いずれにせよ一神教徒側から見れば「異教徒中の異教徒」に違いないから、多くの一神教の唯一絶対神が看板に背負っている「全知全能」に対してさえ、疑義を呈するのも、無理からぬところであろう。イン・シャ・ラー。
 
 
 さてそんな異教徒中の異教徒の目からすると、報じられているような事象は、かなり「笑える事態」なのである。
 
>イエス・キリスト(Jesus Christ)が再臨し、神に選ばれたあなたは天国に昇るとしよう。
> では、あとに残された大切な家族の一員であるイヌやネコはどうなる?
 
 「杞憂」と言う言葉は中国の故事で、昔大陸で「天が落ちてきたらどうしよう」と考え悩む杞なる人物の憂いから「無用な心配」の喩えであるが、世の中にはこの記事の書き出しのように、「自分が神に選ばれて天に召された後のペットの心配」をしてしまえる人があるそうなのだから、先ず、恐れ入るしかない。今居る部屋の空気の酸素分子全てがブラウン運動で部屋の反対側に集まってしまい、私が窒息する心配(*1)をする程ではなくとも、外を歩いている内に隕石が命中して絶命する心配をした方が良さそうに、「異教徒中の異教徒」である私は思ってしまうのだが、是が商売の種になるというのだから、世の中広い。
 
> 地上のキリスト教徒が天に挙げられる「携挙」が起こったら、
> 同社の共同創立者バート・センター(Bart Centre)氏が救出スタッフ全員に連絡し、
> 救出スタッフが顧客の家へ車を走らせて契約書に書かれているペットを助け出して
> 自宅に連れ帰って飼い主となり、ペットが死ぬまで愛情を注ぐ手はずになっている。
 
 「軽挙」もとい「携挙」などと言う、少なくとも天地開闢以来の一大イベント発生時に、呑気に「スタッフ全員に連絡」したり「顧客の家へ車を走らせ」たり出来ると考える自信は仲々大したものだが、
 
> ペットの救出スタッフは全員が無神論者だと宣言しているので、
> 地上に残ることは保証されている
 
とも報じられているから、何のことはない共同創立者バート・センター(Bart Centre)氏も何人いるか判らない救出スタッフも、「審判の日」「携挙」なんて物は、全く信じていない、筈である。
 さて、ここで「審判の日」にも「携挙」にも縁のない異教徒としてはある矛盾に気付かない訳には行かない。上記の商売を実施している米国企業エターナル・アースバウンド・ペッツ社の、少なくとも共同創立者バート・センター氏と救出スタッフは、「無神論者と宣言している」のが本当ならば、「審判の日」も「携挙」も信じていない筈だ。この場合、当人達は起こると信じていない「審判の日」や「携挙」種にして契約をし、商売をしている事になる。「火星の土地」を売っているようなものではないか。

 もし彼らが「審判の日」や「携挙」を信じているならば、少なくとも「無神論者と言う宣言」は嘘であるし、下手すると「審判の日」に「携挙」されて天国に召されてしまい、契約は遂行できない事になる。契約不履行は必至だ。
 つまり、同社スタッフの無神論者宣言が真ならば詐欺罪の疑いがあり、偽ならば契約不履行必至であるのを承知で契約した事になり、これまた商法か詐欺罪に引っかかりそうだ。尤も後者の場合、訴追は天国についてからと言う事になるから、米国の国内法では裁かれず、父なる神に裁かれる仕儀となろう。アーメン。
 
 そんな詐欺罪か商法違反か兎に角怪しい限りのエターナル・アースバウンド・ペッツ社に対し、以下のように報じられている。
 
> 既に259人が、最後の審判後に残されたペットの世話をするサービスの利用を申し込んでいる。
 
 と言う事は、少なくともこの契約した259人は、「審判の日」と言う現象が起こりうるし、そうなったら自分は天国に召されてしまうから、後に残るペットは可愛そう、と考えている・・・筈だ。無論、「万一、万々が一そうなった場合の保険として」報じられている料金「135ドル(約1万1000円)」を払うのに、米国人ならさほどの裕福さは要らなかろうし、逆に「そうなったときに天国に召される願掛け」として料金を払う人も居るのだろう。
 「免罪符」或いは以前記事にした「天国への通行証」の様に「天国に行ける」などと言う安請け合いをするわけではなく、「貴方が天国に召されたら、残されたペットの面倒を見ます」であるから、その分、同社の「罪(*2) 」は軽そうであるが。
 
 因みに、同記事の冒頭に曰く。
 
> 米国のあるキリスト教原理主義団体が21日に「審判の日」がやってくると主張している。
 ッて、今日じゃん。米国の21日ならば、今少し余裕があるが。
 
 Judgement Day on the Earth.
 This is not a drill, repeat, THIS IS NOT A DRILL!
 
 思いついてしまった冗句。
 
 世の中は、一字違うと大違い。
 再臨は有難く(*3)、再臨界は恐ろしい。

 

<注釈>

(*1)  部屋を約2000リットルとかなり狭い部屋を仮定しても、其処にある気体の量は凡そ100モル。この内酸素は1/5だから20モル。
 酸素分子の数は20×6×10^23個= 1.2×10^25個。
 一つの分子が部屋のこちら側と反対側にある確率は平均1/2であるから、この数の酸素分子が全部向こうに行ってしまう確率は1/2の「1.2×10^25」乗。「2の10乗=1024≒10の3乗」であるから、上記の確率は、凡そ「10の75乗分の1」。
 分子が1で分母が「1の後に0が75個続く数」になる。 
 
(*2) この場合は、犯罪Crime ではなく原罪Sin だろうな。
 
(*3) それを信じるキリスト教徒にとっては。私のような異教徒にとっては、ありがた迷惑と言ったところだが。また、日本のキリスト教徒は10%を超えた事がないそうだから、日本人の大半は「審判の日」が来てもこちら側に残るだろう、と言う安心感もある。
 尤も、渡辺昇一氏や、曽野綾子女史などが、天国に召されてしまうのは、一寸残念だが。