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報じられているのは、参院予算委員会における、菅直人の答弁。東日本大震災直後に福島原発視察した事が初動の遅れにつながったのではないかとの指摘を受けての弁明だ。
1> 「視察によって(作業が)遅延したということは全く当たっていない」
> と否定した。
> と否定した。
はて、菅直人がこんな断言が出来てしまう根拠はなんだろうか。
菅直人が震災直後に正に今も予断を許さぬ状態にある福島第一原発を視察したのは、当人も認める事実である。「首相のおなり」、それも震災直後と言う非常事態のおなりとなれば、対応やら説明やらに現場の職員が取られるのも先ず間違いないところだろう。それで初動作業に遅延が全く生じないと言うのが事実ならば、意味する所はたった一つだ。
「福島第1原発の初動対応は、菅直人視察時には殆ど動いていなかった。」である。これは、想像を絶するほどの東電の怠慢であり、世が世ならサボタージュの廉でシベリア送りなり銃殺なりに処されそうなほどの大チョンボである。が、逆にそれだけに、東電が菅直人視察時点で「殆ど動いてていない」と言う可能性は非常に考えにくい。
報じられているところでは、菅直人の弁明は次の様に続く。
> 視察については
2> 「現地の状況把握をすることが大事だと考えた。
3> 現地に対して、間接的なことが多くてつかみきれない状況があった。
4> 現地で話を聞くことは、その後の展開の中でも判断に役立った」
> と説明した。
付け加えるならば、テレビで動画で報じられていた発言では、「原発所長に短時間であるが会った事」「その人柄に触れたことが後の判断に役立った事」、さらには「3月12日の深夜に原発のベントを開ける事を指示したから、視察は遅延となっていない事」を菅直人自身が述べていた。
菅直人がどれほど直観力に優れた人(*1)であろうと、「人柄に触れた」以上「短時間」とは言え、「やあ、やあ、頑張ってね。」程度の挨拶で済む筈はない。それ相応の時間、このとき正にその「菅直人が前夜に指示した」と主張するベントを開けようと陣頭指揮を取るべき福島原発所長を拘束していたのである。事実、このときの視察は1時間ほどになったと、別報道にある。
果たして、菅直人の福島原発視察は、初動対処の妨害に当たらなかったのだろうか。さらに言えば、その視察は菅直人の主張するように、有意義なものだったのだろうか。
菅直人が震災直後に正に今も予断を許さぬ状態にある福島第一原発を視察したのは、当人も認める事実である。「首相のおなり」、それも震災直後と言う非常事態のおなりとなれば、対応やら説明やらに現場の職員が取られるのも先ず間違いないところだろう。それで初動作業に遅延が全く生じないと言うのが事実ならば、意味する所はたった一つだ。
「福島第1原発の初動対応は、菅直人視察時には殆ど動いていなかった。」である。これは、想像を絶するほどの東電の怠慢であり、世が世ならサボタージュの廉でシベリア送りなり銃殺なりに処されそうなほどの大チョンボである。が、逆にそれだけに、東電が菅直人視察時点で「殆ど動いてていない」と言う可能性は非常に考えにくい。
報じられているところでは、菅直人の弁明は次の様に続く。
> 視察については
2> 「現地の状況把握をすることが大事だと考えた。
3> 現地に対して、間接的なことが多くてつかみきれない状況があった。
4> 現地で話を聞くことは、その後の展開の中でも判断に役立った」
> と説明した。
付け加えるならば、テレビで動画で報じられていた発言では、「原発所長に短時間であるが会った事」「その人柄に触れたことが後の判断に役立った事」、さらには「3月12日の深夜に原発のベントを開ける事を指示したから、視察は遅延となっていない事」を菅直人自身が述べていた。
菅直人がどれほど直観力に優れた人(*1)であろうと、「人柄に触れた」以上「短時間」とは言え、「やあ、やあ、頑張ってね。」程度の挨拶で済む筈はない。それ相応の時間、このとき正にその「菅直人が前夜に指示した」と主張するベントを開けようと陣頭指揮を取るべき福島原発所長を拘束していたのである。事実、このときの視察は1時間ほどになったと、別報道にある。
果たして、菅直人の福島原発視察は、初動対処の妨害に当たらなかったのだろうか。さらに言えば、その視察は菅直人の主張するように、有意義なものだったのだろうか。
<注釈>
(*1) 全く、皮肉にしか聞こえないな。震災直後に「原発を海水で冷やせ」と言ったときは、確かに直感の人だったのだろうが。
1.震災発生以降の事象整理
震災発生以降の事象を時系列的に整理すると、以下のようになる。なお、この時系列整理については根拠となった報道を引用した。根拠とした報道の内、引用した沖縄タイムス記事は、線表化した分かりやすい報道になっている事を付記しておこう。
(1) 3/11 午後3時前 東日本大震災発生 福島原発建屋は無事 外部電力供給ダウン(推定)
(2) 3/11 地震直後 原子炉緊急停止 制御棒による核反応停止完了
(1) 3/11 午後3時前 東日本大震災発生 福島原発建屋は無事 外部電力供給ダウン(推定)
(2) 3/11 地震直後 原子炉緊急停止 制御棒による核反応停止完了
(3) 3/11 地震の後 数度にわたり津波襲来 非常用電力供給(ディーゼル発電)ダウン
(4) 3/11 午後5時頃 津波が引いていく様が撮影される。 この時点で福島第1原発は通常の冷却機能を失っている筈。
コンテナ、パイプライン破損=地震2時間後の福島原発-国交省映像 http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0323/jj_110323_2459880386.html
(5) 3/11 原子炉内温度上昇、圧力高まる(冷却機能ダウンから)
(6) 3/12 午前1時半 政府「首相と海江田万里経済産業相の了解のもと、(放射性物質を含んだ蒸気を排出する)ベントを急ぐようにとの指示」
枝野氏、首相視察が作業妨害の報道を否定 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110328/plc11032813120009-n1.htm
(7) 3/12 午前6時頃 菅直人、福島原発を含む視察に出発。ベントは未実施。枝野、重ねてベントの実施を指示。「ベントを前提に視察」
(8) 3/12 午前7時~8時 菅直人の福島原発1時間ほど視察 原発所長を拘束
首相の原発視察で初動遅れ 判断ミスか
(9) 3/12 午前9時4分 ベント作業開始 第1弁開放
(10)3/12 午前10時17分 第2弁作業開始、開かず
(11)3/12 午後2時30分 第2弁開放 ベント開始
(12)3/12 午後3時30分 水素爆発(1回目)
(13)3/12 午後8時30分 海水による冷却開始
2.菅直人視察は福島原発対処に影響したか?
新ためておさらいしておこう。原発対処の基本は①止める ②冷やす ③閉じ込める の三段階であるとは今回一連の報道でも何度か報じられているところだ。この内、①止める 原子炉の核反応を止める事には、福島原発は問題なく成功している。この点は、しばしば引き合いに出されるロシアのチェルノブイリ事故とは大きく異なるところである。
次の②冷やす 原子炉を安全な状態で長期保管できるように冷やすことが問題になっている。原子炉を循環水で冷やす本来の機能が失われ、併せて使用済み核燃料を貯蔵し冷却していたプールの機能まで失われたのが、今回の福島原発事故の直接的原因だ。本来の循環水による冷却の代わりに真水や海水を原子炉内に送り込んで冷却すると言うのが震災発生・原子炉緊急停止以降一貫して東電が実施しようとしている策であり、これに失敗するとメルトダウン=原子炉炉心の全面的溶融、さらには溶融した原子炉燃料が一定濃度で集まれば再臨界=「原子の火の再着火」や原子炉を収めた圧力容器や格納容器に大穴が空くことさえありうる。そうなったら放射性物質の拡散は今の比ではないから、「放射性物質で汚染された水」が溢れ出て来ようとも、冷却は続行されるべきであり、実際冷却は実行されている。報じられている「ベント」とは格納容器から中の気体を逃がして圧力を下げる作業で、放射性物質の拡散は伴うものの、冷却水を格納容器内に入れることを容易にするし、それ以上に格納容器自身の破裂=大破損を防ぐ作業。循環水による通常の冷却が出来なくなった時点で、遅かれ早かれやらねばならぬ作業であり、前記(6) 震災翌日になったばかりの頃に政府が「原子炉のベント」を指示したと言うのは、仲々正しい指示である。(*1)
が、前記の通りベントの実施は菅直人の視察も終ってしばらく後の12日2時半。その1時間後に発生した原子炉建屋の水素爆発は、このベントの際に逃がした気体が原因である可能性がある。即ち、原子炉格納容器内に溜まっていた水素が原因であった可能性(*2)。言い換えれば、もっと早い時期にベントに成功していれば、原子炉建屋にあれだけの損害を与えた水素爆発は、起こらなかった可能性がある。
少なくとも、水素爆発のリスクを減らし、且つ原子炉の冷却を早期に開始するためには、多少の放射性物質拡散は受容して、早々にベントを開始する必要があった筈だ。
では、そのベントの開始が、震災翌日の午後に到るまで行なわれなかったのは何故か。
前章の時系列整理から明らかなことは、枝野が12日になったばかりの深夜に指示し、朝6時にフォローし、菅直人訪問に於いても前提としていたベントが、その開始は菅直人訪問が終了した後であり、トラブルもあって実施は午後になってしまった、となっている。トラブルは発生するまでわからなかったとしても、ベント開始作業が菅直人の視察完了後まで着手すらされていないのは何故か。
枝野も菅直人も、ベントは12日になって早々に指示したから、菅直人視察による遅れはないと主張している。枝野に到っては、「視察はベントが前提」言い換えれば、視察する菅直人の目の前でも構わないからベントを開け、と指示したと言っている。
信じられるだろうか。
先述の通り、ベントを開くということは原子炉格納容器内の気体を逃がす事。その中には多少なりとも放射性物質が含まれる。福島原発の第2回視察を、多少の雨と言う「悪天候」を理由に中止するような腰抜け玉無し腑抜け野郎の菅直人が、「自分の視察に構わずベントを開け。」などと言うだろうか。
逆に「自分の視察に構わずベントを開け。」と命じるような人が、前日深夜に「ベントを開け」と命じられて未だ開けずに居る福島原発所長を捕まえて、今後の判断材料とするために人柄を確かめる、などと言う悠長なことが出来るだろうか。
次の②冷やす 原子炉を安全な状態で長期保管できるように冷やすことが問題になっている。原子炉を循環水で冷やす本来の機能が失われ、併せて使用済み核燃料を貯蔵し冷却していたプールの機能まで失われたのが、今回の福島原発事故の直接的原因だ。本来の循環水による冷却の代わりに真水や海水を原子炉内に送り込んで冷却すると言うのが震災発生・原子炉緊急停止以降一貫して東電が実施しようとしている策であり、これに失敗するとメルトダウン=原子炉炉心の全面的溶融、さらには溶融した原子炉燃料が一定濃度で集まれば再臨界=「原子の火の再着火」や原子炉を収めた圧力容器や格納容器に大穴が空くことさえありうる。そうなったら放射性物質の拡散は今の比ではないから、「放射性物質で汚染された水」が溢れ出て来ようとも、冷却は続行されるべきであり、実際冷却は実行されている。報じられている「ベント」とは格納容器から中の気体を逃がして圧力を下げる作業で、放射性物質の拡散は伴うものの、冷却水を格納容器内に入れることを容易にするし、それ以上に格納容器自身の破裂=大破損を防ぐ作業。循環水による通常の冷却が出来なくなった時点で、遅かれ早かれやらねばならぬ作業であり、前記(6) 震災翌日になったばかりの頃に政府が「原子炉のベント」を指示したと言うのは、仲々正しい指示である。(*1)
が、前記の通りベントの実施は菅直人の視察も終ってしばらく後の12日2時半。その1時間後に発生した原子炉建屋の水素爆発は、このベントの際に逃がした気体が原因である可能性がある。即ち、原子炉格納容器内に溜まっていた水素が原因であった可能性(*2)。言い換えれば、もっと早い時期にベントに成功していれば、原子炉建屋にあれだけの損害を与えた水素爆発は、起こらなかった可能性がある。
少なくとも、水素爆発のリスクを減らし、且つ原子炉の冷却を早期に開始するためには、多少の放射性物質拡散は受容して、早々にベントを開始する必要があった筈だ。
では、そのベントの開始が、震災翌日の午後に到るまで行なわれなかったのは何故か。
前章の時系列整理から明らかなことは、枝野が12日になったばかりの深夜に指示し、朝6時にフォローし、菅直人訪問に於いても前提としていたベントが、その開始は菅直人訪問が終了した後であり、トラブルもあって実施は午後になってしまった、となっている。トラブルは発生するまでわからなかったとしても、ベント開始作業が菅直人の視察完了後まで着手すらされていないのは何故か。
枝野も菅直人も、ベントは12日になって早々に指示したから、菅直人視察による遅れはないと主張している。枝野に到っては、「視察はベントが前提」言い換えれば、視察する菅直人の目の前でも構わないからベントを開け、と指示したと言っている。
信じられるだろうか。
先述の通り、ベントを開くということは原子炉格納容器内の気体を逃がす事。その中には多少なりとも放射性物質が含まれる。福島原発の第2回視察を、多少の雨と言う「悪天候」を理由に中止するような腰抜け玉無し腑抜け野郎の菅直人が、「自分の視察に構わずベントを開け。」などと言うだろうか。
逆に「自分の視察に構わずベントを開け。」と命じるような人が、前日深夜に「ベントを開け」と命じられて未だ開けずに居る福島原発所長を捕まえて、今後の判断材料とするために人柄を確かめる、などと言う悠長なことが出来るだろうか。
或いは、最大限好意的に解釈して、菅直人は「自分に構わずベントを開け」と指示したかも知れない。だが、その側近なりの政府側か、東電上層部なりが「首相の身に万一の事があってはならないから、ベントは首相の視察が終るまで待て。」と指示することは大いにありそうなことだ。もし仮にそうであったとしても、前夜の真夜中過ぎに「ベントを開けろ」と指示し筈の菅直人が、1時間の視察の間に、原発所長の人柄を知るばかりで問題のベントの状況を尋ねないというのは極めて不自然であるし、前夜に指示したベント開放が未だ着手されていないと知ったら「重ねてベント開放」を指示するのが普通だろう。「自分の視察に構わずベントを開けろ」と指示していたのならば、なおさらだ。さらには「自分の視察で対処が遅れたわけではない。」と主張するためならば「前夜に指示した」ばかりでなく「視察中に重ねて指示した」と言いそうなものだ。
以上のように考察すると、菅直人が主張するように「自分の視察に関わらずベントを開け」と命じており、且つ東電が最大限の努力をしたが、ベント開放作業の着手が「偶々」菅直人視察の後となっただけで、「菅直人の視察が原因で対処作業に遅れが生じたわけでは全くない」と言う可能性は、極めて低いと断ぜざるを得ない。
仮に菅直人が「自分の視察に関わらずベントを開け」と命じて居たとしても、政府側なり東電側なりの気遣いでベント開放が菅直人視察後に延期された公算は大であるし、その場合でも、「自分の視察に関わらずベントを開け」と命じつつ福島原発を視察し、原発所長を拘束した菅直人の責任は、免れるものではない。
以上のように考察すると、菅直人が主張するように「自分の視察に関わらずベントを開け」と命じており、且つ東電が最大限の努力をしたが、ベント開放作業の着手が「偶々」菅直人視察の後となっただけで、「菅直人の視察が原因で対処作業に遅れが生じたわけでは全くない」と言う可能性は、極めて低いと断ぜざるを得ない。
仮に菅直人が「自分の視察に関わらずベントを開け」と命じて居たとしても、政府側なり東電側なりの気遣いでベント開放が菅直人視察後に延期された公算は大であるし、その場合でも、「自分の視察に関わらずベントを開け」と命じつつ福島原発を視察し、原発所長を拘束した菅直人の責任は、免れるものではない。
<注釈>
(*1) 余りにも正しいので、「後から指示した事にしているのではないか」と、疑えるほどに。(*2) もう一つの可能性は、使用済み燃料貯蔵プールの水が、循環が止まって冷却されなくなり加熱した使用済み燃料により水素に分解された可能性がある。この場合は、原子炉のベントの開閉と、水素爆発の間には何の相関もない。