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 「抑止力」と言えば人口に膾炙して久しい言葉ではあるが、どうもその意味するところは結構曖昧模糊としているようである。卑近なところでは、忌まわしくも喜ばしいことに前首相である鳩山由起夫が、喜ばしくもその首相の地位を辞する契機となった普天間基地移設問題に於いてその移設先を辺野古に戻すに辺り「学べば学ぶほど、沖縄の米海兵隊は抑止力と知った。」とのたもうて一躍「抑止力」が脚光を浴びたし、また最近ではその「在沖米海兵隊抑止論は、辺野古移設のため方便だった」と鳩山自身が口走るいわゆる「方便発言」で再度脚光を浴びている。鳩山自らがその「方便発言」に訳の分からない弁明を付け加えるものだから、尚のこと注目が集まる。
 一方でこの鳩山「方便発言」とその後の迷走、否暴走を以って「在沖縄海兵隊を抑止力とする理論は崩れた!」と息巻く赤旗、琉球新報、沖縄タイムスのようなアカ新聞、もとい、馬鹿新聞もあるぐらいだから、少なくとも「抑止力」という言葉には一定の影響力、「言霊」とも言うべき力があるのだろう。
 
沖縄密約公開/戦略なき外交を露呈 「抑止力」の呪縛と決別を  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-173701-storytopic-11.html
[外交文書公開]抑止論を吟味すべきだ  http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-02-20_14703/
 
 それがあらぬか、PSPゲームソフト「メタルギアソリッド ピースウォーカー」のキーワードは「抑止力」であり、軍隊を廃した国コスタリカ(※1)で傭兵「国境なき軍隊」の主人公・スネークが活躍(※2)する話だ。あまつさえ、その挿入歌のタイトルは「恋の抑止力」・・・・
 
 さて、
 恋が抑止力になるとは私には思われないが、抑止力の話を始めよう。

 

<注釈>

(※1) 「あんまり内戦が激しかったんで軍隊を廃止した。」って情けない( 軍隊は内戦の道具かよ!!)理由はさておき、それもあって警察に装甲車があるような国であることは、想起されて然るべきだろう。
 
(※2) 暗躍?
 

(1.)「抑止力」を定義する

 話を初めていきなりではあるが、「抑止力」とは何だろう。如何なる定義をするが良かろうか。こいつを明示しないと、議論も何も始めようがない。海兵隊のヘリ部隊が単独で抑止力足りうるか否かも、地上部隊や空軍海軍とのワンパッケージであることが抑止力の増減とどう拘わるかも、この定義に基づかねば、判定できない。
 さて、些か独断即決ではあるが、最小公倍数的に広い定義を考えるならば、「抑止力」とは、「戦争を仕掛けてくるかも知れ居ない国に、その戦争を思いとどまらせる力」と定義できるように、私には思われる。
 
 真っ先に上げるべきなのは軍事力である。我が国に戦争を仕掛けようなどと言う不定な輩には目にもの見せてやるぞ、と言う力である。古典的でもあり、原初的でもある。永世中立を掲げるスイスが、徴兵制を敷く国民皆兵制であり、核武装さえ真剣に検討した所以でもある。
 
通常、中立は、重武装でしか保証されない   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/15956392.html   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/15954344.html
 
 ではあるが、勿論抑止力は軍事力ばかりではない。同盟国を獲得拡大する外交力も、経済力、文化力も、「戦争を思いとどまらせる力」として働きうるものは、抑止力たりうる。宗教的影響力や道義的影響力だって抑止力として働く場合もあろう。
 
 大量報復戦略や核エスカレーションを含む「核抑止力」もまた「相手が核報復を行うかも知れない。その結果我が国は大損害を被るかも知れない。」と相手に思わせることで戦争を思いとどまらせれば、「核抑止力」は成立する。日本が「米国の傘のしたにある。」と言われるのも、オバマ大統領が核先制不使用に同意しないのも、佐藤首相が非核三原則を打ち出す前提に「米国による日中戦争時の中国への先制核使用の確約」を要求したのも、「核を以って敵国に開戦を思いとどまらせる」核抑止力に基づいている。

 

(2.)特定状況下に於ける「抑止力」

(A)開戦後―戦時に於ける抑止力

 無論、大量報復戦略は、核エスカレーション理論とは異なり、「たった一発の、偶発かも知れない核爆発が全面核戦争に直結している」以上、「改選後の戦争拡大の抑止には有効でない。」というのは事実だろう。だが、その分開戦自身の敷居を高くしている。
 
 また、大量報復を決断するというのが生身の神ならぬ身の人には大変な決断となると言うのも事実だ。それは、SF短編「薔薇と雷」なんかにも描かれているところだ。
 だがしかし、「そんな決断を下せるような人間は居ない。」と断言できる事でもないのもまた事実。「人類文明の崩壊になりかねないような大量報復を決断する人間がないとは限らない。」と相手に思わせさえすれば、大量報復戦略は抑止力として成立する。勿論先述の通り、開戦そのものの敷居を高くするが、改選後の戦争拡大の抑止力を弱くする戦略ではあるが。

(B)平時に於ける抑止力

 さて、戦時とは違って平時。それも先の大東亜戦争(太平洋戦争)終結以来70年近くに渡って平時であり続ける我が国に於ける抑止力論議が頓珍漢になるのはある程度仕方かがないとしても・・・・
 
 昨年5月の鳩山退陣までなんと恐るべき事に政権与党の座にあった社民党が、「憲法9条が最大の抑止力」などと大まじめに主張できてしまうのも、この講義の「抑止力」ならば理屈は(一応)成り立つ。「憲法9条を掲げるぐらい崇高な我が国に対しては、戦争を仕掛けることを躊躇うだろう」と言う期待であり、希望を、それは意味する。半気違いjos某の「丸腰の者は撃たれない」理論や故nakayamagoro流の理屈であるが、「此方が善良でありさえすれば、悪いようにはされないだろう。」と言う手前勝手な性善説を盲信しての結果であるから、私なんかに言わせれば、とても正気の沙汰とは思われない。が、相手が、この場合日本周辺を中心とする諸外国(※1)が善良であるという大前提の元では、上記の定義に従って「憲法9条は抑止力たりうる」とは言える。

 勿論この世は日本国憲法前文世界ではなく、諸国民は平和と正義を口先三寸以上には愛してなぞ居らず、ピースボートはソマリア沖では海上自衛隊に護衛を要請するような世の中なのであるから、日本国憲法9がそのの抑止力を十全に発揮する頃には、豚が空を飛び、豹がその斑を全て洗い流し、ジャージー種の牛と同じ仕事を貰うに違いない。つまり、予見売る将来に於いて全く非現実的だ。
 
 上記の定義からすると、ODAや「友愛外交」もまた、抑止力として働く可能性がある。だが、軍事力や同盟関係ほどの強固なものとは全く言えない。これらは諸外国の我が国に対する好感度を上げるものかも知れないが、我が国に戦争を仕掛けるような国は、相応のメリットをその戦争に見いだしているのであるから、そのメリット以上のメリットをODAなり国際支援なりでその国に献上する属国化しかない限り、これらは抑止力として働かない。
 我が国に戦争を仕掛けようとする国以外の第三国に対するODAはと言うと、此また心許ないものである。期待しうるのは、せいぜい我が国に対して戦争を仕掛けた国に対する国連非難決議の一助となるのが良いところである。
 事実、クウエートは相当な資金援助をイラクに献上していたが、フセイン率いるイラクに蹂躙占領されてしまった。我が国が戦後投入した膨大なODAは、中国政府の傲慢と増長、中国人の反日侮日感情を煽ったばかりで、我が国の安全保障上、全く役に立っていない。

 

<注釈>

(※1) と言うことは、中国、ロシア、北朝鮮、韓国、台湾を筆頭とする諸国と言うことである・・・一体どの国を指して「善良」なんて言うんだぁ??

 

(3.)「抑止力」を整備する

 では、我が国はその安全保障のための抑止力を、如何に整備すべきであろうか。
 つまるところ、抑止力の基本は軍事力と同盟国。それに次ぐのはせいぜい外交力。3、4がなくて経済力、文化力と言うところ。後はまあ番外だろう。バチカン市国みたいな特殊事情があれば、宗教的影響力と言うのが相当な抑止力となりうるのだろうが、神道は世界宗教じゃないし、天ちゃんの御威光もまつろわぬ民には及ばない。
 
 であるならば現有の同盟を強固にし、軍事力を整備するのが先ず第一歩。新たな同盟先や、画期的な軍事力、例えば独自核武装を目指すにしても、まずは足元を固めて当面の安全保障を確保するのが常道であろう。
 
 平たく言えば自衛隊の拡充と交戦規定を含む法整備。それに日米同盟の強化であり、それには普天間基地移設問題の解決、即ち辺野古移設決着ないし普天間基地固定化のいずれかを決断するばかりである、
 
 であるのだが・・・・ あんな前首相やこんな現首相で、果たして良いのか。
 
 「そんな政府で大丈夫か?」
 
 「大丈夫だ。問題ない。」何て答える自信は、私には全くないぞ。