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「木口小平」については先日の記事でも触れたものの、再度説明の必要はあるだろう。重複覚悟で書くならば、木口小平は日清戦争で戦死したラッパ卒。戦死して絶息するまでラッパを吹き続け、死して尚、ラッパを口から放さなかったとされる。
伝説である。史実ではないかも知れない。「死んでいる筈なのにラッパの音は聞こえた。」なんて怪談染みた話はそうだろうし、「銃創からすると即死であって、弾丸を受けてもラッパを吹ける筈がない。」とか「口から離さなかったのでは無く、手から離れなかっただけで、単なる死後硬直だ。」なんて説もある様だ。「虚偽に基づく軍国美談」なんて評価も。
何度も書いているが、伝説は史実である必要はないし、そんな「史実ならざる伝説」もまた「歴史の一部」なのである。( 私の「歴史観」観 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21076216.html 参照 )従って、死後硬直も、即死も、況や軍務遂行中も、この伝説の妨げにはならない(*1)。
木口小平の魂、健在なり。-騎馬警官、護衛中に落馬するも手綱放さず。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/34180240.html
木口小平の「伝説の死に様」に肯定的価値を見出すならば、それは木口小平の伝説、木口小平の魂が未だ健在だと言う証拠であり、それが先行記事にした21世紀の騎馬警官の落馬・負傷状況にも反映ないし投影されているのである。
伝説である。史実ではないかも知れない。「死んでいる筈なのにラッパの音は聞こえた。」なんて怪談染みた話はそうだろうし、「銃創からすると即死であって、弾丸を受けてもラッパを吹ける筈がない。」とか「口から離さなかったのでは無く、手から離れなかっただけで、単なる死後硬直だ。」なんて説もある様だ。「虚偽に基づく軍国美談」なんて評価も。
何度も書いているが、伝説は史実である必要はないし、そんな「史実ならざる伝説」もまた「歴史の一部」なのである。( 私の「歴史観」観 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21076216.html 参照 )従って、死後硬直も、即死も、況や軍務遂行中も、この伝説の妨げにはならない(*1)。
木口小平の魂、健在なり。-騎馬警官、護衛中に落馬するも手綱放さず。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/34180240.html
木口小平の「伝説の死に様」に肯定的価値を見出すならば、それは木口小平の伝説、木口小平の魂が未だ健在だと言う証拠であり、それが先行記事にした21世紀の騎馬警官の落馬・負傷状況にも反映ないし投影されているのである。
その肯定的価値と言うのは、「職務に対する真摯な姿勢」と言うことが出来よう。
<注釈>
(*1) 冷静に、まともに、考えればね。「軍人が軍務遂行中に戦死」ってだけで拒否反応を起こさなければ。
1. 共通点「職務に対する真摯な姿勢」
閑話休題(それはさておき)
本記事のタイトルは「木口小平と菅直人」である。木口小平については先述の通り(*1)。菅直人は言うまでも無く( 未だに)日本国首相である。
この二人を並べたのは、共通点が在ると考えたから。即ち、「職務に対する執念」の一点で。
報じられたところでは、菅直人は、前首相である鳩山由紀夫と会談した際に、「支持率1%でも辞めない」と表明した、とされた。
首相、活発に党内固め 鳩山氏と会談 仙谷氏ら問責可決も「支持率1%でも辞めない」 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101127/plc1011272318021-n1.htm
その後の続報で、「支持率1%でも辞めない」と言ったのは菅直人自身ではなく、その友人の言葉だったと報じられている。
鳩1> 「首相が言ったのではない。
鳩2> 友達から『1%になっても辞めるな』と激励されたという話を首相から聞いた」
>と説明。
鳩3> 「私(鳩山由紀夫)が首相のときに
鳩4> 『0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなた(菅直人)ですよ」
鳩5>と激励した
鳩山前首相が講演で「来年選挙かもしれない」「『1%でも辞めぬ』は首相の言葉ではない」 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101128/plc1011282303009-n1.htm
が、それにしたって「 『支持率1%でも辞めないでくれ』と、友人が判断した。その判断を諒とする。」と言うだけの話であり、どんな友人だかわかったものじゃない(*2)が、鳩山自身が上記鳩4>~鳩5>で認めるとおり、「『0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなた(菅直人)ですよ」と激励した」ぐらいであるから、狢同士が互いの傷を舐め合うの図と言うところである。
続報の方では、
鳩6> 「私(鳩山由紀夫)や小沢一郎民主党元代表も役割があればがんばりたい」
> と語り、鳩山、小沢両氏を要職に起用する
> 「トロイカ体制」復活が挙党態勢構築には不可欠だとの考えを示した。
とまで報じられているから、狢3匹と言うところか。
本記事のタイトルは「木口小平と菅直人」である。木口小平については先述の通り(*1)。菅直人は言うまでも無く( 未だに)日本国首相である。
この二人を並べたのは、共通点が在ると考えたから。即ち、「職務に対する執念」の一点で。
報じられたところでは、菅直人は、前首相である鳩山由紀夫と会談した際に、「支持率1%でも辞めない」と表明した、とされた。
首相、活発に党内固め 鳩山氏と会談 仙谷氏ら問責可決も「支持率1%でも辞めない」 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101127/plc1011272318021-n1.htm
その後の続報で、「支持率1%でも辞めない」と言ったのは菅直人自身ではなく、その友人の言葉だったと報じられている。
鳩1> 「首相が言ったのではない。
鳩2> 友達から『1%になっても辞めるな』と激励されたという話を首相から聞いた」
>と説明。
鳩3> 「私(鳩山由紀夫)が首相のときに
鳩4> 『0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなた(菅直人)ですよ」
鳩5>と激励した
鳩山前首相が講演で「来年選挙かもしれない」「『1%でも辞めぬ』は首相の言葉ではない」 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101128/plc1011282303009-n1.htm
が、それにしたって「 『支持率1%でも辞めないでくれ』と、友人が判断した。その判断を諒とする。」と言うだけの話であり、どんな友人だかわかったものじゃない(*2)が、鳩山自身が上記鳩4>~鳩5>で認めるとおり、「『0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなた(菅直人)ですよ」と激励した」ぐらいであるから、狢同士が互いの傷を舐め合うの図と言うところである。
続報の方では、
鳩6> 「私(鳩山由紀夫)や小沢一郎民主党元代表も役割があればがんばりたい」
> と語り、鳩山、小沢両氏を要職に起用する
> 「トロイカ体制」復活が挙党態勢構築には不可欠だとの考えを示した。
とまで報じられているから、狢3匹と言うところか。
「判断と責任を正体不明の「友人」に押し付けつつ現職にしがみつく」菅直人、「先に首相を辞任した際今期限りで議員を辞めるといっていたのはどこかへ吹き飛ばした」鳩山由紀夫、それに直接姿を現さないが「そもそも菅政権が「脱小沢」を標榜していた上、党首代表選に敗れて尚復権を目指す」小沢一郎の三人の「職務に対する執念」は並々ならぬものがあるといえよう。
だが、其処から私が感じるのは醜悪さ、醜さのみである。
「職務に対する真摯な姿勢」と言う一点では、木口小平( の伝説)と共通すると言うのに、其処から受ける印象が、全く、凡そ正反対と言って良いほど異なるのである。
これは、何故だろうか。
だが、其処から私が感じるのは醜悪さ、醜さのみである。
「職務に対する真摯な姿勢」と言う一点では、木口小平( の伝説)と共通すると言うのに、其処から受ける印象が、全く、凡そ正反対と言って良いほど異なるのである。
これは、何故だろうか。
<注釈>
(*1) ここでは「史実」としての木口小平よりも、単純に、伝説としての、イメージしての、一つの理想像としての、木口小平を指す。
(*2) 日本人ではない、ないし日本の国益を損ねる「友人」である公算大である。
2. 相違点「コストエフェクティブ」
一つには私の人間としての限界、一種の民主党に対する偏見があろう事は否定し難い。私は当ブログ設立以来表明している通り、野党時代から民主党が嫌いであったし、その故に昨年夏の衆院選で民主党政権が成立してしまったときには、日本国民と言うものに、絶望しかけたほどなのだから。同じ事をやるにしても、民主党の行動は、割り引くなり、疑問視なりしているであろう事は、否定し難い。
だが、それ以外に原因を求めるとするならば・・・・一つには「遂行すべき職務の甘さ=職務上の利得の多寡。」だろう。
以前にも書いたとおり、ラッパ卒と言うのも日清戦争当時には相当重要な役割であり、指揮系統の中枢である(*1)。とは言っても美事ラッパ卒としての任務を完遂したとしても、それは戦闘部隊(*2)の華々しい突撃と勝利の影の、縁の下の力持ちである公算大である。例えばの話、木口小平が銃弾を受けつつ一命を取り留めたならば、戦闘終結までラッパを吹き続けたとしても、修身の教科書に載るに至ったかは、はなはだ疑問だ。
対するに日本国首相は、現在日本の体制で望み得る最高の権力者で、陸海空三軍の最高指揮官。その権限の広さと職務上の利得は、一ラッパ卒とは比べようがあるまい。
言い換えれば、日本国首相と言う職務にならば多くの人が真剣に取り組むだろう(*3)し、そう期待できるだけの甘さも旨さもありそうな職務だ。が、前線部隊のラッパ卒と言うのは、その任重くして、賞される事少ない職務と言える。
一方、その職務に支払った対価と考えると、木口小平についてはその生命であるが、菅直人についてはただ、「支持率の低下に頬被りして、他人に責任押し付けて、耐え忍ぶ。」ばかり。あまつさえ北朝鮮砲撃と言う非常事態も、それによって流される韓国人の血(*4)をも政局に利用しようと強弁する。所詮は「他人の痛み」「他人の血」「他人の責任」で自らは全く犠牲を払おうとしない。
つまり、私の民主党に対する偏見を別にすれば、木口小平と菅直人の相違は、その「職務に対する真摯さ」を示すためのコストエフェクティブと言うことになろう。
木口小平はその割に合わない職務を、割に合わない犠牲(*5)を払う真摯さで遂行した。故に尊い。
菅直人は、その利権利得にあふれる職務に、自らなんらの犠牲も対価も払わないまま居座ろうとしている。故に醜い。たかだか、昨年夏の衆院選で党が大勝し、たかだか今年の党首選挙で小沢一郎に辛勝しただけでこうなのだから、やはり「醜い」としか言いようが無い。
だが、それ以外に原因を求めるとするならば・・・・一つには「遂行すべき職務の甘さ=職務上の利得の多寡。」だろう。
以前にも書いたとおり、ラッパ卒と言うのも日清戦争当時には相当重要な役割であり、指揮系統の中枢である(*1)。とは言っても美事ラッパ卒としての任務を完遂したとしても、それは戦闘部隊(*2)の華々しい突撃と勝利の影の、縁の下の力持ちである公算大である。例えばの話、木口小平が銃弾を受けつつ一命を取り留めたならば、戦闘終結までラッパを吹き続けたとしても、修身の教科書に載るに至ったかは、はなはだ疑問だ。
対するに日本国首相は、現在日本の体制で望み得る最高の権力者で、陸海空三軍の最高指揮官。その権限の広さと職務上の利得は、一ラッパ卒とは比べようがあるまい。
言い換えれば、日本国首相と言う職務にならば多くの人が真剣に取り組むだろう(*3)し、そう期待できるだけの甘さも旨さもありそうな職務だ。が、前線部隊のラッパ卒と言うのは、その任重くして、賞される事少ない職務と言える。
一方、その職務に支払った対価と考えると、木口小平についてはその生命であるが、菅直人についてはただ、「支持率の低下に頬被りして、他人に責任押し付けて、耐え忍ぶ。」ばかり。あまつさえ北朝鮮砲撃と言う非常事態も、それによって流される韓国人の血(*4)をも政局に利用しようと強弁する。所詮は「他人の痛み」「他人の血」「他人の責任」で自らは全く犠牲を払おうとしない。
つまり、私の民主党に対する偏見を別にすれば、木口小平と菅直人の相違は、その「職務に対する真摯さ」を示すためのコストエフェクティブと言うことになろう。
木口小平はその割に合わない職務を、割に合わない犠牲(*5)を払う真摯さで遂行した。故に尊い。
菅直人は、その利権利得にあふれる職務に、自らなんらの犠牲も対価も払わないまま居座ろうとしている。故に醜い。たかだか、昨年夏の衆院選で党が大勝し、たかだか今年の党首選挙で小沢一郎に辛勝しただけでこうなのだから、やはり「醜い」としか言いようが無い。
<注釈>
(*1) 当時の戦争を、NCW Network Centric Warfareとは、とても言えないけれど。
(*2) 日清戦争当時の日本陸軍ならば、殆ど「歩兵」以外ないな。
(*3) そりゃま、歴代首相の中には、とてもまじめに首相やったとは思えない者もいるが。その筆頭が、先代の首相たる鳩山由紀夫だろう。
(*4) 朝鮮人の血も流された、韓国人よりも多い、との説もあるが・・・そりゃ自業自得と言うもんだ。
(*5) 自らの生命を捧げてしまったのである。それも、彼が戦死したときには、かくも礼賛が集まり、修身の教科書に載るなんて保証は全くなかったのである。無論、「伝説によれば」、だが。
3. 理想的日本人としての「木口小平」 ある種の「理想」である菅直人
一つの考え方だが、この世は間尺に合わない事、損な事、タダ働きを多くする人ほど、労多くして利益少ない人ほど、偉いとする考え方がある。
相当に御人好しな考え方である。また、個人としては「御人好し」で済み「良い人」であろうし、隣人としては尊敬もするだろうが、我が国がそんな御人好しな行動を取ってほしくは無いし、私の所属する他の集団即ち市町村なり、勤め先なりにしても原則として同様だ。
だが一方で、そんな考え方に一理、一種の美しさ、正しさを見出すのも事実である。
相当に御人好しな考え方である。また、個人としては「御人好し」で済み「良い人」であろうし、隣人としては尊敬もするだろうが、我が国がそんな御人好しな行動を取ってほしくは無いし、私の所属する他の集団即ち市町村なり、勤め先なりにしても原則として同様だ。
だが一方で、そんな考え方に一理、一種の美しさ、正しさを見出すのも事実である。
木口小平の伝説は、そんな御人好しの一種の理想像と考える事が出来る。
であればこそ、「国家のためにお人よしになれとは何事だ!」と怒る向きには、木口小平の伝説は「プロパガンダ」であり「軍国美談」としか思えないのだろう。
そんな向きにしてみれば、権力を含め得られる限りの利益を国家から吸収し続けようと言う菅直人、鳩山由紀夫、小沢一郎の所業は、正に「あるべき姿」なのだろう。それを言うならば菅や鳩山や仙石は、正に「そんな向き」の筆頭だった。
であればこそ、「国家のためにお人よしになれとは何事だ!」と怒る向きには、木口小平の伝説は「プロパガンダ」であり「軍国美談」としか思えないのだろう。
そんな向きにしてみれば、権力を含め得られる限りの利益を国家から吸収し続けようと言う菅直人、鳩山由紀夫、小沢一郎の所業は、正に「あるべき姿」なのだろう。それを言うならば菅や鳩山や仙石は、正に「そんな向き」の筆頭だった。
それにしても・・・
「友達から『1%になっても辞めるな』と激励された」と現首相が自慢(*1)し・・・・・・
「私が首相のときに『0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなたですよ」と前首相がさらに激励する光景と言うのは、議会制民主主義の怪談と言うべきではなかろうか。
言うまでもないが議会制民主主義では、民意の反映は原則議会の議員選出選挙に拠るから、ある意味選挙と選挙の合間は議員の「やりたい放題」である。少なくとも議員の世論からのある程度の自由を保証する体制である。
だからと言って「『(支持率)1%になっても辞めるな』と言われた。」「『(支持率)0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなたですよ」と首相と前首相が、世論の支持率を無視しようと意気投合している様は、誠に寒心に堪えない。
これが日米安保改訂のような国家の一大事を世論の反発を押し切って決断しようと言う状況ならば、まだ「絵になる」と、許容も出来ようが・・・
おいこら、菅直人!
現政権の維持に、貴方が日本国首相を続ける事に、何の意義があるか、正々堂々と論じて見せよ。
首相と前首相が支持率0%や1%を無視しうると公言するようでは、最早「首相がころころ変わるのは良くないから、菅直人続投」理論は成り立たないぞ。
「友達から『1%になっても辞めるな』と激励された」と現首相が自慢(*1)し・・・・・・
「私が首相のときに『0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなたですよ」と前首相がさらに激励する光景と言うのは、議会制民主主義の怪談と言うべきではなかろうか。
言うまでもないが議会制民主主義では、民意の反映は原則議会の議員選出選挙に拠るから、ある意味選挙と選挙の合間は議員の「やりたい放題」である。少なくとも議員の世論からのある程度の自由を保証する体制である。
だからと言って「『(支持率)1%になっても辞めるな』と言われた。」「『(支持率)0%になっても辞めないでくれ』と言ったのはあなたですよ」と首相と前首相が、世論の支持率を無視しようと意気投合している様は、誠に寒心に堪えない。
これが日米安保改訂のような国家の一大事を世論の反発を押し切って決断しようと言う状況ならば、まだ「絵になる」と、許容も出来ようが・・・
おいこら、菅直人!
現政権の維持に、貴方が日本国首相を続ける事に、何の意義があるか、正々堂々と論じて見せよ。
首相と前首相が支持率0%や1%を無視しうると公言するようでは、最早「首相がころころ変わるのは良くないから、菅直人続投」理論は成り立たないぞ。
<注釈>
(*1) 当人は「自慢ではなく事実だ。」と強弁するかも知れないが、自慢で無ければ詭弁か強弁だろう。