仙谷氏、谷垣氏を批判 ビデオ編集問題 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101028/plc1010281909019-n1.htm
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報じられているのは、尖閣沖で我が海上保安庁巡視艇に体当たり攻撃をかける中国「漁船」を記録したビデオが漸く国会に提出されたが、わずか6分間の映像であることに疑義が呈されていることを受けての、現・官房長官たる千石の発言。
是非ともこの発言を含む記者会見は官邸HPに全文公開してもらいたいものだが、今のところはまだ公開されていないようなので、仕方ないから産経webから引用しよう。 因みに・・・ 首相官邸HP http://www.kantei.go.jp/
是非ともこの発言を含む記者会見は官邸HPに全文公開してもらいたいものだが、今のところはまだ公開されていないようなので、仕方ないから産経webから引用しよう。 因みに・・・ 首相官邸HP http://www.kantei.go.jp/
> ビデオ映像が恣意(しい)的に編集された可能性に言及したことについて
1> 「法律家経験のある人が、
2> 意図的に編集された疑いがあるとか、
3> 検察の捜査のやり方についてはあまり言わない方がいい」
1> 「法律家経験のある人が、
2> 意図的に編集された疑いがあるとか、
3> 検察の捜査のやり方についてはあまり言わない方がいい」
さて、この千石発言からいくつかの事が容易に推論できる。
この発言の主旨は、縦から見ても横から見ても、「卑しくも法律家経験がある者は、検察の捜査のやり方を批判してはならない。」だろう。それ以外の解釈は、少なくとも私には不可能だ。上記2>は検察批判の具体例を示すフレーズでしかないし、上記3>の婉曲表現を直轄的に言えば、上記の主旨にしかなりようがない。
ところで報じられるとおり、千石も、千石が上記発言で非難する谷垣自民党総裁も、元弁護士だ。弁護士の仕事は文字通り被告人の弁護をすることのはずであり、その意味では検察とは「よきライバル関係」であるのが理想だろう。
ところで報じられるとおり、千石も、千石が上記発言で非難する谷垣自民党総裁も、元弁護士だ。弁護士の仕事は文字通り被告人の弁護をすることのはずであり、その意味では検察とは「よきライバル関係」であるのが理想だろう。
言い換えよう。法律家の中で少なくとも弁護士が、「検察の捜査のやり方」に何らかの瑕疵や欠陥を発見したならば、その弁護士はそれを指摘して、検察を非難して、被告人を弁護するのが当然である。
逆に「検察の捜査のやり方」に瑕疵や欠陥を発見しつつそのことを指摘せず非難もしない弁護士が居たら・・・「検察との馴れ合い」と非難されるのが至当だろう。
千石は「辣腕」弁護士であったから、「検察の捜査のやり方」の瑕疵や欠陥を利用して弁護するようなことはなかったのかもしれない(*1)が、「検察の捜査のやり方」が常に完全無欠であるとは限らない以上、そこに瑕疵や欠陥がないかを少なくとも留意するのが弁護士の義務である筈だし、瑕疵や欠陥を見過ごすような事は、法律素人である私が何をどう考えても推奨されるような事ではない。
一体、「辣腕」弁護士だったと言う千石は。いかなる法律論を以って、「検察捜査の無謬性」とも言うべき恐るべき理論を立証するのか。
もし立証できると言うのであれば、その千石流立証は、元「辣腕」弁護士であり現・官房長官である千石が、「検察の走狗」と成り、正真正銘掛け値なし文字通りの「権力のイヌ」に成り果てたことを意味する、としか私には思えないのだが、どう考えるか。
まあ、「正真正銘掛け値なしの権力のイヌ」の方が、「正真正銘掛け値なしの売国奴」よりは、マシな称号には思えるが。
さらには、上記3>で千石が「検察の捜査のやり方」と呼んでいるのは、どう考えても、「今回漸く尖閣衝突ビデオが検察から国会に提出されたこと。」である。他の解釈は、少なくともこの報道記事(*2)からは、これまた私には不可能だ。
で、証拠品となる可能性があった(*3)ビデオを国会に提出する事を「捜査のやり方」と呼ぶのは、一体いかなる場合であろうか。
こう考えてはどうだろう。今回国会に提出されたわずか6分間のビデオが、海上保安庁が撮影したままの全く恣意的に編集されていないビデオ映像であるならば、それを検察が国会に提出すると言うアクションを「捜査」と呼ぶだろうか。
千石自身が認めるとおり、海上保安庁が撮影したビデオは複数あるから、その中の一つを選択すると言うアクションを今回検察は実施している筈である。が、そこに何の意図も、恣意的選択も行なわれていないのならば、それを「捜査」と呼んだりするだろうか。
逆に、編集なり恣意的選択なりを実施して「犯人(*4)しか知りえないような事実」を隠匿し、それ以外の部分を今回国会に提出したとするならば、そこには大いに検察の意図が反映されており、「捜査」と、うっかり呼んでしまうには相応しいのではないか。
以上の推論から、今回報じられている千石の発言は、以下の事を示している。少なくとも私には、そう思えてならない。
(1) 今回国会に提出された6分間のビデオは、恣意的に編集もしくは選択されたものである。
逆に「検察の捜査のやり方」に瑕疵や欠陥を発見しつつそのことを指摘せず非難もしない弁護士が居たら・・・「検察との馴れ合い」と非難されるのが至当だろう。
千石は「辣腕」弁護士であったから、「検察の捜査のやり方」の瑕疵や欠陥を利用して弁護するようなことはなかったのかもしれない(*1)が、「検察の捜査のやり方」が常に完全無欠であるとは限らない以上、そこに瑕疵や欠陥がないかを少なくとも留意するのが弁護士の義務である筈だし、瑕疵や欠陥を見過ごすような事は、法律素人である私が何をどう考えても推奨されるような事ではない。
一体、「辣腕」弁護士だったと言う千石は。いかなる法律論を以って、「検察捜査の無謬性」とも言うべき恐るべき理論を立証するのか。
もし立証できると言うのであれば、その千石流立証は、元「辣腕」弁護士であり現・官房長官である千石が、「検察の走狗」と成り、正真正銘掛け値なし文字通りの「権力のイヌ」に成り果てたことを意味する、としか私には思えないのだが、どう考えるか。
まあ、「正真正銘掛け値なしの権力のイヌ」の方が、「正真正銘掛け値なしの売国奴」よりは、マシな称号には思えるが。
さらには、上記3>で千石が「検察の捜査のやり方」と呼んでいるのは、どう考えても、「今回漸く尖閣衝突ビデオが検察から国会に提出されたこと。」である。他の解釈は、少なくともこの報道記事(*2)からは、これまた私には不可能だ。
で、証拠品となる可能性があった(*3)ビデオを国会に提出する事を「捜査のやり方」と呼ぶのは、一体いかなる場合であろうか。
こう考えてはどうだろう。今回国会に提出されたわずか6分間のビデオが、海上保安庁が撮影したままの全く恣意的に編集されていないビデオ映像であるならば、それを検察が国会に提出すると言うアクションを「捜査」と呼ぶだろうか。
千石自身が認めるとおり、海上保安庁が撮影したビデオは複数あるから、その中の一つを選択すると言うアクションを今回検察は実施している筈である。が、そこに何の意図も、恣意的選択も行なわれていないのならば、それを「捜査」と呼んだりするだろうか。
逆に、編集なり恣意的選択なりを実施して「犯人(*4)しか知りえないような事実」を隠匿し、それ以外の部分を今回国会に提出したとするならば、そこには大いに検察の意図が反映されており、「捜査」と、うっかり呼んでしまうには相応しいのではないか。
以上の推論から、今回報じられている千石の発言は、以下の事を示している。少なくとも私には、そう思えてならない。
(1) 今回国会に提出された6分間のビデオは、恣意的に編集もしくは選択されたものである。
(2) 国会に提出されたビデオが恣意的である事を、千石は承知している。このことは、今回国会に提出されたビデオが、千石の意図に従っている事を示唆している。
(3) 今や官房長官という権力の座にいる千石は、「検察捜査の無謬性」を公言する、権力のイヌと化している。
「語るに落ちる。」
日本語ではそう言うのだろう、我が友よ。
「語るに落ちる。」
日本語ではそう言うのだろう、我が友よ。
<注釈>
(*1) あるいは千石と対峙する事になった検察側が完全無欠な捜査を行なったか。私なら、こちらの可能性のほうに賭けるね。
無論、千石がその健忘症振りを発揮して、弁護士時代に「検察の捜査のやり方」を批判していたことを忘れてるのでなければ、だが。
(*2) 千石が主張するとおり、この報道が産経の「つまみ食い」で、前後の文脈でまったく別のことを言っているということは、一応ありうる。
であればこそ千石は、先行する宣言の通り、記者会見の全文を首相官邸HPに公開すべきである。
であればこそ千石は、先行する宣言の通り、記者会見の全文を首相官邸HPに公開すべきである。
(*3) そう、当該中国「漁船」乗組員及び船長を訴追するならば、だ。彼奴等はのうのうと国外逃亡を果たしているから、先に千石が認めるとおり、その可能性はいまや事実上なくなっている。
(*4) この場合は当該中国「漁船」乗組員及び船長