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 当ブログを丹念に読まれている方(※1)には自明だろうが、私は理系の人間(※2)だ。従って、美醜なるモノはあくまでも恣意的な基準であると、反射的に考える。個人的、感情的、主観的な基準であり、客観的なモノではない。多くの人間が「美しい」と感じ、讃えるモノであってもある特定個人が「美しい」と感じると限らないし、逆もまた真である。
 
 言い換えれば美醜ないし「美しさ」というモノは、数値化、定量化、絶対化できない基準である。・・・・と、理系人間である私は考える。
 
 とは言え、「美しさ」に人を動かす力があるのも事実。それ故に、美学というモノは時に不合理ないし理不尽な判断基準でありながら、しばしば採用される判断基準であり、その美学の採用もまた賞賛される事が多いのだろう。例えば、敵である武田信玄に上杉謙信が塩を送ったという伝説などは、それだろう。
 
 それはさておき・・・
 
 引用した記事は、現在の国会に於ける千石氏の言動を批判した産経の【政論】。「仙谷長官は、自分の姿を鏡に映したことがあるのか」と言うタイトルからも明らかなとおり、産経が非難するのは千石氏の「醜さ」だ。
 無論政治記事で取り上げるのだから、此処で言う「醜さ」は風貌やファッションのことではなく、言説の不一致であり、主張の自己矛盾であり、それらを指摘されても強弁し開き直るばかりの態度であり、一言で言えば「醜悪さ」ということになる。
 
 これでまたぞろ千石氏は産経に「憤慨」するかも知れないが、腹を立てる前に千石氏は国会での質問や産経の指摘に正々堂々と答えるべきだ・・・と言う常識論も、当該記事の冒頭にある通り「(千石氏は)「他者の目にどう見えるか、よほど分からない人なのだ」と得心した。」と言う産経の説が正しければ、効果のほどは期待できない。
 
 中国に阿る、日本国閣僚としてあるまじきほどの、親中と言うより媚中意識を持ち、尚かつこれを公言してはばからず・・・・
仙石氏の極めて奇妙な中国擁護-そして、極めて危険な。  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33794139.html
 
 弁護士であった(※3)にも関わらず、「法律的正当性」の価値を否定して見せ、それをして期されて逆切れしておかしな日本語を使い・・・
仙石氏、産経に怒り―産経の勝ち   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33862407.html
 
 あまつさえ、弁護士だったにも関わらず、「法の前の平等」を定めた大憲章・マグナカルタに反するような「那覇地検の決定」を、少なくとも承認、恐らくは指示している。
司法の自殺1-尖閣領海侵犯中国「漁船」船長釈放に於ける那覇地検の4つの大罪  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33720308.html
 
 産経が報じるとおり、千石氏の言動は不一致があり、矛盾があり、強弁するばかりであり、醜悪である。
 だが、同時にその「醜い」言動の言霊が為せる業なのだろうか、どうにもこうにも千石氏の風貌が私には醜く見えてきて仕方がないのである。
 その千石氏の醜さは、前法相・千葉景子に相通じるモノがある。
 
 無論、千石氏と千葉前法相の風貌を「似ている」と感じ「醜い」と断じてしまうのは、私の感覚であり、恣意的基準だ。
 だが、この両者に類似点を見いだせてしまえるならば・・・タイトルにしたとおり、美醜という「恣意的」基準は、時として本質を突くのでは無かろうか。
  
 醜い飛行機は、時として良く飛ぶが、
  美しい飛行機は、常に良く飛ぶ。
 
 醜い閣僚は、常に短命であることを、期待したくなるな。(※4) 

<注釈>
(※1) 
まあ、そんな奇特な人が何人いるか、或いは存在さえするか、はとりあえず置こう。
 
(※2) そうは言っても「大学入試レベルで技術ブログを書くな。」とつい先日お叱りのコメントを頂いたばかりだが。
 
(※3) それも、産経報道に依れば「辣腕弁護士」であったそうだ。弁護士ってのは、この程度で辣腕になれるのかね。ならば、私も司法試験を受けて、辣腕弁護士に転職するかな。
 
(※4) 「神頼み」とは情けない限りだが。そうそう、こいつの売り物は「反小沢」だったっけ。
 小沢にしても半小沢にしても、ろくな奴らが居ないな。民主党。