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当ブログの「私の歴史観」シリーズ第一弾「私の「歴史観」観」に縷々述べた通り、私は歴史観と言う物は人の数だけあると思っている。従って日韓だろうが日中だろうが日米だろうが、国家観で「共通の歴史観」をも尊いのは愚の骨頂であるし、せいぜい、歴史認識の最大公約数を求められる程度。それでも個人同士ならばまだしも、国家間では、特に「文化的に近い」とは言えしばしば利害の対立する近隣諸国間では、その最大公約数は最小の自然数即ち「1」にしかなるまいと考えている。
私の「歴史観」観 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21076216.html
であればこそ、民主党は仙石官房長官と私の歴史観が異なるのは言わば理の当然であるし、報じられるとおり同じ民主党の枝野副幹事長と異なるからと言って、別に異とするには足らない。
ただ、私は私の歴史観に従い、論戦を挑むのみだ。
私の「歴史観」観 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21076216.html
であればこそ、民主党は仙石官房長官と私の歴史観が異なるのは言わば理の当然であるし、報じられるとおり同じ民主党の枝野副幹事長と異なるからと言って、別に異とするには足らない。
ただ、私は私の歴史観に従い、論戦を挑むのみだ。
報じられる所では、仙石氏曰く。
1> 「古くから中国から伝来した文化が基本となり日本の文化・文明を形成している」
2> 「桃太郎などの寓話(ぐうわ)も中国から取ってきたようなものが多い」
2> 「桃太郎などの寓話(ぐうわ)も中国から取ってきたようなものが多い」
勿論上記1>~2>にも、私は大いに異議がある。上記2>の桃太郎の原型が大陸渡来か否かを判定する材料はないが、一般的に行って仏教にしろ漢字にしろ律令制にしろ、元は大陸渡来ではあっても日本で独自の発達を遂げ、それ以上に日本人が自家薬籠中のものとして己が物にしてしまっている。
猿真似ならず、人真似なり-日本語文字に見る日本人の独創性- http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/25972179.html
況や大陸に於いては中国共産党の一党独裁よろしきを得て、律令制はまあ古い制度だからなくなるのは当然としても、仏教も漢字も壊滅してしまっている。かつては漢字や仏教を伝えた師であったとしても、現共産党政権にはかつての師匠の見る影もないではないか。否、その師匠を殺した殺人犯こそが、現・共産党政権ではないか。言わば「師の仇」である。
猿真似ならず、人真似なり-日本語文字に見る日本人の独創性- http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/25972179.html
況や大陸に於いては中国共産党の一党独裁よろしきを得て、律令制はまあ古い制度だからなくなるのは当然としても、仏教も漢字も壊滅してしまっている。かつては漢字や仏教を伝えた師であったとしても、現共産党政権にはかつての師匠の見る影もないではないか。否、その師匠を殺した殺人犯こそが、現・共産党政権ではないか。言わば「師の仇」である。
3> 「歴史の俎上(そじょう)に載せれば、そんなに中国のことを(悪く)言うべきではない」
この節自体は仙石氏の歴史観を披瀝した物ではないので一先ず置こう。(後述)
4> 「(中国は)清朝の末期から先進国というか英米の帝国主義に領土をむしりとられてというと言い過ぎかもしれないが、割譲されて民族としても国家としても大変、つらい思いをしてきた歴史がある」
此処で仙石氏は大陸に、大陸にだけ同情を寄せている。当時は全地球的に西欧列強による植民地分割が進行していた時期であり、西欧列強以外の殆どの国が「領土をむしりとられ」つつあった時代だ。我が国だって相当に危うい地位に、あわや列強の植民地にされかねない立場にあったと言う事。そこから必死で近代化・富国強兵に勤めたからこそ植民地にだする事を免れた、殆ど唯一の有色人種国が我が国であった事を、仙石氏は全く無視している。
5> 「日本も後発帝国主義として参加して、
6> 戦略および侵略的行為によって迷惑をかけていることも、
7> 被害をもたらしていることも間違いない」
その当時の中国共産党が、せいぜい割拠する群雄の一つでしかなく、その群雄が最終的に大陸を支配できた事には、ライバルたる国民党政権が大陸に出兵した日本軍と戦って疲弊したことが大いに寄与している。言い換えれば、我が国がもたらした被害も迷惑も、現共産党政権にとっては福音であり幸運であろう。少なくとも現共産党政権に感謝される事はあっても恨まれる筋合いはない。
閑話休題(それはさて置き)・・・・
上記の通り私が私の歴史観に基づいて仙石氏の歴史観に挑んだ論戦は、所詮論戦でしかない。言わば、遊びだ。
だが、上記3>にも現れている通り、仙石氏は官房長官と言う政府の要職にあり、自らの歴史観に基づいて、以下のように行動すべきと考えている事は、今回の発言から自明であり、彼が政府の要職にある以上、それは遊びでも冗談でも済まされない。
仙石氏の言うところでは、
(1) 日本の文化はその起源の多くを大陸に持つ。
(2) 日本は先の大戦で大陸を侵略し、迷惑をかけた。
(3) 故に日本は大陸は中国共産党政権のことを非難できない。する資格がない。
(4) さらには、中国共産党政権の、チベットやモンゴルに対する度重なる侵略も、今回の尖閣沖に見るような我が国に対する侵略も、非難できない。
(5) 従って、中国共産党政権は、日本に対しては侵略し放題である。
となる。上記(3)、(4)からすると、(5)は必然であろう。
5> 「日本も後発帝国主義として参加して、
6> 戦略および侵略的行為によって迷惑をかけていることも、
7> 被害をもたらしていることも間違いない」
その当時の中国共産党が、せいぜい割拠する群雄の一つでしかなく、その群雄が最終的に大陸を支配できた事には、ライバルたる国民党政権が大陸に出兵した日本軍と戦って疲弊したことが大いに寄与している。言い換えれば、我が国がもたらした被害も迷惑も、現共産党政権にとっては福音であり幸運であろう。少なくとも現共産党政権に感謝される事はあっても恨まれる筋合いはない。
閑話休題(それはさて置き)・・・・
上記の通り私が私の歴史観に基づいて仙石氏の歴史観に挑んだ論戦は、所詮論戦でしかない。言わば、遊びだ。
だが、上記3>にも現れている通り、仙石氏は官房長官と言う政府の要職にあり、自らの歴史観に基づいて、以下のように行動すべきと考えている事は、今回の発言から自明であり、彼が政府の要職にある以上、それは遊びでも冗談でも済まされない。
仙石氏の言うところでは、
(1) 日本の文化はその起源の多くを大陸に持つ。
(2) 日本は先の大戦で大陸を侵略し、迷惑をかけた。
(3) 故に日本は大陸は中国共産党政権のことを非難できない。する資格がない。
(4) さらには、中国共産党政権の、チベットやモンゴルに対する度重なる侵略も、今回の尖閣沖に見るような我が国に対する侵略も、非難できない。
(5) 従って、中国共産党政権は、日本に対しては侵略し放題である。
となる。上記(3)、(4)からすると、(5)は必然であろう。
上記(1)~(2)は、歴史観の問題であり、歴史観の問題にしか過ぎない。言わば形而上学の問題であって、直接の被害はない。
だが、上記(3)~(4)さらに(5)は、国家観の、国防意識の問題であり、現実に直結している。仙石氏が官房長官と言う政府要職にあり、ときに首相を代行すると言う絶大な権力があるならばなおさらだ。事実、先の尖閣諸島領海侵犯中国「漁船」船長釈放には、政府は否定している物の、政府による政治介入があった疑惑が濃厚であり、その疑惑の中心には仙石官房長官が居るのである。
無論、先述の通り、私は仙石氏の歴史観に全く賛同できない。だが、それ以上に、左様な私には賛同できないような歴史観に基づくとは言え、上記(3)~(4)のように行動しようと言うのは、全く理解できない。「贖罪意識」と言うのが一つ考えられるが、その贖罪が我が国に、我が国のみに適用されて、古くは大陸の元寇、新しくはモンゴルやチベットに対する侵略及び我が国に対するあからさまにして不遜な領海侵犯を実施している大陸、なかんずく中国共産党政権には全く適用されないと言うダブルスタンダードは、ダブルシンクでも使わない限り、理解不能だ。
まあ、私の理解は置くとしよう。所詮は、歴史観からして相容れない仙石氏だ。
問題は、左様な歴史観の元、左様な行動方針を公言できてしまう仙石氏のような人物が、果たして、官房長官と言う政府要職に相応しいか否かだ。
もとより、官房長長官と言う職は公選制ではないから、国民投票で選ばれる訳ではない。
ではあるが、かような歴史観と行動方針を持つ仙石氏が今官房長長官の座にあるのは、昨年夏の衆院選で国民が投票し、現民主党政権への政権交代が実現した、その間接的結果であることは、しっかりと直視しなければならない。
如何に、国民。
だが、上記(3)~(4)さらに(5)は、国家観の、国防意識の問題であり、現実に直結している。仙石氏が官房長官と言う政府要職にあり、ときに首相を代行すると言う絶大な権力があるならばなおさらだ。事実、先の尖閣諸島領海侵犯中国「漁船」船長釈放には、政府は否定している物の、政府による政治介入があった疑惑が濃厚であり、その疑惑の中心には仙石官房長官が居るのである。
無論、先述の通り、私は仙石氏の歴史観に全く賛同できない。だが、それ以上に、左様な私には賛同できないような歴史観に基づくとは言え、上記(3)~(4)のように行動しようと言うのは、全く理解できない。「贖罪意識」と言うのが一つ考えられるが、その贖罪が我が国に、我が国のみに適用されて、古くは大陸の元寇、新しくはモンゴルやチベットに対する侵略及び我が国に対するあからさまにして不遜な領海侵犯を実施している大陸、なかんずく中国共産党政権には全く適用されないと言うダブルスタンダードは、ダブルシンクでも使わない限り、理解不能だ。
まあ、私の理解は置くとしよう。所詮は、歴史観からして相容れない仙石氏だ。
問題は、左様な歴史観の元、左様な行動方針を公言できてしまう仙石氏のような人物が、果たして、官房長官と言う政府要職に相応しいか否かだ。
もとより、官房長長官と言う職は公選制ではないから、国民投票で選ばれる訳ではない。
ではあるが、かような歴史観と行動方針を持つ仙石氏が今官房長長官の座にあるのは、昨年夏の衆院選で国民が投票し、現民主党政権への政権交代が実現した、その間接的結果であることは、しっかりと直視しなければならない。
如何に、国民。