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1.史実:大津事件
 表題にした「大津事件」については些か解説が必要だろう。
 時は19世紀も末、1894年と言うから日清戦争の年だ。時のロシア皇太子、後のロシア皇帝ニコライ2世が日本を訪問した際、滋賀県大津市にて警備の巡査・津田三蔵に突然斬りかかられた、と言うのが事件の発端だ。
 幸いニコライ2世は負傷するが命に別状はなく、津田三蔵はその場で取り押さえられ、現行犯逮捕された。とは言え後のオーストリア皇太子暗殺事件(*1)をも思わせる外国要人に対する暗殺未遂事件。相手は欧州の強国ロシア帝国。こちらはまだ明治維新なったばかりの日本だから、日本中が大騒ぎになったと言うのは、現代からは想像し難いほどだろう。言ってみれば、昨年末に来日した(*2)習ナントカ副主席が、到着早々に空港で警備の警官に撃たれて負傷したなどと言う事態よりももっと深刻な事態だ。
 何しろ帝国主義華やかなりし時代。「民族自決」なんて誰も口にしないどころか概念すら殆どない、「列強と植民地」で世界が構成されていた時代。日本は明治維新によって辛うじて植民地に堕する事を免れていたとは言え、列強と事を構えるなんて考えるだに恐ろしかった時代だ。皇太子負傷の報復に、ロシアが攻めて来ると言うのは、当時極めて現実味のある恐怖であった。(*3)
 時の明治天皇が取り急ぎ負傷したニコライ2世を見舞ったのは迅速且つ適切な対応としても、ロシア皇太子負傷の喪に服して休みになる学校はある、負傷平癒の祈祷を神社仏閣は捧げる、「津田」の姓及び「三蔵」の命名を禁じる条例を出す自治体があり、挙句の果てに日本人としてロシア皇太子負傷の罪を詫びて自決する女性(*4)まで現れるに及んだ。
 
 かかる大事件である事もあり、暗殺未遂犯である津田三蔵を死刑にすべきとの意見は政府内でも非常に強かった。ロシア公使も恫喝的態度で死刑を要求し、その恫喝には恐ろしいまでの実質=戦争と植民地化の恐怖を伴っていた(*5)から政府もまた死刑を要求するところ強く、為に本事件に旧刑法116条大逆罪を適用し、津田三蔵を死刑にするよう求めた。大逆罪は天皇及び皇族に危害を加えた者に対する刑法である。
 
 だが、極々当たり前のことながら、ロシア皇太子は天皇でもなければ皇族でもないのである。
 時の大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は法治国家として法は遵守されなければならないとする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力を断固拒絶し、一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用して無期徒刑(無期懲役)の判決を下した。現憲法で言うところの三権分立、なかんずく司法の独立を、守り通したのだ。
 さらに言えば、その決断は二重の意味で正しかった。ロシアの強硬的態度は武力行使にも賠償請求にも至らなかったし、司法の独立を示した我が国の近代国家としての信頼は上がり、不平等条約(*6)解消の一助となった。

<注釈>
(*1) 
いうまでもないだろうが、この事件が第1次大戦の発火点となった。
 
(*2) で、相当無理矢理天皇陛下に拝謁しやがった、
 
(*3) 忘れてはいけない。当時の日本は独立国であっても列強の端くれですらなく、いわば未だ「植民地候補地」でしかない。核兵器も開発されていないから、日本の植民地化争奪戦で列強同士の世界大戦の恐れはあっても核戦争になる気遣いは全くない。
 10年早い日露開戦と言うのは、ロシアにとっても旨味のありそうな選択であった。それ即ち、我が国の恐怖でもある。
 
(*4) 京都府庁の前で剃刀で喉を突いて自殺し、後に「房州の烈女」と呼ばれた畠山勇子女史。人種差別はなはだしき当時に於いては、その効果は甚だ疑問ではあるが( 「猿のメスが自殺したそうだぜ。猿でも自殺できるんだな。」ぐらいの反応であった可能性は、多分にある。)、その意気や壮とすべきだろう。少なくとも、日本人としては。
 合掌。
 
(*5) それと引き換えに我が方には、近代化しつつあるがまだまだ貧弱な軍隊しかなく、同盟国すらない状態。正に、寒心に堪えない。
 
(*6) これがまた、いやになるほどあったのだから。当時は。
 
2.国家か?法か?―政治主導による超法規は可能か
 大分前置きが長くなったが、大津事件に言及したのは、ロシアの侵略=開戦と言う現実の恐怖に直面しながらも、司法の独立を示し、以って我が国の威信を高めた史実を、実績を述べたかったからだ。
 
 翻って、今般の尖閣領海侵犯及び中国「漁船」船長逮捕を考えてみよう。事態は大津事件とあい通じる部分もある。中国の強硬的態度は、かつて世界を分割しようと言う勢いのあった頃の列強諸国を思わせるような傲岸不遜振りだ。
 
温首相が船長の即時釈放を要求 新華社報道  http://sankei.jp.msn.com/world/china/100922/chn1009221036002-n1.htm
不買運動の恐れも “政冷経冷”懸念強まる 中国頼みの日本経済    http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100921/plc1009212045022-n1.htm
 
 一方で「国内法を粛々と適用」している海上保安庁はじめとする日本の司法の態度もまた大津事件と符合するものがある。それはまた、大津事件が実証して見せた通り、司法の独立の具現化である。それ即ち、大津事件の頃にはまだ確立されず、今の憲法ではその原則に明記され、ほぼ確立されている三権分立の明示である。それ即ち現行憲法の原則に則っている事を示している。
 
 ならば、タイトルにもした通り、その現行憲法の三権分立の原則、司法の独立を破り、政府による超法規的措置、言い換えれば政府による率先した犯罪は可能だろうか。
 結論から言えば、現憲法下での政治主導による超法規措置は可能であり、実績がある。
 卑近な例では先の内閣改造で漸く大臣をお役御免になったものの、この夏の参院選挙で落選して参議院議員でなくなってからも法相を続けていた千葉景子による死刑執行署名拒否がある。確定した死刑を執行するのは法相の署名が必要だが、その死刑は死刑確定後6ヶ月以内に執行されるよう刑事訴訟法で定められているが、法相がその署名を拒否すると言う事は、政府が超法規的措置をこうじていることに他ならない。付け加えるならば、そんな法相が珍しくないからこそ、清々粛々と死刑を執行すると、朝日新聞から「死神」などと呼ばれてしまうのである。そういう意味では、法相は「死神」たる事を、その職務上、要求されている筈なのだが。
 
新民主党気質「法律であっても守らない。イデオロギーは全てに優先する。」-千葉法相、死刑執行署名を拒否-   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33242755.html
 
 大分遡るともう少し大規模な超法規的措置の例がある。今は懐かしYS-11よど号がハイジャックされ、「世界同時革命だ!」とかナントカ言って北朝鮮まで行ってしまった時、ハイジャックした日本赤軍を名乗るテロリストどもは仲間の釈放を要求した。この際、「人命は地球より重い」などと言う迷言と共に政府は超法規的措置を決め、既に服役中のテロリストの仲間を釈放した。
 
 以上のように、「政治主導による超法規的措置」即ち「政府自らの、いわば公認の犯罪行為」は可能であり、実績がある。
 
 では、「政治主導」を掲げる現民主党政権は、その金看板の下に、かつてのハイジャック事件と同様に今回の尖閣領海侵犯中国「漁船」船長に対しても、超法規措置をとるべきであろうか?

3.マグナ・カルタ大憲章―法の前の平等
 とんでもない。と、私は断じて仕舞う。
 
 千葉景子前法相をはじめとする歴代法相による死刑執行署名拒否( 及び千葉法相による恣意的死刑執行、否、私刑執行)も糾弾されるべきであれば、「人命重視」にかこつけてハイジャックに応じた服役囚釈放も糾弾されるべきである。後者は人命がかかっているだけに「止むを得ない」とする考えもあろうが、人命を賭けさせたのはハイジャック犯であり、正真正銘掛け値なしのテロリストだ。テロリスト、なかんずくハイジャック犯とは交渉しないのが原則であり、テロリスト仲間を釈放するなんてのは、論外と言っても良いぐらいだ。
 
 政治的介入による司法の独立の侵犯は、日本国憲法の三権分立を犯すばかりではない。それは法の恣意的適用を認めることであり、法の前の平等に反する物である。法の前には王さえも平等であるとするのは、憲法どころか成文憲法のない英国でさえ憲法の大本として成文化されている大憲章=マグナ・カルタにまで遡れる。
 
 言い換えれば、大津事件にせよ、今般の尖閣領海侵犯中国「漁船」船長逮捕にせよ、政治的介入による司法の独立の侵犯は、法の前の平等の原則を犯し、大憲章=マグナ・カルタにさえ違反する大問題なのである。
 
 私が法律に関して素人であることは断らざるを得ないだろう。法学は教養で齧っただけで、なんら法律的資格は持っていない。だが、その法律的素人から見ても明白な違反であるからこそ、上記のように断じられるのである。

4. 中国船長は断固処罰すべし
 上述の論と本章のタイトルからすれば、私の言いたい事は明らかだろう。
 
 領海を侵犯した上わが海上保安庁の巡視船に体当たり攻撃をかけた中国「漁船」船長は、我が国の法律で断固処理されるべきである。
 
 其処に政治的介入して船長を釈放するなど、もってのほかである。
 それは司法の独立、三権分立を犯し民主主義を危うくするばかりではなく、法の前の平等を危うくし、大憲章=マグナ・カルタにさえ違反しかねず、法治国家と称する資格さえ危うくするものである。
 我が国の民主主義が危機に曝され、法治国家としての体面さえ危うくし、中国の恫喝に屈するのが政治的介入=「政治主導」による中国「漁船」船長釈放である。かかるリスク及びコストに比べれば、中国がちらつかせている交渉や交流の停止だの、不買運動だの、何ほどのことがあろうか。
 
 金を無くすは小さな損。
 友を無くすは大きな損。
 度胸を無くせば、スッカラカン。(*1)

 
 我が政府は、スッカラカンになろうとしていないかと、(*2)私は危惧する。
 
 逆に、度胸と友さえ確保しておけば、金の損など大したことではない。
 
 大津事件の際、我が国には同盟国とてなく弱体な軍隊しかない近代国家の雛だった。
 今、我が国はGNPこそ世界第3位に落ちた物の、世界第3位と言われる海軍と、世界第一位の海軍を擁する同盟国とがある。
 この状態で中国の恫喝に屈し、司法の独立を危うくするならば、我が国の権威は大津事件以前の「植民地候補」にまで落ちるだろう。それでは明治の先人達も浮かばれまい。
 
 政府に、毅然たる態度を求める。
 喩え、(*3)民主党政権であろうとも。

<注釈>
(*1) 
ロバート・A・ハインライン「宇宙の戦士」の中に引用されていた警句だが、何処から引用されていたか、忘れた。
 
(*2) 若しくははなっからスッカラカンであり続けては居ないか、
 
(*3) 自称・人民解放軍野戦司令官殿の支配から未だ脱せぬ