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 「聖哲の国」と言う言葉がある。聖人や哲人の国という意味である。何処ののことかと思いきや、なんとまあ此が驚くべき事に大陸は支那、今の中国のことを指す言葉なのである。

 「驚くべき事」と言うと、怒る人もあるかも知れない。特に大陸は支那の住民からは文句が出そうなところだ。文句の内容もおおよそ見当がつく。曰く、儒家の孔子をはじめとする諸子百家の先哲達は大陸支那ばかりか周辺諸国に影響を与えたし、孫子呉子の兵法は西欧から現代に至るまで通用する部分のある弊履の金字塔であると。日本なぞはその大陸発信の文化の受け皿でしかない、と、息巻く人は日本人でも事欠かないだろう。
 
 確かに大陸は支那がかつて儒教等の文化の発信地だったことは事実だ。我が国の例えば大宝律令なんかに見られる体制が、大陸は支那の律令制を大いに参考にしたのも確かだろう。
 だが、その大陸発信文化の強力な媒体であった漢字自身すら、我が国は自家薬籠中のものとして消化し、さらには昇華しているのは既に記事にしたとおりである。
 
猿真似ならず、人真似なり-日本語文字に見る日本人の独創性-  URL: http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/25972179.html
 
 漢字についてさらに言うならば、今の中国共産党政権は簡字体なる、私に言わせれば妙竹林な文字を作りだし、普及させて、それこそご自慢の中国4千年の歴史を断絶させようとしている。おそらくは狙いは1984で言うところの新語法、すなわち言語そのものによる思想統制であろうが(※1)、その理由は何であれ、将来的にははその中国4千年の漢字文化は、我が日本と自由中国=台湾に生き残るのみとなろう。
 我が国の漢字は、上記記事にもしたとおり国字というのもあるから、少々変則的な漢字文化ではあろうが。全く断絶してしまうであろう大陸よりは、遙かに正当だ。
 
 つまり、漢字一つ取っても我が国は輸入したものを丸飲みにはせずに、租借して、自分のものにしてしまっている。類似の例はインド発祥ながら大陸を通じては行って来た佛教についても言えるだろう。大陸では仏教文化こそ滅ぼされてしまい、チベットの仏教文化すら共産党政権の統治よろしきを得て風前の灯火であるから、此また我が国の仏教文化保護の役割は、日に日に増していることになる。
 
 そうは言っても、漢字も孔子も律令制度も大陸が発祥の文化であり、それを自家薬籠中のものにしたからと言って「ウリナラ」とか何とか言って起源を横取りするような趣味は我が国には一般的にはないから、老子や孔子の生誕の地である大陸は支那=中国を「聖哲の国」と一定の敬意を払うと言うのは、結構一般的な傾向であった。
 
 尤も、黄文雄氏画素の著書で指摘しているとおり、「先哲の示した道、王道政治は大陸では実現されたためしがない。」つまり聖哲が日本或いは海外に輸出したのは思想であって実践ではない、と言うのは、相応の事実だろう。少なくとも、儒家=孔子の王道政治じゃ元寇は説明が付かなかろう。
 
 思想だけで実践がないなら無価値かというと、そんなことはないのであるが、そうは言っても思想だけ輸出して実践はしない何てぇのは・・・共産主義がそうか。かつてのソビエト連邦は共産主義革命によってロシア皇帝の一族郎党を虐殺して成立した「ポスト資本主義=ポスト帝国主義国家」の筈だったが、その理論その思想は大々的に輸出されたものの、ソ連国内でも実現には道遠いまま、20世紀の終わりにその共産主義の本家ソ連が共産党一党独裁というレーニンまで遡る旗印を下ろさねばならなくなった。
 
共産主義を考える1―20世紀の悪夢は、悪夢のまま終わるか?―  URL: http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/31863998.html 
 
 であるならば、かつて孔子老子と言う聖哲達の思想を( 老子は余り輸出していない・・・ヒッピーやヌーディストにその影響と思しきものはありそうだが。)輸出していた大陸=支那=今の中国が、かつて聖哲の教えを輸出しつつ今は未だに共産主義、共産党一党独裁を維持している中国が、聖哲の教えを実践せぬままで居るのは理の当然かも知れない。
 
 だとすると中国=「聖哲の国」が意味するところは、「かつて聖哲がその教えを説いた国。教えを説いただけで、教えを受け入れたことのない国。」であり、特に後半が重要であろう。
 
 閑話休題( それはさておき)
 
 「聖哲の国」なんて言葉を題材に長々と論じたのは、領土領海及び資源に対する野心をいよいよむき出しにしてきた中国の動静を見たからである。

 その一例が尖閣諸島に於ける我が領海に於いて海上保安庁戦に体当たり攻撃を仕掛けた中国「漁船」船長逮捕に対する中国の強硬的態度である。
 
 朝日は社説で「争いの海にせぬ知恵を」と言い、日経は社説で中国に対し対立激化の抑制を求めている。読売は動揺に中国に反日沈静化を求めている。いずれも広義には中国に冷静な、理性的な対応、「大人の対応」を求めるものであろう。
 そこには「聖哲の国」に対する尊敬ないし期待が、相応に込められているように思われる。
 
尖閣―争いの海にせぬ知恵を  http://www.asahi.com/paper/editorial20100909.html?ref=any#Edit1
中国は対立激化を抑える冷静な行動を http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE3E6EBEBE5E4E4E2E0E3E2EBE0E2E3E28297EAE2E2E3?n_cid=DSANY001
尖閣沖漁船衝突 中国は「反日」沈静化に努めよ(9月16日付・読売社説)  http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100915-OYT1T01242.htm?from=any
 
 が・・・甘すぎる。ぬるすぎる
 
 中国が冷静には兎も角、理性的に或いは「大人の対応」を示したことなど、今までに何度あったというのか、皆無に近いではないか。
 外交の基本は国益の追求ではあるが、中国のやり方は嘘も背信も武力恫喝も、核恫喝含めて正に何でもありではないか。
 
 正に、覇者のやり方。これぞ、覇道。
 
 言うまでもないだろうが、覇道というのは、孔子の考え方では、邪道以外の何者でもない。
 
 繰り返すが、中国は「聖哲の国」とも呼ばれる。此は事実だ。
 だがその意味するところは、
 「かつて聖哲がその教えを説いた国。
 教えを説いただけで、教えを受け入れたことのない国。それは現在ではなお非道くなっている。」
である。

<注釈>
(※1) それ以外の利点、例えば文字の電子課が用だとか言うのがあるのかも知れないが、そんな利点は中国政府にしてみれば、思想統制できる利点に比べれば遙かに小さなものだろう。
 忘れてはいけないな。中国政府というのは、共産党による一党独裁であり、政府なんてのは党の所有物なのだ。
 さすがは政権を私物化して恥じない民主党の親玉だな。