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 今回のネタは少々尾篭な話なので、食事中の方などは御遠慮下さい。
 
転載開始=============================================================================
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=132592&servcode=100&sectcode=140
【その時の今日】日帝警察 「1カ月間に便所1500個設置」強圧的命令
  
  地上に都市が出現して以来、糞尿の処理問題は都市生活の代表的な悩みの一つだった。早くから集約農法が発達した東アジアでは、都市と農村が生態的な補完関係を結ぶことで、この問題をやや軽減することができた。幕府時代の日本の江戸では、糞尿を処理する商人がお金を支払って糞尿を片づけたが、貴族のものが平民のものより、男性のものが女性のものより高かったという。
  朴趾源(パク・ジウォン)が『穢徳先生伝』で描写したように、朝鮮時代の漢陽にも糞尿の回収を業とする人が少なくなかった。そのおかげで糞尿問題が深刻になったことはなかった。牛・馬・犬の糞だらけの路上の環境も都市民の糞尿に対する感覚を鈍らせた。
  1920年代半ば以降、都市人口が増加し、郊外地域が産業化されるに伴い、臭いと衛生に対する新たな‘価値観’が形成され、糞尿問題が都市民の関心を集め始めた。住民は当局に糞尿処理人員の配置を増やすよう要求したが、日帝当局は朝鮮人の衛生観念不足に責任を転嫁した。日帝当局は特に、ソウル中心の鍾路(チョンノ)に悪臭が立ち込めるのは大通りの商店に便所がなく、商人が小便壺の中身を路上にむやみに捨てるからだと診断した。
  1932年7月、鍾路警察署は鍾路大路の商店に対する全数調査を始めた。1535戸の商店に便所がないことが確認され、警察は1カ月以内に便所を設置するよう指示した。8月31日、警察はその時まで便所を設置しなかった735戸の商店を摘発、2-3日以内に指示を履行しなければ厳罰に処するという最後通告をした。商店主は慌てて狭い店の隅に粗末な便所をつくり、警察は1カ月間になんと1535個の便所をつくる‘実績’を上げた。
  今なら市民らがむしろ当局に公衆便所を設置しろと要求する状況だが、当時の要求の方向は反対だった。専制政治のもとでは官吏が市民を働かせるが、民主政治のもとでは市民が役人を困らせる。市民の要求はあまりにも多様でよく衝突する。このため民主社会の官吏は傾聴して説得する姿勢を持たなければならない。1500個の便所を作る能力より、1500人の要求を調和させる能力がもっと重要な今日だが、実績だけで官吏を評価する風土は相変わらずのようだ。
  チョン・ウヨン・ソウル大病院病院歴史文化センター研究教授
==============================================================転載完了
 
 半島は中央日報が報じるのは、「日帝支配時代」の話
 都市の人口が増えて(*1)小便壷の中身を専門業者が買って回収すると言う「伝統的な」糞尿処理では間に合わなくなり、大通りに小便壷の中身( つまりは糞尿だ・・・)を捨てると言う、日本人の感覚では( 当時の日本人の感覚でも)暴挙が流行した。
 
> 臭いと衛生に対する新たな‘価値観’が形成され
などと、中央日報は「婉曲表現」しているが、臭いは長いこと嗅いで居れば鼻が麻痺してしまうから「馴れ」の問題と片付けるとしても、都市路上の糞尿は、美観とか衛生感覚とか言う以前に、伝染病の温床であり、健康保険上の大問題だ。それは「価値観」などと言う観念の問題ではなく、疫病と言う実害を伴う都市住民の死活問題だ。
 
 これに対して、報道の曰く、
 
> 住民は当局に糞尿処理人員の配置を増やすよう要求したが、
> 日帝当局は朝鮮人の衛生観念不足に責任を転嫁した
 
繰り返す。「朝鮮人の衛生観念不足に責任を転嫁した。」と報じているのである。
 つまり、「半島人の言うとおり糞尿処理人員さえ増やせば良いのに、日帝のジョッパリ共は誇り高い朝鮮人の衛生観念が足らないと抜かしやがった。」である。
 
 さらに報道の曰く、その日帝警察がソウルは鍾路大路に面した商店を調査の上、
 
> 1535戸の商店に便所がないことが確認され、
> 警察は1カ月以内に便所を設置するよう指示した。
 
そうである。紆余曲折はあったが、
 
> 警察は1カ月間になんと1535個の便所をつくる‘実績’を上げた。
 
そうであるから、兎にも角にも「商店一戸当たり一箇所の便所」は確保したわけである。
 これに対し報道は、
 
> 1500個の便所を作る能力より、
> 1500人の要求を調和させる能力がもっと重要な今日だが、
> 実績だけで官吏を評価する風土は相変わらずのようだ。
 
と皮肉り、記事のタイトルも、
 
> 日帝警察 「1カ月間に便所1500個設置」強圧的命
 
繰り返す。「強圧的命令」である。つまり「我々朝鮮人は便所なんか欲しくなかったのに、日帝の非道な警察が強制的に便所を設置させた!」である。
 
 きっと、愛国的な朝鮮人は、この日帝による便所設置後も小便壷を愛用し、その中身を鍾路大路にぶちまける事で、愛国的抵抗運動を決行していたのであろう。
 
 閑話休題(それはさておき)・・・・
 
 この「日帝警察が強圧的命令で設置させた1500箇所の便所」は「住民の意に反して強制的に設置された」のであるから、菅談話でもまだ不足だ理論に従えば、「無効」ではないのかね
 
 もし「無効」ならば、今からでも遅くはない、ソウルは鍾路大路に面した商店1535戸から便所をなくし、代わりに小便壷を置いて、その中身は「ソウルの中心街」鍾路大路に捨てる事にするべきだろう。そうしないと、日帝支配さらには日韓併合条約を「無効」にする事は出来ないのではないかね。
 
 勿論、実施すればさぞや壮観ではあろう。 
 
 だが、実施して居れば、オリンピックもワールドカップも、ソウルじゃ実施できなかったであろう事は、賭けても良い。
 
 如何に、半島。

<注釈>
(*1) 
ってことは、その「日帝支配下」で都市が発展した、って事の筈だが、そんな事はおくびにも出さず。
  こんな記事が大手を振って学者先生のご高説と新聞にのるようでは、真の日韓友好への道は遠いなぁ。