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序・戦艦と言う絶滅艦種
私のような人間は、戦艦と言う艦種の名前には、ある種の郷愁ないし感慨を感じざるを得ない。
世間一般には戦艦と軍艦の区別さえ曖昧なまま、木造帆走軍艦をさして「戦艦○○(*1)」などと言う噴飯者の表現を許容してしまう者が、社会の木鐸たるべきマスコミ(*2)を含め多々あるのであるが、僅かでも軍艦史を学ん者ならば戦艦と言うのは軍艦の一種であり、既に絶滅した艦種であることは常識である。
軍艦の艦種と言う奴は、時代によっても定義が変遷するし、国によって違ったりもする。同じ時代の同じ国の海軍でも「この艦がこの艦種?」と首をかしげる例も多々ある。卑近な例では米海軍の次世代駆逐艦DDG-1000ズムヴォルト級は現有のミサイル巡洋艦タイコンデロガ級を凌駕する排水量=重さ≒大きさになる計画である。
そんな中にあって比較的定義しやすい艦種が戦艦である。「建造当時最大口径もしくはそれに準じる砲、凡そ12インチ以上の主砲を装備し、相応の防御力=装甲の厚さを兼ね備えた航洋型汽走(ないし機走?(*3) )軍艦」と一応定義できる。(*4)
この定義に従っても、戦艦の登場は19世紀の後半、1860年進水の英国ウオーリア級を以って嚆矢とする。
他方でその終焉はと言うと、第1次大戦で艦隊決戦を起こせなかった時点で戦略兵器としては完了していたとも見なせるが、大戦間の海軍軍縮条約時代では主たる制限目標でもあるし、「主力艦」の地位を失ったのはやはり大東亜戦争(太平洋戦争)劈頭、真珠湾攻撃(*5)とマレー沖開戦(*6)であると考えるのが至当であろう。つまり20世紀も半ばまでだ。
最後の戦艦となったのは米海軍のアイオワ級で、1991年湾岸戦争まで参戦したが、主としてトマホーク巡航ミサイルの発射プラットフォームとしてと、文字通りの「砲艦外交効果」のためであり、かつての主要兵装であった16インチ砲も最早見世物(*7)でしかなくなっていた。
そのアイオワ級も退役して久しい。
ステルス艦体にVLS(垂直発射式ミサイル発射管)詰め込んだアーセナルシップなる物が米海軍で構想されたときは、戦艦を意味する記号BBが付くという話もあったが、構想自体が立ち消えた。米海軍が構想していた排水量3万トンのミサイル軍艦も、ロシアのキーロフ級(満載排水量 24,300t)も、排水量としてはかつての戦艦並だが、何れも「ミサイル巡洋艦CG」とするのが一般的だし、第一、大砲の大きさがまるで足らない(*8)。
つまり、戦艦と言う艦種の寿命は、贔屓目に見ても19世紀後半から20世紀末までの1世紀間ほど。その全盛期は20世紀前半、下手すると日露戦争から第1次大戦までの20年足らずでしかないのである。
にも拘らず、戦艦は軍艦の代表としてイメージされる。傑作行進曲「軍艦」が「鉄の浮かべる城」とイメージするのも、( 作曲当時の時代背景もあろうが)間違いなく戦艦である。
これは恐らくは、戦艦と言うものがある時期最先端技術の塊であり、その設計・製造・配備・運用に至るまで、一国の総力を挙げて取り組まねばならぬ一大プロジェクトであったからであろう。それ故にこそ、当世いろはカルタに「陸奥と長門は日本の誇り」と謳われたのであろう。
<注釈>
(*1) 映画「戦艦バウンティ号の反乱」小説「ナポレオンの夜」など。
(*2) マスコミは、殊に民主主義国家に於いては民主主義の衆愚化に抗する最前線であり、社会の木鐸たるべきである。理想的には。
無論現実は、国民衆愚化の尖兵にして扇動者であると、見なさざるを得ないのだが。
無論現実は、国民衆愚化の尖兵にして扇動者であると、見なさざるを得ないのだが。
(*3) 戦艦の機関としては、レシプロ、蒸気、ディーゼル、ターボエレクトリックがある。ガスタービン艦は無い。
(*4) 無論、突っ込みどころはある。海防戦艦を戦艦と見なすかと言う議論はあるだろうし、此処まで広い定義だと厳密には装甲巡洋艦や防護巡洋艦を含んでしまいそうだ。ドイツのポケット戦艦は16インチ砲が最大であった時代に11インチ砲装備で微妙な位置にある。建造されなかった我が超甲巡は目を瞑るとしても、12インチ砲装備の米装甲巡洋艦「アラスカ」級は看過し難い。
(*5) に於いて停泊していた米戦艦5隻を我が艦載機の航空攻撃で撃沈した事。
(*6) に於いて洋上航行中の英戦艦プリンス・オブ・ウエールズと英巡洋戦艦レパルスを我が陸攻隊の攻撃で撃沈したこと。
(*7) その「見世物」が砲艦外交には必要なのだが。
(*8) つまりは戦艦と主砲の関係は、マンモスと牙の関係に似ているのかも知れない。主砲=牙に特化して進化し、その特化故に潰しが効かずに絶滅した。
1. 昔、わずかばかりの昔。世界は白人の物だと思われていた。困った事にそれは半分ぐらい事実だった。
前述の通り、「戦艦の時代」はほぼ19世紀末から20世紀前半に限定されるが、これは凡そ西欧列強諸国(*1)による全世界植民地化の完成時期に当たる。
「西欧列強による全世界植民地化」と言うと大仰に聞こえるかも知れないが、そもそも西欧史で言うところの大航海時代に於いて、スペインとポルトガルがローマ法王立会いの下、全世界を勝手に分割した15世紀末のトルデシリャス条約( 及びサラコザ条約)に於いてその意図は明白であろう。これら条約については「スペイン、ポルトガルとも必ずしも拘泥していない。」なんて評価もあるが、南米大陸の大半がスペイン語圏に組み込まれ、その中でブラジルだけがポルトガル語圏となっている一事からしても、その影響力は看過すべからざる物があろう。
その後の世界がトルデシリャス条約( 及びサラコザ条約)通りにスペインとポルトガルに分け取りとならなかったのは確かに幸い(*2)であろうが、それは主としてスペイン・ポルトガル以外の西欧列強諸国が世界分割競争に参戦したからである。西欧で言えば主としてオランダ、イギリス、フランス、遅れてドイツ、イタリア。これにロシアとアメリカが加わり、何れも白人主導の下で全世界を分割=植民地化して行った。
「文明化して行った。」とか「西欧の進んだ科学技術を広めて行った。」とか、婉曲表現も可能だろう。が、麻薬や人身売買=奴隷貿易を含む交易であり、西欧諸国に都合の良い作物の強制栽培であり、意図的な交通網の不整備であり、奴隷制度による鉱山強制労働であり、塩や茶はおろか紙にまで至る専売制を含む「文明化」では、その「文明化の恩恵」も( 少なくとも)相当割り引かねばなるまい。
「西欧列強による全世界植民地化」と言うと大仰に聞こえるかも知れないが、そもそも西欧史で言うところの大航海時代に於いて、スペインとポルトガルがローマ法王立会いの下、全世界を勝手に分割した15世紀末のトルデシリャス条約( 及びサラコザ条約)に於いてその意図は明白であろう。これら条約については「スペイン、ポルトガルとも必ずしも拘泥していない。」なんて評価もあるが、南米大陸の大半がスペイン語圏に組み込まれ、その中でブラジルだけがポルトガル語圏となっている一事からしても、その影響力は看過すべからざる物があろう。
その後の世界がトルデシリャス条約( 及びサラコザ条約)通りにスペインとポルトガルに分け取りとならなかったのは確かに幸い(*2)であろうが、それは主としてスペイン・ポルトガル以外の西欧列強諸国が世界分割競争に参戦したからである。西欧で言えば主としてオランダ、イギリス、フランス、遅れてドイツ、イタリア。これにロシアとアメリカが加わり、何れも白人主導の下で全世界を分割=植民地化して行った。
「文明化して行った。」とか「西欧の進んだ科学技術を広めて行った。」とか、婉曲表現も可能だろう。が、麻薬や人身売買=奴隷貿易を含む交易であり、西欧諸国に都合の良い作物の強制栽培であり、意図的な交通網の不整備であり、奴隷制度による鉱山強制労働であり、塩や茶はおろか紙にまで至る専売制を含む「文明化」では、その「文明化の恩恵」も( 少なくとも)相当割り引かねばなるまい。
言い換えれば「大航海時代」から20世紀前半に至るまで、白豪主義或いはWhite Pacificどころか、全世界は白人の物だと、少なくとも白人達=西欧列強諸国は考えており、有色人種の大半もそれを肯定せざるを得ない状態にあった。そうであればこそ第1次大戦は、西欧列強諸国間の戦争でしかないにも拘らず、「the war to end the wars 全ての戦争を終わらせる戦争」などと呼ばれたのであろう。
世界が、白人の物だと思われていた時代。人種差別、少なくとも有色人種差別はあって当たり前、無い方が珍しい時代だ。
世界が、白人の物だと思われていた時代。人種差別、少なくとも有色人種差別はあって当たり前、無い方が珍しい時代だ。
<注釈>
(*1) ロシアもアメリカも含むから、「西欧=西ヨーロッパ」には限らないが。
(*2) 特に、我々有色人種にとって。
2. 地球上で、白人だけが近代兵器(火砲や軍艦)を作り、それらを装備した近代的な軍隊を持った。有色人種は、近代兵器を白人から買うことしか出来なかった。
大航海時代以降の西欧列強=白人による世界分割統治=植民地化を物理的に可能にし、有色人種差別を当たり前にした根拠は、白人=西欧列強が著しく発達させた科学技術による物質文明であり、その一端であるダーウィンの進化論(*1)であった。
特に、家内制手工業を脱して大量生産を可能とした工業は、工業製品としての近代兵器、即ち、銃器、火砲、車両や軍艦等の大量配備を可能とした。
その近代兵器の清華が戦艦である。戦艦は特に大きな火砲と機関を鋼鉄製の艦体に搭載し、その指揮統制には最新鋭の光学機器・電子機器(*2)が必要であり、これらを使いこなす訓練された将兵を必要とした。
その戦艦を、設計まで含めて国産化できた国は少ない(*3)。米、英、日、独、伊、仏、露(ソ連含む)と数えてぴたりと指が止まり、後はせいぜい「墺(オーストリア・ハンガリー二重帝国)」で指折れる程度。(*4)西欧列強の一角にあり、かつては世界を勝手に分割してしまったスペイン、ポルトガルですら戦艦設計・建造国には入っていない。
とは言え、上記の通り戦艦の設計・建造国の大半は、「20世紀初頭にはほぼ全世界をその膝下に従えた」西欧列強が占めている。
その戦艦を、設計まで含めて国産化できた国は少ない(*3)。米、英、日、独、伊、仏、露(ソ連含む)と数えてぴたりと指が止まり、後はせいぜい「墺(オーストリア・ハンガリー二重帝国)」で指折れる程度。(*4)西欧列強の一角にあり、かつては世界を勝手に分割してしまったスペイン、ポルトガルですら戦艦設計・建造国には入っていない。
とは言え、上記の通り戦艦の設計・建造国の大半は、「20世紀初頭にはほぼ全世界をその膝下に従えた」西欧列強が占めている。
<注釈>
(*1) の曲解。ダーウィンの進化論であろうが、ホモ・サピエンス=人類と言うのは白人から有色人種まで含むはずだ。
(*2) まだ、無線機ばかりで、ソナーもレーダーも無いが
(*3) 設計は外国にやらせて「ライセンス国産」できた国はスペインのみ。それだけ、設計・製造に国力や技術が必要な工業製品だったということだろう。
(*4) 海防戦艦を入れればもう少し増えるが、それでも十数カ国にすぎない。
3. 独り、日本人を除いては。
例外もある。
我が日本だ。
我が国は、戦艦を自国で設計製造できた数少ない国の一つであり、有色人種の国としては唯一である。
「奇蹟の建艦」で記事にした通り、20世紀初頭、日露戦争の頃には我が国は戦艦を建造できず、外国から買うしかなかった。とは言え、戦艦より小さな軍艦は着々と国産化を進めた。
奇跡の建艦-日清戦争から六六艦隊-1 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/24698304.html
我が日本だ。
我が国は、戦艦を自国で設計製造できた数少ない国の一つであり、有色人種の国としては唯一である。
「奇蹟の建艦」で記事にした通り、20世紀初頭、日露戦争の頃には我が国は戦艦を建造できず、外国から買うしかなかった。とは言え、戦艦より小さな軍艦は着々と国産化を進めた。
奇跡の建艦-日清戦争から六六艦隊-1 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/24698304.html
さらに、日露戦争後、遂に日本は戦艦の国産化に成功する。初の国産戦艦とされる「薩摩」は当時世界最大の戦艦でありながら、イギリスが開発した画期的な戦艦ドレッドノート級(*1)の出現により、竣工前に「準弩級戦間=旧式艦」にされてしまったが、薩摩の設計自体は我が国独自の物であり、ドレッドノート級のような画期的設計には欠ける物の、見るべきものがある。
さらに、程なく国産弩級戦艦「摂津」を建造している。
戦艦「摂津」の国産建造は、我が国の建艦能力が世界のトップレベルに躍り出た事を意味する。たった4隻の黒船=鋼製蒸気推進艦を見て腰を抜かし、「夜も眠れなかった」我が国が、だ。
さらに、程なく国産弩級戦艦「摂津」を建造している。
戦艦「摂津」の国産建造は、我が国の建艦能力が世界のトップレベルに躍り出た事を意味する。たった4隻の黒船=鋼製蒸気推進艦を見て腰を抜かし、「夜も眠れなかった」我が国が、だ。
戦艦はその後、12インチ砲装備の弩級戦艦からさらに14インチ砲装備の超弩級戦艦に発展し、我が国でも超弩級戦艦として「扶桑」級、「山城」級を国産建造した。つまり、我が国は国産弩級戦間「摂津」で建艦能力建艦技術で世界のトップレベルに追いついたばかりか、その後の建艦技術の発達にも、しっかり追随していた訳だ。
第1次大戦は弩級戦艦と超弩級戦艦とによって戦われ、第1次大戦前から第1次大戦中は英独を中心とした未曾有の建艦競争の時代となった。
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33258292.html へ続く
第1次大戦は弩級戦艦と超弩級戦艦とによって戦われ、第1次大戦前から第1次大戦中は英独を中心とした未曾有の建艦競争の時代となった。
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33258292.html へ続く
<注釈>
(*1) 中間砲を廃止して主砲を増やし、蒸気タービンを採用する事で、従来の戦艦の2倍の火力と十分な防御力と高速力を同時に実現した戦艦。弩級戦艦とも言う。本艦により、弩級戦艦以前の全ての戦艦を旧式にしてしまい、「弩級戦艦(以上)でなければ戦艦ではない。」と言う状態を作り出した、画期的戦艦。