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「理想は共通の歴史教科書」 岡田外相が韓国紙に  http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100714/kor1007141241002-n1.htm
2010.7.14 12:40
 
このニュースのトピックス:韓国
 14日付の韓国紙、東亜日報と中央日報は、岡田克也外相との書面インタビューの内容を掲載し、岡田外相が「将来のことだが、日韓共通の歴史教科書をつくることが理想的だ」とあらためて述べたと報じた。
 両紙によると、岡田外相は、今年が植民地支配が始まった日韓併合100年に当たることに関連し「韓国の人々にとって国を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた(出来事)」とした。2月に訪韓した際の日韓外相会談後の共同記者会見でも、同様の見解を示していた。
 また「日韓両国は政治、経済、文化だけでなく、安全保障や防衛分野でも協力を考えるべき段階だ」と指摘。日韓経済連携協定(EPA)締結交渉の再開の必要性も強調したという。(共同)
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1.「私の「歴史観」観」
 
 「私の歴史観」シリーズ第一弾「私の「歴史観」観」の冒頭で述べた通り、私は、歴史観と言う物は人の数だけあると思っている。
 
 歴史観・歴史認識は社会観・社会認識共々「他を見て己を知る」自己認識の二本柱であり、その「他」を時間軸にとったのが歴史認識であり、空間軸にとったのが社会認識であると考えるから、自己認識の根幹である。従って、そうやたらと他人様に合わせたり同調したりなぞ出切るモノではないと考えている。
 
私の「歴史観」観   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21076216.html
 
 無論、特に時間軸に「他」をとった歴史認識・歴史観の方は教育や文化、環境の影響を受けるから、これらに共通部分の多い同国人とはあい通じることがあるだろうし、外国でも昔は同じ国だった国の方が共通する部分がある可能性はある。
 だが一方で、個々人の自己認識と不可分ですらある歴史認識が、かつては同じくにとは言え今や別の国、別の歴史を刻んでいる外国と「共通に出来る」と考えるのは早計というより狂気の沙汰と言うべきだ。今や「同じくに」であるかつての東西ドイツ人の間にだって相当な歴史認識ギャップがあるだろうし、「今は別の国」である韓国と北朝鮮、中華人民共和国と中華民国が「共通の歴史認識を持つ」のには、1984張りの強制と思想統制が必要であろう。
 
 それは、民主主義とは相容れないものである。
 
 であると言うのに・・・報じられているのは「民主」党員にして「民主」党政権発足以来の外相を勤める岡田氏の発言。
 
> 「将来のことだが、日韓共通の歴史教科書をつくることが理想的だ」
 
 あらためて言うまでもないだろうが、歴史教科書と言うのは、歴史教育の基本的教材であり、その国のその国民の歴史認識の最大公約数を示す物である。
 
 それを「将来のこと」即ち今すぐではないにせよ、日韓共通にしてしまうと言うのは、私に言わせれば愚挙と言うより暴挙である。それを「理想的」としてしまう岡田外相は、一体何を考えているのか。

2.「共通歴史認識」の例:日中共同歴史研究の惨状
 
 無論、先にあげた「歴史認識は人の数だけある。」と言うのは私の持論であり、私の持論にしか過ぎない。私は人よりは歴史に詳しい歴史マニアではあろうが、職業としての歴史学者ではなく、いわば歴史学の素人だ。
 
 ならば、歴史研究を職業とし、歴史研究にその生涯を捧げている( 筈の)歴史学者の間ならば、真摯真剣な学問的議論討論の上で、国境を越えた共通の歴史認識は容易なのであろうか。
 
 とんでもない。
 
 格好の事例がある。「歴史認識問題を政治から切り離し、日中の関係改善に舵を切る」をキャッチフレーズに実施された日中歴史研究である。以下の記事にまとめているが、日本側が政治的譲歩を迫られ、決裂回避の為に「最低限の両論併記。大筋中国側の歴史観に押し切られた」格好になっている。かつてあった「教科書問題」と同様、「歴史認識問題を政治から切り離し」どころか政治問題として日本側にとって悲惨な妥協点を強いられたに過ぎない。
  
中国共産党政権は真理省を目指す―「日中歴史研究」によせて―   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%CE%F2%BB%CB&sk=0
【日中歴史研究】舞台裏は…決裂回避で「苦渋の譲歩」http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312245012-n1.htm
 
日本が侵略認めると強調 中国紙、歴史研究で 
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100201/chn1002011304003-n1.htm
【日中歴史研究】中国で報告書報じるNHKニュース番組中断 http://sankei.jp.msn.com/world/china/100131/chn1001312248003-n1.htm
【主張】日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010321006-n1.htm
 
 これらで大いに取り上げられているのは日中の共同歴史研究であるが、ほぼ同時期に日韓の共同歴史研究も実施され、大同小異な竜頭蛇尾と言うか羊頭狗肉と言うか、掛け声倒れの「日韓共通の歴史認識なぞ、少なくとも現状では不可能」と言う結果に終わっている。
 少なくとも、日中だろうが日韓だろうが、外国と共通の歴史認識を持ち、共通の教科書を定めると言うのは、極めて困難である事が、あらためて実証されている。

3.個々人でさえ異なる歴史観を、外国と共有する事の意味
 
 報じられている岡田外相の発言は「将来的には」と限定する事で、「現状では不可能でも、将来的には可能となる( かも知れない)」との含みを(*1)持たせている。

 C.H.ツィオルコフスキー曰く、「今日の不可能は、明日、可能となる。」と、岡田外相はそんな「明日への希望」に基づいて報じられている発言をしたのかも知れない。であるならば、岡田外相が抱いている「明日への希望」とは何であろうか。
 
 言い換えれば、外国と共通の歴史教科書を使える、外国と共通の歴史認識を持つとは、如何なる状況であろうか。
 
 私の想像力の可能な限りでそんな状況は、例えば全地球統一政府・統一文明世界ぐらいしか思い浮かばない。ジョン・レノンの歌「Imagin」或いは水木しげるの「千年王国」の世界だ。
 
 つまりはそれだけ誇大妄想的な世界である。
 
 それはそうだろう。個々人でさえ異なる歴史認識を、歴史教科書と言う最大公約数とは言え、外国と共通化できるような世界には、共通の文化が必要であり、それは必然的に共通の政府を必要とする。通貨をユーロに統一したEUヨーロッパ共同体ですら「歴史教科書共通化」には程遠い事実が、そのことを示している。EUの相当部分はかつてフランク王国であり、大部分はローマ帝国であり、ほぼ全域がキリスト教圏であってすらそうなのだ。

4.岡田外相は、侵略者である。
 
 無論、岡田外相はジョン・レノンでも魔君(*2)でもない。岡田外相がとなえるのは、「日韓共通の教科書」にしか過ぎない。
 だが、それを可能にするのは日韓のある程度共通の歴史認識であり、その背景には日韓共通の文化、それもEU以上の強固な共通文化が必要である。
 
 その強固な文化は、恐らくは、共通の政府を必然とする。EUですら、通貨は統合しているのだから。
 
 これ即ち、日韓再併合ではないか。
 
 従って、岡田外相が「将来の理想」として描いているのは、日韓統合であり、日韓再併合であると推定できる。それは「理想」と言うぐらいだから、平和的かも知れないし、合意的かも知れない。
 
 だが私ならそんな日韓再併合を、侵略と呼ぶ。思想侵略、文化侵略と。
 
 百済・任那の時代ならば、半島と日本の統合は上手くいったかも知れない。だが、その後半島と我が国が歩み、刻んできた歴史や文化は余りに異なる。であれば故粗、先の日韓併合も、少なくとも平和的であったというのに上手く言ったとは到底言えない。
 従って岡田外相の夢見る日韓再併合は、片方による他方の支配=侵略にしかなりえない
 
 日本による韓国の侵略か、韓国による日本の侵略かは、判然としないところがあるが、岡田外相が侵略を教唆している事に違いはない。
 
 故に、断言する。
 
 岡田外相は、侵略者である。
  更に言えば、日本を韓国に売る、売国奴にして侵略者である可能性すらある。
 
注釈>
(*1) 
或いは「逃げ」、予防線、言い訳を
 
(*2) 水木しげる「千年王国」の主人公。「救世主」。「世紀末」はつかない。