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【はやぶさ】カプセルが相模原到着「新生児のままという感じ」 http://sankei.jp.msn.com/science/science/100618/scn1006180854001-n1.htm
2010.6.18 08:49
 
小惑星探査機「はやぶさ」試料回収カプセルがJAXA相模原キャンパスに到着=18日午前、神奈川県相模原市のJAXA相模原キャンパス(鈴木健児撮影) 地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」のカプセルが18日未明、相模原市の宇宙航空研究開発機構相模原キャンパスに到着した。
 プロジェクトマネジャーの川口淳一郎宇宙機構教授によると、カプセルは大気圏突入時の熱の影響も軽微で、外観は組み立てられた当時のまま。内側には、組み立てに当たった約20人の名前を印刷した名刺大のカードが、テープで張られた当時の状態で残っていたという。川口教授は「ぼろぼろになって帰ると思っていたが、新生児のままという感じ。タイムカプセルのようで、驚き」と話した。
 宇宙機構は収納容器をエックス線で検査して、開封方法を検討。施設で容器を開封し、小惑星「イトカワ」の砂が入っているかどうかを確認する。砂が入っていれば、太陽系の進化の過程を探る極めて貴重な試料になるという。
 
 

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 報じられているのは、先頃流星となって凱旋したJAXA( 元宇宙研)の小惑星探査機「はやぶさ」が「最後の力を振り絞って」豪州はウーメラ砂漠に投下・命中させた回収カプセルの日本到着。
 
 「最後の力を振り絞って」と言うのは、比喩と言うより半ば感情或いは思い込み思い入れであって、事実とはいい難いかも知れない。「小惑星探査機「はやぶさ」はモノでしかないのだから、精神も魂もありようがない。」と言うのは物理的には全く正しい考え方であると言うのには私も同意しよう。
 
 巷間、少なくともその一部で「はやぶさ」に人気があり、満身創痍の少女姿で「初めての御遣い」に喩え、ヴィジュアル化されているのも知っているし、一方で「たかがモノを擬人化したりするのは、精神的に病んでいる。」と言う批判も散見される。
 
 だが、完全に物理学的・合理的視点に立ったとしても、数多のトラブルを克服し、最後のミッション=回収カプセルの地球着陸を成功させたと言う事実は、「最後の力を振り絞って」と言う表現に十分値する。
 
 「擬人化」或いは「あたかも魂ある者かのごとく扱う」点に関しては、全知全能なる唯一絶対神を奉じる西欧キリスト教世界(※1)ならいざ知らず、基本的に天照大神から便所の神様竈の神様まで居る八百万の神に取り巻かれた我が日本及び日本人に於いては、「物に魂を見出す」アニミズムは特に珍しいものではない。
 
 従って我が国では、小惑星探査機「はやぶさ」を擬人化しようが、魂を持たせようが、精神的に病んでいるとは思わないし、病む恐れがあるとさえ、私には思われない。
 
 「信ずる者は救われる。」と聖書にはあるそうだが、信ずるのも人ならば、救われるのもまた人である。
 同様に、物理的には生命であろう筈がない小惑星探査機「はやぶさ」に「魂」と言う生命の象徴を見出すのも、人のなす業であり、人でこそなせる業である。
 
 人は、人の業を為すまでであろう。
 
 「神様は上から見ているだけで良い。
  手は、出・す・な。」-寺沢武一「コブラ」-
  
 閑話休題(それはさておき)
 
 小惑星イトカワの欠片が入っている「かも知れず」、期待がかかる「はやぶさ」の遺児(※2)・回収カプセルであるが、続報に依ればX線検査の結果では残念ながら中身は確認されず、0.3mm以上とも1mm以上とも報じられているがある程度以上の大きさのもの、石ころなどは入っていないらしい。
 
はやぶさのカプセル、粒子見えず エックス線検査で  http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010061801000897.html
 
 「残念ながら」と表現するのは、些か酷な気がする。「其処まで幸運ではない事に」程度の表現が至当であろう。何しろ「はやぶさ」は、間違いなく小惑星イトカワに着陸した後、帰還=凱旋(※3)したのであるし、宇宙開発のような最先端技術開発は「失敗の歴史」であり、「失敗から何を学ぶか」が勝負と言う側面が強い。それを失敗の(※4)言い訳に使う事は戒めるにしても、レンホウ式仕分け論理や、効率論では割り切れないと考えるべきだろう。
 
 とは言え、上記で報じられるX線検査とて、回収カプセルの中にある程度以上の大きさのものがないと確認されたのみである。ある程度以下の小さなもの、砂粒やほこりのようなものならば、まだ入っている可能性がある。それは「追加ボーナス」と考えるべきものではあろうが、入っていて欲しいと、願うばかりである。

<注釈>
 
(※1) この点じゃ、回教世界も同様だから、其処でもそうなのだろうか。
 
(※2) これまた擬人化され、感情をこめられた表現ではあるが。
 
(※3) これも擬人化的・感情移入表現だが。
 
(※4) 今回の「はやぶさ」にしても、凱旋までにいくつも失敗を繰り返し、その幾つかを克服したからこその、凱旋である。