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「キャッチ=22」と言う小説がある。ジョーゼフ・ヘラーが1961年に発表した小説だそうで、1970年には映画化もされているそうだから、相当売れた小説なのだろう。
急いで告白してしまうが、私はこの小説も読んでいなければ、映画も見ていない。ただ、映画の紹介は読んでおり、それ以上に「キャッチ=22」と言う比喩が有名なので知っている。原題の"Catch-22"の意味するところは「軍規第22項の陥穽」であり、次の様な軍規だと言う。( 例によって適当なところで切って番号をふった。)
C1> 精神異常になった者は、自ら請願すれば除隊できる。
C2> ただし、自分の精神異常を意識できる程度では、精神異常とは認められない。
この軍規により、「俺は精神異常になった」と申告しても上記C2>によって精神異常と認められず、除隊は認められない。
一方「俺は精神異常ではない」と言う者は、上記C2>に従って本当は精神異常である可能性を認められるが、「自らの精神異常を理由に除隊を請願」はできないので上記C1>は適用されず、そもそもこの「軍規第22項」の適用外である。従って、やはり除隊は出来ない。
何れにせよ、精神異常を理由としての除隊は出来ない、と言うことである。
「キャッチ=22」とは、かようなジレンマ、パラドキシカルな状況を表す比喩であり、小説・映画は第2次大戦の米軍爆撃隊を舞台にそんな「キャッチ=22」的状況をシニカル描いたものだと言う。
閑話休題(それはさておき)。
報じられているのは、鳩山首相の国家公務員合同初任研修での訓示。父が大蔵官僚であったことを引き合いに出し、新官僚をヨイショしたと言う。鳩山首相がヨイショするモノにろくなモノがあった覚えがないので、私がその場にいたならば直ちに「警戒警報発令!」となっただろうが、次の一節では警戒警報どころではなさそうだ。
1> 「トップの首相が大ばか者であれば、そんな国が持つわけがない」などと強調。
2> 政治主導をうたう現政権の優秀さをさりげなくアピールしていたが、
3> 指導力不足を指摘される首相の言葉に、新官僚たちも複雑な表情をうかべていた。
私がその場に居たならば、「複雑な表情」では済みそうにない。
思わず吹いてしまい、そのまま大笑いした可能性が高い。
何しろ鳩山首相は、「トップの首相が大ばか者であれば、そんな国が持つわけがない」と訓示する事で、「政治主導をうたう現政権の優秀さをさりげなくアピール」したと言うのである。
繰り返す、「現政権の優秀さ」である。
平たく言えば、「私・鳩山由紀夫は、首相だが大ばか者ではない。」どころか「私・鳩山由紀夫は、首相の大任に耐えるほど優秀です、利口者です。」と公言したのである。さりげなくアピールどころではない。
思わず吹いてしまい、そのまま大笑いした可能性が高い。
何しろ鳩山首相は、「トップの首相が大ばか者であれば、そんな国が持つわけがない」と訓示する事で、「政治主導をうたう現政権の優秀さをさりげなくアピール」したと言うのである。
繰り返す、「現政権の優秀さ」である。
平たく言えば、「私・鳩山由紀夫は、首相だが大ばか者ではない。」どころか「私・鳩山由紀夫は、首相の大任に耐えるほど優秀です、利口者です。」と公言したのである。さりげなくアピールどころではない。
厚顔無恥とはこの事ではないか。いや、「無知は力である。」と言うべきか。
鳩山首相に対し、「無知無能無定見無方針無理解且つ優柔不断なコンニャク野郎」と言う称号を奉っているのが当ブログである。上記のうち「無定見無方針」「優柔不断なコンニャク野郎」と言う部分は「大ばか者」と直結はしないが、「無知無能」「無理解」と言うのは直結する。早い話が、私は鳩山首相のことを「大馬鹿野郎」と談じており、それ以上の痛罵を、売国奴だとか、侵略者だとかと浴びせているのだ。
その鳩山首相が、偉そうに「トップの首相が大ばか者であれば、そんな国が持つわけがない」等と訓示するのを目の当たりにした日には、私なら次の様に言わざるを得ない。
「その説には完全に同意する。
歴戦の古参軍曹の胸に恐怖をぶち込む事ができるのは、無能な指揮官の指揮下で戦っていると言う事実のみである。
故に、鳩山首相は即刻辞任すべきである。解散総選挙ならばもっと良い。
何なら、この場で腹を切ってくれてもかまわない。介錯仕ろう。」
残念ながら新大蔵官僚の中にはそれほどの大見得を切る者は居なかったようだ。
報じられている鳩山首相の訓示から、判明する事が幾つかある。
その鳩山首相が、偉そうに「トップの首相が大ばか者であれば、そんな国が持つわけがない」等と訓示するのを目の当たりにした日には、私なら次の様に言わざるを得ない。
「その説には完全に同意する。
歴戦の古参軍曹の胸に恐怖をぶち込む事ができるのは、無能な指揮官の指揮下で戦っていると言う事実のみである。
故に、鳩山首相は即刻辞任すべきである。解散総選挙ならばもっと良い。
何なら、この場で腹を切ってくれてもかまわない。介錯仕ろう。」
残念ながら新大蔵官僚の中にはそれほどの大見得を切る者は居なかったようだ。
報じられている鳩山首相の訓示から、判明する事が幾つかある。
(1) 鳩山首相は、首相が国のトップであり、首相が大馬鹿者では国が滅びると言う認識を持っている。これは常識的な認識だとは思うが、何しろカミさんが大自然豊かな金星に行ってしまったり太陽を朝食に頂いたりしてしまう首相であるから、かかる常識的な認識であっても貴重である。
(2) 上記(1)は喜ばしい事ではあるが、同時にこの訓示からは、首相は自分自身のことを「大馬鹿者とは考えていない。」どころか「利口者と考えている」と言うことが読み取れる。
(3) 上記(2)の鳩山首相の意識が意味するところは、私が「大馬鹿者」と断じる鳩山首相が、自らを省みて「大馬鹿者」と言う状態から脱出する可能性は、ほぼ皆無であると言うことである。
即ち、鳩山首相の、「昨日言っていたことと今日言っている事が違い、その違いを釈明も弁明もする事なく、明日は何を言い出すのかわからない。」と言う状態は、改善される可能性が殆どないということである。
即ち、鳩山首相の、「昨日言っていたことと今日言っている事が違い、その違いを釈明も弁明もする事なく、明日は何を言い出すのかわからない。」と言う状態は、改善される可能性が殆どないということである。
さて、冒頭に英語圏では相応にメジャーらしいが、日本ではマイナーも良い所の「キャッチ=22」なんて小説・映画を掲げた理由がお分かりだろうか。無論、私がこの鳩山首相訓示に「キャッチ=22」を連想したからこそ掲げたのではあるが・・・
私は、上記に掲げた「軍規第22項」の後半、上記C2>は正しいと思う。
「俺は気が狂った。」と言える内は、まだ正気とは言わぬまでも、正気が残っている、とは言えると思う。
逆に「俺は気が狂っていない。」と言う者の中には、本当に気が狂った者が含まれるだろう。その比率は相応に低いものであろうと、期待するが。
では、「俺は利口者だ。」と思っている、思い込んでいる者はどうだろうか。
「俺は利口者じゃない/じゃないかもしれない。」と思っている者よりも、問題意識が無い分、改善・向上の可能性が低いだろう。
それでは、気が狂っていながら「俺は利口者だ」と思っている、思い込んでいる者はどうだろうか。事態は悪化するだろう。
その者の地位が、権力が、高ければ高いほど、更に状況は悪化する。
その者が日本国首相ともなれば、事態はほぼ最悪状態と言ってよい。
私は、日本の現状が、鳩山首相が、その最悪状態にあるのではないかと懸念する。
新大蔵官僚諸君がこの訓示をどう聞いたかは知らない。さして関心もない。
だが、国民がこの訓示を、この訓示をした鳩山首相を、どう考えるかには大いに関心がある。
如何に、国民。