(2.)私見「共産主義概史」
冷戦華やかなりし頃、アメリカにレーガン政権が誕生し、「強いアメリカ」を標榜して、軍事力の増強に力を入れ始めたとき、冷戦のもう一方の雄=共産圏の親分=ソ連(当時)は、「反共十字軍だ。」とレーガン政権を非難した。第二次大戦の欧州戦域を司令官の立場から著作にしたアイゼンハワー(後に米大統領)の「ヨーロッパ十字軍」を敷衍した表現だろう。勿論さらに遡れば、「回教徒からの聖地解放」を標榜していた中世西欧諸国の十字軍を引き合いに、その反共=強硬姿勢を非難したものだろう。
所が、共産主義、少なくともマルクスが唱えたときの共産主義には、少なからず「反資本主義十字軍」と言う特質があった。従ってその共産主義を奉じる共産圏、なかんずくその大親分・ソ連がアメリカに対し「反共十字軍」などと言うのは、私には笑止千万と思われた。
左様、「反資本主義十字軍」である。資本主義の黎明期(*1)、19世紀末から20世紀初頭。大規模な工場が蒸気機関や水力で大量生産をはじめ、家内制手工業を圧迫し始めた頃。「行き過ぎた自由放任主義」の下に会った資本主義は、富の集中と偏在を、少なくとも世界の一部(*2)で引き起こしていた。
これを「労働者の資本家による搾取」と捕らえたのが共産主義である。少なくとも私はそう理解している。
原材料を加工して製品にすれば、高い値段で売れる。これは「付加価値がついた」のだが、その付いた付加価値は、工具や機械や或いは工場等の「生産手段」を動かしている労働者のものであり、「生産手段」を提供している資本家は、労働者の稼いだ付加価値を横取り=「搾取」しているのである、と言う理屈だ。
その「搾取」をなくすために、資本家を追い出し(*3)「生産手段」を国有にして、労働者に提供すれば、「労働者の天国(*4)」が出来上がる(筈)という寸法だ。
最初に「共産化」したソ連が、共産党を与党としながら共産主義体制と決別して久しい現在の目からすれば、突っ込みどころはいくらもある。例えば、「生産手段」が酷く高価な場合、或いは機械か化学プラントのように「原料と動力を供給し、労働者は監視していれば製品が出来上がる」場合、付加価値の全てを労働者に還元せずとも、その「生産手段」を提供する者に分け前を与える(比率の程は「労使交渉」によるとしても)事はあって良いはずだし、「生産手段」の国有化は良いこと尽くめではなく、多くの場合「生産手段」の非効率化を招いている。また根源的なところでは、Starship Troopersでロバート・A・ハインラインが指摘している通り、「労働力を投じたからと言って、付加価値が高まるとは限らない。下手な料理人は、そのままでも食える食材を喰えないものにしてしまえる。」のである。また、労働の質、生産効率を問うても良い。熟練工や「匠」ならば短時間に数多くの高品質な製品を完成しうるが、未熟な工員では長時間かけて少数の且つ品質の低い製品しか完成しないから、投ぜられる労力に対し付加される価値は少なくとも変動する。
だが、この共産主義が相応に「受けた」。特にロシアに共産主義革命起こり、共産党一党独裁によるソビエト連邦が20世紀初頭に成立し、かつ資本主義側がBlack Mondayによって大恐慌時代に突入し、資本主義や市場経済に多大な疑問が発生した頃には、「共産主義を信じない者は、知識階級でも人道主義でもない( つまりは野蛮人が人非人だな)。」と言わんばかりの勢いだったという。
後から考えれば、この頃が最も「共産主義の脅威」が高まった時代であった。それは軍事的な脅威と言うよりもむしろ、政治的・内面的或いは道徳的な脅威でさえあった時代だろう。「資本主義市場経済を以って成り立っている我が国(*5)でも、共産主義革命が起こるかもしれない。」と真剣に憂い、或いは期待された時代。
であればこそ、共産主義国家「第一号」たるソ連も、「国際共産主義=インターナショナル(*6)」なんてぇ旗を上げたり下ろしたりしているのだろう。言い換えれば、「国際共産主義=インターナショナル」は「反資本主義(十字軍)」を標榜し、また「反資本主義」であることをある意味、期待されていた。
その「資本主義対共産主義」の図式が「崩れた」少なくとも棚上げにされたのが、第2次大戦だろう。ナチス党即ち「国家社会主義労働者党」に率いられたドイツ第3帝国に端を発する第2次大戦は、独ソ開戦以降、共産主義ソ連と連合国=米英の協力体制を出現させた。対する枢軸国=日・独・伊(*7)の三国同盟が、日独伊防共協定即ち「共産主義に対する防衛」に端を発した同盟関係(*8)である事からすると、ソ連にしてみれば「理の当然」と言うかもしれないが(*9)、終戦直後には世界のGDPの半分を占める「自由主義陣営の兵器廠」にして資本主義の権化のような(*10)アメリカが、共産主義ソ連と同盟関係になったというのは、「天下の奇観」と言っても過言ではなかろう。
その奇観は結局長くは続かなかった。ゲッペルスの宣伝そのままに、欧州大陸に「鉄のカーテン」が下りて、共産圏=東欧と西欧は、壁と鉄条網と地雷原で分断され、東西冷戦が始まる。「資本主義対共産主義」の復活である。
大戦後、世界中にあった西欧列強の植民地は次々に独立を果たす。「東亜侵略百年の野望」は此処に覆った訳だが、そのうちの相当数は資本主義=自由主義=市場経済よりも共産主義=計画経済を体制として選んだ。国によってはその二つに分かれた国もある。東西ドイツ、南北朝鮮、中国と台湾などである。
冷戦=冷たい戦争である。ベルリン封鎖やキューバ危機のような危うく熱戦になりそうな事態もあれば、朝鮮戦争やインドシナ戦争のような代理戦争もあった。上記の通り、国によっては東西両陣営に分裂してしまったほどだから、国同士が両陣営に別れれば、代理戦争になる事例も当然あった訳だ。
「ソ連の軍事力」と言うアメリカ政府のソ連分析が幅を効かしたのもこの頃だ。東西の間の情報は「鉄のカーテン」で遮断され、インターネットもない時代に西側にいながら東側の情報に接する事ができる接点は、今に比べると酷く少なく、「ソ連の軍事力」はその数少ない接点の一つだった。
後から見返せば、「ソ連の軍事力」は相当ソ連を過大評価していた部分もある。アメリカがインドシナ戦争に加担しなければならなくなった「ドミノ理論」にしても同様だ。それだけアメリカ並びに資本主義諸国にとって共産圏の中心ソ連が「脅威」であったということでもあるが、今回の「脅威」は20世紀初頭ほどの「脅威」ではない。
確かにソ連の核戦力はアメリカに比肩しうるか、上回るものがある。その地上軍は厖大であるし、ベルリンまで進撃した「実戦で実証済み」の大兵力だ。おまけに海軍力も着々と増強している(様に見えた)。だが、それらは所詮軍事力。外から来る、目に見える脅威だ。「我が国で革命が起きて共産化するかもしれない。」と言う可能性或いは期待は、大いに減退した。
勿論中には例外も(*11)居て、なんだか知らないが「世界同時革命だ!」と叫んでわざわざ旅客機(*12)乗っ取って北朝鮮に亡命してしまった日本人達も居た位だから、共産主義や共産革命に未だ夢を抱く者はあったし、そうなったときの用心か、共産党・共産主義・共産革命に好意的な輩は掃いて捨てるほどあった(*13)が、実際に革命に結びつきそうな運動なり暴動なりと言うと、大学紛争と60年安保ぐらい。明治維新などに比べれば、一揆とさえ言えず、「コップの中の嵐」にすらならない。「ソ連軍北海道上陸」の方が、遥かに恐ろしい事態だった。
そんな中で、冷戦は緊張と緊張緩和を繰り返したが、先述のレーガン政権の「強いアメリカ」が一つの転機となる。レーガン大統領の打ち出した戦略防衛構想SDI、スターウォーズ構想とも呼ばれる「衛星軌道に打ち上げたレーザー砲で、弾道弾を撃ち落す」と言う壮大な構想は、未だ実現できないほどの壮大な構想ではあるが、その構想の一部は後に「戦域防衛」となり、「BMD弾道弾防衛」となって実現している.当時のソ連では、この壮大な構想に張り合うだけの経済力も技術力もないと認めざるを得ず、「反資本主義」ないし「資本主義に対するアンチテーゼ」としての共産主義は、投了する事を余儀なくされた。
所が、共産主義、少なくともマルクスが唱えたときの共産主義には、少なからず「反資本主義十字軍」と言う特質があった。従ってその共産主義を奉じる共産圏、なかんずくその大親分・ソ連がアメリカに対し「反共十字軍」などと言うのは、私には笑止千万と思われた。
左様、「反資本主義十字軍」である。資本主義の黎明期(*1)、19世紀末から20世紀初頭。大規模な工場が蒸気機関や水力で大量生産をはじめ、家内制手工業を圧迫し始めた頃。「行き過ぎた自由放任主義」の下に会った資本主義は、富の集中と偏在を、少なくとも世界の一部(*2)で引き起こしていた。
これを「労働者の資本家による搾取」と捕らえたのが共産主義である。少なくとも私はそう理解している。
原材料を加工して製品にすれば、高い値段で売れる。これは「付加価値がついた」のだが、その付いた付加価値は、工具や機械や或いは工場等の「生産手段」を動かしている労働者のものであり、「生産手段」を提供している資本家は、労働者の稼いだ付加価値を横取り=「搾取」しているのである、と言う理屈だ。
その「搾取」をなくすために、資本家を追い出し(*3)「生産手段」を国有にして、労働者に提供すれば、「労働者の天国(*4)」が出来上がる(筈)という寸法だ。
最初に「共産化」したソ連が、共産党を与党としながら共産主義体制と決別して久しい現在の目からすれば、突っ込みどころはいくらもある。例えば、「生産手段」が酷く高価な場合、或いは機械か化学プラントのように「原料と動力を供給し、労働者は監視していれば製品が出来上がる」場合、付加価値の全てを労働者に還元せずとも、その「生産手段」を提供する者に分け前を与える(比率の程は「労使交渉」によるとしても)事はあって良いはずだし、「生産手段」の国有化は良いこと尽くめではなく、多くの場合「生産手段」の非効率化を招いている。また根源的なところでは、Starship Troopersでロバート・A・ハインラインが指摘している通り、「労働力を投じたからと言って、付加価値が高まるとは限らない。下手な料理人は、そのままでも食える食材を喰えないものにしてしまえる。」のである。また、労働の質、生産効率を問うても良い。熟練工や「匠」ならば短時間に数多くの高品質な製品を完成しうるが、未熟な工員では長時間かけて少数の且つ品質の低い製品しか完成しないから、投ぜられる労力に対し付加される価値は少なくとも変動する。
だが、この共産主義が相応に「受けた」。特にロシアに共産主義革命起こり、共産党一党独裁によるソビエト連邦が20世紀初頭に成立し、かつ資本主義側がBlack Mondayによって大恐慌時代に突入し、資本主義や市場経済に多大な疑問が発生した頃には、「共産主義を信じない者は、知識階級でも人道主義でもない( つまりは野蛮人が人非人だな)。」と言わんばかりの勢いだったという。
後から考えれば、この頃が最も「共産主義の脅威」が高まった時代であった。それは軍事的な脅威と言うよりもむしろ、政治的・内面的或いは道徳的な脅威でさえあった時代だろう。「資本主義市場経済を以って成り立っている我が国(*5)でも、共産主義革命が起こるかもしれない。」と真剣に憂い、或いは期待された時代。
であればこそ、共産主義国家「第一号」たるソ連も、「国際共産主義=インターナショナル(*6)」なんてぇ旗を上げたり下ろしたりしているのだろう。言い換えれば、「国際共産主義=インターナショナル」は「反資本主義(十字軍)」を標榜し、また「反資本主義」であることをある意味、期待されていた。
その「資本主義対共産主義」の図式が「崩れた」少なくとも棚上げにされたのが、第2次大戦だろう。ナチス党即ち「国家社会主義労働者党」に率いられたドイツ第3帝国に端を発する第2次大戦は、独ソ開戦以降、共産主義ソ連と連合国=米英の協力体制を出現させた。対する枢軸国=日・独・伊(*7)の三国同盟が、日独伊防共協定即ち「共産主義に対する防衛」に端を発した同盟関係(*8)である事からすると、ソ連にしてみれば「理の当然」と言うかもしれないが(*9)、終戦直後には世界のGDPの半分を占める「自由主義陣営の兵器廠」にして資本主義の権化のような(*10)アメリカが、共産主義ソ連と同盟関係になったというのは、「天下の奇観」と言っても過言ではなかろう。
その奇観は結局長くは続かなかった。ゲッペルスの宣伝そのままに、欧州大陸に「鉄のカーテン」が下りて、共産圏=東欧と西欧は、壁と鉄条網と地雷原で分断され、東西冷戦が始まる。「資本主義対共産主義」の復活である。
大戦後、世界中にあった西欧列強の植民地は次々に独立を果たす。「東亜侵略百年の野望」は此処に覆った訳だが、そのうちの相当数は資本主義=自由主義=市場経済よりも共産主義=計画経済を体制として選んだ。国によってはその二つに分かれた国もある。東西ドイツ、南北朝鮮、中国と台湾などである。
冷戦=冷たい戦争である。ベルリン封鎖やキューバ危機のような危うく熱戦になりそうな事態もあれば、朝鮮戦争やインドシナ戦争のような代理戦争もあった。上記の通り、国によっては東西両陣営に分裂してしまったほどだから、国同士が両陣営に別れれば、代理戦争になる事例も当然あった訳だ。
「ソ連の軍事力」と言うアメリカ政府のソ連分析が幅を効かしたのもこの頃だ。東西の間の情報は「鉄のカーテン」で遮断され、インターネットもない時代に西側にいながら東側の情報に接する事ができる接点は、今に比べると酷く少なく、「ソ連の軍事力」はその数少ない接点の一つだった。
後から見返せば、「ソ連の軍事力」は相当ソ連を過大評価していた部分もある。アメリカがインドシナ戦争に加担しなければならなくなった「ドミノ理論」にしても同様だ。それだけアメリカ並びに資本主義諸国にとって共産圏の中心ソ連が「脅威」であったということでもあるが、今回の「脅威」は20世紀初頭ほどの「脅威」ではない。
確かにソ連の核戦力はアメリカに比肩しうるか、上回るものがある。その地上軍は厖大であるし、ベルリンまで進撃した「実戦で実証済み」の大兵力だ。おまけに海軍力も着々と増強している(様に見えた)。だが、それらは所詮軍事力。外から来る、目に見える脅威だ。「我が国で革命が起きて共産化するかもしれない。」と言う可能性或いは期待は、大いに減退した。
勿論中には例外も(*11)居て、なんだか知らないが「世界同時革命だ!」と叫んでわざわざ旅客機(*12)乗っ取って北朝鮮に亡命してしまった日本人達も居た位だから、共産主義や共産革命に未だ夢を抱く者はあったし、そうなったときの用心か、共産党・共産主義・共産革命に好意的な輩は掃いて捨てるほどあった(*13)が、実際に革命に結びつきそうな運動なり暴動なりと言うと、大学紛争と60年安保ぐらい。明治維新などに比べれば、一揆とさえ言えず、「コップの中の嵐」にすらならない。「ソ連軍北海道上陸」の方が、遥かに恐ろしい事態だった。
そんな中で、冷戦は緊張と緊張緩和を繰り返したが、先述のレーガン政権の「強いアメリカ」が一つの転機となる。レーガン大統領の打ち出した戦略防衛構想SDI、スターウォーズ構想とも呼ばれる「衛星軌道に打ち上げたレーザー砲で、弾道弾を撃ち落す」と言う壮大な構想は、未だ実現できないほどの壮大な構想ではあるが、その構想の一部は後に「戦域防衛」となり、「BMD弾道弾防衛」となって実現している.当時のソ連では、この壮大な構想に張り合うだけの経済力も技術力もないと認めざるを得ず、「反資本主義」ないし「資本主義に対するアンチテーゼ」としての共産主義は、投了する事を余儀なくされた。
「冷戦終結」である。
また一説にはASEAN諸国の工業製品が決め手になったとも言う。東西冷戦開始当初、つまり大戦直後には、ソ連の工業製品は西側と遜色なかったという。それが時がたつに従い、先ず有色人種日本の家電製品等に、ソ連製では太刀打ちできなくなり、東側では辛うじて東ドイツ製が抗しうるのみとなった。やがてそれは自動車に波及し、ついには東ドイツ製でも対抗しえなくなった。
それでも日本なら、「日露戦争の戦勝国」として特別視、例外視できた。が、その日本製と張り合える(従って東側製では張り合えない)ASEAN製品が出てきたとき、「社会主義の勝利」ならぬ「社会主義の敗北」は決定的になったという。
何にせよ、この冷戦終結によりベルリンの壁こと「鉄のカーテン」は崩壊し、東欧諸国の多くはEU傘下に馳せ参じ、ワルシャワ条約機構は瓦解した。
東西冷戦体制は、極東では未だ朝鮮戦争継続中の北朝鮮や「共産党一党独裁」にしがみつく中国などで健在だが、欧州に於いては消失した。
「資本主義の勝利万歳!」。そう評しても、罰は当たるまい。
また一説にはASEAN諸国の工業製品が決め手になったとも言う。東西冷戦開始当初、つまり大戦直後には、ソ連の工業製品は西側と遜色なかったという。それが時がたつに従い、先ず有色人種日本の家電製品等に、ソ連製では太刀打ちできなくなり、東側では辛うじて東ドイツ製が抗しうるのみとなった。やがてそれは自動車に波及し、ついには東ドイツ製でも対抗しえなくなった。
それでも日本なら、「日露戦争の戦勝国」として特別視、例外視できた。が、その日本製と張り合える(従って東側製では張り合えない)ASEAN製品が出てきたとき、「社会主義の勝利」ならぬ「社会主義の敗北」は決定的になったという。
何にせよ、この冷戦終結によりベルリンの壁こと「鉄のカーテン」は崩壊し、東欧諸国の多くはEU傘下に馳せ参じ、ワルシャワ条約機構は瓦解した。
東西冷戦体制は、極東では未だ朝鮮戦争継続中の北朝鮮や「共産党一党独裁」にしがみつく中国などで健在だが、欧州に於いては消失した。
「資本主義の勝利万歳!」。そう評しても、罰は当たるまい。
<注釈>
(*1) と、現時点からはいえるが、当時は爛熟期に見えた事は想像に難くない。
(*2) まだまだ西欧列強の植民地が地球上の大半を占めていた時代だ。日本の「植民地」、半島や台湾や満州以外の植民地で、工業化が進められた例は稀有である。
(*3) 国外追放なら良い方で、多くの場合、「革命」により「粛清」即ち殺されている。
(*4) 逆に言えば資本家の地獄。まだ資本家が生き残っていれば、だが。
(*5) 主として西欧列強。それ以外の相当部分が「西欧列強の植民地または植民地「候補」であった時代だ。大陸支邦は植民地「候補」の方であり、我が国は辛うじて植民地「候補」たる事を免れた時代。
(*6) 言うもさらなりだろうが、共産党党歌が「インターナショナル」なのもこのためだ。
(*7) 伊=イタリアは後に脱落し、連合国側に参戦。まんまと戦勝国になりおおせている。
(*8) 利害の一致は、防共ばかりではないが。
(*9) そのくせ日ソ不可侵条約は結んだ上に、さらに破っているぞ。
(*10) ルーズベルトのニューディール政策には、社会主義的な色彩もあるが。
(*11) This is the Free Country!
(*12) それも貴重な貴重な国産旅客機YS-11。どうせ持って行くなら、別の機体にしろよぉ。
(*13) ま、今でも掃いて捨てるほどあるな。何しろ政府与党からして、あの体たらくだ。我が敵・小沢一郎など、中国で自ら「人民解放軍野戦司令官」と名乗っている。
(*1) と、現時点からはいえるが、当時は爛熟期に見えた事は想像に難くない。
(*2) まだまだ西欧列強の植民地が地球上の大半を占めていた時代だ。日本の「植民地」、半島や台湾や満州以外の植民地で、工業化が進められた例は稀有である。
(*3) 国外追放なら良い方で、多くの場合、「革命」により「粛清」即ち殺されている。
(*4) 逆に言えば資本家の地獄。まだ資本家が生き残っていれば、だが。
(*5) 主として西欧列強。それ以外の相当部分が「西欧列強の植民地または植民地「候補」であった時代だ。大陸支邦は植民地「候補」の方であり、我が国は辛うじて植民地「候補」たる事を免れた時代。
(*6) 言うもさらなりだろうが、共産党党歌が「インターナショナル」なのもこのためだ。
(*7) 伊=イタリアは後に脱落し、連合国側に参戦。まんまと戦勝国になりおおせている。
(*8) 利害の一致は、防共ばかりではないが。
(*9) そのくせ日ソ不可侵条約は結んだ上に、さらに破っているぞ。
(*10) ルーズベルトのニューディール政策には、社会主義的な色彩もあるが。
(*11) This is the Free Country!
(*12) それも貴重な貴重な国産旅客機YS-11。どうせ持って行くなら、別の機体にしろよぉ。
(*13) ま、今でも掃いて捨てるほどあるな。何しろ政府与党からして、あの体たらくだ。我が敵・小沢一郎など、中国で自ら「人民解放軍野戦司令官」と名乗っている。