「宣戦布告」とは穏やかでない表現である。戦争を宣言し、以降は何時なりとも武力攻撃を仕掛けるぞと言う宣言であり、国家間の戦争ではその国の最高責任者ぐらいしか戦線は布告できない。派遣軍の司令官ぐらいじゃ紛争は引き起こせても戦線は布告できないのである。(紛争をエスカレートさせて、戦争に至らせることは出来そうだが)
 
 さらに言えば、相手が悪い。何しろ小沢一郎は押しも押されもせぬ民主党の最大実力者。その民主党は先の衆院選挙で圧勝し、従来から抑えていた参院共々その議席数で国会を牛耳る立場にあり、しかもその立場は、順当に行けば今年夏の参院選挙まで安泰であるし、仮に参院選挙で大敗しても、衆院支配は動かないのだから、国会運営は思いのまま。それこそ「この世をば、我が世とぞ思う望月の」といった境地だろう。
 
 対する我が方はと言うと、弱小ブログのブログ主にしか過ぎず、首相官邸やマスコミ各紙に公開質問状をぶつけても梨の飛礫に終わる程度の発言力、発信力、影響力しかない。岩手県を「小沢王国」とし、今度は日本を小沢帝国化しようと言う小沢一郎の前では、蟷螂の斧どころか蟻の触覚ぐらいにしかなりはしないのは、先の衆院選挙民主党圧勝が証明している。
 
 が、だからと言って手をこまねいて見ておられようか。
 
 この目は見える。この手は動く。この足は走れる。
 
 「大凡国家危急存亡の折りに身命を賭するは男児の本懐と雖も、
  誰が于弌の世に産まるる事を望まんや」」 とは、とある戦死者に捧げられた墓碑銘であるが、かかる于弌の世に産まれた以上、我が身命を賭するほかあるまい。

 私は、小沢一郎に、宣戦を布告する。


(1.) 宣戦理由

 先ず私が小沢一郎に宣戦を布告する理由を明らかにしよう。
 
 第一の理由は、外国人参政権である。日本に住むと言うだけで外国人に参政権を与えようと言う外国人参政権法を小沢一郎はその剛腕を以って実現しようとしており、私はこれに断固反対する。普通なら話しあいなり交渉なりで妥協点=落としどころを探る所だろうが、そんな余地は全くなさそうである。なにしろ小沢一郎と言い、その尻尾共と言い「友愛」だの「友好」」だの、甚だしくは「愛のテーマ」などと抜かしている。日本の主権に対する意識なぞ、かけらも感じられない。
 
 こんなお花畑の脳天気野郎共、もしくはそのフリをしている者どもと、まともに「話し合い」なぞ成立するはずもない。

 地方参政権と雖も我が国の主権であり、主権は通常国民固有の権利である。「国民主権」は日本国憲法を支える三本柱の一つの筈である。その主権を、戦争に負けたわけでもない、外交条約を結んだ訳でもないのに「友好」のために外国に、外国人に譲り渡すと言うのは、領土を割譲するのも同然である。
 戦争に負けたり、不平等な条約を結んだ結果領土を割譲することはある。それが外交の一面であると言うことも理解する。が、国民にその信を問うことすらせずに、先の衆院選「大勝」を盾に外国に主権を譲り渡すとは、売国行為以外の何者でもないと、私は断じる。
 
 第二の理由は小沢一郎の対中国朝貢外交である。大議員団を率いて尻尾振ってみせるのは小沢一郎の勝手だ。そんな小沢一郎についていって中国と小沢一郎に尻尾振る奴輩は所詮その程度の小物共だ。中国政府相手に「人民解放軍野戦司令官」と自称するのも小沢一郎の勝手だ。
 が、その中国のために首相に圧力をかけて天皇陛下のご予定に強引に割り込みをかけて中国政府有力者に過ぎない者との御引見を実現したのみならず、陛下の大御心さえ僭称する傲岸不遜は許し難いし、上記第一にも触れた外国人参政権を在日中国人に付与するなぞ論外である。
 お忘れのようだが、中国には10億を超えて何人居るかわからないほどの人口があり、今も増殖中だ。対する我が国の国民は1億で、減少傾向にある。仮に中国がその人口の10分の一を日本に永住させたら、小沢一郎の進める外国人参政権により、めでたく日本の地方は完全に中国支配化に入ることになる。文字通り、無血占領であり、その暁には小沢一郎は見事に「人民解放軍野戦司令官」としての役割を果たすことになる。外国人参政権については、現行の民主党案を超えた[地方被選挙権]まで要求する声もあることを付記すべきだろう。
 「杞憂?」そうであってくれれば幸いだ。が、そのような悪夢を実現しかねないのが、対中国朝貢外交であり、外国人参政権であり、小沢一郎である。

 中国は共産党一党独裁の国だ。そんな国の参政権なぞ、日本の政府見解に従う「あるけど使わない集団的自衛権」と同様、ないも同然である。
 本国政府さえ参政権をろくに認めていない中国人に、日本の参政権を付与するとは、言語道断である。
  
 第三の理由は、その権力集中である。これには現政権のあまりのふがいなさも一役買っていることは認めるが、普天間基地移設にしても、財政見直しにしても、「天の声」で国政を壟断する姿は、「小沢王国」から発展させ、日本自体を「小沢帝國化」させかねない権力集中の兆候が見られる。
 権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する。
 小沢一郎の権力集中を放置すれば、その権力は早晩、絶対的に腐敗するだろう。或いはもう既に腐敗しているのかも知れない。
 小沢一郎がその腐敗を免れるような高潔な人格を持つとは、私には到底思えない。むしろ、田中角栄や金丸信を師と仰ぐ小沢一郎は、そのその対極にあろう。
  
 以上の理由から、私は、小沢一郎に宣戦を布告する。


(2.)戦争目的

 さて、宣戦を布告するは良いが、ならばこの戦争の目的、勝利条件は何だろう。
 
 勝利条件は、小沢一郎の政治的抹殺であろう。即ち今小沢一郎が保有して居る政治的影響力の無力化である。
 目的はそこにあるが、陥れるべき状態は種々考えられる。野蛮な方から言えば生物的抹殺つまりは暗殺もしくはクーデターから、国外追放、失脚、緩い方では楽隠居まであろう。それぞれの状態に応じて手段も変わろうが、目的はあくまでも「政治的抹殺」にある。即ち小沢一郎の政治的影響力の除去である。
 
 穏やかならぬ事であるのは承知の上だ。大体、「宣戦布告」からして穏やかならぬ事態であるが、民主主義と魂の自由を愛して止まぬ私が、たとえ意見の違いがあるとは言え、小沢一郎の政治的影響力の除去、いわば政治的封じ込めを図ろうというのだから。それを敢えて為そう、少なくとも為すべき事として掲げようと言うのは、それだけ民意を問う事も民意に沿う事も無視して暴走する小沢一郎を危惧しているからである。先の衆院選挙に民主党が大勝する事に、小沢一郎の「剛腕」が貢献したのは確かだろうが、それは日本国民が小沢一郎を支持したものとは思わないからである。( まあ、それを言うなら今だって「何だってこんな民主党を政権与党につけやがったんだ馬鹿国民。」と言うのが正直なところであるが。)即ち小沢一郎を我が国我が国益の敵としてだけでなく、民主主義の敵として、私は糾弾している。「民主主義」と「議会政治」は「憲法」共々、小沢一郎お気に入りのフレーズではあるが、それにも拘らず、「小沢一郎は民主主義の敵」と私は断じている。
 
 小沢一郎の政治的封じ込めなんてことが何処まで可能かと言うのは後に議論する事として(それは戦術に過ぎない。手段だ。)、目的・戦略は明確に、単純にするのが「勝利の秘訣」でもある。二兎を追うものは一兎をも得ず、二正面作戦は大抵失敗する。

 繰り返すが、戦略・目的・勝利条件は、小沢一郎の政治的抹殺である。