3.「話せば判る」は本当か?
井沢元彦氏によると、日本人には「話し合い至上主義」とか「話し合い原理主義」とか言うべき抜き難い確固たる信念があり、遡れば聖徳太子の17条の憲法「和を以って尊しと為す」に行き着くと言う。確かに世の中に人質事件とか誘拐拉致事件、はたまた紛争や戦争に至るまで、日本でもてはやされるのは「平和的解決」であり、大概は「まず話し合いをしよう」がスローガンになる。相手がテロリストだろうがテロ国家だろうが前科何犯の凶悪犯であろうが、「話し合い」の前には皆平等にして無力であり、「話し合い」の霊験あらたかで、話し合いさえ成り立てば、「平和的解決」は自動的に成立するかの様に語られる事もしばしばだ。
「話せば判る。」
「問答無用!」
と言うのは2.26事件に於ける犬養首相と決起将校の会話とされ、この会話の直後犬養首相は射殺されてしまうのだが、それでもこれは「話し合いが無効であった事例」とはされず、話し合いを拒否した決起将校側の極悪非道さを語るエピソードとして引用されるばかりだ。
だが、冷静に頭を冷やして考えて欲しい。
「話せば判る」が未来永劫永遠普遍の真理、であろう筈がないではないか。
「話せば判る。」
「問答無用!」
と言うのは2.26事件に於ける犬養首相と決起将校の会話とされ、この会話の直後犬養首相は射殺されてしまうのだが、それでもこれは「話し合いが無効であった事例」とはされず、話し合いを拒否した決起将校側の極悪非道さを語るエピソードとして引用されるばかりだ。
だが、冷静に頭を冷やして考えて欲しい。
「話せば判る」が未来永劫永遠普遍の真理、であろう筈がないではないか。
4.「話せば判る」が通用しない場合
「話せば判る」が通じない場合は当然ある。前述の犬養首相の言葉は、決起将校には届かなかった。
例えば言葉そのものが通じない場合。彼我の言語が異なって、意思の疎通が出来ない場合は「話せば判る」もへったくれもない。いかにこちらが説得力に溢れた美辞麗句を並べ立てようと、言葉が通じなければイヌの吼え声を聞かせているのと大差はない。「判る」筈がない。
或いは言語としては共通のものがあっても、概念が全く異なる場合。犬養首相の「話せば判る」と言う日本人に伝統的な理論・説得に対し「問答無用」と武力行使して見せた決起将校は、ビスマルクの「鉄血演説」の如く、時間のかかる「話し合い」よりも武力行使に依る「即断即決速実行」を尊したのであろう。これだけ主旨・主張・主義が異なると、言葉は通じても相互理解は困難な場合が当然出てくる。
例えば言葉そのものが通じない場合。彼我の言語が異なって、意思の疎通が出来ない場合は「話せば判る」もへったくれもない。いかにこちらが説得力に溢れた美辞麗句を並べ立てようと、言葉が通じなければイヌの吼え声を聞かせているのと大差はない。「判る」筈がない。
或いは言語としては共通のものがあっても、概念が全く異なる場合。犬養首相の「話せば判る」と言う日本人に伝統的な理論・説得に対し「問答無用」と武力行使して見せた決起将校は、ビスマルクの「鉄血演説」の如く、時間のかかる「話し合い」よりも武力行使に依る「即断即決速実行」を尊したのであろう。これだけ主旨・主張・主義が異なると、言葉は通じても相互理解は困難な場合が当然出てくる。
時にはその差異が実に些細なものであっても「言葉は通じ意味はわかるが相互理解は出来ない」と言う状態も生じうる。こういう場合も「話せば判る」とは期待し難い。
キリスト教の新教=プロテスタントと旧教=カトリックは、同じ全知にして全能なる唯一絶対神を信じている筈なのだが、その教義の差から中世には血で血を洗うような宗教戦争を引き起こし、今でも地域によっては新旧両教は相当仲が悪い。
キリスト教の新教=プロテスタントと旧教=カトリックは、同じ全知にして全能なる唯一絶対神を信じている筈なのだが、その教義の差から中世には血で血を洗うような宗教戦争を引き起こし、今でも地域によっては新旧両教は相当仲が悪い。
5.普天間基地移設問題を「話した」ならば?
さて、前置きが長くなったが、本記事で扱おうとしているのは普天間基地移設問題だ。なかんずく、前の記事に経緯まとめで取り上げた、COP15晩餐会席上での鳩山首相―米クリントン長官会食の顛末を追ってみよう。
先述(48)で報じられている通り、鳩山首相はこの晩餐会でクリントン長官と隣り合わせになったのを幸い、普天間基地移設問題を解決延期した理由を説明し、理解を求めたと言う。なんとも女々しいと言うか言い訳がましいのだが、いまだ「辺野古以外に普天間基地が居てくれないかなぁ。」としか言わない日本国元首にして自衛隊三軍の最高指揮官では、米国務長官の前ではこんな言い訳するぐらいが関の山なのだろう。
これに対しクリントン長官は「良くわかった。」と応えたそうである。
これを以って鳩山首相は「クリントン長官の理解を得た。」と思ったらしく、他の報道ではそのように公言している。
普天間基地移設問題 鳩山首相、米・クリントン長官から先送りの理解得たことを明らかに http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00168670.html
先述(48)で報じられている通り、鳩山首相はこの晩餐会でクリントン長官と隣り合わせになったのを幸い、普天間基地移設問題を解決延期した理由を説明し、理解を求めたと言う。なんとも女々しいと言うか言い訳がましいのだが、いまだ「辺野古以外に普天間基地が居てくれないかなぁ。」としか言わない日本国元首にして自衛隊三軍の最高指揮官では、米国務長官の前ではこんな言い訳するぐらいが関の山なのだろう。
これに対しクリントン長官は「良くわかった。」と応えたそうである。
これを以って鳩山首相は「クリントン長官の理解を得た。」と思ったらしく、他の報道ではそのように公言している。
普天間基地移設問題 鳩山首相、米・クリントン長官から先送りの理解得たことを明らかに http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00168670.html
であるならば、先述(49)に報じられるとおり、連立与党を組む福島社民党首が、このように説明していけば普天間基地移設問題は「真の解決(社民党の言う「真」とは県外・国外移転だろう)」を見るだろうと、勝手な「確信」を抱いてしまうのもある意味無理はない。何しろクリントン長官と直接会食した首相自身が、クリントン長官の理解を得たと言っているのだから。
所が(51)に示す通りその翌週明け、米クリントン国務長官は異例なことに駐米日本大使を呼びつけた。会談の内容は明確になっていないが、「普天間移設問題に関し、現行計画を推進する米政府の立場に変化はなかったとの認識を示した。」と言うから、現行日米合意=普天間基地の辺野古への移転の速やかな履行を改めて求められたと言う事だろう。
つまり、鳩山首相が説明し、福島社民党党首が期待したような「理解」をクリントン国務長官はしなかったと言う事だ。「良く判った。」と言うのは、普天間基地移設先についてこれから候補を選ぶなどと言う(それも来年5月以降までもかけるかも知れないと言う)鳩山首相相手に現行日米合意履行を求めても無駄だと言う事が「良く判った。」と言うことだったようだ。
犬養首相じゃないが「話せば判る」とは言う。が、コンセプトやよって立つところが全く違う者に、「話した」ところで「判る=相互理解が成立する」とは限らない。
現行日米合意をそれこそ「重く受け止めて」前提条件に据えぶれることのない米側と。「現行日米合意は重く受け止める」と口先で言うばかりで「辺野古以外の選択肢」を何時までも模索し続けて代替案一つまともに出てこない鳩山首相と現政権のギャップは相当に大きく、「話せば判る」なんて事は、期待し難いと言う事が改めて浮き彫りになった。
そりゃSpace Issue(宇宙問題)じゃ、話したところで、判りようがないわなぁ。
所が(51)に示す通りその翌週明け、米クリントン国務長官は異例なことに駐米日本大使を呼びつけた。会談の内容は明確になっていないが、「普天間移設問題に関し、現行計画を推進する米政府の立場に変化はなかったとの認識を示した。」と言うから、現行日米合意=普天間基地の辺野古への移転の速やかな履行を改めて求められたと言う事だろう。
つまり、鳩山首相が説明し、福島社民党党首が期待したような「理解」をクリントン国務長官はしなかったと言う事だ。「良く判った。」と言うのは、普天間基地移設先についてこれから候補を選ぶなどと言う(それも来年5月以降までもかけるかも知れないと言う)鳩山首相相手に現行日米合意履行を求めても無駄だと言う事が「良く判った。」と言うことだったようだ。
犬養首相じゃないが「話せば判る」とは言う。が、コンセプトやよって立つところが全く違う者に、「話した」ところで「判る=相互理解が成立する」とは限らない。
現行日米合意をそれこそ「重く受け止めて」前提条件に据えぶれることのない米側と。「現行日米合意は重く受け止める」と口先で言うばかりで「辺野古以外の選択肢」を何時までも模索し続けて代替案一つまともに出てこない鳩山首相と現政権のギャップは相当に大きく、「話せば判る」なんて事は、期待し難いと言う事が改めて浮き彫りになった。
そりゃSpace Issue(宇宙問題)じゃ、話したところで、判りようがないわなぁ。
6.「話さず」に放置したのは誰か?
そもそも、事の発端から言うならば、鳩山首相は普天間基地移設問題を「話す」事すらろくにしてこなかったのである。
沖縄県民に「希望」をばら撒いた。そのおかげもあって(そればかりじゃないだろうが)選挙にも勝った。政権も奪取した。
そこまでだ。
その後「普天間基地の辺野古以外の移転先代替案」を検討した形跡が全く見られない。
自由な議論はあった。談論風発の代案はあった。まともに代替案として具体化したものは全くない。
そのくせ、日米首脳会談には臨んだのである。それも2回も。
一回目には普天間基地の「ふ」の字も出てこなかった。即ち鳩山首相は、全く「話さなかった」のである。
二回目では「普天間基地問題は早期に決着しましょう。」「そのために日米共同作業部会を作りましょう」と言うことで合意した。この「早期に決着」とは現行日米合意案の履行の事であるとオバマ大統領は明言し、鳩山首相はこれを否定しなかった。
沖縄県民に「希望」をばら撒いた。そのおかげもあって(そればかりじゃないだろうが)選挙にも勝った。政権も奪取した。
そこまでだ。
その後「普天間基地の辺野古以外の移転先代替案」を検討した形跡が全く見られない。
自由な議論はあった。談論風発の代案はあった。まともに代替案として具体化したものは全くない。
そのくせ、日米首脳会談には臨んだのである。それも2回も。
一回目には普天間基地の「ふ」の字も出てこなかった。即ち鳩山首相は、全く「話さなかった」のである。
二回目では「普天間基地問題は早期に決着しましょう。」「そのために日米共同作業部会を作りましょう」と言うことで合意した。この「早期に決着」とは現行日米合意案の履行の事であるとオバマ大統領は明言し、鳩山首相はこれを否定しなかった。
オバマ大統領の目の前では。
日米首脳会談が終わった翌日に、鳩山首相は「日米共同部会は、現行日米合意案を前提にしない。オバマ大統領は前提にしていたろうが。」と、オバマ大統領の前提を一方的に破棄すると宣言した。
その前日、オバマ大統領の発言の直後ならば兎も角、翌日に、である。
つまり2回の日米首脳会談を通じて、鳩山首相は普天間基地移設問題も、と言う事はいわゆる「沖縄県民の思い」も、ろくに「話さなかった」わけである。
オバマ大統領に「話せ」なかったのは、まともな代替案がかなかった(今でもないが)からだと仮にしよう。何でそんな状態で日米首脳会談を、それも2回もやってなおかつオバマ大統領をペテンにかけやがったのか、と言うのもまずは置こう。
鳩山首相が外相と防衛省に「辺野古以外の普天間基地移設候補調査」を命じたのは実に今月3日。「移設問題越年」を伝えて駐日米大使を「激怒」させた後だ。
つまりこれまでも個々閣僚の勝手な願望や法螺があるばかりでまともな議論はなく、組織的な調査も無い。鳩山首相は普天間基地移設問題をオバマ大統領どころか、閣内でさえろくに「話して」いなかったことになる。
となると、「本格的な調査・議論」が始まって約10日で「当面普天間基地の移設先は決めない」事だけ決めたのはまだ仕方ない( いや、それ自体怠慢であり、世が世なら立派にサボタージュ罪で銃殺者なのだが)としても、「来年5月までかかっても3党合意日本側代替案が纏まらないかも知れない」と言うのが現状である。
「話せば判る」と言うが、判るとは限らない。
が、「話さなくとも判る」と言う状態は相当難しいから、「話す」事によって「判る」可能性は高まる。
それすら怠ってきた鳩山首相と現政権が、選挙公約に言う「沖縄県民の思い」を「重く受け止めて」などいよう筈がない。
鳩山首相と現政権に在るものは、ただ保身とその場しのぎのみ。
日米首脳会談が終わった翌日に、鳩山首相は「日米共同部会は、現行日米合意案を前提にしない。オバマ大統領は前提にしていたろうが。」と、オバマ大統領の前提を一方的に破棄すると宣言した。
その前日、オバマ大統領の発言の直後ならば兎も角、翌日に、である。
つまり2回の日米首脳会談を通じて、鳩山首相は普天間基地移設問題も、と言う事はいわゆる「沖縄県民の思い」も、ろくに「話さなかった」わけである。
オバマ大統領に「話せ」なかったのは、まともな代替案がかなかった(今でもないが)からだと仮にしよう。何でそんな状態で日米首脳会談を、それも2回もやってなおかつオバマ大統領をペテンにかけやがったのか、と言うのもまずは置こう。
鳩山首相が外相と防衛省に「辺野古以外の普天間基地移設候補調査」を命じたのは実に今月3日。「移設問題越年」を伝えて駐日米大使を「激怒」させた後だ。
つまりこれまでも個々閣僚の勝手な願望や法螺があるばかりでまともな議論はなく、組織的な調査も無い。鳩山首相は普天間基地移設問題をオバマ大統領どころか、閣内でさえろくに「話して」いなかったことになる。
となると、「本格的な調査・議論」が始まって約10日で「当面普天間基地の移設先は決めない」事だけ決めたのはまだ仕方ない( いや、それ自体怠慢であり、世が世なら立派にサボタージュ罪で銃殺者なのだが)としても、「来年5月までかかっても3党合意日本側代替案が纏まらないかも知れない」と言うのが現状である。
「話せば判る」と言うが、判るとは限らない。
が、「話さなくとも判る」と言う状態は相当難しいから、「話す」事によって「判る」可能性は高まる。
それすら怠ってきた鳩山首相と現政権が、選挙公約に言う「沖縄県民の思い」を「重く受け止めて」などいよう筈がない。
鳩山首相と現政権に在るものは、ただ保身とその場しのぎのみ。