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帝国海軍のパラダイムシフト1 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30703565.html
帝国海軍のパラダイムシフト2 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30703595.html
帝国海軍のパラダイムシフト3 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30703619.html

 「パラダイムシフト」とは随分昔にテレビコマーシャルまでやっていた未来学の本の名である。
 「未来学」と言うのは結構ポピュラーな、一般受けする学問であるが、同時に相当胡散くさく思えてならない。下手すると、「ノストラダムスの大予言(※1)」になってしまいかねない。
 それでの何やかにやと人気があるのは、「占い」がはやるのと同様に、「不確かな未来に何らかの手がかりを求めたい。」と言う心理の故であろうと推察はしている。
 推察をするばかりなのは、占いと同様私には「未来学」が胡散臭い或いは余り当てにならない(※2)モノと思え、あれこれと話題になっても殆ど手を出していなかったからだ。
 
 Future Worldぐらい遥か未来の、ぶっ飛んだ話ならば、逆にSFのように楽しめ、立ち読みもする気になる(買うには至らなかった)のであるが、未来学ではなかなかその気になれず、「パラダイムシフト」もテレビコマーシャルで言葉を知るだけだった。

<注釈>
(※1)「西暦1999年に人類が滅亡する。」と大予言した事になっている人。当然ながらこの予言は、大外れに外れている。
(※2) 未来「学」と言う以上、議論と検証の対象たり得る筈で、それ故に口からでまかせやサイコロ転がしただけの「占い」よりは、余程マシな物になる可能性は認めつつ。



1.パラダイムシフトの概要

 ひょんな事からその「パラダイム・シフト」の意味を知る機会を得た。機械を与えてくれたのは、教育用に作成された番組である。
 それによると、「パラダイム」とは「流布している支配的な考え方」。常識とか通念とか言い換えても良いだろう。
 「パラダイム・シフト」とはその常識がひっくり返ってしまう事。「天動説に対する地動説の勝利」等がその例として挙げられる。
パラダイムシフトの法則
  法則1. パラダイムはどこにでもある
  法則2. パラダイムは役に立つ
  法則3. パラダイムは時に固定観念化し、過信される
  法則4. 新しいパラダイムは部外者から始まる(ex若手)
  法則5. パラダイムシフターには勇気が必要である
  法則6. パラダイムは、変えうる。そしてパラダイムがシフトすると、従来の成功は0になる。
 
 その番組では時計を例に取り上げていた。
 かつて「時計はゼンマイで動く機械式時計である。」と言うパラダイム=通念があり(法則1)、それは当時は相当な確度で真実だった。その機械式時計に特化した(法則2)スイスの時計職人は、世界の時計を生産していると言っても過言ではなかった。
 だが、パラダイムがシフトした。水晶時計の登場である。水晶時計はスイス時計業界にも持ち込まれたのだが、旧来のパラダイムに囚われたスイス時計業界は殆どこれに反応しなかった(法則3、法則5)。
 反応したのは日本の時計業界(法則4)。日本製の水晶時計はスイス自慢の機械式時計を凌ぐ高精度を遥かに安く実現し、世界の時計市場を席巻した。スイスの時計業界は大打撃を受けた(法則6)。「従来の成功は0に」なったのである。

 尤も私としては、水晶時計の普及前に、機械式時計でも日本の時計がスイスに肉薄或いは凌駕していた事を指摘せずには居られない。この頃、スイスで定期的に開かれる機械式時計の精度を競う大会があったのだが、その大会に出品した日本のセイコー製時計がトップを独占しそうになって、あわててルールを変え、スイス時計の面目を「保った」という話がある。(※1)
 水晶時計は日本の時計業界の地位を確固たるモノ(※2)としたが、それ以前の旧来のパラダイム「時計はゼンマイで動く機械式時計である。」に於いても日本は相当健闘していたのだ。


<注釈>
(※1) 確か、内橋克人の「匠の時代 服部セイコー社編」で読んだ話。
(※2) 当面は。何しろ、「パラダイムはシフトしうる」のだ。



2.軍艦のパラダイム―大艦巨砲主義―

 さて、「法則1. パラダイムはどこにでもある」のであるから、パラダイムは軍艦にもある。かつて「主力艦は戦艦である。」と言うパラダイムがあった。何時ごろからかと言うと、殆ど戦艦の登場以来、連綿とあったと言って良い。であればこそ、大戦間の軍縮条約と言えば海軍軍縮条約であり、戦艦をはじめとする軍艦の数や排水量を制限ないし削減する条約であった。いわゆる「海軍休日 Naval Holiday」である。
 戦艦が主力艦=海洋の支配者としての威力をまざまざと見せ付けたのは、20世紀初頭の日露戦争である。「奇蹟の建艦」に書いた通り、必死で戦艦6隻 装甲巡洋艦6隻の「六六艦隊」を揃えた日本は、欧米列強=白人の急先鋒・ロシアと対峙を余儀なくされ、辛うじてこの戦争に「勝つ」事ができた。その勝利の一大要因となったのが日本の連合艦隊(※1)とロシアのバルチック艦隊の間で戦われた日本海海戦(※2)、いわゆる艦隊決戦であり、当時は史上最大の艦隊決戦だった。
 
 奇蹟の建艦:http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/24698333.html
 
 この日本海海戦に「水雷艇三隻と引き換えにバルチック艦隊を壊滅させる。」と言う奇跡的勝利を得た日本は、これに先立つ旅順陥落と併せて日本海の制海権を完全に掌握し、後の奉天会戦での辛勝を可能にした。
 
 艦隊決戦と言う局地的勝利が、戦争全体の「勝利」に結びついたのだ。
 
 かくして強固に裏書された「主力艦は戦艦である。」と言うパラダイムに従い、イギリスはドレッドノート級戦艦、いわゆる弩級戦艦を建造する。中間砲を廃止して統一された主砲を大量に(※3)装備しつつ、蒸気タービンを搭載して、火力・速力共に飛躍的に向上させ、ドレッドノート級以前の戦艦を一挙に旧式化させてしまった。以降、世界の(※4)海軍力は、弩級や超弩級の戦艦の数で図られるようになった。
 「法則2. パラダイムは役に立つ」である。この場合パラダイムは、ドレッドノート級と言う画期的な戦艦のコンセプトを固める上で、役に立った。
 
 日露戦争から10年後に勃発した第一次大戦は、弩級戦艦、超弩級戦艦による戦いとなった。英独両海軍の戦艦群は、ジャットランド沖会戦をはじめとして何度か衝突したが、艦隊決戦と言うほど決定的な戦火は両軍とも挙げられなかった。最終的にドイツ海軍が壊滅したのは、休戦交渉中に降伏する事を潔しとしなかったドイツ海軍艦艇が全艦自沈した事による。
 後から冷静に考えれば、この時点で戦艦と言う単独の艦種では戦争の帰趨そのものは支配できず、主力艦としての地位を既に失っていた、「パラダイムは既に代わりつつあった。」と考えられるのだが、それは「歴史の大いなる後知恵」。
 
 第一次大戦の戦後は、国際連盟と海軍軍縮条約=各国の戦艦をどうするか決める事から始まった。「法則3. パラダイムは時に固定観念化し、過信され」たのである。


<注釈>
(※1) と言うことは、日本の新鋭艦艇の全てと思ってほぼ間違いない。
(※2) Battle of Tsushima「対馬の戦い」と呼ばれる事はあっても、東海海戦だのBattle of East Sea等と呼ばれる事はない。 
 半島が此処を「東海」と呼ぶのは勝手だが、それをグローバルスタンダードにするためには、日本海海戦以上のビッグイベントが必要だろう。
(※3)日露戦争の日本の旗艦・三笠の主砲は12インチ砲連装2基で4門。これに対しドレッドノート級は同じ12インチ砲を連装6基12門装備した。単純には、火力3倍である。
(※4) と言っても、日本以外は欧米列強=白人ばかりだが。



3.帝國海軍の苦悩

 紆余曲折を省くと、国際連盟と一連の海軍軍縮条約の結果、日英同盟は解消され、日本は英米5に対し3の比率で戦艦の保有を認められた。この比率のために、進水したが建造途中であった戦艦「土佐」は、標的艦として沈められる憂き目を見た。(※1)
 「これさえあれば世界のどの海軍にも負けることは無い。」と思われた、戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を以って編成した艦隊を毎年各1隻づつ更新すると言う、壮大な日本の「八八艦隊計画」は、この海軍軍縮条約で実現不可能となった。
 が、目も眩むような壮大な計画であり、当時の日本では軍縮条約が無くても実現できたとは一寸考えられない。(※2)
 
 海軍軍縮条約発効直前に建造された7隻の16インチ砲戦艦は、Seven Sistersと呼ばれ、今で言う戦略核兵器に近い地位が与えられた。その七姉妹が長姉は、我が国の長門級戦艦であり、「陸奥と長門は日本の誇り」と「当世いろはかるた」に詠まれた。
 
 さて、対英対米6割と決められた当時の日本海軍=帝國海軍は、戦力の大枠が決められた形。日英同盟が解消されてしまった以上、英米が手を組んで「対英+米 3割」と言う事態も考えなければならない。
 一方で大恐慌以降の世界のブロック経済化は、植民地=資源と市場を持つ国(英米仏蘭)と持たざる国(日独伊)との対立を先鋭化させた。
 
 帝國海軍としては、太平洋を挟んでの日米戦と言う事態を検討せざるを得ない。「主力艦(戦艦)は対英対米6割」と決められた枠の中でだ。
 
 英米の仲が悪い、或いは仲違いさせる方策があれば、それは一つの選択肢だったろう。米海軍を東西両岸に分断できれば、対米6割の艦隊でも勝機はある。だが現実は逆に日英の仲違いをさせられる始末。ドイツとの同盟は、英海軍が健在である限り(※3)、対米牽制と言う意味では限定的な効果しかなかった。(※4)
 


<注釈>
(※1) 「加賀」や「赤城」は空母として建造を認められた。
(※2) 経済的にもさることながら、当時の日本の建艦能力を目一杯使わないと、建造も維持も適わない計画だった。
(※3) そして英米が連携している限り。
(※4) まあ、結果論かもしれないが。英国が、U-Boatに苦しめられた第一次大戦の戦訓を相応に活かした結果とも言える。