1. 大和ミュージアムの片隅に
呉・大和ミュージアムは1/10スケールの大和が展示されているので有名だが、その他にも特殊潜航艇だの零選62型だのいろんなものが展示されている。4階建ての建屋は1階を中心にそんな展示物が所狭しと並んでおり、4階には文献閲覧ができるギャラリーもある。第一、南にのフェリー埠頭に面したおお窓から見える背景に聳え立つ1/10とは言え大和の勇姿は、長い事見ていても見飽きるものではない。私のような人間には、一日中見学していても未だ足らないような見所満載の博物館だ。
その展示物の一つ、第6潜水艇艇長・佐久間勉大尉の遺した長文の遺書は、目立つものとは言い難いだろう。
手帳に認められた遺書はその全文が写真掲示され、見づらい部分もあるので別に大書されたものが掲げられている。
その展示物の一つ、第6潜水艇艇長・佐久間勉大尉の遺した長文の遺書は、目立つものとは言い難いだろう。
手帳に認められた遺書はその全文が写真掲示され、見づらい部分もあるので別に大書されたものが掲げられている。
2. 第六潜水艇―潜水艦の黎明期―
第6潜水艇は古い船だ。1906年、日露戦争直後に川崎造船で建造された艇であるから、最も初期の国産潜水艇である。潜水艇は日露戦争では噂ばかり先行して実際の活躍は殆ど無かったが、まず当時最新鋭の兵器と言えるのだが、さらにこの国産の第六潜水艇は、煙突を海面上に突き出す事で潜行しながらガソリンエンジンで航走できる、「ガソリン潜行」と呼ばれる機能を有していた。今で言うシュノーケルの前身で、かなり先進的な設計だ。
しかしながら、シュノーケルが実用化したのは第2次大戦の事。第6潜水艇は第一次大戦以前の船だ。即ちその「ガソリン潜行」機能は未だ実用段階ではなかった。「海面上に吸排気口を突き出せば、潜水艦が潜行しながら内燃機関を使えるに違いない。」と言う発想はまさにシュノーケルそのものだが、その吸排気口が波を被るとそこから海水が浸水しかねないから、信頼できる適切な閉鎖機構の実用化まで「シュノーケル」は実用化できなかった。
しかしながら、シュノーケルが実用化したのは第2次大戦の事。第6潜水艇は第一次大戦以前の船だ。即ちその「ガソリン潜行」機能は未だ実用段階ではなかった。「海面上に吸排気口を突き出せば、潜水艦が潜行しながら内燃機関を使えるに違いない。」と言う発想はまさにシュノーケルそのものだが、その吸排気口が波を被るとそこから海水が浸水しかねないから、信頼できる適切な閉鎖機構の実用化まで「シュノーケル」は実用化できなかった。
事実、我らが第六潜水艇もその閉鎖機構が故障した結果、煙突から海水が浸入し、沈没してしまった。時に1910年、場所は呉沖。呉の大和ミュージアムにからも遠からぬところだ。
3. 第六潜水艇沈座着底―真実の瞬間―
第六潜水艇が沈没したときの艇長が佐久間勉大尉。彼は沈没着底した潜水艇内で冷静に事故原因を分析し、事故その後の処置結果を報告し、間違いなく殉職するであろう部下将兵の遺族への配慮を乞い、自分たちの犠牲で潜水艇の将来を見誤る事の無い様切に願う長文の遺書をしたためた。その切々たる文章からは、沈没着底後も適わぬまでも復旧・浮上を試みる佐久間艇長以下乗組員の奮闘が伺われる。
沈没の翌日第6潜水艇が引き上げられた際には佐久間艇長以下14名の乗組員は全員殉職していたが、事実そのうち12名は配置に付いたまま眠るが如く絶命しており、残る2名は沈没原因となったガソリンパイプの破損箇所を修理していたものと見られると言う。
沈没の翌日第6潜水艇が引き上げられた際には佐久間艇長以下14名の乗組員は全員殉職していたが、事実そのうち12名は配置に付いたまま眠るが如く絶命しており、残る2名は沈没原因となったガソリンパイプの破損箇所を修理していたものと見られると言う。
佐久間艇長以下全乗組員は、その職務を全うする事で、最後まで生きる事を諦めていなかったのだ。
言うまでもないが乗っている潜水艦が沈没して海底に着座すると言うのは極限状態である。食料飲料もさることながら、酸素の残量は刻々と減り、死の瞬間は容赦なく近づく。かような極限状態では、往々にして人間の本質がむき出しになる。「真実の瞬間」と呼ばれるやつだ。
潜水艦の黎明期、類似の事故は諸外国でも発生している。ガソリン潜行機能だの、「シュノーケル」だのの先進的な仕掛けが無くとも潜水航行と言うだけで安全とは言い難かった。当然沈没後に引き上げられた潜水艇も諸外国にあるのだが、多くの場合脱出用ハッチの近くに乗組員が折り重なるようなって死んでおり、あい争ったと見られる形跡がある事例もあったと言う。
佐久間艇長とその乗組員の死に様は、尋常一様にあらず。むしろ稀有な例と言う事だ。
言うまでもないが乗っている潜水艦が沈没して海底に着座すると言うのは極限状態である。食料飲料もさることながら、酸素の残量は刻々と減り、死の瞬間は容赦なく近づく。かような極限状態では、往々にして人間の本質がむき出しになる。「真実の瞬間」と呼ばれるやつだ。
潜水艦の黎明期、類似の事故は諸外国でも発生している。ガソリン潜行機能だの、「シュノーケル」だのの先進的な仕掛けが無くとも潜水航行と言うだけで安全とは言い難かった。当然沈没後に引き上げられた潜水艇も諸外国にあるのだが、多くの場合脱出用ハッチの近くに乗組員が折り重なるようなって死んでおり、あい争ったと見られる形跡がある事例もあったと言う。
佐久間艇長とその乗組員の死に様は、尋常一様にあらず。むしろ稀有な例と言う事だ。
4.佐久間艇は二度と全滅せず!
「生きるべき時と死すべき場所。それさえあれば何も要らない。」とは映画「アラモ」の”坊さん”台詞。
「死ぬと決まったわけではないが、どうせ死ぬのなら、時と場所は、自分で選びたい。」とは映画「鷲は舞い降りた」のシュタイナー少佐の台詞だ。
「死に所を得る」と言う言葉もあるが、私は佐久間艇長以下第6潜水艇乗組員が「死に所を得た」とは思わない。
彼らがこの事故を、免れるか生き延びるかした場合、その後の潜水艇発展に多いに寄与した公算大と考えるからである。彼らの「生きるべき時」は未だあったはずだと。
彼らがこの事故を、免れるか生き延びるかした場合、その後の潜水艇発展に多いに寄与した公算大と考えるからである。彼らの「生きるべき時」は未だあったはずだと。
一方で、彼らはその職務を死に至るまで全うし続け、その死を以って「抜群中ノ抜群」の士卒であることを実証した事には同意する。
「彼らこそ、神が一艦長に与えうる最高の乗組員であった。」リチャード・ヴァレリー艦長 H.M.S.Ulysses
それと同時に、世界の潜水艦乗りの鑑とされた佐久間艇長とその配下乗組員が日本人である事を、大いに誇りにするものである。
先述の通り、諸外国(*1)でも類似の事故は起きているが、事故後引き上げられた潜水艇内の状況は全く異なる。脱出ハッチの近くに折り重なるようになって発見されると言うのは、少しでも早く脱出して生き延びる確率を上げようという生存本能のなせる業かも知れず「無理も無い」と言えるが、中にはあい争い、殺しあったと見られる事例もあると言う。
「彼らこそ、神が一艦長に与えうる最高の乗組員であった。」リチャード・ヴァレリー艦長 H.M.S.Ulysses
それと同時に、世界の潜水艦乗りの鑑とされた佐久間艇長とその配下乗組員が日本人である事を、大いに誇りにするものである。
先述の通り、諸外国(*1)でも類似の事故は起きているが、事故後引き上げられた潜水艇内の状況は全く異なる。脱出ハッチの近くに折り重なるようになって発見されると言うのは、少しでも早く脱出して生き延びる確率を上げようという生存本能のなせる業かも知れず「無理も無い」と言えるが、中にはあい争い、殺しあったと見られる事例もあると言う。
海底に鎮座した潜水艦の限られた空間で、他の人間を殺した方が自分は長く酸素を吸え、長く生きられるというのは紛れもない「冷たい方程式」ではあるが、同じ釜の飯を食った仲間を殺して少しでも長く生き延びようとする者を、佐久間艇長指揮下に整斉と行動し、恐らくは全員殆ど同時に絶命したであろう第六潜水艇乗組員の上位に置く事は出来ない。
因みに現在の海上自衛隊は「ちはや」「ちよだ」の2隻の潜水救難艦を擁する。この潜水艦救難体制は、米海軍以上(*2)である。
ユダヤ流に言うならば、「佐久間艇は二度と全滅せず。」と言うところか。
因みに現在の海上自衛隊は「ちはや」「ちよだ」の2隻の潜水救難艦を擁する。この潜水艦救難体制は、米海軍以上(*2)である。
ユダヤ流に言うならば、「佐久間艇は二度と全滅せず。」と言うところか。
<注釈>
(*1)といっても当時潜水艇を建造できるような国は、日本以外は西欧列強=白人ばかりであるが。
(*2)米海軍にもSafe Guard,ARS-53 Grapple2隻の潜水救難艦しかなく、日本のものより可也小さい。
米海軍が全世界に原潜、弾道ミサイル原潜を配備している事も考えると、日本の潜水艦救難密度はさらに上がる。
以下に、佐久間艇長の遺書全文を掲げる。心して読むべし。
(*1)といっても当時潜水艇を建造できるような国は、日本以外は西欧列強=白人ばかりであるが。
(*2)米海軍にもSafe Guard,ARS-53 Grapple2隻の潜水救難艦しかなく、日本のものより可也小さい。
米海軍が全世界に原潜、弾道ミサイル原潜を配備している事も考えると、日本の潜水艦救難密度はさらに上がる。
以下に、佐久間艇長の遺書全文を掲げる。心して読むべし。
佐久間艇長遺言
小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申訳無シ サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ 我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃レシト雖モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤リ 以テ将来潜水艇ノ発展ニ打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂ウルニアリ 希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲ サスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ
沈没原因
瓦素林潜航ノ際 過度深入セシ為「スルイス・バルブ」ヲ諦メントセシモ 途中「チエン」キレ依ッテ手ニテ之シメタルモ後レ後部ニ満水 約廿五度ノ傾斜ニテ沈降セリ
沈拒後ノ状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤ツカリタル為電灯消エ 悪瓦斯ヲ発生呼吸ニ困難ヲ感ゼリ 十四日午前十 時頃沈没ス 此ノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力ム
一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ 燈消エ ゲージ見エザレドモ「メンタン ク」ハ排水終レルモノト認ム 電流ハ全ク使用スル能ハズ 電液ハ溢ルモ少々海水ハ入ラズ 「クロリン」ガス発生セズ残気ハ五00磅位ナリ 唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ 「ツリム」ハ安全ノ為メ ヨビ浮量六00(モーターノトキハ二00位)トセリ (右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)
溢入ノ水ニ溢サレ乗員大部衣湿フ寒冷ヲ感ズ 余ハ常ニ潜水艇員ハ沈着細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ 細心ノ余リ畏縮セザラン事ヲ戒メタリ 世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ或ハ嘲笑スルモノアラン サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス
一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ 排水ニ勉メドモ十二時迄ハ底止シテ動カズ 此ノ辺深度ハ八十尋位ナレバ正シキモノナラン
一、潜水艇員士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス カカルトキニ困ル故 幸ニ 本艇員ハ皆ヨク其職ヲ尽セリ 満足ニ思フ 我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期ス
サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出シノ中ニアリ(之レ但私事ニ関スル事言フ必要ナシ田口浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)
サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出シノ中ニアリ(之レ但私事ニ関スル事言フ必要ナシ田口浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)
公遺言
謹ンデ陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ
左ノ諸君ニ宜敷(順序不順)
一、斎藤大臣 一、島村中將 一、藤井中將 一、名和中將 一、山下少將
一、成田少將 一、(気圧高マリ鼓マクヲ破ラル如キ感アリ) 一、小栗大佐
一、井手大佐 一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(龍)
一、松村小佐(菊)(小生ノ兄ナリ) 一、船越大佐 一、成田綱太郎先生
一、生田小金次先生
十二時三十分呼吸非常ニクルシイ
瓦素林ヲブローアウトセシ積リナレドモ ガソリンニヨウタ
一、中野大佐
十二時四十分ナリ