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スイス政府刊行の小冊子「民間防衛」と言う本がある。
冷戦華やかなりし頃に書かれた本で、一寸古いが、翻訳されて今でも原書房から出版されている。逆立ちしたってベストセラーではないが、相当なロングセラーであるらしい。
スイス政府刊行の小冊子「民間防衛」と言う本がある。
冷戦華やかなりし頃に書かれた本で、一寸古いが、翻訳されて今でも原書房から出版されている。逆立ちしたってベストセラーではないが、相当なロングセラーであるらしい。
内容は、スイス国民国防の心得といったところ。
スイスは国民皆兵で、成人男子は一定期間軍事訓練を受け、軍服と軍用自動小銃と実弾を支給される。「いざ鎌倉!」となった場合はスイスの成人男子はこれら装備に身を固め、鎌倉ならぬスイス国内の指定されたところへ馳せ参じる事が、国民の義務である。
とは言え、一朝事があったとて成人男子全員を動員=徴兵したら国の経済が崩壊するから、銃後の守りに付く者も必ず居る。またスイスでは、女性には兵役義務が無いから、女性もまた(伝統にのっとり)銃後の守りに付く事になる。
この小冊子は、その「銃後の守り」に付いた国民一般に対する心得集である。
スイスは国民皆兵で、成人男子は一定期間軍事訓練を受け、軍服と軍用自動小銃と実弾を支給される。「いざ鎌倉!」となった場合はスイスの成人男子はこれら装備に身を固め、鎌倉ならぬスイス国内の指定されたところへ馳せ参じる事が、国民の義務である。
とは言え、一朝事があったとて成人男子全員を動員=徴兵したら国の経済が崩壊するから、銃後の守りに付く者も必ず居る。またスイスでは、女性には兵役義務が無いから、女性もまた(伝統にのっとり)銃後の守りに付く事になる。
この小冊子は、その「銃後の守り」に付いた国民一般に対する心得集である。
1.核兵器と核シェルター 「核戦争はありうる事態」http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/25714714.html
スイスでは新築の家には必ず核シェルターをつけることが法律で義務付けられている。核シェルターといっても誰もがNORAD北米防空司令部(*1)を建築するわけには行かないのだが、市販されているのは「扉がゴッツイ地下室」と思えばまず間違いない。
扉の密閉を保証するOリングの太さと、銀行の大金庫を思わせるハンドルは尋常ではないし、手動又は電動のエアフィルターが付いているのは核シェルターならではだが、後は唯の地下室だ。
下記の記事にも書いたが、こんな地下室でも防空壕と同程度に爆風や熱線に対する防護機能を持っているし、放射線に対しては「水もしくは土1mを通せば1/100に減衰する。」と言われるから、地下2mにでも埋めれば相当な防護機能(*2)を発揮する。
売り上げ倍増核シェルター
扉の密閉を保証するOリングの太さと、銀行の大金庫を思わせるハンドルは尋常ではないし、手動又は電動のエアフィルターが付いているのは核シェルターならではだが、後は唯の地下室だ。
下記の記事にも書いたが、こんな地下室でも防空壕と同程度に爆風や熱線に対する防護機能を持っているし、放射線に対しては「水もしくは土1mを通せば1/100に減衰する。」と言われるから、地下2mにでも埋めれば相当な防護機能(*2)を発揮する。
売り上げ倍増核シェルター
勿論こんな地下室では(NORADとは異なり)核兵器の直撃もしくは至近爆発の衝撃には耐えられない。本書にもそのことは明記されており、核爆発からどれぐらい離れていれば市販地下核シェルターが耐えられるかが図示されている。
言い換えれば、「貴方が核シェルターに避難出来たとしても、これぐらい近くで核兵器が爆発したらお陀仏(*3)ですよ。」と冷徹に定量的に記述しているわけだ。
言外の意味は、「核兵器は貴方を標的に飛んできたり落ちてきたりするものではないのだから、その標的から一寸(*4)離れた核シェルターに避難すれば大丈夫ですよ。」と言うことだろう。
と言うのもスイスの核シェルターは、各個人の家にあるのもさることながら、公共の核シェルターと言うものが相応にあり、随分前に全人口を収納できるだけのキャパシティーを確保し、それでも偏在があって収納しきれない事態に備えてさらにキャパシティーを拡張中、と言うのが冷戦時代のスイスであった。
「核戦争後の世界で、最大人口国はスイスだ。」等と言う冗句さえあったように思う。多分にブラックユーモアではあるが、「たとえ核戦争が起ころうとも、スイス国民の生命財産を守る事が政府の責務である。」と言う固い決意が感じられるし、スイス国民に対し政府がかような小冊子を発行し、核戦争を想定した核シェルターへの貯蓄物資のリストなどを掲げて国民にも相応の準備と心構え、覚悟をそくしている。
核戦争を唯の悲劇・惨劇・「あってはならないこと」と忌避するのではなく、ありうべき事態と捕らえ、それへ向けて適う限りの手を打つ、現実的な核抑止論(*5)。もしくは核時代への対処法は、今の目からしても色褪せてはいない。
<注釈>
(*1)岩盤どころか山脈刳り貫いて作ったと言われる米空軍の司令部。核兵器が地表で爆発しても耐えられると言われていた。
言外の意味は、「核兵器は貴方を標的に飛んできたり落ちてきたりするものではないのだから、その標的から一寸(*4)離れた核シェルターに避難すれば大丈夫ですよ。」と言うことだろう。
と言うのもスイスの核シェルターは、各個人の家にあるのもさることながら、公共の核シェルターと言うものが相応にあり、随分前に全人口を収納できるだけのキャパシティーを確保し、それでも偏在があって収納しきれない事態に備えてさらにキャパシティーを拡張中、と言うのが冷戦時代のスイスであった。
「核戦争後の世界で、最大人口国はスイスだ。」等と言う冗句さえあったように思う。多分にブラックユーモアではあるが、「たとえ核戦争が起ころうとも、スイス国民の生命財産を守る事が政府の責務である。」と言う固い決意が感じられるし、スイス国民に対し政府がかような小冊子を発行し、核戦争を想定した核シェルターへの貯蓄物資のリストなどを掲げて国民にも相応の準備と心構え、覚悟をそくしている。
核戦争を唯の悲劇・惨劇・「あってはならないこと」と忌避するのではなく、ありうべき事態と捕らえ、それへ向けて適う限りの手を打つ、現実的な核抑止論(*5)。もしくは核時代への対処法は、今の目からしても色褪せてはいない。
<注釈>
(*1)岩盤どころか山脈刳り貫いて作ったと言われる米空軍の司令部。核兵器が地表で爆発しても耐えられると言われていた。
(*2)1/100×1/100=1/1万 に放射線は減衰する。
(*3)スイス人で仏教とは少数派だろうからこうは言わないだろうが。尤も、多分一番多いキリスト教では「死んで神に」なんかなり様がないな。まともなキリスト教徒なら。
(*5)スイス自身は核兵器を保有も借用もしていないが。検討だけはした。
2.宣伝謀略戦争 「弾丸なき戦争」
さらに同書は、核兵器ばかりか兵器にもよらない戦争、宣伝謀略戦争についてもスイス国民の心構えを説いている。
例としてあげているものの一つは、オリンピックだ。「ある独裁者の手記」として、某国の独裁者が自国の国民の優秀さと自国体制及び思想の優位性を世界に示すために、オリンピックで沢山メダルを取れと命じる様が描かれる。
「平和の祭典」とて「弾丸飛び交わぬ戦場」となりうることを明確に示している。
同書が発行されたのは、北京オリンピックはおろか、モスクワオリンピック以前なのではあるが、戦前のナチ党政権下で行われたベルリンオリンピックの例もあるから、「オリンピックを利用した宣伝戦争」と言うのは絵空事ではなく充分ありうる現実であったし、今でもそうだ。(*1)
宣伝戦争については「敵は我々(スイス国民)を眠らせようとする。」と銘打ち、「平和運動」や「友好団体」或いはそれらを支援する「マスコミ」が敵の手によって操作され、スイスの国防体制なり継戦能力なりに打撃を与えうる事が例として示され、これに対するスイス国民の覚悟を述べている。
曰く、「我々(スイス国民)は眠ってはならない。」と。
自ら考え、自ら判断する事で「平和運動」「友好団体」「マスコミ」の謀略に乗せられることなく自らの信頼しうる政府を選ぶ事により、謀略戦争に敗れることの無い様にと説いている。
誠に慧眼である。
共産主義が「反資本主義十字軍」として世界を「席捲」しようとしていた時代は幸いなことに過去のものとなったが、共産主義とある程度縁戚関係のある「国家社会主義」でさえ世界と言わずとも欧州を制圧しかけたのであるし、その国家社会主義=ドイツ第3帝国が得意としたのが宣伝謀略戦争ともなれば、かような用心も、歴史的に見て当然の帰結ではあろうが。
「怪我をしてまで鳩時計は欲しくない。」(c)牧英夫 かも知れないが、「怪我をしないで舌先三寸で得られるならば、鳩時計だって貰って置こう。」と言う国には事欠かないだろう。
翻るに我が国日本にあるものは、「鳩時計」所ではない事も、想起すべきであろう。(*2)
例としてあげているものの一つは、オリンピックだ。「ある独裁者の手記」として、某国の独裁者が自国の国民の優秀さと自国体制及び思想の優位性を世界に示すために、オリンピックで沢山メダルを取れと命じる様が描かれる。
「平和の祭典」とて「弾丸飛び交わぬ戦場」となりうることを明確に示している。
同書が発行されたのは、北京オリンピックはおろか、モスクワオリンピック以前なのではあるが、戦前のナチ党政権下で行われたベルリンオリンピックの例もあるから、「オリンピックを利用した宣伝戦争」と言うのは絵空事ではなく充分ありうる現実であったし、今でもそうだ。(*1)
宣伝戦争については「敵は我々(スイス国民)を眠らせようとする。」と銘打ち、「平和運動」や「友好団体」或いはそれらを支援する「マスコミ」が敵の手によって操作され、スイスの国防体制なり継戦能力なりに打撃を与えうる事が例として示され、これに対するスイス国民の覚悟を述べている。
曰く、「我々(スイス国民)は眠ってはならない。」と。
自ら考え、自ら判断する事で「平和運動」「友好団体」「マスコミ」の謀略に乗せられることなく自らの信頼しうる政府を選ぶ事により、謀略戦争に敗れることの無い様にと説いている。
誠に慧眼である。
共産主義が「反資本主義十字軍」として世界を「席捲」しようとしていた時代は幸いなことに過去のものとなったが、共産主義とある程度縁戚関係のある「国家社会主義」でさえ世界と言わずとも欧州を制圧しかけたのであるし、その国家社会主義=ドイツ第3帝国が得意としたのが宣伝謀略戦争ともなれば、かような用心も、歴史的に見て当然の帰結ではあろうが。
「怪我をしてまで鳩時計は欲しくない。」(c)牧英夫 かも知れないが、「怪我をしないで舌先三寸で得られるならば、鳩時計だって貰って置こう。」と言う国には事欠かないだろう。
翻るに我が国日本にあるものは、「鳩時計」所ではない事も、想起すべきであろう。(*2)
<注釈>
(*1)ためしにピョンヤンでオリンピックをやらせてみるが良い。そこまで行かずとも、北京だけでも充分だ。
(*1)ためしにピョンヤンでオリンピックをやらせてみるが良い。そこまで行かずとも、北京だけでも充分だ。
(*2)水晶時計は機械式鳩時計ほど単価は高くないかも知れないが、その正確さと期待できる売り上げ・利益は、遥かに上である。
3.もしスイス政府が降伏したとしても・・・「黙って時を待て」
上記の如く、種々示唆に富んだ好著なんだが、中でも特に圧巻なのは、スイス政府が降伏した後のことまで書いてある事だ。
「勝敗は時の運」なんて言葉を引くまでもなく、スイスにやってくる侵略者は、それ相応の勝算を以って攻めて来るのだから、スイス軍が武運つたなく敗れ、スイス政府が降伏文書に調印を余儀なくされる事も、「あってはならない事」ではなく「ありうる事態であり、対策を取っておくべき事象」と捉えている。誠敬服に値する冷静さ・冷徹さ、或いは徹底振りである。
ではスイス軍が敗れ(*1)、スイス政府が降伏した後、国民はどうすべきかと言うと、本書に曰く「黙って時を待て。」と言う。
暴発は戒められている。散発的な、非組織的な抵抗運動は流血を招くばかりであるから、怒りを抑えろと言う。表向き推奨されるのは、ガンジー流の非暴力不服従だ。
が、無論、唯の非暴力ではない。
「時を待つ」のは降伏したスイス政府が外国に亡命政府を樹立し、解放軍として捲土重来するまでである。即ち、第二次大戦のド・ゴール政府がパリを解放したように。
そのときは、立て、戦え、とこの本は言う「そのとき流す血は、いくらあっても足りない。」とまで書く。
言い換えれば、「生きるべきときと、死すべき場所を誤るな。」と言うことであり、どうせ流す血、どうせ失う生命ならば、無益な散発的抵抗ではなく、組織的抵抗の元、スイスの主権と民主主義のために使え、と言うことだ。
冷徹、怜悧極まりないが、これこそ戦略と言うものであり、ブレ様がない「骨太の方針」であろう。
「勝敗は時の運」なんて言葉を引くまでもなく、スイスにやってくる侵略者は、それ相応の勝算を以って攻めて来るのだから、スイス軍が武運つたなく敗れ、スイス政府が降伏文書に調印を余儀なくされる事も、「あってはならない事」ではなく「ありうる事態であり、対策を取っておくべき事象」と捉えている。誠敬服に値する冷静さ・冷徹さ、或いは徹底振りである。
ではスイス軍が敗れ(*1)、スイス政府が降伏した後、国民はどうすべきかと言うと、本書に曰く「黙って時を待て。」と言う。
暴発は戒められている。散発的な、非組織的な抵抗運動は流血を招くばかりであるから、怒りを抑えろと言う。表向き推奨されるのは、ガンジー流の非暴力不服従だ。
が、無論、唯の非暴力ではない。
「時を待つ」のは降伏したスイス政府が外国に亡命政府を樹立し、解放軍として捲土重来するまでである。即ち、第二次大戦のド・ゴール政府がパリを解放したように。
そのときは、立て、戦え、とこの本は言う「そのとき流す血は、いくらあっても足りない。」とまで書く。
言い換えれば、「生きるべきときと、死すべき場所を誤るな。」と言うことであり、どうせ流す血、どうせ失う生命ならば、無益な散発的抵抗ではなく、組織的抵抗の元、スイスの主権と民主主義のために使え、と言うことだ。
冷徹、怜悧極まりないが、これこそ戦略と言うものであり、ブレ様がない「骨太の方針」であろう。
<注釈>
(*1)敗れて恐らくは武装解除され、相当部分がシベリアだかチベットだかに強制収容された上でだな。
(*1)敗れて恐らくは武装解除され、相当部分がシベリアだかチベットだかに強制収容された上でだな。
4.戦争に負けても、主権は諦めない。
此処に見られるのは、スイス政府、スイス人の国防意識。自らの主権に対する執念とも言うべき貪欲さである。さらにはその貪欲さ、執念が、究極のところ国民自身のためになると言う、強靭な自信である。
一度政府が降伏したぐらいでは、自らの主権を自らの手に握るその意思は、揺るがないと言う決意である。
「百年兵を養うは、ただ一日のため。」と言うが、この本は、たとえその一日に敗れても、明日があり、明日に備えよと説いているのだ。
誠、畏敬に値する国防意識である。
Parabelum 戦いに備えよ。
一度政府が降伏したぐらいでは、自らの主権を自らの手に握るその意思は、揺るがないと言う決意である。
「百年兵を養うは、ただ一日のため。」と言うが、この本は、たとえその一日に敗れても、明日があり、明日に備えよと説いているのだ。
誠、畏敬に値する国防意識である。
Parabelum 戦いに備えよ。