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「東アジア共同体」構想に米を加えず 岡田外相
2009.10.7 20:38 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091007/plc0910072045012-n1.htm

このニュースのトピックス:外交

外務省の政策会議であいさつする岡田外相=7日午前、衆院第2議員会館 岡田克也外相は7日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、鳩山政権が村山談話(平成7年)について「(アジアに)まだ納得できない人が一定範囲でいることは事実だ。それ以上に言葉よりも行動だ」と述べ、より踏み込んでいく考えを示した。日中韓の歴史教科書問題では「将来の理想は(日中韓)共通の教科書を作ることだ」と述べ、現行の教科書検定制度に疑問を投げかけた。日韓首脳会談(9日)、日中韓首脳会談(10日)を目前に岡田氏の発言は波紋を呼びそうだ。

 また、岡田氏は、鳩山由紀夫首相が提唱する「東アジア共同体」構想について「日本、中国、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)、インド、オーストラリア、ニュージーランドの範囲で(構成を)考えたい」と述べ、米国は正式な加盟国としない形で創設を目指す考えを表明した。

 岡田氏は10日に予定される日中韓首脳会談で東アジア共同体について意見交換する考えを表明。「まず経済から始めエネルギー、環境、保健衛生などに協力分野を拡大していきたい」と述べ、域内の通貨統合は「かなり先の話になる」との見通しを示した。

 歴史認識については「過去に行った戦争で被害を受けた人たちの気持ちは簡単に解決できるものではない」と述べ、村山談話の踏襲だけでは不十分だとの認識を表明。「過去の政権では村山談話があるにもかかわらず、これに反する閣僚などの発言があり、『悪かったと思っているのか』と疑問を抱かせた。そういうことがないようにしていきたい」と述べた。

 教科書検定については「日本の教科書は基本的に制作者が自由に作ることができる。どこまで国が関与できるかという問題がある」と検定制度への国の介入に疑問を投げかけ、「将来的には理想的な形としては(日中韓の)共通教科書を作ることだが、そこにいくのはだいぶん先だ。その第一歩として歴史の共同研究を行っているのは重要なことだ」と述べた。

 一方、アフガニスタン支援について「兵を出すことばかりが支援だとは思っていない」と述べ、自衛隊派遣に慎重な姿勢を示した。
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 報じられているのは岡田外相の講演会。要約すると以下のような事を述べている。
 
 ① 鳩山首相ご推奨の「東アジア構想」には米国は含まれない。(すなわち、中国一国支配体制の、ワルシャワ条約極東版である。)
 ② 「村山談話の踏襲」だけでは不十分で、さらに踏み込んだ歴史認識の統制が必要である。
 ③ ②の理想は「(日中韓の)共通教科書を作ること」である。
 ④ ③の「第一歩として歴史の共同研究を行っている」。
(⑤)④が「日中韓共通の歴史認識」及び②「日中韓共通教科書」につながる事を期待する。
 ⑥ アフガニスタン支援は兵を出すばかりが支援ではない。
 
 ⑤に()をつけたのは、例によって直接そう言ったとは報じられていないからだが、話の筋道からすると、妥当な推論であろう。

 
(1.)外交の目的

 岡田外相は外務大臣であり、外交を司る。
 では、外交の目的とはなんであろうか。
 
 外交の目的は、「世界中の人達とお友達になる。」事ではない。
 外交がそれを目指す事はあるが、それは、その状態が国益に適うときだ。「世界中の人達とお友達になる」事が適わないときは、お友達を選んで付き合い、時には逆に絶交し戦争を仕掛ける相手を選定するのも外交である。外交の目的は、国益の確保・増進であり、「世界中の人達とお友達になる。」のも相手を選んで戦争を仕掛けるのも、国益のためである。
 
 砲艦外交も友愛外交も外交であり、共に国益を追求している。その手段が砲艦と言うハードパワーであるか、友愛と言う理念=ソフトパワーであるかと言う違いはあっても、国益の追求と言う目的は些かも変わらない。
 
 言い換えれば、外交を司る外務大臣の仕事は、外交を通じて如何に我が国の国益を実現するかである。


(2.)外交の手段

 先述の通り外交の目的は国益であるが、手段は色々ある。
 これまた先述の通り、砲艦と言うハードパワーもその一つである。流石に最近は露骨にはやられなくなったが、「大航海時代」以降、18世紀から19世紀にかけてのの西欧列強による世界分割=植民地化競争時代には相当露骨に行われていた。「砲艦・軍艦すらも持たないような野蛮人に、白人の優位を見せ付けるには砲艦外交が最も手っ取り早い国益確保手段」と考えられ、実践され、相当に実績も上がっていた。
 我が国が「たった4ハイの上喜撰/蒸気船(=黒船=軍艦)」に「夜も眠れず」と狂歌に謳われたのも幕末、この頃の話だ。
 さらには同盟を組む、宣戦布告をするのも外交であるから、軍艦などの軍事力のみならず、戦争そのものも外交の手段とみなす事ができる。
 
 戦争も外交も、目指すところは国益の確保・増強であるから、根は一つである。
 
 無論我が国の現行憲法はその9条で、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を禁じている。が、それは日本にある憲法9条と言う特殊事情に過ぎない。
 普通の国には憲法9条なんて無いから、国際紛争の解決手段としては、今でも武力の行使、武力による威嚇、戦争さえも禁じられては居ないし、時には実施される。

 北朝鮮の核兵器開発と核恫喝による瀬戸際外交も、イラクのフセイン政権を倒した対イラク戦争も、武力の行使或いは武力による威嚇によって国際紛争の解決を、少なくとも試みている事例である。
 
 或いは逆に、外交を「実弾飛び交う事のない戦争」と表現する事もできる。それぐらいシビアなもの、非情なもの、油断のならないものと言う意味で、心に留めるべき表現であろう。