.大企業が家族間殺人の原因と言う奇説
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転載開始==============================================================================================
「家族間殺人事件」増加で亀井担当相が経団連を批判
2009.10.6 00:02 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091006/stt0910060004000-n1.htm

このニュースのトピックス:民主党
 亀井静香金融・郵政改革担当相は5日、東京都内の講演で「日本で家族間の殺人事件が増えているのは(企業が)人間を人間として扱わなくなったためだ」と述べた。その上で日本経団連の御手洗冨士夫会長と会談した際に「そのことに責任を感じないとだめだ」と言ったというエピソードを披露し、経団連を批判した。

 小泉政権の構造改革に協力した財界が日本社会を荒廃させたと言いたかったとみられるが、経営者にその責任を負わせるような指摘が議論を呼びそうだ。会談の時期は、担当相就任前の今年5月ごろだったと明らかにした。

 亀井氏は御手洗会長との会談で「昔の経営者は景気の良いときに中小企業に(資金を)分け与えたが、今は内部留保としてため込んでリストラしている」と述べ、派遣契約の解除などを実施した大企業を批判した。これに対し御手洗会長は「私どもの責任ですか」と答えたという

=======================================続報=======================================================
「家族間殺人は大企業に責任」発言取り消さない 亀井金融相
2009.10.6 13:34 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091006/plc0910061336011-n1.htm

このニュースのトピックス:金融政策
 亀井静香郵政改革・金融相は6日午前の閣議後の会見で、「家族間の殺人が増えている責任は大企業にある」とした5日の講演での自らの発言について、「取り消す気は全然ない。市場原理、市場主義が始まって以来、身近なところで不満や利害の衝突が起き、殺人という形につながった面が多い。そういう社会風潮を作ったという意味で、大企業に責任があると言った」と説明した。
==============================================================================================転載終了


これは愚行の上を行く―亀井金融相、家族間殺人は大企業の性との説を公開・固持―

 まずは事実のみピックアップしよう。

 報じられているのは、亀井金融相の発言である。何でも、今年5月に経団連の御手洗冨士夫会長と会談した際に、「日本で家族間の殺人事件が増えているのは(企業が)人間を人間として扱わなくなったためだ。」と述べたのだそうな。「そのことに責任を感じないとだめだ。」とも言ったそうである。
 これに対して御手洗会長は、「私どもの責任ですか」と答えたとも報じられている。

 続報の方は、閣議後の記者会見で上記発言について、亀井金融相は「取り消す気は全然ない。市場原理、市場主義が始まって以来、身近なところで不満や利害の衝突が起き、殺人という形につながった面が多い。そういう社会風潮を作ったという意味で、大企業に責任があると言った」と説明したそうである。


1. この発言の相手と時期について

 今度は発言だけ抽出してみよう。
 まずは今年の5月、亀井国民新党党首(当時 現金融相)と経団連の御手洗会長が会談した際。
 
 亀井1「日本で家族間の殺人事件が増えているのは(企業が)人間を人間として扱わなくなったためだ。」
 亀井2「そのことに責任を感じないとだめだ。」
 亀井3「昔の経営者は景気の良いときに中小企業に(資金を)分け与えたが、今は内部留保としてため込んでリストラしている。」
 
 敢えて補足するならば、主語を欠いてはいるが「そのことに責任を感じ」るべきと亀井国民新党党首が非難しているのは、会食相手である御手洗・経団連会長であるとするのは、まず常識的判断だろう。3番目の亀井発言も、これを裏付けている。また、第3番目の発言中の「経営者」は、「大企業の経営者」の意味であろう。
 
 御手洗会長も同様に考えたと見えて、
 
 御手洗「私どもの責任ですか。」
 
と「答えた」と報じているが、恐らくは反駁したと考えるのが至当と思われるが、いかがであろうか。

 さらに、上記発言を披露した後、今日の閣議後の記者会見での亀井金融相発が続報されていて、上記の自らの発言について、と説明した。

 亀井4「取り消す気は全然ない。市場原理、市場主義が始まって以来、身近なところで不満や利害の衝突が起き、殺人という形につながった面が多い。そういう社会風潮を作ったという意味で、大企業に責任があると言った。」
 
 つまり亀井金融大臣は、大企業経営者の代表として御手洗・経団連会長を選挙前の一党首時代から非難叱責し続けているというのである。


2.この発言の論旨について

 上記の一連の発言(といっても4つだからそう多い数ではないが)からすると、亀井金融相は次のように考えている。
 
 ① 市場原理、市場主義が始まって以来、身近なところで不満や利害の衝突が起きている。
 ② 上記の不満や利害の衝突は殺人、特に家族間の殺人につながる事が多い。
 ③ 市場原理、市場主義の導入は大企業の責任である。
 ④ 故に、殺人特に家族間の殺人が増えた責任は大企業の経営者にある。
 ⑤ 市場原理、市場主義が導入される以前の大企業経営者は、景気の良いときに中小企業に(資金を)分け与えていた。
 ⑥ これに対し今の大企業経営者は、資金を内部留保としてため込んでリストラしている。
(⑦) 上記①~⑥の論旨は、亀井金融相の信念である。
(⑧) 上記⑥は大企業経営者が市場原理、市場主義を導入した結果である。
(⑨) 故に大企業経営者は大いに反省し、市場原理、市場主義から脱却し、人間を人間らしく扱わねばならない。

 ⑦⑧⑨に( )をつけたのは、これらが亀井金融相の発言に直接は出てこないからだが、論旨からすると当然そうなるだろうと思われるが、いかがであろうか。
 
 言うもさらなりだが、まずは上記の「亀井思想」を分析してみよう。
 初っ端の①から②へのつながりでさえ、相当なギャップと言うか飛躍がまずある。市場主義、市場原理が競争を激化する傾向にあることは確かであろうが、それは一義的には経済的競争であり、それによって起こるのもまた一義的には経済的軋轢である。家族間といえども遺産相続などで経済的軋轢を生じることは無いではないが、「増えている家族間殺人」の原因が経済的軋轢とは到底信じられない。経済的独立以前の子供と親の間で、殺人に至るような経済的軋轢が生じるのは希であろう。
 市場原理・市場主義による競争の激化が親子兄弟の家族間でさえ殺人にいたる「雰囲気」を醸し出したとの主張かも知れないが、それならばその競争の直接的結果である経済的理由の殺人の方が家族間殺人よりも遥かに増加しそうなものだが、寡聞にしてそのような事実走らないし、亀井金融相の主張も経済殺人には触れていない。
 
 ③も相当偏見に満ちているように思われる。市場原理・市場主義と言うのはつまるところ経営の考え方といえるだろうが、経営しているのは大企業ばかりではない。中小企業も経営配しているし、市場主義・市場原理を導入するのに大企業と中小企業の間に根源的な差異があるとは考えられない。要は経営者の胸先三寸ではないのか。
 その胸先三寸で市場原理・市場主義が導入されてきたのは、市場主義を取ろうが何主義を取ろうが、企業と言うのは商売に大失敗すれば倒産せざるを得ない競争原理が働く資本主義社会にあり、そこでの生き残りに市場主義・市場原理が有利であったからではないのか。その有利は、大企業の方が大きいのかも知れないが、中小企業とて特に庇護で設けていない限り、同じ事ではないのか。
 言い換えれば市場主義・市場原理が家族間殺人につながる「悪」だと仮定しても、その導入の責任を大企業の経営者だけに押し付けられるとは到底思われない。
 
 御手洗会長が「私どもの責任ですか。」と④に対して反発するのも無理は無い。
 
 ⑥にしたって御手洗会長としては一言も二言もあるところだろう。何しろ今は「百年に一度」と言われる経済危機状態。そんなときに昔のしかも景気の良い頃の経営者を引き合いに出されても、困ってしまうだけだろう。
 
 諸兄御承知のとおり、亀井静香金融相は郵政民営化に反対して自民党を飛び出したもので結成された国民新党の党首である。その出自からして、郵政民営化に反対なのは、当の存在理由にも関わるから無理も無かろうとは思うが、その背景にかような「思想」が隠れていたのかと思うのは、私だけだろうか。
 
 その「思想」が、私有財産に全ての戦争の原因を求めたマルクスと同様の危うさととんでもなさを感じるのも私だけだろうか。