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 私は、言語学については極基礎的な用語を学生時代友人にレクチャーしてもらっただけで、特に言語学に学んだわけでも本を読んだわけでもないから、言語学に関してはズブの素人だ。それでも文章を書いたり読んだりが割と好きであるし(*1)、外国語では英語はナントカ出来、ドイツ語フランス語は辞書と首っ引きなら読めないことは無い(*2)から、日本語をある程度相対評価できると思っている。
 そんな私が今回挑むのは、我が国固有の言語、日本語に対する考察である。

<注釈>
(*1)だから、こんなブログを弱小ながらも続けている。
(*2)フランス語の発音は別だ。あのつづりで、あんな発音をしろなんて、「反則」だ。


1.「言葉は音声であり、文字はその影である。」と言う説

 「言葉は音声であり、文字はその影に過ぎない。」と言う説があるそうだ。本が出版されているほどだから、それ相応に支持も権威もある学説なのだろう(*1)。
 が、私は全く賛成できない。
 諸兄御承知の通り、日本語と言うのは同音異義語が多く、「箸」と「橋」はイントネーションと意味が地方によって逆転していたりする。
 江戸っ子は「ひ」と「し」の区別が付かないから、「日比谷(ひびや)」と「渋谷(しぶや)」がごっちゃになる、と言うのは同音異義語ではないが、似たような事情である。
 「それは日本語が言語として未完成だからだ。」と言えない事もないだろうが、我々は同音異義語が多くてもさして困ってはいない。
 それは漢字・表意文字が日本語の一部になっているからではないか。
 先の説を唱える学者先生は「文字は言葉の影である」証拠として次の一文を挙げている。
 
  「古いデントウのある学校に入学する。」
  
 さあ、「デントウ」として諸君が思い浮かべたのは、Light=電灯か、Tradition=伝統か?

 私はTraditionを思い浮かべた。
 「伝統」と言う漢字と共にだ。
 「古いLight」を映像としてイメージするのは容易だろう。が、「古いTradition」を映像としてイメージするのは相当困難であり、それよりは漢字の方が遥かに思い浮かびやすいではないか。
 
 言い換えれば抽象名詞を思い浮かべ、取扱う上で、表意文字は強力な武器となりうると言う事だ。

<注釈>
(*1)始めに断ったとおり、私は言語学についてはズブの素人だから、どれが定説かなんてのは知らない。


2.SFに見る言語論

 SFと言うと「空想科学小説」とも呼ばれ、ともすれば荒唐無稽の代名詞にもなるが、異なる発想や別方向からのアプローチ、或いは極端化による特質の抽出などの点では示唆に富んだ題材となることもある。
 
 例えばSFに於ける言語の「特質の抽出」事例として、クリント・イーストウッド主演のSF空戦映画「ファイヤーフォックスFire Fox」を取り上げてみよう。
 未だ冷戦華やかなりし頃に書かれた小説を原作とするこの映画は、当時のソ連の技術の粋(とユダヤ人科学者の血と汗)を結集したマッハ4以上の高速とステルス性を誇る最新鋭戦闘機「Mig-31 Fire Fox」を米空軍パイロット・ミッチェル・ガント少佐(クリント・イーストウッド)が強奪しようとする話だ。この映画の中でFire Foxは、最高速度マッハ4以上を誇る超音速巡航とステルス性の他に、後方発射ミサイルや「ロシア語による」思考制御などのSF的ハイテク(*1)でストーリーを盛り上げると共にクライマックスでのガント少佐のピンチを提供する。
 即ち、クライマックスのFire Fox同士の空中戦でパニックに陥ったガント少佐は、「ロシア語で考える」事ができなくなって思考制御が効かなくなり、ピンチに陥るのである。
 このロシア製思考制御を利用するには、「必ず、ロシア語で考える事」が条件になっていたから。
 ここで描かれているのは、同じ事を考えるのでも、例えば「機首を上げて上昇する」と言う考えであっても、言語によって思考と言うのは異なる形を取っており、「思考制御」なる機械は他の言語による思考を受け付けないと言うコンセプトである。

 言い換えれば、思考を言語の下位レベルに置いているのだ。

 実際にそうであるかは疑問の余地がある。車椅子の移動方向を思考によって制御すると言うのは実験段階と言う記事が一寸前にあったが、未だ実験段階で言語による思考信号の差異は未確認であった筈だ。ひょっとして、言語を超えた万国共通の概念としての思考と言うのが正しい形であり、機械がそれを検知すると言う可能性は、未だ残ってはいる

 思考を言語の下位レベルに置く考えを推し進めると、小説「1984」の新語法New Speakが想起される。徹底した社会主義一党独裁に統治された世界を描くこの小説では、共謀どころか政府に反する思考そのものが犯罪として取り締まられ、その思考を文字通り思想統制する手段として、新語法New Speakが登場する。形容詞は制限され、比較級は「プラス」「ダブルプラス」の2段階に単純化され、「神」とか「自由」とか「民主主義」等の社会主義一党独裁にとって都合の悪い言葉は「思考犯罪」の一語に集約されて語彙からも消滅させられるのが新語法New Speakだ。
 NHKはじめとするマスコミや自称「人権団体」が推し進める「差別用語狩り」や、旧文部省・現文科省が夢見てやまない日本語からの漢字追放・削減は、思考を制限し統制するためのNew Speakに他ならないと、私は考えるのだが如何だろうか。
 それはさておき、此処で描かれているのもまた、「言語によって統制或いは制限される思考・思想」である。

 小説「バベル-17」に描かれるのは1984やFire Foxより遥か未来、恒星間戦争を断続的に継続中の人類だ。時に起こる大規模な破壊工作と、その直前に交わされる「暗号通信」。その「暗号通信」が暗号ではなく全く別の言語であると、女性言語学者が突き止めることからこの物語は始まる。
 「バベル-17」と名付けられたこの言語は、一人称や二人称すらなく、人間の言葉と言うよりマシン語に近いが、合理的な語彙を持ち、思考や意思決定を加速する効果もある言語で、何度か主人公=女性言語学者の危機を救うが、研究を進めるうちにこの言語学者の自我を乗っ取ってしまう。
 そこは古典的SFのお約束で、最後にはちゃんと大団円が用意されてはいるのだが。
 
 「Iはamであり、Youはareだから。」
 
 さはさりながら、此処で描かれているのもまた、思考を解放或いは制限し、ついには自我までも乗っ取ってしまう程の「言語」である。
 
 言葉には力があり、霊力が宿ると言う言霊(ことだま)思想が日本人の根底にあると言う説は、井沢元彦氏の唱えるところであるが、言語に対し強力な力を付与或いは投影するのは、何も日本人ばかりではなさそうだ。Fire Foxはアメリカ映画、「1984」のジョージ・オーウエルはイギリス人、「バベル-17」のサミュエル・R・ディレーニイはアメリカ人だ。

<注釈>
(*1)後方発射ミサイルや思考制御は無理だが、超音速巡航とステルスの両立はF-22ラプターが実現している。
 因みに現実のMig-31はMig-25の発展型で、確かに高速ではあるが、せいぜいマッハ3であるし、勿論超音速巡航でもステルスでもない。


3.日本語に対する私的考察

 言語は、思考のためのツールであり、方法である。
 数学が数式を以ってその真理を解き明かしつまびらかにするように、思考は言語によって形を成し、少なくとも他者に提示しうる形に具現化する。
 
 従って、言語と音声、文字との相関を考える上で、思考と音声、文字の相関を考えてしかるべきだろう。
 
 言うまでもないが表音文字は音を表し、音声と文字を結び付けている。
 他方、表意文字は、意味を表し、思考と文字を直結していると言える。

 であるならば、言語と文字の関係は、表音文字と表意文字とでは、異なっていると見るのが道理であろう。
 
 これはあくまでも言語学に関するズブの素人(*1)の独断だが、「文字が音声としての言葉の影に過ぎない。」のは、表音文字の話ではないのだろうか。
 英語をはじめとする欧州諸国語や、ハングルばかりになってしまった現在の韓国語(多分、北朝鮮語も)ではそうなのかもしれない。
 しかし、表意文字を使う、単に「使う」どころかこれを駆使しないとやりきれないような日本語に於いては、(表意)文字と言葉は不可分である、と私は考える。
 従って、戦後一貫して日本語から漢字を減らそう追放しようと画策し続けている旧文部省=現文科相の活動は、日本語の自殺に他ならない。
 日本語の自殺を幇助しては、「文部」省とか、文部「科学」省とか、称しているその名前が泣こうというものだ。
<注釈>
(*1)「素人言語学者」とすら称する気がしない。


4.深きもの、汝が名は日本語なり。

 「風の名は・・・」で私は、海上保安庁の舟艇名から、日本語に「風の名前」が百以上あること挙げて、日本語は深く自然に根ざしている事を述べた。
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/28271917.html

 「猿真似ならず、人真似なり。」で私は、日本語への文字の導入について述べ、漢字と言う外来文字をものの見事に自家薬籠中のものに吸収してしまった古代日本人の能力とその言語力に敬意を表した。
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/25972179.html
 
 今回の記事で、日本語と言うのは深く自然に根ざしているばかりでなく、深く文字にも根ざしている事を論じている。
 なんとも、我が国語、日本語は、奥の深い言語ではないか。
 
 日本語の御名を誉むべきかな。