(承前) 前の記事:社民党を嗤え4.http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/29769504.html

5.北東アジアを非核化し、核も戦争もない21世紀をめざします

 社民党のマニュフェスト「平和・人権」の5.項では再び「北東アジア非核化」が登場する。「核も戦争も無い21世紀」さえ目指す。21世紀に入って既にいくつもの戦争が発生しているが、「目指す」だけだから良いのだろう。
 
 所が初っ端の(1)は「外交・安全保障関係の情報公開」「「密約」問題の真相究明」と来た。これが「北東アジアの非核化」に寄与するとしたら、非核三原則の3番目「持ち込まず」の強化でしかないから、我が国への核兵器配備を取りやめるだけの一方的且つ実質の伴わない「前進」でしかない。(2)で謳う「非核三原則の法制化」も同様である。そもそも我が国は核兵器を保有していないのだから、「非核三原則」をどう強化しようが、「非核化」の前進にはならない。
 
 (3)は正味の所サッパリ判らない。まず「核兵器の役割を縮小させるため」として「拡大抑止(核の傘)の役割を対核兵器に限定」すると言う。
 これ即ち、核に対抗する核の抑止力を容認している・・・様に見える。「核兵器国による消極的安全保証を再確認します」とあわせて考えると、従来からある核による核の抑止を、社民党が渋々ながら認めている様に思える。
 
 その直後の(4)で「核兵器国に核の先制不使用宣言をよびかけ、条約化をめざします。」は上記(3)の意趣返しと言うことなのかも知れない。核の傘による核の抑止は認めるが、それは核に対する抑止のみに限定してその代わり「核の先制不使用宣言」を出させるぞ、と言う社民党の意気込みは伝わってくる。マニュフェストとしては、これまた「めざす」だけだから、成果が出なくても、公約違反にはならない。
 問題は勿論、「核の先制不使用宣言」成立の目処がないことだ。核兵器を開発して、何とか核保有国に入り込もうという北朝鮮に対する選択肢を考えれば「核の先制不使用」なんて脳天気な宣言を出せる国は、そうはないだろう。
 無論我が国には核兵器がないから、こんな宣言を出しても、屁のツッパリにもならない。
 
 (5)は「CTBT(包括的核実験禁止条約)の強化」を唄うが、北朝鮮の核開発が、このCTBT体制下で実施されたことを思えば、抜本的な強化が必要と思えるのだが、書かれた文言からは、それは伝わってこない。
 
 (6)は何をトチ狂ったのか、我が国の原子力政策を槍玉に挙げ、「核拡散につながるプルトニウム利用政策を転換」だと言う。当たり前だがこれによって防げるのは、我が国がプルトニウムを使った核兵器を作る可能性だけであり、「非核化」にとっては唯の半歩の前進でもない。
 
 (7)は、これまた何をトチ狂ったか、対人地雷、クラスター爆弾に続いて劣化ウラン弾の禁止条約の「実現をめざす」そうである。我が国周辺諸国で、クラスター爆弾禁止条約を批准している国はないなどと言うことは、「北東アジアの非核化」にも何の影響もないらしい。それを言うなら劣化ウラン弾を禁じたところで、「北東アジアの非核化」には一切何の関係もないのは余りにも自明なのだが・・・それともひょっとして社民党、「劣化ウラン弾もウランだから核兵器」と言う理屈なのだろうか?
 
 更に恐るべき事には、此処に並べられた7項目を全部完全に実行したとしても、せいぜい「核の無い21世紀」の入り口に立てるかどうかと言うところで、「戦争の無い21世紀」になんか全然結びつかない。劣化ウラン弾なんぞなくても、戦争はいくらでも出来るのである。
 従って、この5.項もまた羊頭狗肉の感が強い。「北東アジア非核化」は前述なのだから、いい加減このあたりで「マニュフェストに盛り込むべき安全保障策」のねたが切れたと見るべきだろうか。僅か5項なのにな。


(2.)社民党の国家意識を嗤う

 さて前述の如く笑うべき国防政策を堂々と開陳し、公開し、マニュフェストとして晒している社民党であるが・・・問題は国防政策ばかりではなさそうだ。
 初っぱなの1.項で触れかけた点であるが、「1.北朝鮮に核保有を断念させ、戦後処理問題の解決に取り組みます」には以下のような公約が並ぶ
 
 「(3)国会図書館に戦争の事実調査を行う恒久平和調査局」
 「(4)「慰安婦」問題、強制連行等の戦後処理問題の早期解決」
 「(6)「慰安婦」問題の最終的な解決」
 「(8)アジアの人々と共有できる歴史認識」
 「(9)無宗教で対象を軍人軍属に限らない新たな慰霊施設建設と政府首脳の靖国神社公式参拝禁止」

 流石は村山談話の総本山と言うべきか、自虐的被虐的な公約の羅列だ。
 (3)は東京裁判を、終戦以来60年以上を経てもう一度開催しようと言うことである。「恒久平和調査局」と言う名前からして1984の「平和省」を想起させるが、「戦争の事実調査を行う」と言うのだから、仕事は真理省、即ち歴史の改竄であろう。
 こう書くと、社民党或いはその支持者から猛烈な反発が来るかも知れない。「事実調査を行うのに歴史改竄とは何事か。むしろ逆だ。」と。
 だがそう言う方々に是非お尋ねしたい。
 戦後64年を閲し、当時を直接知る存命の方も今や相当少なくなっている。これは一つの証言に対しても裏を執ることが難しいことを意味する。証言者の年齢を考えれば、反対尋問などと言う検証に耐える証人の方が少ないだろう。記録書類は60年やそこらで消えてなくなりはしないが、偽造改竄することは出来る。「東京裁判の再演」をこれ幸いと、当時の日本ひいては今の日本に不利になる偽証人偽書類を準備する者も当然出てくると思うべきだが、そうした事態に対し、この「恒久平和調査局」は徹底した検証と反対尋問を以って望み、我らの先人の、ひいては我らの、名誉を守らせるだけの覚悟と準備はあるかと。
 言い換えれば、反対尋問さえ充分に認められなかった、我らの先人にとって大変不利であったかつての東京裁判ではなく、公平公明正大な裁判を行うだけの心算があるか、と。
 (4)及び(6)に上げられている「慰安婦」問題、強制連行についても同様なことが言える。かつて河野洋平が河野談話を出そうとしたとき、大規模な調査に関わらず日本国政府が慰安婦だの強制連行だのに関与したとする証拠は、全く出てこなかった。それでも河野談話は政治的決着として出されたが、結局何の決着にもなっていないのは諸兄ご承知の通りだ。
 今再び「恒久平和調査局」だの「慰安婦問題の最終的解決」だのを打ち出すことは、河野談話の愚を繰り返す公算が大であるが、民主党及びその支持者は、正しくそれを狙っているのか。
 
 (8)も非道いものである。村山談話の総本山に何を言っても無駄なのだろうが、繰り返し言うと・・・歴史観という者は人の数ほどある。国があれば国ごとに違って当たり前だ。その歴史観をアジアの人々と共有できるなんてのは幻想に過ぎない。出来ることはせいぜい、自国の歴史観を捨てて、他国の歴史観に追従するだけ。それでも例えば中国と韓国では歴史観が違うし、韓国と北朝鮮でも違う。とどのつまり、「アジアの人々と歴史観を共有」しようと無理をすれば、精神分裂に陥るほかになくなる。
 それこそ正に、社民党と社民党支持者の狙うところであるか。
 
 (9)に至っては言葉もない。「無宗教の慰霊施設」等という表現に、言語矛盾さえ感じないのは、所詮、慰霊する気がないからと断じて良かろう。
 そんな輩が、「軍人軍属に限らない新たな慰霊施設建設」など、笑止千万と言うべきだ。
 
 全体を通底して言えることは、民社党というのは、徹底的に日本というもの、日本と言う国家、国権、国土、伝統、歴史、文化、日本人というものを、ないがしろにしたがっていると言うことだ。
 
 私はかつて野党である民主党に「確かな野党になれ」といくつかの記事を書いた。確かな野党とは、国家に忠良なる野党だとも書いた。それは、民主党がいまだ国家に忠良とは思えなかったからだ。端的に言って、今でも忠良とは思っていない。
 
 社民党に対しては民主党よりも更にはっきりと言える。社民党は、かつて政権与党として首相を出したことさえあるのに、否、その首相の最大の実績が村山談話であるが故に、「国家に不忠なる野党」であり、このたびめでたく、「国家に不忠なる与党」になろうとしている。(*1)


<注釈>
(*1)社民党に対し民主党がどれほど増しかというと、大差はなさそうではあるが。