その昔、あるところで見た顔写真つきの組織表がある。 にほんブログ村
 
 上中下三段に人の上半身写真が貼ってあり、上の二段は一人、下の段には3人が並んでいた。
 
 下二段の写真は自衛官の制服を着ており、下の段は陸海空各自衛隊の制服が揃い踏み。つけている階級章等から、陸海空自衛隊の幕僚長であると知れる。

 中の段の一人はそうすると当然、統合幕僚長。制服組のトップだ。いずれも相応に歳を取り、相応に迫力だか威厳だかがある男性なのは、我が陸海空3自衛隊の(数少ない)将星たちなのだから、まあ、当然だな。
 
 となると上の段にいる人物は、統合幕僚長の上、自衛隊三軍の最高指揮官である。
 戦前から戦中までの昔で言えば天ちゃん=天皇陛下だが、戦後の自衛隊は(建前上)皇軍ではなくなり、統帥権もなくなった(*1)から、三軍の最高指揮官は、日本国首相。私が見た組織表のトップも、当時の首相が鎮座ましましていた。
 
<注釈>
(*1)とは言え、受け継ぐべき伝統は、しっかり受け継いでいると思うが。「近衛師団」は無くなったけどね。


1.1 最高指揮官としての日本国首相

 先述の通り日本国首相は三自衛隊を束ねる最高指揮官であり、文民統制の元、憲法9条の制約があるから「自衛隊を動かして、真珠湾なりどこなりを攻撃する事で開戦する」権限は有していないが、一朝有事の際に自衛隊に「防衛出動」を命じる権限があり、文民統制の元、防衛出動は首相しか命じられない。

 言い換えれば敵国が攻めてきた、敵がミサイルを撃ってきたなどの有事の際に「撃ち返してよし。迎え撃て。」と命じる事は日本国首相にしか出来ないし、これが無ければ我らが三自衛隊が如何に精強無比であろうとも、本格的な防衛活動及び戦闘はできず、そうでなくても侵略者(*1)に対する数的劣勢が予想される我が三軍はますます苦しい立場になり、敗北から敗戦となるの可能性が高まる。
 
 従って首相の防衛出動命令が何らかの迷いなり、逡巡なり、性格なり「友愛外交」なり、利敵行為なりにより発令されないもしくは発令が遅れると言う事は、我が三自衛隊の敗北即ち我が国の敗戦、主権の喪失、日本国の滅亡につながりかねない。
 
 言うまでもない(*2)が敗北による主権喪失は日本国民の生命と財産が、もはや日本国政府の保護を受け得ない事を意味する。
 古代の戦争のように、降伏した国民や軍が即座に殺されたり、奴隷にされたり、利き腕を切り落とされたりと言うことはない(筈)であるが、先の大戦においてもシベリア抑留や「戦犯」に対する死刑執行のような例もあるから、「丸腰の民間人だから安心」などと言う状態とは程遠いのが現実だ。
 
 防衛出動の命令一つでかような事態を招きかねない最高指揮官=日本国首相の責任は誠に重大である。
 
<注釈>
(*1)侵略者は我が自衛隊に勝てると思えるだけの兵力を、局所的か一時的かもしれないが、集めてくる筈だ。
(*2)と思うのだが・・・案外自信がない。「赤軍が攻めてきたら、赤旗と白旗を持って威厳ある降伏をすれば良い。」と公言してはばからない輩がかつては居たし、今も似たようなのは居る。


1.2 首相選びとしての衆議院選挙

 世情騒がしい通り、今月末の衆院選は「政権交代を賭けた」選挙といわれ、実際その可能性はあるのだろうし、マスコミ各社がこぞって民主党を担いでいる現状ではなおさらなのだが、所詮選ぶのは「国民=投票する有権者」である。
 
 であればこそ、「バラマキ」と批難されようが、財政的裏打ちが怪しかろうが、財政再建への道程が更に遠退こうが、「消費税据え置き」などと言う文言が乱舞し、「幸福を実現します」などと言う箸にも棒にもかからぬ抽象的な公約まで飛び出して、国民の歓心を買おうと各党とも必死である。
 
 言わば、「無料のパンと見世物を、如何に多くの「国民」に配るか」を競っているかのように見えるのは、私だけだろうか。

 無論「無料のパンと見世物」を喜ぶ国民は多いだろうし、喜ばない国民の方が少ないかもしれないが、ここが民主主義が衆愚政治に堕して衰亡するか、賢明な国民が賢明な選択をして健全な民主主義を維持するかの分かれ道だろう。
 
 その「無料のパンと見世物」以外の評価基準として、想起されたいのが、今度の衆議院選挙が政権交代の可能性を有するということは、日本国首相がどの党から出るかと言うことを左右する選挙だということであり、言わば首相選びの選挙だということであり(*1)、それは即ち我が陸海空三自衛隊の最高指揮官を選ぶ選挙だということだ。


<注釈>
(*1)ここまでは、「あの」マスコミでも良く報じているところだ。


1.3 最高指揮官として相応しいのは誰か?

 無論、最大与党の党首が首相になるとは限らない。政権与党の党首であれば首相となる可能性はあるので、民主党政権となれば連立確実とされる社民党の福島党首ですら首相となる可能性はあり、三自衛隊の最高指揮官として、防衛出動なり治安出動なりの発令の決断を迫られる可能性がある訳だ。
 
 まあ一寸想像してみて欲しい。
 
 北朝鮮の弾道ミサイル発射実験に対し、万一の落下に備えてなけなしのミサイル防衛部隊を要所に展開した日本国政府・麻生首相に向かって「迎撃しても破片は落ちてくる。落ちてくる破片が危なくは無いのか。」と延々とまくし立てた社民党党首・福島女史が、日本国首相として、陸海空三自衛隊の最高指揮官として、我が三軍に防衛出動を命じるか否かの決断を迫られる姿を。
 
 「防衛出動して、撃った流れ弾が民間人に被害を及ぼしたらどうするのか。」とでも言い出しかねないと思うのは、私だけだろうか。そうなったら、我が国の敗北滅亡は不可避であると思うのも。
 
 そこまで言わずとも、社民党党首・福島女史が、我が三軍の最高指揮官として相応しいと断言できる者は、果たしてどれぐらい居るだろうか?
 
 事は麻生現首相でも、福田元総理でも、あるいは「次期首相」確実視されている鳩山民主党党首でも、小沢民主党代表代行でも同じことだ。
 
 その人が、首相として相応しいかどうかの判断基準の一部には、その人が陸海空三自衛隊の最高指揮官として相応しいか否かと言う判断基準があるはずだ。


1.4 「パンと見世物をよこせ。」と言う前に

 先述の「無料のパンと見世物」の喩えには、一寸解説が必要だったかもしれない。
 時は古代、所はローマ。ローマ帝国華やかなりし頃で、植民地からの収益(*1)と古代ギリシャから学んだ民主主義により、自由なローマ市民は栄耀栄華を誇った。
 そのローマ帝国の栄光がかげりを見せたのは、盛者必衰の理そのほかの要員もあろうが、「自由な」ローマ市民がその自由を健全に発揮せず、衆愚政治に堕したためである。
 「自由な」ローマ市民は無料の「パンと見世物」を求め、それのみを求めた。命の糧と、退屈しのぎを。そして、その二つを与える政治家に投票した。無料のパンと見世物の供給者に。その政治家が如何にパンと見世物を入手し、供給したかは問わずに。
 そうでなくとも「無料で」即ち自ら労働することも無く食料を得て飢えを凌ぎ、見世物で退屈を凌いでいるようでは、普通の人間は堕落する他ないだろう。
 ローマ市民が堕落したかどうか、私は知らない。だが、ローマ帝国が程なく衰退し、ついには滅亡に至ったことは知っている。「無料のパンと見世物」を、何時までも供給するわけには行かなかったことも。
 
 遥か後代に居るとは言え、民主主義を標榜する意味では、我らもローマ市民と遠からぬ関係にある。
 
 投票に当たっては、自らの胸に問うてみるべきだろう。
 
 我らは、無料の「パンと見世物」を求めては居ないかと。
 民主主義を、衆愚政治に、即ち民主主義の自殺へと、追い込んではいないかと。



 因みに冒頭で述べた組織表では、最高指揮官の座についていた当時の日本国首相は、村山富市だった。
 
 あの一代限りの(*2)社民党党首首相が、長年の自衛隊違憲論を一時棚上げに(*3)して、三自衛隊の最高指揮官の座に収まっていたのだ。
 
 この組織表を見たとき、その現実をまざまざと見せ付けられたとき、私が途方もない脱力感と絶望にとらわれた事を、ご理解いただけるだろうか。
 
 有史以来、指揮官に人を得ずに勝利した事例は誠に少ない。「実質上の指揮官」が建前上の指揮官とは別にあって勝利した例はあっても、実質上の指揮官無しの兵だけではそもそも組織的戦闘が成り立たず、一騎打ちで雌雄を決する頃なら兎も角、近代戦以降での勝利は皆無と言って良いだろう。
 
 逆に指揮官に人を得ず敗北した例は、無数と言って良い。
 
 日本国首相は、日本の最高指揮官である。
 
 その采配は軍事的なものばかりではないが、「兵は凶事」の孫子の言にもあるとおり、事軍事的な決断に至れば致命的に日本の命運を左右する。
 
 次回の衆議院選挙投票の際には、是非とも想起されたい。


<注釈>
(*1)奴隷の供給含む。
(*2)当時は一代に限るかどうかさえ不明だったが。それを言うなら、前述の通り、民主-社民連立政権の下で、2代目が出てくる可能性もあるな。
(*3)与党になったら、また棚に上げるのかな。民主党が、インド洋上給油活動を「憲法違反」として即時中断しないのと同様に。