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今月末の選挙へ向けて、各党のマニュフェスト(政権公約)が出揃ったと言う事で、選挙を巡る報道はますます過熱しているように見える。国民が選挙に関心を抱くよう啓蒙すると言う点では、かような報道加熱も益が無いわけではなかろうが、その報道がプロパガンダやデマゴーグである可能性は常にあるし、むしろ無いほうが珍しいと思っておくべきだろう。
須らく、マスコミ報道たるものは、不特定多数を相手に相当のインパクトをもって短時間に伝達されるものなので、受け手である不特定多数=民衆≒国民の側に相応の健全な猜疑心なりなんなりの「見る目」が無ければ、たちどころに世論操作の手段となり、衆愚政治への近道となりうることを、肝に銘じるべきである。
今月末の選挙へ向けて、各党のマニュフェスト(政権公約)が出揃ったと言う事で、選挙を巡る報道はますます過熱しているように見える。国民が選挙に関心を抱くよう啓蒙すると言う点では、かような報道加熱も益が無いわけではなかろうが、その報道がプロパガンダやデマゴーグである可能性は常にあるし、むしろ無いほうが珍しいと思っておくべきだろう。
須らく、マスコミ報道たるものは、不特定多数を相手に相当のインパクトをもって短時間に伝達されるものなので、受け手である不特定多数=民衆≒国民の側に相応の健全な猜疑心なりなんなりの「見る目」が無ければ、たちどころに世論操作の手段となり、衆愚政治への近道となりうることを、肝に銘じるべきである。
1.1 NHK朝のニュース
例えば、8/3朝のNHK第一 AMラジオニュースである。選挙に関する報道で、解説委員が一くさり御高説をぶつと言う体裁の番組。取り上げるのは先頃出揃った各党の政権公約=マニュフェストだが、タイトルも論旨も曰く「マニュフェストは万能ではない。」と言う。
かの解説委員の言う事には、各党から公表されたマニュフェストと言うのはあくまで一つの目安に過ぎないと。それだけで判断すべきではないと言うのである。
では何を判断材料に投票するのかと言うと、「普段と同じように判断すればよい。」と言う。
「普段と同じように」とは他人を評価する場合は、その人の公言している文言ばかりで判断するのではなく、その人の日ごろの行いとか、公言しているところのしぐさ、表情、振る舞いとか、「総合的な情報で判断するのが普通だろう」と言うのである。
従って、マニュフェストと言う文言に拘泥するのは宜しくなく、これまでの言動等の実績を以って政党を判断し、投票すべきである、とこの解説委員はのたもうていた。
かの解説委員の言う事には、各党から公表されたマニュフェストと言うのはあくまで一つの目安に過ぎないと。それだけで判断すべきではないと言うのである。
では何を判断材料に投票するのかと言うと、「普段と同じように判断すればよい。」と言う。
「普段と同じように」とは他人を評価する場合は、その人の公言している文言ばかりで判断するのではなく、その人の日ごろの行いとか、公言しているところのしぐさ、表情、振る舞いとか、「総合的な情報で判断するのが普通だろう」と言うのである。
従って、マニュフェストと言う文言に拘泥するのは宜しくなく、これまでの言動等の実績を以って政党を判断し、投票すべきである、とこの解説委員はのたもうていた。
1.2 一見「尤もな」意見だが・・・
一見尤もな意見である。
嘘吐きや詐欺師を見抜くのに、表情や仕草、声の調子で見抜ける事はあるだろうし、習慣的な嘘吐きや言動の一致しない者が、美辞麗句や大言壮語を吐いたとて信用されないのは、「狼少年」の逸話にも端的に現れているところであろう。
問題は、麻生首相なり、鳩山代表なり、小澤代表代行なりの「普段の言動、人となり、今までの言動、表情や仕草」を正確に知る者が、それらを元に「判断し投票すべき」者に対し余りに少数である事だ。
諸君は反論するかもしれない。鳩山民主党代表や麻生首相は公人であり、その一挙手一投足は監視され、報じられているのではないかと。新聞の片隅には「今日の首相の予定」が掲載され、その予定に従って番記者が貼りついているのではないかと。
そう、「番記者が貼りついて」いるのだ。
その番記者が、広く国民一般に、報道しているのだ。
NHKの解説委員が全く無視してくれた紛れも無い事実は、麻生首相にせよ鳩山代表にせよ、小澤代表代行にせよ、殆どの公人の「普段の言動」は、番記者などのマスコミと言うフィルターを通じてしか、大多数の選挙民には知らされないと言う事である。
嘘吐きや詐欺師を見抜くのに、表情や仕草、声の調子で見抜ける事はあるだろうし、習慣的な嘘吐きや言動の一致しない者が、美辞麗句や大言壮語を吐いたとて信用されないのは、「狼少年」の逸話にも端的に現れているところであろう。
問題は、麻生首相なり、鳩山代表なり、小澤代表代行なりの「普段の言動、人となり、今までの言動、表情や仕草」を正確に知る者が、それらを元に「判断し投票すべき」者に対し余りに少数である事だ。
諸君は反論するかもしれない。鳩山民主党代表や麻生首相は公人であり、その一挙手一投足は監視され、報じられているのではないかと。新聞の片隅には「今日の首相の予定」が掲載され、その予定に従って番記者が貼りついているのではないかと。
そう、「番記者が貼りついて」いるのだ。
その番記者が、広く国民一般に、報道しているのだ。
NHKの解説委員が全く無視してくれた紛れも無い事実は、麻生首相にせよ鳩山代表にせよ、小澤代表代行にせよ、殆どの公人の「普段の言動」は、番記者などのマスコミと言うフィルターを通じてしか、大多数の選挙民には知らされないと言う事である。
1.3 「君主は何をやっても悪く言われる。」キケロ
マスコミと言う、公人の言動を選挙民=国民に伝える手段が、全く無色透明のフィルター或いはパイプであるならば、かのNHK解説委員の「マニュフェストではなく普段の言動から判断し、投票する。」と言うのも一定の説得力を持つだろう。
実際はどうだろうか?
チンパン福田首相の頃はまだしも、安部前首相の頃から、自公両与党及び首相に対するマスコミの報道姿勢は、公明正大にして天地俯仰に恥じぬものであったろうか?
「とんでもない。」と私は断じでしまう。
章題にもした「君主は何をやっても悪く言われる。」とは古代ギリシャの弁舌家・キケロの言葉だ。言わんとするところは、為政者=政権与党と言うものは、国政の実施に責任を持つが故に、「全員が完全に満足する政治」と言うものは実施しえず、常に批判の対象となると言う事だろう。
現政策を批難し、財源の裏打ちも何も無い夢の政策を開陳するのは、政策実施の責任が無い野党の特権かもしれないが、「言うだけだったら、何とでも言えるわなぁ。(c)岡部ださく」なのである。
麻生首相に対する報道について言うならば、「何をやっても悪く言われる君主」などと言うレベルをとうに超えているように私には思われる。
「ホテルの高級バーで酒を飲んでいる。」
公費や接待で飲んでいるのなら兎も角、自腹で飲む酒の値段を、他人がとやかく言う筋合いは無い。
第一、日本国首相がガード下の赤提灯で安酒ばかり飲んでいたら、それこそ問題だろうに。
「漢字が読めない。」
漢字が読めないと言うのは恥ずかしい事とは思うが、それが日本国首相の鼎の軽重を図る基準とは思わない。それを言うなら麻生首相は、G20参加各国代表の中で、最も「漢字が読める」可能性が高い。(*1)だからと言って、G20で一番でかい顔が出来る訳ではない。
「カップラーメンの値段を知らない。」
庶民感覚の欠如と言いたいのだろうが、庶民感覚がそれほど大事だろうか。カップラーメンの値段は一つの経済指標であろうが、それを知っている事が景気対策なり国家の大計なりに、つながるとは思えない。
「親族の経営していた会社が、戦時中に捕虜を労働させていた。」
戦時捕虜を労働させる事はジュネーブ条約でも認められている。この報道で判明したのは「労働させていた」と言う事実であって、虐殺でも虐待でもない。
百歩どころか一万歩程譲って戦時捕虜の虐殺虐待があったと仮定しても、終戦時5歳であった麻生首相に、一体どんな罪過があると言うのか、私には理解できない。
親族が経営していたから、一族連座法(*2)で有罪なのか?「虐殺」から少なくとも64年経過しているのにか?
それとも、麻生首相は5歳にして既に虐殺者であったとでも主張するのか?
実際はどうだろうか?
チンパン福田首相の頃はまだしも、安部前首相の頃から、自公両与党及び首相に対するマスコミの報道姿勢は、公明正大にして天地俯仰に恥じぬものであったろうか?
「とんでもない。」と私は断じでしまう。
章題にもした「君主は何をやっても悪く言われる。」とは古代ギリシャの弁舌家・キケロの言葉だ。言わんとするところは、為政者=政権与党と言うものは、国政の実施に責任を持つが故に、「全員が完全に満足する政治」と言うものは実施しえず、常に批判の対象となると言う事だろう。
現政策を批難し、財源の裏打ちも何も無い夢の政策を開陳するのは、政策実施の責任が無い野党の特権かもしれないが、「言うだけだったら、何とでも言えるわなぁ。(c)岡部ださく」なのである。
麻生首相に対する報道について言うならば、「何をやっても悪く言われる君主」などと言うレベルをとうに超えているように私には思われる。
「ホテルの高級バーで酒を飲んでいる。」
公費や接待で飲んでいるのなら兎も角、自腹で飲む酒の値段を、他人がとやかく言う筋合いは無い。
第一、日本国首相がガード下の赤提灯で安酒ばかり飲んでいたら、それこそ問題だろうに。
「漢字が読めない。」
漢字が読めないと言うのは恥ずかしい事とは思うが、それが日本国首相の鼎の軽重を図る基準とは思わない。それを言うなら麻生首相は、G20参加各国代表の中で、最も「漢字が読める」可能性が高い。(*1)だからと言って、G20で一番でかい顔が出来る訳ではない。
「カップラーメンの値段を知らない。」
庶民感覚の欠如と言いたいのだろうが、庶民感覚がそれほど大事だろうか。カップラーメンの値段は一つの経済指標であろうが、それを知っている事が景気対策なり国家の大計なりに、つながるとは思えない。
「親族の経営していた会社が、戦時中に捕虜を労働させていた。」
戦時捕虜を労働させる事はジュネーブ条約でも認められている。この報道で判明したのは「労働させていた」と言う事実であって、虐殺でも虐待でもない。
百歩どころか一万歩程譲って戦時捕虜の虐殺虐待があったと仮定しても、終戦時5歳であった麻生首相に、一体どんな罪過があると言うのか、私には理解できない。
親族が経営していたから、一族連座法(*2)で有罪なのか?「虐殺」から少なくとも64年経過しているのにか?
それとも、麻生首相は5歳にして既に虐殺者であったとでも主張するのか?
<注釈>
(*1)簡字体なんて変なものに慣れてしまった中国代表よりも読めるかもしれない。韓国代表も問題になりそうにない。
負けるとしたら、台湾代表か。
(*2)と言う法律は、現在日本にはない筈だし、当時もなかった筈だが。
それとも東京裁判のように、過去に遡及して適用する新たは法を作るのか??
(*1)簡字体なんて変なものに慣れてしまった中国代表よりも読めるかもしれない。韓国代表も問題になりそうにない。
負けるとしたら、台湾代表か。
(*2)と言う法律は、現在日本にはない筈だし、当時もなかった筈だが。
それとも東京裁判のように、過去に遡及して適用する新たは法を作るのか??
1.4 貴方は、麻生首相に会ったことがあるか?
さて、マスコミはかようにも悪し様に麻生首相、自公両与党を報じて来た、と私は見ている。
「不偏不党」と言うのは一種の理想であり、なかなか難しい事は百も承知だ。マスコミに主張があるからこそ、「社説」と言う欄が新聞にもあるのだろうから、主張がマスコミにあること自体は罪ではない。
だが、例えばNHKは日本国営放送である(筈)故に「不偏不党」を建前とし、それ故に商標や商品名を報じることは極力避けている。それらの商品の宣伝になってしまう可能性があるからだ。
ではあるが、政治に対するNHKの偏向ぶりはつとに知られており、「不偏不党」などと言う金看板は、看板倒れとなっている。そういう意味で全く「マスコミ代表」と呼ぶにふさわしい。
そのNHKの不偏不党ならざる偏向報道しか、麻生首相、鳩山代表、小澤代表代行、そのほか数多の公人の「普段の言動」を知るすべがないとしたら、それを元に「普段どおりに」判断し、投票する事が妥当であろうか。
妥当であったら、それこそ不思議だ。
勿論、用心する事はできる。モスクワ放送や平壌放送に対するように、NHKや各マスコミの報道を鵜呑みにせず、報じられる報道(*1)の中から、真実の公人の姿を炙り出す事は可能かもしれない。
逆にそこまで覚悟して真実の公人の姿を見極めない限り、「普段の言動を基準に判断し、投票する。」と言うのは、相当危険である。
ここからは推定であり、「下司の勘繰り」かも知れないが・・・NHKは、既に長年流し続けた反麻生首相キャンペーンに相当な自信を持っているのではなかろうか。
また逆に、マニュフェスト=政権公約と言う文書の文言をまともに取り上げ、論点を明確にしようという選挙の動きでは、「民主党政権」が不確実になりかねないと、危惧を抱いているのではなかろうか。
それ故に、「マニュフェストではなく、普段の(マスコミ各社が流し続けてきた)言動」と言う争点のシフトを試みているのではなかろうか。
全ては推測である。
推測に過ぎない。
だが、少なくとも私は、マスコミが報じてきた「普段の言動」を、公言されているマニュフェストより優先して判断する事などできない。
如何に、国民。
「不偏不党」と言うのは一種の理想であり、なかなか難しい事は百も承知だ。マスコミに主張があるからこそ、「社説」と言う欄が新聞にもあるのだろうから、主張がマスコミにあること自体は罪ではない。
だが、例えばNHKは日本国営放送である(筈)故に「不偏不党」を建前とし、それ故に商標や商品名を報じることは極力避けている。それらの商品の宣伝になってしまう可能性があるからだ。
ではあるが、政治に対するNHKの偏向ぶりはつとに知られており、「不偏不党」などと言う金看板は、看板倒れとなっている。そういう意味で全く「マスコミ代表」と呼ぶにふさわしい。
そのNHKの不偏不党ならざる偏向報道しか、麻生首相、鳩山代表、小澤代表代行、そのほか数多の公人の「普段の言動」を知るすべがないとしたら、それを元に「普段どおりに」判断し、投票する事が妥当であろうか。
妥当であったら、それこそ不思議だ。
勿論、用心する事はできる。モスクワ放送や平壌放送に対するように、NHKや各マスコミの報道を鵜呑みにせず、報じられる報道(*1)の中から、真実の公人の姿を炙り出す事は可能かもしれない。
逆にそこまで覚悟して真実の公人の姿を見極めない限り、「普段の言動を基準に判断し、投票する。」と言うのは、相当危険である。
ここからは推定であり、「下司の勘繰り」かも知れないが・・・NHKは、既に長年流し続けた反麻生首相キャンペーンに相当な自信を持っているのではなかろうか。
また逆に、マニュフェスト=政権公約と言う文書の文言をまともに取り上げ、論点を明確にしようという選挙の動きでは、「民主党政権」が不確実になりかねないと、危惧を抱いているのではなかろうか。
それ故に、「マニュフェストではなく、普段の(マスコミ各社が流し続けてきた)言動」と言う争点のシフトを試みているのではなかろうか。
全ては推測である。
推測に過ぎない。
だが、少なくとも私は、マスコミが報じてきた「普段の言動」を、公言されているマニュフェストより優先して判断する事などできない。
如何に、国民。
<注釈>
(*1)例えば麻生首相に対する罵詈雑言
(*1)例えば麻生首相に対する罵詈雑言