[https://history.blogmura.com/his_war/ にほんブログ村 戦史(古今東西)]
 相反すること、相容れないことを表す言葉に「矛盾」というのがある。「矛(ほこ)」と「盾(たて)」と書く。
 「全ての盾を貫く完全な矛」と「全ての矛を防ぐ完全な盾」とは、同時には存在し得ないと言う、中国の故事にならった「2字熟語」である。
 

1. 矛と盾の選択

 さて、矛を攻撃力、盾を防御力と単純化して国防政策にあてはめると、大別して4つの選択肢がある。
 矛も盾も持たない、丸腰。
 矛も盾も持つ、完全装備。
 矛は持つが盾は持たない、攻撃重視。
 矛は持たず、盾は持つ、防御重視。
 この四択になる

2. 矛と盾の実際

 矛も盾も要らない、と言う人も世の中には掃いて捨てるほどある。「丸腰万歳!憲法九条が国を守る」と信じるような人たちだ。こういう人たちに、私は可能な限り言うようにしている。

 「寝言は、寝て言え。
 起きたまた寝言を言う奴は、狂人だ。」
 
 この世は「平和を愛する諸国民」にも「その善意」にも満ち溢れて等居ない。卑近な例では、ピースボートの世界一周客船が、ソマリア沖では「主義主張よりもお客様の安全を優先して」自衛隊に護衛を依頼するなぞその証左だ。
 従ってこの選択肢はありえない。
 
 「矛も持てば盾も持つ」国は、たとえばアメリカだろう。盾の代表がミサイル防衛であり、レーガン大統領のSDI戦略防衛構想以来のアメリカンドリームとも言える。或いは小規模とは言え、ミサイル防衛と核弾頭、充実した通常装備を持つイスラエルもそうだ。
 
 矛を持ち盾を持たない国の典型は、北朝鮮だろう。未だ実験段階の長距離弾道ミサイルと、大量配備の短距離弾道ミサイル、それにたった2回だけ核実験して見せた核弾頭で、現政権の安泰から食料・エネルギーはては「強盛大国化」まで、矛だけで脅し取ろうというのだから、図々しいったらありゃしない。
 
 アメリカに対するソ連、転じてのロシアはというと「盾」の方で張り合う方は諦め、もっぱら矛を重視しているようだ。
 尤も、最新鋭の地対空ミサイルには限定的ながらミサイル防衛能力を唱って輸出しているから、張り合える物なら盾でも張り合いたいのだろう。
 矛を重視すると言う意味では「沿岸防衛のために空母が要る」なんぞと抜かしている、中国だって同じだろう。

3.盾は無力か、軍事的脅威か

 盾、例えばミサイル防衛は「侵略的」だとか、「軍事的脅威」だとか言う説もある。ロシアは一貫して「ミサイル防衛はロシアにとっての軍事的脅威だ。」と主張している。ミサイル防衛という盾が有効だと、アメリカの方は自由に矛が振るえるのに対し、ロシアの矛は大いにその威力を減じられるからこれは「脅威」と言うわけだ。
 事情は自前の「盾」を持たない中国や北朝鮮にとっても同じであろう。
 
 言い換えるならば、少なくともロシアは、ミサイル防衛という盾が有効な物であり得ると、有効である「畏れ」があると公に認めて居るわけだ。
 その有効な盾が、アメリカの戦略的柔軟性を高めると言う、アメリカにとって有利、ロシアにとっての不利となることも。
 従って、盾・ミサイル防衛は、少なくとも無力ではないと期待できる。イスラエルが小なりと言えどもミサイル某絵に熱心で、独自開発(Arrow,Arrow2)、アメリカとの共同開発(Iron Dome, David's Sling)含めて複数のミサイル防衛システムを開発・配備しているのも、その証左であろう。
 

4. 我等、如何にすべきか?

 翻って我が国はと言うと、矛もまあないではないが、もっぱら盾を磨いている。
 盾の中心はやはりミサイル防衛即ちペトリオットPAC-3であり、イージス艦搭載のスタンダードミサイルである。
 「もっぱら盾を磨く」と言うのは、決して楽な道ではないし、安上がりの方法でもない。
 
 安上がりというならば、経営破綻国家・北朝鮮が弾道弾と核弾頭を開発して世界相手に強請りたかりをやっていることからも、矛と盾、どちらが安いかは明らかだろう。
 では我が国も盾よりも矛を重視して、防衛費を抑制すべきだろうか?同じGNP比1%であるならば、コストパフォーマンスが高いのは、盾ではなく矛ではないか?
 
 それもまた、一つの方法である。
 実のところ、その決定権は日本国民が、国民を代表して政府が、握っている。日本国民として、日本政府として、大いに議論あってしかるべきだろう。
 「専守防衛は、高くつく」事を。
 
 が、「あの」憲法を含む現法制下では、矛ならぬ盾を充実させることが早道であるとは言えそうだ。盾・ミサイル防衛の有効性を実証し、願わくば、完全なる盾を得る事が。
 矛・攻撃力の整備は、その片手間でもある程度可能だろう。核弾頭はともかく、地上発射の弾道ミサイルならば、技術的ハードルは相当低い。平壌に一撃かけるだけならそれで十分だ。北京やモスクワとなるともう少し遠いが、大した距離ではない。
 
 有効な盾は、我が国にとっての利益である。
 それがアメリカにとっても利益になると言うのは、二議的な話。
 さらにそれが中国やロシアや北朝鮮にとっての不利益になると言うのは三議四議五議的どころか、逆に正しく我が国にとっての利益であろう。
 
 忘れてはいけない。
 「矛盾」と言う言葉は、完全な盾と完全な矛が同時に存在することはあり得ないことを意味している。
 片方だけなら、例えば「完全な盾」だけなら、理論的には存在しうるのだ。
 
 勿論、神ならぬ身の人が、完全な盾を実現するなど容易な業ではない。だが、それを目指すことは出来る。
 
 Frrieden in der Hand.
 平和を、我が手に(※1)。



<注釈>
(※1)「我が手に」と言うところが味噌だろう。他人様の手になる「平和」何ぞ、当てにならないし、利益にもなりにくい。