艦隊現存主義(Fleet in Being)と言う思想がある。
 「須く(すべからく)艦隊たるものは先ず第一に存在し続けることに意義があり、存在し続けることで抑止力=敵に与える脅威(※1)たりうる。」と言う考え方で、それ故に「艦隊の現存」を第一にする考え方である。
 これは、「艦隊決戦思想」とは対極にある考え方だ。「敵主力との決戦によって、一気に戦争の終結を図る。そのためには、味方の半分を沈めても相手を全滅させる。」とする、攻撃・戦闘重視が隊決戦思想である。仲々勇ましい考え方ではあるが、必ずしも勝利への近道ではない(※2)。
 他方艦隊現存主義の観点からすると、勝つかどうかも判らない艦隊決戦に、何よりも存在する事に意義がある艦隊の存亡を賭ける訳にはいかない。艦隊決戦をしなければ艦隊は確実に現存できるのだから、極力艦隊決戦は回避するのが筋、となる。
 第2次大戦に於けるドイツ海軍の虎の子・戦艦ティルピッツのとった行動などがその典型例だろう。北欧はアルター・フィヨルドの奥深くに陣取った戦艦ティルピッツは、滅多に出撃すらしなかったが、そこに現存する間対ソ援助のムルマンスク輸送船団に対し絶大な脅威であり続け、「ティルピッツ出激す。」の報に大英帝国海軍がムルマンスク輸送船団護衛を放棄して待避せざるを得ないほどの脅威であった。(※3)
 実際に出撃しなくとも、「そこに出撃しうる戦艦が居る。」と言うだけでかくも高い脅威=抑止力を発揮しうる。ならば「艦隊は存在し続けることが最優先で、戦闘は回避しうる限り回避する。」とするのが、艦隊現存主義だ。

<注釈>
(※1)敵に脅威を与えるものは当然抑止力足りうる。脅威を与えずに抑止力たるのは、至難の業である。
 「数は少ないが練度が非常に高い。」とか「世界の他のどの軍にも出来ないことが出来る。」とか、「敵に適度な脅威となる」事こそ、抑止力の神髄である。
(※2)むしろ敗北への近道だ。
(※3)その後、船団護衛を放棄されたPQ17船団は、ドイツ空軍と潜水艦に良いように攻撃されて大損害を出した。ティルピッツは出撃すらしていなかったというのに、だ。


1-1 ハッタリ兵器の効果

 ところで、「艦隊現存主義」言うところの「艦隊」は、必ずしも物理的に存在している必要はない、と言うことにお気づきだろうか?
 『敵に「アルターフィヨルドに戦艦ティルピッツが居る。」と信じさせることさえ出来れば、良いのであって、実際にティルピッツがアルターフィヨルドに無くとも、或いは極端な話、元々戦艦ティルピッツなんてものを建造しなくとも、十分である』と言うことに。
 無論、史実の示す通り、戦艦ティルピッツはアルターフィヨルドに存在したし、それ故にPQ-17船団は英国海軍に見捨てられることになった訳だが、「相手に信じさせることさえ出来れば、必ずしも戦艦ティルピッツの存在は必要ない。」と言うことに変わりはない。
 この考え方を押し進めれば、ハッタリ艦隊、ハッタリ兵器というものが考えられる。即ち「あたかも存在するかの如く、有効・有力であるかの如く見せかけることで、抑止力たりうる艦隊・兵器。」である。
 
 歴史的にはこういうものは第2次大戦のドイツ、即ちナチス・ドイツの十八番であったように思われる。
 例えば「夜間戦闘機He113」がある。単発単座の高速実験機He100を塗装やらマーキングやらを変えて撮影し、「夜間戦闘機隊の活躍」とか銘打って煽った宣伝は、当時の連合軍に広く信じられ、「He113の目撃例(※1)」まであるという。未だろくに航空機用レーダがない第2次大戦初期のレシプロ単発単座機をどうして「夜間戦闘機」と信じ込めたのかは一寸疑問だが、「Me109の他に有力な液冷式戦闘機がドイツにある。」と信じられたのだから(※2)、このハッタリ兵器は成功例だろう。
 同じナチスドイツでも、連合軍の欧州上陸に対応した「大西洋の壁」要塞の方は効果は限定的だったようだ。大型の沿岸砲台だの、上陸阻止用障害物だのを散々宣伝したが、連合軍はドイツの予想に反してカレーではなくノルマンディーに上陸し、かつドイツの想像を絶するような物量の「史上最大の作戦」を敢行して、張り子の「大西洋の壁」を粉砕した。
 「大西洋の壁」要塞は上陸策戦準備のための期間を長くさせた効果はあったかも知れないが、所詮はハッタリ兵器。ハッタリがばれては忽ちその神通力は消失する。

<注釈>
(※1)当然ながら誤認だ。「He113」と称したHe100は、主翼表面を冷却に使う事で冷却器分の抵抗を減らそうと言う野心的な高速研究機であるから、主翼に1発命中しただけでエンジンが過熱に陥りかねない機体。実戦には向かない。
(※2)未だ「史上最多生産航空機」の記録を保持する(筈の)メッサーシュミットMe109の数の多さもあるんだろうな。「信じられないぐらいMe109が多かった。」訳だ。


1-2 秘密兵器の効果

 さてハッタリ兵器が「ありもしない、或いはあっても実力が伴わない兵器・兵力をさも有力なように見せて抑止力とする。」のに対し、「敵に知られないようにして準備する有力(になると期待される)兵器・兵力」が秘密兵器だ。
 
 「秘密兵器」と聞くと私のような人間は血が騒ぐのを感じざるを得ないし、一定の割合(※1)で男性たるものはそうなるだろうと推定もする。「秘密にしていたぐらいの兵器だから、凄い威力があって、ここぞという処でそれを見せて/魅せてくれるのではないか。」と期待して。

 つまり「秘密兵器」と言う言葉には独特の魅力がある。

 だからこそ「黒い秘密兵器」なんて漫画は正体不明の覆面投手が活躍する話だし(※2)Secret Weapon Over Normandyは仮想・実在入り交じっての秘密兵器博覧会を背景にした空戦ゲームだ(※3)。
 
 実際魅力的に思えるらしく、秘密兵器あるいは新兵器・新戦術の秘匿の事例は戦史に数限りなくある。無論秘密にすることで実戦に投入した際敵に与えるインパクトを高めると共に、対応策を採らせない事で期待される秘密兵器の威力をさらに高めるのが狙いだろう。
 例えば、第1次大戦に登場した戦車だ。
 キャタピラの発明によって重量物の広範な地上走行が可能になり、「夢の陸上軍艦」は戦車として現実化し、膠着した塹壕に於ける突破兵器として期待されたが、その存在は実戦投入まで秘匿された。そのためも、初めて実戦に投入された戦車は、相対したドイツ軍に恐慌をもたらしたと言う。秘密兵器を秘密にした(※4)甲斐があった訳だ。

<注釈>
(※1)多数派かどうかは不明だ。
(※2)だったと思う。実は宣伝見ただけで立ち読みすらもしていない。
(※3)これも箱を見たことしかない。
(※4)尤も、その秘匿名であったWater Carrier(水運搬車)転じてTank(貯水槽)が、後に戦車の一般名になり、今日に至ろうとは、誰も想像しなかったろうが。


1-3 戦史に見る秘密兵器の実態

 先述の通り戦史に秘密兵器の事例は多いが、実際に期待通りの或いは期待以上の威力を発揮してくれた秘密兵器となると、実は数が少ない。秘密にして置いて実戦に投入したら全然役に立たずに散々な目にあってしまったり、それどころか、秘密兵器が秘密兵器のまま陳腐化してしまい、ついに日の目を見なかった事例さえある。
 
 我が国を例に取るならば、零式艦上戦闘機は成功した秘密兵器の例と言えるだろう。零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦は、戦時中も「海軍新型戦闘機」としか呼ばれなかった秘密兵器で(※1)、大東亜戦争(太平洋戦争)初頭に初めてこれに対峙した米軍を恐怖に陥れた。尤も零戦が秘密でありえた理由の一半は、当時全世界を覆っていた人種差別(=「有色人種たる日本人に、欧米を凌駕する飛行機など作れるはずがない。」)にあると思うが。

 一方、大和級戦艦「大和」「武蔵」も秘密兵器として建造され、特に主砲が18インチ(46センチ)であることは秘中の秘で、戦争中も米軍に知られることはなかったほど秘密保持に成功した。
 だが、「米軍にも知られなかった。」と言うことは、「米軍にその威力を見せつけられなかった。」事に他ならない。
 艦隊決戦で米艦隊を圧倒するはずであった大和級は、軍艦建造史上の大金字塔でありながら、期待されたほどの威力はついに発揮することなく「大和」「武蔵」とも新たな洋上の覇者=航空機の攻撃の前に倒れた。
 つまり、大和級戦艦は、秘密にしている内に陳腐化してしまった秘密兵器の事例と言わざるを得ない。(※2)
 
<注釈>
(※1)「ゼロ戦」が日本語になってしまったのは、敗戦まで秘匿し続けてきた「零式艦上戦闘機」と言う呼び名よりも、米軍=占領軍呼称のZeroの方が先に流布してしまったためだと、私は思っている。
 日本語の略なら零戦(れいせん)だろう。
(※2)誠に残念ながら。
 「戦艦」と言う言葉も「秘密兵器」と同じぐらい、或いはそれ以上に、魅力的に響くのだから。


1-4 ハッタリ兵器の限界

 さて、秘密兵器が往々にして「眠れる獅子」ならぬ「眠ったまま死んでしまった獅子」になってしまうのに対し「張り子の虎」たるハッタリ兵器の限界は何だろう。

 一つは無論、ハッタリがばれたら一巻の終わりと言うことである。「大西洋の壁」はハッタリがばれない間はこれを攻め落とそうとする連合軍に相応のプレッシャー=抑止力を与える事が出来た。アルターフィヨルドのティルピッツが実はまがい物であったとしても、それがバレるまでは第二、第三の「PQ17船団」を生じさせる可能性があった。が、バレればそれまでだ。
 
 もう一つは、ハッタリが有効でない場合だ。
 あたかも有効・有力なように見せた兵器であっても、それが相手に抑止力を及ぼす=プレッシャーを与える≒脅威を与えるものでなければ、そのハッタリ兵器がかますハッタリは何の役にも立たない。
 例えば、ミサイル防衛或いは固定サイロ発射の地対空ミサイル(※1)の様な防衛的兵器がハッタリであったとしたら、それはそれ単独では敵国に対する脅威となり得ない。当たり前だが「やってくる航空機やミサイルを撃ち落とす事が出来る」と言うハッタリは、自国民自国領土を安全なように見せかけて実は脅威にさらしているという状態ではあっても相手国を脅かしているわけではない。
 従って、防衛的兵器のハッタリは、防衛兵器単独ではハッタリとして有効ではない。
 防衛兵器のハッタリが有効であるのは、攻撃兵器と組み合わせた場合に限る。即ち「相手国の攻撃は防衛兵器で阻止できる(かも知れない)上、相手国に攻撃兵器で痛烈な反撃が出来る。」と言うことを相手国に信じさせ無ければ、ハッタリ防衛兵器はハッタリとして有効ではない。
 
 故に、
 我が国は未だ北朝鮮なり他のどの国なりに対し有効な攻撃兵器を持っていない以上、我が国の防衛兵器、なかんずくミサイル防衛=ペトリオットPAC-3 & スタンダードSM-3 は、ハッタリではなく真に有効でなければならない。
 
 言い換えれば、某高官が放言したとおり、日本のミサイル防衛を有効なものにすることが不可能であるならば、我が国は我が国の安全保障上、有効な攻撃兵器を装備すべきである。
 
 憲法?九条?
 憲法は改正できる。憲法九条は憲法の中の唯一条に過ぎない。安全保障上の必要は、憲法改正の十分な動機である。

<注釈>
(※1)今は殆どないな。かつてはABM 対弾道弾ミサイルとして事例があった。