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 鉄道というのは、航空機の依る空路より勿論古いし、動力船に依る海路と同等で自動車に依る陸路よりも古い、陸路を司る交通機関・輸送機関としては古手の方に入る。
 イギリスに端を発する産業革命(※1)で蒸気機関という安定した動力を得た人類は、これを使って天候に依らない動力船=蒸気船を以って海路を気象という制約条件(※2)から解放すると共に、その蒸気機関を使った蒸気機関車、日本で言うところの「陸蒸気(おかじょうき(※3))」を以って陸路の動力化を始めた。鉄道である。
 同じ陸路の動力化と言うなら、既にある陸路(※4)を利用して「蒸気自動車」と言う方法もあったと思う。が、蒸気機関は馬車程度の「車」に乗せるには大きく重すぎたのだろう。おまけに蒸気機関には、燃料としての石炭(※5)や水をおりを見て補給してやらねばならないし、そのためには石炭・水の補給処も必要になる。そうしたインフラ整備と蒸気機関の大きさ重さが、「予め敷設したレールの上を、機関車が列車を引っ張って輸送する」鉄道を合理的選択とし、普及させたのだろう。
 
 その鉄道の頂点に現在あるのが、高速鉄道であり、その先駆者にして未だその功績を燦然と輝かせているのが、我らが日本の新幹線である。
 
 何?仏TGVや独ICEにとうの昔に速度で抜かれていると?
 然り、営業開始当初、世界最速の高速鉄道であった新幹線も、今や開業40年以上となり、この間に「世界最速」の座は明け渡している。
 が、その歴史的功績ばかりでなく、現在の経済効果とて、仲々どうして。「老兵は死なず」どころじゃぁ御座んせんぜ。
 
<注釈>
(※1)大量の鉄の安定供給と加工が不可欠だ。「村の鍛冶屋」では一寸間に合わない。
(※2)初期の蒸気船は、最大速度で帆船に劣っていたことには留意すべきだろう。順風満帆の帆船は、懸命に石炭を炊く蒸気船を追い越すことが出来た。
 が、海路の安定的確保=予定通りの航行と言う点で、帆船は蒸気船に及ばなかった。
(※3)この明治時代の呼称は、蒸気機関が「海のもの」と言う前提条件を語っている。
(※4)「全ての道はローマに通ず。」等と言われたのは、ローマ帝国の時代だ。
(※5)燃える物なら、薪でも良いのかも知れないが。

1-1 鉄道というのは世界の大半で斜陽産業である

 陸路の動力化第1号として普及した鉄道は、鉄路や駅等の初期投資がかかる物の、一度敷設してしまえば大量輸送に向いていた。ために資源や製品の輸送で産業を支えると共に、軍隊の輸送に革命をもたらした。
 だからこそ、日露戦争ではシベリア鉄道が単線であった事がロシアの援軍を制限したし、ドイツが第1次大戦に当たって建てた「東のロシア、西のフランスに対しドイツ国内の発達した鉄道網による輸送を以って2正面対処する。」と言う「広義の」シユリフェーンプランを可能にしたのも、鉄道あればこそだ。(※1)
 
 だがしかし、かつて陸路の王者であった鉄道は、現在では世界の大半で斜陽産業とされている。
 その主因は米国・T型フォード量産に端を発するモータリゼーションの発達と普及だろう。一度に大量の物資を運ぶのに鉄道は向いているが、ドアからドアへのきめ細かな輸送は自動車には適わないし、高速鉄道を除く在来線は、高速道路を走る自家用車は勿論、トラックにも速度で劣るだろう。
 
<注釈>
(※1)「空気から窒素を取り出して、チリ硝石無しでも火薬を製造可能にした。」ハーバー・ボッシュ法も忘れるべきではないが。


1-2 陸路の王者=自動車に抗する鉄道

 そう、「従来からある在来線ならば」、だ。
 自動車及びモータリゼーションに、速度で対抗する鉄道というコンセプトは蒸気機関の昔からあり、戦前の満州鉄道の特急「亜細亜」号もその例だろう。このコンセプトでは重量のある搭載物は不利になるから、乗客輸送が中心になったのも無理はない。その分、料金は高く設定するのもまた当然だ。
 一方で自動車側の発達と普及も目覚ましいから、このコンセプトは必然的に自動車と鉄道のイタチゴッコになった。
 
 そのイタチゴッコに終止符を打つ、決定的に高速な輸送手段として登場したのが、高速鉄道、我が国で言う「新幹線」である。
 新幹線の「時速250km」と言うのは現在でも大概の自家用車では出せない(※1)速度であり、新幹線開業当時の1960年代ではそれこそ目もくらむようなスピードだったに違いない。
 高速というなら空路の担い手・航空機の方が勿論上だ。ジェット旅客機ならマッハ0.8程度、時速にして900kmほども出るし、超音速旅客機ならその倍以上を出す。が、アメリカぐらい空港だらけ(※2)な国なら兎も角、普通の国では空港は駅より随分遠い。
 
 航空機には適わないが、自動車を圧倒する速度の高速鉄道。
 それが旅客輸送に十分な需要を持つとの予想に基づいて、新幹線は計画され、建設された。
  
 その予想は正しかった。
 
 開業して40年以上を経た新幹線は、今でもJR東海などのドル箱路線であり、「帰省ラッシュで乗車率250%」なんて事はさすがになくなったが、あの頻繁にある「のぞみ」「ひかり」の予約席が結構な率で今も埋まっている。(※3)

<注釈>
(※1)リミッターを切るなどの違法改造が必要だな。何処でその速度を出すか、も問題だ。
(※2)で、ろくに鉄道がない
(※3)さすがに「こだま」の予約席は相当すいているように見える。


1-3 反転攻勢-「エコ」と言う呪文-

 山がちな地形の我が国に、新幹線用の新たな広軌(※1)の鉄路を敷設するのは何かと厄介だったが、海沿いの東海道・山陽道を皮切りとして東北、上越と増設された新幹線は、「高速な旅客輸送手段」としての魅力を未だ保っている。
 其れは勿論、戦後大いにモータリゼーション(※2)された我が国でも国土の狭さや山がちの地形は致し方なく、ドイツ・アウトバーンのような「速度無制限道路(※3)」を作れなかったと言う事情もあるだろう。或いはひょっとして、今や都市部の日常的光景となってしまった「朝夕の出勤渋滞」を緩和する手段として、意図的に自動車に対するインフラ整備を怠ったのかも知れない。
 
 何れにせよ新幹線はその開業以来、高い乗車率と高い収益率を誇り、誇り続けている。 
 この成功例を真似しない手はないだろう。
 
 「鉄道ならば俺達の方が先輩だ!」とフランス人やドイツ人が思ったかどうかは知らないが(※4)先ずフランス人が速度の点で新幹線を圧倒するTGVを作り、ついでドイツ人がやはり新幹線を凌駕する(が、TGVには及ばない)ICE(※5)を作った。
 
 その後、韓国だ中国だ台湾だ何だと導入されている高速鉄道は基本的にこのTGV、ICE、新幹線の亜流もしくは混合物だと・・・私は思っている(※6)。先に当ブログで取り上げた米国・カリフォルニア州の高速鉄道も然りであるし、何でも「ウリナラ(我々流)」のお隣・韓国の高速鉄道もそうだ。
 
 これら高速鉄道が「航空機には劣るが自動車には勝る。無論船には圧勝する。」高速だけが売り物だったら、新幹線でさえ開業以来40年も売り物ではあり続けなかったろう。
 鉄道には元々大量輸送に向いていた。一度に大量に運べると言うだけでなく、少ない燃料・資源で大量に運べると言う特性があり(※7)高速鉄道は高速化されてもこの特性を残していた。

 そこへ、石油危機から始まり、現在の「地球温暖化防止(※8)」の二酸化炭素規制に至る「省エネルギー」重視の風潮が来れば・・・新幹線を「エコ出張」と称して宣伝するのもうべなるべしというべきだ。宣伝による乗客数増加のほどは兎も角、イメージアップにはなるに違いない。

 省エネルギーは、高速鉄道のアドバンテージとなった。

 昨今の金融危機に始まる不況で、さしもの新幹線も乗客数を減じているとは言うが、未だ数%の話。殆ど計測誤差であろう。
 
<注釈>
(※1)2本のレールの間隔が広い鉄路の事。当たり前だがこの規格が合っている車輌ならば相互に乗り入れが容易である。
 逆にこの規格が合っていないと車輌の方に特殊な仕掛けがない限り、車両の乗り入れは出来ず、鉄道輸送に支障を来す。
 インドの鉄道が狭軌広軌など種々の規格が入り交じっているのは、旧宗主国イギリスの「分割して統治する」統治方針のためという説がある。
(※2)日本のトヨタが、世界一の自動車メーカーになるなんて、敗戦の焼け野原で想像した者が、一体何人いるだろう。
(※3)さすがに今は制限されていると聞くが
(※4)どっちも、「自分たちの鉄道こそ世界一」とは思っていそうだ。尤も、後発のドイツICEがわざわざ速度で仏TGVに劣る高速鉄道を開発した意図は分からない。
(※5)ドイツ語張りに「アイ・ツェー・エー」と読む可し。英語読みだと「アイス=氷」になってしまう。
 尤も告白するならば「TGV」のフランス語読みを私は知らない。「ティー・ジー・ヴイ」と読んでしまう。「テーゲーファウ」とは読まないが。
(※6)誤認あれば御指摘願いたい。他の記事にも書いたが、私はいわゆる鉄道マニア「テッチャン」でも時刻表マニアでも鉄道ミステリマニアでもないのだ。
 そりゃ時刻表ぐらいは読めるし、鉄道に関する通り一遍の知識はある。列車砲なら多少知っているし、映画「軍用列車」も割と好きだが。
(※7)この特性に関する限り、今でも海路=船は陸路=自動車・鉄道に勝っているのだが。
(※8)この事自体、相当怪しいようには思うが。


1-4 「新幹線」 40年経っても 「新」幹線

 何度も書いているが新幹線は開業以来既に40年以上を経過している。何しろ開業したのは(前の)東京オリンピックに間に合わせるようにしたというのだから、相当昔だ。
 
 そしてその開業以来、未だにタダの一人も死者を出していない。

 負傷者は残念ながらあった。が、自殺志願者が飛び込んでも、地震を走行中に喰らって脱線しても、未だに死者は出していない。特に後者については多分に僥倖のなせる業ではあるが、死者ゼロであることに変わりはない。
 対してドイツICEは海外にも聞こえる大事故で死者を出しているし、TGVとて無傷ではない。あの運行本数の少なさ(ICEは1時間に1本。TGVは日に数本だった。)で、だ。
 これは勿論、新幹線というシステム、新幹線というハードウエアだけで達成された偉業ではない。
 新幹線を開発し、設計した人、組立て作った人、整備し扱う人、多くの先人と現職の人の力によって、新幹線は未だ死者ゼロ記録を更新中である。
 この記録は、今や実質世界第3位に甘んじている鉄道の高速度記録よりも、余程難しく、かつ価値のある記録である・ 
 そして、その記録を担った人たちの大半は、我ら、日本人である。
 
 「如何なる堅艦快艇も、人の力によりてこそ
  その精鋭を保ちつつ、強敵風波に当たり得れ」

 「彼等、日本人にのみ可能な正確さ」-「目標!砲戦距離4万!!」佐藤大輔-

 この高く実証された安全性に加えて、少々料金設定が高い気はするものの、未だドル箱路線であり続ける高い収益性は、章題にもしたとおり、開業以来40年以上を経てもなお色あせない「新幹線」と呼ばれ続けるだけの価値を持っている。
 
 
 ああ、言い忘れていた。
 「新」幹線である。
 「新」艦戦ではない。(※1)

<注釈>
(※1)艦上戦闘機なんて機種、我が国が保有しなくなって久しいが。敢えて言えばもうじき退役のF-4EJファントムIIがそうか。