報じられているのは日本の佐藤栄作首相(当時)が1965年にアメリカに対し、日中戦争が起きた場合は核兵器で報復してくれるように依頼したという物。外交文書公開で明らかになった物で、この報道にはないが別の報道では、佐藤首相の依頼に対しアメリカ側も理解を示し、時のマクナマラ国務長官から一定の約束を取り付けたとの事。http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081222/plc0812220052008-n1.htm
 
 この報道では他に河村健夫官房長官(現職)が、日本の非核3原則を「確固不動の政策」と言い、「米国もこれを理解している」と語ったと言う。非核3原則は当時の佐藤首相もマクナマラ長官との会談で強調したと別の報道は言うが、一方別の報道では佐藤首相時代の外務省が非核3原則の宣言を、外交の自由度を下げるものと反対する報告をしたとの事。
 即ち佐藤首相時代の外務省としては、「日本は核武装もあり得る。少なくともその可能性を否定しないことで、外交上の自由度を高めたい。」との意図があったのだろう。
 
 今回の外交文書公開から第1に判ることは、核兵器という物の威力と効果というものを、政治的効果や特異な有用性まで含めて、佐藤首相や当時の外務省は良く理解しており、これを巧みに外交カードに利用したと言うことである。
 それこそ今の政府首脳や況わんや外務省では足元にも及ばないのではないかと危惧されるほどの、深い理解である。
 
 第2に、「持たず。作らず。持ち込まず。」の非核三原則が、米国の傘の下、米国からの核先制攻撃があり得るという事を背景と考えて出された物であると言うこと。
 即ち日米安保及び米国による核先制攻撃の可能性無くして、少なくとも佐藤首相は非核三原則は出さなかったであろうと言うこと。
 そうなっていれば、彼はノーベル平和賞ももらえなかったことになる。

 第3に、「持たず。作らず。持ち込まず。」に「使わせず。」を加えた「非核4原則」なる拡大版がいかに浅薄で脳天気かが改めて実証されたこと。
 非核3原則さえ、アメリカの核攻撃の、少なくとも可能性が前提であるのに、「使わせず」も無いだろう。
 大体「使わせず」が実現できるのなら、その前の3原則なぞ全く不要と言うのは、以前から判っていたことではあるが。
 
 「米国の核先制攻撃を前提とした非核三原則など欺瞞であり、佐藤首相のノーベル平和賞も欺瞞だ。」と言う理想論をかます人はいるだろう。
 話が逆だ。
 確固たる日米安保と、米国による核先制攻撃の可能性というバックボーンがあってこそ、「日本の確固たる政策としての非核三原則」は打ち出せたのであり、このバックボーン無くしては打ち出せなかったのだ。
 それがノーベル平和賞に値するかどうかは全く別の評価だ。ノーベル平和賞は、国威の発揚にはなっても、安全保障の足しにはならない。まあ憲法9条よりは、国威が上がる分、良い影響があるかも知れないが。
 
 所で、中国の脅威は今や当時の比ではない。
 まあ、我が自衛隊三軍も、当時よりは相当ましな軍隊に仕上がってはいるが、「非核三原則」のお陰で核兵器は欠片もない。
 日米安保はまず順調に発展はしているといって良かろう。
 が、米国による核先制攻撃の可能性はどうだろうか。特に、核実験しただけの今の北朝鮮よりちょっとましなだけの中国と、今の中国の核装備は段違いだ。米国による中国核攻撃の可能性は、格段に下がったと言えよう。
 
 と考えると、
 「非核三原則を宣言して、外交上の自由度を下げるべきではない。」とした、佐藤首相時代の外相の考え方の方が、現状には適合するのでは無かろうか。
 
 非核三原則の破棄。
 
 北朝鮮相手の6カ国協議が案の定失敗した今、日本の一つの選択肢である。