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史書と言えば大陸は支那、今で言うところの中国もしくは中共こと中華人民共和国の自慢の種。御国自慢は人間の原初的感情とは言え、しばしば大した根拠もないのに大いに自慢してしまうのは人間の悲しさ可笑しさだが、大陸の古代に「史記」をはじめとする世界に類のないほど多くの史書があったのは事実である。
尤もこの「多くの史書」。よく見てみるとあれこれと訳ありだ。
大陸の史書は大別して正史と野史に分けられる。正史というのは時の為政者、当時の王朝が編纂させた「正式な」史書。野史というのはそれ以外だ。理の当然かも知れないが現在に伝わる史書の多くは正史であり、これまた理の当然かも知れないが正史は時の王朝の正当性を裏付け、これを讃える。少なくとも時の王朝に不都合なことは記録しない。
一方で大陸には古くから易姓革命と言う思想がある。易姓とは姓を変える事。昔の王朝だから世襲が当たり前。世襲ならば当然姓は変わらない。その姓を変えてしまうのだから、子供でも親類でもない赤の他人が王位なり帝位なりを「継ぐ」と言うこと。「悪い君主は天意に逆らっているのだから、その者は君主の座から追い払い、別の実力ある者が君主となるべきだし、それが天意だ。その者は、今の君主にとって赤の他人であっても構わない。(むしろその方が望ましい)」と言うのが、私の理解しているところの易姓革命思想である。革命思想の大先輩であることは間違いないだろう。
とは言えこの革命、「禅譲」で平和的に決まることは殆どなく、大概は盛大な流血革命であり、前王朝の王家一族は皆殺しが通り相場。革命ほやほやの新王朝としてはそうでもしなければ気が休まらないのだろうけれど、かかる流血を断行するには通常、思想的背景が必要になる。その思想的背景が易姓革命思想であり、言い換えれば前王朝の非道と新王朝の正当性の強調である。
かくて新王朝が成立して真っ先にやることの一つが、前王朝の非道をならし新王朝の正当性をうたう新たな「正史」の編纂と言うことになる。このとき前王朝の正史は「野史」として追放される。下手するとこの易姓革命=王朝交代が2世代かそこらで起きるのだから、史書の数が増えるのも道理だ。
かかる1984に於ける真理省ばりの状態は、現在の王朝(※1)である共産党政権下でもさして変わらない。何かにつけて日本の政府や首相の「歴史観」を追求するのも、根底にあるのは彼等の正史を押しつけようと言う中華思想丸出しの傲慢さであろう。
<注釈>
(※1)さすがに北朝鮮のように世襲ではないが・・・先代の国家主席が「貴方がやってくれれば安心だ。」と言ったというのが次代の国家主席を決める根拠というのでは、易姓革命ではなく禅譲革命であることが見つけもの、と言うだけで立派な「王朝」だろう。
正史としての日本書紀
さて、王朝が編んだ正史というならば、我が国の古事記・日本書紀も同様である。我が国ではあれやこれやそれやで万世一系の単一王朝・天皇家が連綿として皇位にあり、「帝位」もしくは「王位」と言うような政治的権力を有していた時代は案外短いが、逆にそれ故に、一貫して至高の地位にあり続け、現在も日本国憲法第1条で「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されている。
多分、それ以上に重要なことは、天皇家にとっては事実上「前王朝」が存在しない事だろう。何しろ御先祖様は神様に遡ってしまう、天孫降臨の故事は先述したとおりである。
古事記・日本書紀にもクマソのような地方豪族や、大国主尊の様な別系統と思われる神様は登場するが、先代或いはライバルとなりうる統治者としての別の王朝は登場しない。つまり、日本の天皇王朝は自らの正当性を正史で強調する必要がなく、そのままの状態で現在に至るという、誠に希有な王朝なのである。
古代中国から見ると(或いはひょっとすると今の中国共産党政府や朝鮮金王朝にとっても)、実に羨ましい存在なのかも知れない。日本の天皇制は(※1)。
「天孫降臨などと言う神話=フィクションを史書に記すことで天皇制を正当化している。」と言う説は成り立つだろうが、あまりに現代的感覚に思われる。古代世界では政治は神事と紙一重というか表裏一対。統治者としての天ちゃんは最高の神主でもある。長い事文字による記録が無く、しかしながら口伝と伝承で独自の文化と歴史を育んでいたと思われる古代日本人(※2)の立場に立てば、大神主の先祖が神様なのはむしろ当然だろう。
「前王朝やライバルの王朝がなかったのではなく、正史から消し去ったのだ。」と言う説を成す者もいるだろう。確かに天皇王朝が編んだ正史としての古事記・日本書紀から都合の悪い別の王朝を消し去ることは可能であったろう。しかしそれならば、何故クマソや大国主は残したのかが判らないし、古事記・日本書紀の中には相当「反体制的」な言動も散見される理由はさらに不明だ。
克てて加えて古代日本は、ほぼ同時代に「万葉集」と言う和歌集を編んでいる。これに収録された和歌の作者は勿論天皇や貴族皇族もいるのだが、一介の庶民もおれば読み人知らずの歌もあり、内容も相当反体勢的なものも含んでいる。古事記・日本書紀が消し去った別王朝があったとしても、万葉集にはその片鱗が伺えそうな者と思うが、如何だろうか。
<注釈>
(※1)その代わりと言っては何だが、政治的実力を持たない時代は、結構な貧乏暮らしを強いられて来たのだが。
「天皇は、君臨すれども統治せず。」」あれ?
(※2)文字もない時代の歴史をこの様に断言してしまうのは、漢字導入後も「大和言葉」が失われず、後に「平仮名」さらには「カタカナ」と言う大発明をなして、これを漢字と混在させ、なおかつ共存させてしまうと言う離れ業をなしているから。
確固たる独自文化と言うものを仮定しなければ、この離れ業は説明しがたい。
もし、確固たる独自文化もなしにかかる離れ業をなしたのだとしたら・・・少なくとも古代の日本人は、大天才の化け物で人と言うよりそれこそ神に近そうだ。
言っては何だが、朝鮮半島のハングル文字の歴史と比べると、その差は歴然だ。
野史としての日本書紀
前置きが長くなったが、今回の主題は天皇制でも古事記でもなくて日本書紀である。この日本書紀、大陸の史書にも他の史書にも類を見ない特徴がある。それがにもした「一書に曰く」として記載された異説・異論である。
類似のものはノンフィクション小説、例えば第2時大戦のレニングラード包囲線を描いた「攻防900日 the 900 days」等には見られる。第2次大戦・独ソ戦下のソ連という、極めて政治的な背景だけに、現代史とは言え(いやそれ故にか)「史実」を一つに絞り込めず、注釈という形で異説を併記している。客観的に歴史を記述する、一つの手法であろう。
無論、日本書紀に記された異論・異説が全ての異論を尽くしているとは思えないし、「天皇や王朝にとって不都合な異論・異説は排除した。」と言う可能性は完全に消去できるものではない。
しかしながら、日本書紀は、異論異説というものがあり得ることを認めている。仮にある一定のフィルタリングがかかっていたとしても、「正史以外はみんな野史=偽史」とする大陸との立場の違いは明らかだ。
それが民主主義を目指したもの、ではないだろう。当時は民主主義なんて概念はなかったろうから。(※1)先述の通り、他の王朝に比べて正当性を主張しなければならないと言うことがなかったから、異論異説を寛容出来た、と言う事情もあるかも知れない。
だがしかし、異論異説を異論異説であると判る形で「一書に曰く」と明記した日本書紀に、私は、勝者の余裕と言うよりも先人の知恵を見いだす。
異論異説を排さないことが、結局正しい、或いはより良い判断につながるのだ、と言う先人の知恵を。
我田引水が過ぎるだろうか?
<注釈>
(※1)民主主義はなくとも、国民を「民草」として慈しむという心構えは、相当昔にさかのぼれるが。
物語としての日本書紀
諸兄ご承知の通り、古事記・日本書紀の後も天皇家は連綿と続き、現在に至っている。政治的実権の方はしばらく後に武士=幕府に奪われ、朝廷は赤貧にあえぐ時代もあったが、続いた。単に続いただけでなく、西欧列強による植民地化の危機が迫ったときには、明治維新という革命の思想的中枢として不死鳥の如く蘇り、ほぼ無血の革命を達成している。
その間の歴史には、無論大陸のような史書もあるのだが、むしろ特に古代史は歴史物語として語り継がれ、書き継がれたように思われる。「鏡物」「大今水増(ダイコンミズマシ)」等と総称される歴史物語は、やがて平家物語や太平記のような軍記物へとつながっていった・・・のだと思う。
はなはだ自信がないのは私は学生時代、文学史が大嫌いで、古文漢文、なかんずく和漢混淆文なんてのは好きだが、源氏物語は大嫌い。現代文学史なんてまとめて忘却土に叩き込んでしまった「文学史嫌い戦史大好きの歴史マニア=素人」だからだ。
とは言え、歴史物が古事記・日本書紀を受けた日本の史書と見てさほど間違いではないと思われる。
つまり、古代日本人は知っていたのだ。
歴史は、単なる史実の集合体ではなく、民族固有の共通記憶の集大成、物語であると言うことを。
その意味では馬鹿みたいに(いや馬鹿その物か)政権変わるたびに踏み絵の如く「村山談話を踏襲」している今の日本政府の方が、余程「歴史」について無知蒙昧であると言えよう。
[[img(http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php,1,1, )]]
史書と言えば大陸は支那、今で言うところの中国もしくは中共こと中華人民共和国の自慢の種。御国自慢は人間の原初的感情とは言え、しばしば大した根拠もないのに大いに自慢してしまうのは人間の悲しさ可笑しさだが、大陸の古代に「史記」をはじめとする世界に類のないほど多くの史書があったのは事実である。
尤もこの「多くの史書」。よく見てみるとあれこれと訳ありだ。
大陸の史書は大別して正史と野史に分けられる。正史というのは時の為政者、当時の王朝が編纂させた「正式な」史書。野史というのはそれ以外だ。理の当然かも知れないが現在に伝わる史書の多くは正史であり、これまた理の当然かも知れないが正史は時の王朝の正当性を裏付け、これを讃える。少なくとも時の王朝に不都合なことは記録しない。
一方で大陸には古くから易姓革命と言う思想がある。易姓とは姓を変える事。昔の王朝だから世襲が当たり前。世襲ならば当然姓は変わらない。その姓を変えてしまうのだから、子供でも親類でもない赤の他人が王位なり帝位なりを「継ぐ」と言うこと。「悪い君主は天意に逆らっているのだから、その者は君主の座から追い払い、別の実力ある者が君主となるべきだし、それが天意だ。その者は、今の君主にとって赤の他人であっても構わない。(むしろその方が望ましい)」と言うのが、私の理解しているところの易姓革命思想である。革命思想の大先輩であることは間違いないだろう。
とは言えこの革命、「禅譲」で平和的に決まることは殆どなく、大概は盛大な流血革命であり、前王朝の王家一族は皆殺しが通り相場。革命ほやほやの新王朝としてはそうでもしなければ気が休まらないのだろうけれど、かかる流血を断行するには通常、思想的背景が必要になる。その思想的背景が易姓革命思想であり、言い換えれば前王朝の非道と新王朝の正当性の強調である。
かくて新王朝が成立して真っ先にやることの一つが、前王朝の非道をならし新王朝の正当性をうたう新たな「正史」の編纂と言うことになる。このとき前王朝の正史は「野史」として追放される。下手するとこの易姓革命=王朝交代が2世代かそこらで起きるのだから、史書の数が増えるのも道理だ。
かかる1984に於ける真理省ばりの状態は、現在の王朝(※1)である共産党政権下でもさして変わらない。何かにつけて日本の政府や首相の「歴史観」を追求するのも、根底にあるのは彼等の正史を押しつけようと言う中華思想丸出しの傲慢さであろう。
<注釈>
(※1)さすがに北朝鮮のように世襲ではないが・・・先代の国家主席が「貴方がやってくれれば安心だ。」と言ったというのが次代の国家主席を決める根拠というのでは、易姓革命ではなく禅譲革命であることが見つけもの、と言うだけで立派な「王朝」だろう。
正史としての日本書紀
さて、王朝が編んだ正史というならば、我が国の古事記・日本書紀も同様である。我が国ではあれやこれやそれやで万世一系の単一王朝・天皇家が連綿として皇位にあり、「帝位」もしくは「王位」と言うような政治的権力を有していた時代は案外短いが、逆にそれ故に、一貫して至高の地位にあり続け、現在も日本国憲法第1条で「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されている。
多分、それ以上に重要なことは、天皇家にとっては事実上「前王朝」が存在しない事だろう。何しろ御先祖様は神様に遡ってしまう、天孫降臨の故事は先述したとおりである。
古事記・日本書紀にもクマソのような地方豪族や、大国主尊の様な別系統と思われる神様は登場するが、先代或いはライバルとなりうる統治者としての別の王朝は登場しない。つまり、日本の天皇王朝は自らの正当性を正史で強調する必要がなく、そのままの状態で現在に至るという、誠に希有な王朝なのである。
古代中国から見ると(或いはひょっとすると今の中国共産党政府や朝鮮金王朝にとっても)、実に羨ましい存在なのかも知れない。日本の天皇制は(※1)。
「天孫降臨などと言う神話=フィクションを史書に記すことで天皇制を正当化している。」と言う説は成り立つだろうが、あまりに現代的感覚に思われる。古代世界では政治は神事と紙一重というか表裏一対。統治者としての天ちゃんは最高の神主でもある。長い事文字による記録が無く、しかしながら口伝と伝承で独自の文化と歴史を育んでいたと思われる古代日本人(※2)の立場に立てば、大神主の先祖が神様なのはむしろ当然だろう。
「前王朝やライバルの王朝がなかったのではなく、正史から消し去ったのだ。」と言う説を成す者もいるだろう。確かに天皇王朝が編んだ正史としての古事記・日本書紀から都合の悪い別の王朝を消し去ることは可能であったろう。しかしそれならば、何故クマソや大国主は残したのかが判らないし、古事記・日本書紀の中には相当「反体制的」な言動も散見される理由はさらに不明だ。
克てて加えて古代日本は、ほぼ同時代に「万葉集」と言う和歌集を編んでいる。これに収録された和歌の作者は勿論天皇や貴族皇族もいるのだが、一介の庶民もおれば読み人知らずの歌もあり、内容も相当反体勢的なものも含んでいる。古事記・日本書紀が消し去った別王朝があったとしても、万葉集にはその片鱗が伺えそうな者と思うが、如何だろうか。
<注釈>
(※1)その代わりと言っては何だが、政治的実力を持たない時代は、結構な貧乏暮らしを強いられて来たのだが。
「天皇は、君臨すれども統治せず。」」あれ?
(※2)文字もない時代の歴史をこの様に断言してしまうのは、漢字導入後も「大和言葉」が失われず、後に「平仮名」さらには「カタカナ」と言う大発明をなして、これを漢字と混在させ、なおかつ共存させてしまうと言う離れ業をなしているから。
確固たる独自文化と言うものを仮定しなければ、この離れ業は説明しがたい。
もし、確固たる独自文化もなしにかかる離れ業をなしたのだとしたら・・・少なくとも古代の日本人は、大天才の化け物で人と言うよりそれこそ神に近そうだ。
言っては何だが、朝鮮半島のハングル文字の歴史と比べると、その差は歴然だ。
野史としての日本書紀
前置きが長くなったが、今回の主題は天皇制でも古事記でもなくて日本書紀である。この日本書紀、大陸の史書にも他の史書にも類を見ない特徴がある。それがにもした「一書に曰く」として記載された異説・異論である。
類似のものはノンフィクション小説、例えば第2時大戦のレニングラード包囲線を描いた「攻防900日 the 900 days」等には見られる。第2次大戦・独ソ戦下のソ連という、極めて政治的な背景だけに、現代史とは言え(いやそれ故にか)「史実」を一つに絞り込めず、注釈という形で異説を併記している。客観的に歴史を記述する、一つの手法であろう。
無論、日本書紀に記された異論・異説が全ての異論を尽くしているとは思えないし、「天皇や王朝にとって不都合な異論・異説は排除した。」と言う可能性は完全に消去できるものではない。
しかしながら、日本書紀は、異論異説というものがあり得ることを認めている。仮にある一定のフィルタリングがかかっていたとしても、「正史以外はみんな野史=偽史」とする大陸との立場の違いは明らかだ。
それが民主主義を目指したもの、ではないだろう。当時は民主主義なんて概念はなかったろうから。(※1)先述の通り、他の王朝に比べて正当性を主張しなければならないと言うことがなかったから、異論異説を寛容出来た、と言う事情もあるかも知れない。
だがしかし、異論異説を異論異説であると判る形で「一書に曰く」と明記した日本書紀に、私は、勝者の余裕と言うよりも先人の知恵を見いだす。
異論異説を排さないことが、結局正しい、或いはより良い判断につながるのだ、と言う先人の知恵を。
我田引水が過ぎるだろうか?
<注釈>
(※1)民主主義はなくとも、国民を「民草」として慈しむという心構えは、相当昔にさかのぼれるが。
物語としての日本書紀
諸兄ご承知の通り、古事記・日本書紀の後も天皇家は連綿と続き、現在に至っている。政治的実権の方はしばらく後に武士=幕府に奪われ、朝廷は赤貧にあえぐ時代もあったが、続いた。単に続いただけでなく、西欧列強による植民地化の危機が迫ったときには、明治維新という革命の思想的中枢として不死鳥の如く蘇り、ほぼ無血の革命を達成している。
その間の歴史には、無論大陸のような史書もあるのだが、むしろ特に古代史は歴史物語として語り継がれ、書き継がれたように思われる。「鏡物」「大今水増(ダイコンミズマシ)」等と総称される歴史物語は、やがて平家物語や太平記のような軍記物へとつながっていった・・・のだと思う。
はなはだ自信がないのは私は学生時代、文学史が大嫌いで、古文漢文、なかんずく和漢混淆文なんてのは好きだが、源氏物語は大嫌い。現代文学史なんてまとめて忘却土に叩き込んでしまった「文学史嫌い戦史大好きの歴史マニア=素人」だからだ。
とは言え、歴史物が古事記・日本書紀を受けた日本の史書と見てさほど間違いではないと思われる。
つまり、古代日本人は知っていたのだ。
歴史は、単なる史実の集合体ではなく、民族固有の共通記憶の集大成、物語であると言うことを。
その意味では馬鹿みたいに(いや馬鹿その物か)政権変わるたびに踏み絵の如く「村山談話を踏襲」している今の日本政府の方が、余程「歴史」について無知蒙昧であると言えよう。
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