諸兄御存知の通り、我がブログは一日のアクセス数が下手すると一桁、と言う弱小ブログである。であるから本ブログが現職の自衛官やマスコミ関係者の目に留まり、一定の影響力を及ぼすという可能性は皆無に近い。
それは承知であるものの、先頃の田母神空幕長更迭劇に見られる日本における民主主義の危機は、看過し得ざるものがあり・・・もし、私が自衛官諸子を前に演説する機会があるとしたら、この様な演説を打つであろう、と言うのが今回の駄文である。まあ、アジ演説とか、檄文とか、評されるものかも知れない。
現時点においては、私はこの様な檄文を自衛隊内に散布したりこんな演説を打ってまわらなければならない、とは思っていない。大手マスコミの偏向ぶりが改めてあぶり出された今回の更迭劇だが、同時に冷静な対応を示す報道機関もなきにしもあらず、と判明しているから。
だが、油断は出来ない。
他の所でも述べているとおり、 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/19583178.html 今回のような思想統制は、思想侵略の疑いがあり、竹島はおろか対馬まで自国領だ等と厚顔無恥にも主張し始めた半島の情勢を併せて考えるなら、少なくとも不気味な暗合と言うべきだろう。
さて、壇上に立った私の目の前に、陸海空3自衛隊からの代表たちが、ずらりと整列していたとする・・・
.自衛官に告ぐ-田母神空幕長を忘れるな-
自衛官諸君、ついに私が畏れていた時が来てしまった。自衛官諸君の雌伏の時が。
端緒となったのは前空幕長、田母神氏の論文である。諸君も承知の通り、同論文は戦前の日本について、日本のみが侵略国家とされるのは濡れ衣であると論じた、いわば大日本帝国擁護論という可きものである。同論は田母神氏の持論であり、自衛隊外の懸賞論文応募という形を取った事から広く世間の知るところとなったが、よって立つ論拠は特に新奇なものがあるわけではなく、いわば非道くまっとうな議論である。
にもかかわらず、これが政府見解である、あの「村山談話」に反するとして、マスコミはじめとする騒動に発展し、さらには、「文民統制に反する」との奇怪な論拠を以って自衛官の対外発表はおろか隊内訓話や教育に至るまで、政府見解、即ち現状の所は村山談話の、大日本帝国悪玉論に反しないよう、言論統制、思想統制を強制されるに至った。
対外発表する論文を正規の手続きを経ずに出したという内規違反だけのはずが、「文民統制」の美名の元、自衛隊3軍に対する村山談話=大日本帝国悪玉論の強制と、それ以外の言説の禁止されるに至った。
今回槍玉に上がった田母神氏の論文については、「正しくはあるが、賢くはない。」とする論評もある。その後田母神氏が更迭され、自衛官としての職を追われたばかりか、自衛隊全体から政府見解意外の言説を奪う事実は、残念ながらこの論評がある意味正しいことを示している。
.自衛隊小史
思えば自衛官諸君の苦難はほぼ自衛隊、否、警察予備隊発足以来、間断無かったと言っても過言ではあるまい。占領政策の一環として武力放棄をうたった憲法を押しつけられながら、朝鮮戦争と冷戦の開始と共に、実質の軍隊として発足した警察予備隊は、「戦力無き軍隊」とされ、憲法違反と指弾され、特に共産党、社会党及びその影響下の日教組から言われ無き差別を受け続けた。
災害派遣やPKO、湾岸掃海などで着実な成果を上げ、マスコミの取り上げ方も昔ほど非道いものは少なくなったかに思えたが、一朝事が在ればこの通り、言葉狩りの魔女裁判に、自衛隊は投げ込まれ、今日の事態に至った。
慚愧の念に耐えない。
.黙って好機を待て
諸君の中にはスイス政府発行の小冊子「民間防衛」を読んだことのある者もあるだろう。冷戦華やかなりし頃に発行された冊子は、スイス国民に対し、核戦争を含む有事や災害時の心得を説き、スイスの民家には設置を義務づけられているシェルター(耐核防空壕)に備蓄すべき備品や食料などの基準を示し、武力侵攻以外の間接侵略及び心理戦宣伝戦に対する心構えさえ記された詳細な冊子である。
誠に恐るべきなのは、この小冊子には、スイス軍が武運つたなく敗れ、スイス政府が第2次大戦のフランス・ド・ゴール政権のように国外へ亡命した場合についての心構えさえ記されていることである。曰く、「黙って好機を待て。」と。
侵略者の傀儡政権に対する抵抗運動を煽るでもなく(それが開始されるであろう事は述べている)、非暴力不服従と言う理想を掲げるでもなく、亡命スイス政府が反撃に転じ、侵略者を追い払い、再びスイスに自由を取り戻す日まで、と。
私が今、自衛官諸君にお願いするのも同じである。即ち、「黙って好機を待て」、と。
自衛官諸君は今や自由な言説を封じられ、政府見解しか申し述べる事が出来なくなった。かかる共産主義や主体思想もかくやと言う硬直した思想は、間違いなく自衛隊の精強さを低下させるものであるが、願わくば自衛官諸君はその自由な精神と自由な言論を忘れることなく、内に秘め、その精強を維持向上していただきたい。
諸君の白バラを、散らす事なかれ。胸中密かに掲げ、黙って好機を待て。
再び、諸君に言論・思想の自由を取り戻す日まで。
田母神前空幕長は大日本帝国擁護論を唱えて更迭されたが、空幕長はその持論を絶対化などせず、自由な議論の対象としていた。絶対とすべきでないのは政府見解でも同様である。
田母神前空幕長は正しい論を展開したが、その正しさ故にマスコミからはたたかれ、更迭され、今日の事態を招くに至った。
自衛官諸君、田母神空幕長を忘れる事なかれ。
.民間人に告ぐ-村山談話を討て-
翻って、民間人諸君。
先述の通り、今や自衛官は言論の自由を奪われ、政府見解に異を唱えることさえままならない事態になった。
かかる事態は、自衛官諸君の側からは変更しがたいものであることは明らかである。そのために自衛官諸君が行使しうる手段は、言論に依ることが出来ない以上、武力によるものとならざるを得ず、さらには、クーデターによるものとなりかねない。
かかるクーデターは相応の正当性を持つものの、自衛隊のためにも、政府のためにも、ひいては日本国のためにもならない。
クーデターという非常手段を排するならば、自衛官諸君の言論の自由、ひいては自衛隊の精強さを取り戻す責任は、民間人諸君の双肩にかかっている事になる。
そのために、我々は何をすべきだろうか。
田母神氏の論文は基本的に誤りはなかったし、その論を絶対化せず自由な議論の対象とした。その態度もまた正しかったにもかかわらず田母神氏は更迭され、文民統制の美名の元、自衛官は政府見解に思想統一を強制されるに今日至った事態は、思うに、政府見解が村山談話をベースにしておるからこそ強制されるに至ったのである。
それが近隣諸国に阿り、思想侵略の畏れさえあるというのに、正にその故に「反軍的」で在る村山談話が自衛官に「強制文民統制」されたのである。
で、あるならば、我々の攻撃すべき目標は明らかだ。
攻撃目標は、村山談話である。
村山談話に基づく、政府見解である。
我々は、大東亜戦争に対する政府見解の改変を実施しなければならない。それは、今の村山談話に、大日本帝国悪玉論に基づくものではない、新たなものに。
この改変こそは、政府見解を自衛官に強制するという愚挙・暴挙を覆す要である。
村山談話を撤回し、新たな政府見解を!
Freiheit in der Hand!
自由を、我が手に!!
それは承知であるものの、先頃の田母神空幕長更迭劇に見られる日本における民主主義の危機は、看過し得ざるものがあり・・・もし、私が自衛官諸子を前に演説する機会があるとしたら、この様な演説を打つであろう、と言うのが今回の駄文である。まあ、アジ演説とか、檄文とか、評されるものかも知れない。
現時点においては、私はこの様な檄文を自衛隊内に散布したりこんな演説を打ってまわらなければならない、とは思っていない。大手マスコミの偏向ぶりが改めてあぶり出された今回の更迭劇だが、同時に冷静な対応を示す報道機関もなきにしもあらず、と判明しているから。
だが、油断は出来ない。
他の所でも述べているとおり、 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/19583178.html 今回のような思想統制は、思想侵略の疑いがあり、竹島はおろか対馬まで自国領だ等と厚顔無恥にも主張し始めた半島の情勢を併せて考えるなら、少なくとも不気味な暗合と言うべきだろう。
さて、壇上に立った私の目の前に、陸海空3自衛隊からの代表たちが、ずらりと整列していたとする・・・
.自衛官に告ぐ-田母神空幕長を忘れるな-
自衛官諸君、ついに私が畏れていた時が来てしまった。自衛官諸君の雌伏の時が。
端緒となったのは前空幕長、田母神氏の論文である。諸君も承知の通り、同論文は戦前の日本について、日本のみが侵略国家とされるのは濡れ衣であると論じた、いわば大日本帝国擁護論という可きものである。同論は田母神氏の持論であり、自衛隊外の懸賞論文応募という形を取った事から広く世間の知るところとなったが、よって立つ論拠は特に新奇なものがあるわけではなく、いわば非道くまっとうな議論である。
にもかかわらず、これが政府見解である、あの「村山談話」に反するとして、マスコミはじめとする騒動に発展し、さらには、「文民統制に反する」との奇怪な論拠を以って自衛官の対外発表はおろか隊内訓話や教育に至るまで、政府見解、即ち現状の所は村山談話の、大日本帝国悪玉論に反しないよう、言論統制、思想統制を強制されるに至った。
対外発表する論文を正規の手続きを経ずに出したという内規違反だけのはずが、「文民統制」の美名の元、自衛隊3軍に対する村山談話=大日本帝国悪玉論の強制と、それ以外の言説の禁止されるに至った。
今回槍玉に上がった田母神氏の論文については、「正しくはあるが、賢くはない。」とする論評もある。その後田母神氏が更迭され、自衛官としての職を追われたばかりか、自衛隊全体から政府見解意外の言説を奪う事実は、残念ながらこの論評がある意味正しいことを示している。
.自衛隊小史
思えば自衛官諸君の苦難はほぼ自衛隊、否、警察予備隊発足以来、間断無かったと言っても過言ではあるまい。占領政策の一環として武力放棄をうたった憲法を押しつけられながら、朝鮮戦争と冷戦の開始と共に、実質の軍隊として発足した警察予備隊は、「戦力無き軍隊」とされ、憲法違反と指弾され、特に共産党、社会党及びその影響下の日教組から言われ無き差別を受け続けた。
災害派遣やPKO、湾岸掃海などで着実な成果を上げ、マスコミの取り上げ方も昔ほど非道いものは少なくなったかに思えたが、一朝事が在ればこの通り、言葉狩りの魔女裁判に、自衛隊は投げ込まれ、今日の事態に至った。
慚愧の念に耐えない。
.黙って好機を待て
諸君の中にはスイス政府発行の小冊子「民間防衛」を読んだことのある者もあるだろう。冷戦華やかなりし頃に発行された冊子は、スイス国民に対し、核戦争を含む有事や災害時の心得を説き、スイスの民家には設置を義務づけられているシェルター(耐核防空壕)に備蓄すべき備品や食料などの基準を示し、武力侵攻以外の間接侵略及び心理戦宣伝戦に対する心構えさえ記された詳細な冊子である。
誠に恐るべきなのは、この小冊子には、スイス軍が武運つたなく敗れ、スイス政府が第2次大戦のフランス・ド・ゴール政権のように国外へ亡命した場合についての心構えさえ記されていることである。曰く、「黙って好機を待て。」と。
侵略者の傀儡政権に対する抵抗運動を煽るでもなく(それが開始されるであろう事は述べている)、非暴力不服従と言う理想を掲げるでもなく、亡命スイス政府が反撃に転じ、侵略者を追い払い、再びスイスに自由を取り戻す日まで、と。
私が今、自衛官諸君にお願いするのも同じである。即ち、「黙って好機を待て」、と。
自衛官諸君は今や自由な言説を封じられ、政府見解しか申し述べる事が出来なくなった。かかる共産主義や主体思想もかくやと言う硬直した思想は、間違いなく自衛隊の精強さを低下させるものであるが、願わくば自衛官諸君はその自由な精神と自由な言論を忘れることなく、内に秘め、その精強を維持向上していただきたい。
諸君の白バラを、散らす事なかれ。胸中密かに掲げ、黙って好機を待て。
再び、諸君に言論・思想の自由を取り戻す日まで。
田母神前空幕長は大日本帝国擁護論を唱えて更迭されたが、空幕長はその持論を絶対化などせず、自由な議論の対象としていた。絶対とすべきでないのは政府見解でも同様である。
田母神前空幕長は正しい論を展開したが、その正しさ故にマスコミからはたたかれ、更迭され、今日の事態を招くに至った。
自衛官諸君、田母神空幕長を忘れる事なかれ。
.民間人に告ぐ-村山談話を討て-
翻って、民間人諸君。
先述の通り、今や自衛官は言論の自由を奪われ、政府見解に異を唱えることさえままならない事態になった。
かかる事態は、自衛官諸君の側からは変更しがたいものであることは明らかである。そのために自衛官諸君が行使しうる手段は、言論に依ることが出来ない以上、武力によるものとならざるを得ず、さらには、クーデターによるものとなりかねない。
かかるクーデターは相応の正当性を持つものの、自衛隊のためにも、政府のためにも、ひいては日本国のためにもならない。
クーデターという非常手段を排するならば、自衛官諸君の言論の自由、ひいては自衛隊の精強さを取り戻す責任は、民間人諸君の双肩にかかっている事になる。
そのために、我々は何をすべきだろうか。
田母神氏の論文は基本的に誤りはなかったし、その論を絶対化せず自由な議論の対象とした。その態度もまた正しかったにもかかわらず田母神氏は更迭され、文民統制の美名の元、自衛官は政府見解に思想統一を強制されるに今日至った事態は、思うに、政府見解が村山談話をベースにしておるからこそ強制されるに至ったのである。
それが近隣諸国に阿り、思想侵略の畏れさえあるというのに、正にその故に「反軍的」で在る村山談話が自衛官に「強制文民統制」されたのである。
で、あるならば、我々の攻撃すべき目標は明らかだ。
攻撃目標は、村山談話である。
村山談話に基づく、政府見解である。
我々は、大東亜戦争に対する政府見解の改変を実施しなければならない。それは、今の村山談話に、大日本帝国悪玉論に基づくものではない、新たなものに。
この改変こそは、政府見解を自衛官に強制するという愚挙・暴挙を覆す要である。
村山談話を撤回し、新たな政府見解を!
Freiheit in der Hand!
自由を、我が手に!!