田母神前空幕長の更迭劇を巡る報道も、国会招致で一段落したようではあるが、先述の記事でも述べたとおりこの際に示された朝日、毎日、読売、日経の大手新聞4社をはじめとする(※1)マスコミ各社の偏向ぶりは、到底看過しかねるものがある。
 そこで今回は、新聞大手4社の社説を、別なアプローチで検証することにした。
 一見平和的で、左翼的ですらある新聞大手4社であるが・・・

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<注釈>
(※1) 私はテレビをほとんど見ないので、テレビ報道の方はチェックしていない。

1 仮想 Z談話:もしも首相が村山談話を破棄し新たな談話を出したら?

 さて、ちょっと発想を変えて、日本政府がかの村山談話を破棄し、大日本帝国擁護論に基づく新たな談話を発表したら、と仮想してみよう。
 この談話を、仮にZ談話としようか。Z談話は村山談話に代わる新たな政府見解として、Z首相が発表するもの、としよう。首相の談話だから、村山談話と同様、議会のオーソライズを受ける必要もなく、首相の度胸一つで出すことが出来る。
 「そんなことは許されない。」だの「国民がそれを許さない。」だの言ったって始まらない。村山談話だって国民の審判もへったくれもなしに出された実績がある。「許さない」のが誰であろうと首相の胸三寸で談話は成立する。
 もちろんこのZ談話に対する中国や韓国北朝鮮の反発が予想されるが、そこは度胸の決め所。仮にこれが原因で次の選挙に敗れ、新しい首相が新しい談話でZ談話をひっくり返すことになろうとも、少なくとも一時期、このZ談話は政府の公式見解となることが出来る。

2 Z談話の影響:大新聞4社の主張が全て通っていたら?

 さて、問題はここから先だ。上述の通りZ談話は国際問題に発展するかもしれないし、国際関係を悪化させるかもしれないが、所詮それだけのことだ。
 問題なのはその国内への影響、なかんずく自衛隊に対する影響である。先頃からの田母神前空幕長の論文と更迭劇に当たって、毎日・読売・朝日・日経の大新聞4社がこぞって主張している、「文民統制のための自衛隊に対する再発防止策」などが実施されていたら、どうなるだろう。

 今や、この仮想の中では、一時的にかもしれないが、大日本帝国擁護論を高らかに唱うZ談話が政府の公式見解だ。
 なにしろ「政府の命令で軍事力を行使する組織の一員である以上、(言論の自由に)相応の制約が課されるのは当然(朝日新聞)」なのであるから、自衛官の対外発表もちろん、隊内の訓話から教育内容に至るまでチェックされ、政府見解たるZ談話に反することがないよう「文民統制」される。
 異論は、少なくとも異論を口外することは許されない。「それは空幕長(をはじめとする自衛官)の職務ではなく、歴史家の役目(読売新聞)」であるから、自衛官は政府見解たるZ談話をただ復唱し、任務に邁進することが求められる。政府見解に反する田母神氏のような者が2度と現れないように(※1)こうじられた是正策(毎日新聞)により、監視体制は万全だ。おそらく隊内至る所に監視カメラ、盗聴マイクが配置されているだろう。
 政府見解に反する言説は解任の理由になるばかりか、解任された者は自ら進んで辞職する事を期待される。(日経新聞)社説には書かれていないが、おそらく辞職した者は、退職金も返納を期待されるのだろう。
 
 今や全自衛隊は、政府公式見解たるZ談話の下、盤石の文民体制下にある。
 政府見解に異論を差し挟む者など、(表向きは)一人も居ない。
 
 さて、この仮想状況をどう思われるか。

<注釈>
(※1) 田母神前空幕長の持論はZ談話には沿っているはずなのだが。

3 異論への寛容:「君の言うことには反対だが、君がそれを述べる自由は死んでも護る。」

 「だからこそ村山談話の破棄や後退は許されない。」と主張する人も居りそうだが、これは「村山談話に基づかない政府公式見解では、先述の「文民統制」体制を取るのは許されない。」と言っているのと同義であり、先述の「文民統制」体制と村山談話を一体のものと見なさないならないことになる。この一体化された状態を軍隊として評価するならば、正に百戦百敗の必敗体制をしこうとしていることになる。
 まあ、それを狙っている人も、中には居るのだろうが。そう言う輩は普通、売国奴という。
 さらには、文民統制が、軍の暴走を押さえるためのものとするならば、政府見解によって文民統制のレベルが上下するなどというのは不可解だ。

 政府見解が村山談話に基づこうが、Z談話に基づこうが、文民統制の実行されるべきレベルに違いがあろうはずがない。
 
 で、ここから先は何度も書いているが・・・
 文民統制が、思想統制に及ぶのに、私は反対する。それは単に非民主的であるばかりではない。組織として、軍としての自衛隊を弱体化させるものである。
 文民統制は、外交・開戦・休戦・大戦略などの上位レベルの判断にとどまるべきである。
 
 況んや、現状の村山談話に基づく政府見解を、思想レベルまで「文民統制」するのは、思想侵略の疑いさえある。
 
 歴史観は、自衛隊という軍隊の中であっても、自由な議論の対象であるべきである。
 無論、政府の命令で軍事力を行使する組織に所属しない、民間人ならばなおのこと、である。