進化というのは必ずしも「進歩」を意味せず、生物的な繁栄は「多産多死の結果、生き延びた」だけに過ぎないという説は、バージェス頁岩の異様なまでに多種多様な軟体動物群の発見と分析を描き出したスティーブン・ジェイ・グールドの随筆(と言うか、科学史かな)「ワンダフル・ライフ」にも克明に描かれている所です。
 その「多産多死を生き延びる」基準も、淘汰であっても最適化とは言い難く、多分に偶然により、「馬鹿げた進化」なんて表現も同書にある通りです。
 今回の恐竜とクルロタルシ類(crurotarsans)との比較から出された学説も、グールドが描き出したモデルの延長のように私には思われます。
 
 要は、人類だからとて「万物の霊長」などと称して「進化の頂点に立っている」などと奢りたかぶる科学的理由はない、ということでしょう。それは単に幸運の積み重ねかも知れないのですから。
 
 そうは言っても我々人類は、その小さな灰色の脳細胞が産み出した様々な道具により、どんな獣よりも速く地を駆け、どんな鳥よりも速く空を飛び、どんな魚よりも海深く潜れ、宇宙空間から月面まで己が意思で行ける存在になりおおせております。
 これはこれで、ちょっとした事ではありましょう。

 「われらかつて太古の日、天地を動かせしあの力はあらねど。
  我ら、今、あるがままの我らなり。」  Ulysses アルフレッド・ロード・テニスン