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 Luftwaffe(ルフトヴァッフェ)と言うのはドイツ語。元の意味は「空の護り」だが、現ドイツ空軍、ちょっと前の西ドイツ空軍、さらに遡ってドイツ第3帝国空軍の事を指す。
 東ドイツ空軍は別の名称Luftstreitkrafte を名乗ったそうだから、Luftwaffeとは鉄十字マークとセットのもの(※1)であるらしい。
 諸兄御承知の通り、ドイツは我が国と同様第2次大戦の敗戦国(※2)であるが、冷戦下では鉄のカーテンで国内が分断されていた「最前線」の国であり、NATOの集団安保体制もあってか(※3)実は「核攻撃能力」を保有していたし、今も保有している事は、日本ではあまり知られていない。

<注釈>
(※1)正確ではない。Luftstreitkrafteは第1次大戦のドイツ空軍黎明期の呼称。ドイツは第1次大戦も鉄十字を国籍識別マークとしていたから、この頃はLuftstreitkrafteと鉄十字でセットだった。
 東ドイツ空軍の国籍識別マークは、国旗の麦と6分儀(?)を簡略化したもの。

(※2)因みにイタリアは、戦勝国になりおおせている。戦争は弱いくせに、要領の宜しい事で。

(※3)集団的自衛権はあるけれども行使しない、なんて言っていたのでは、こうは行かない。


1 「核攻撃能力」保有国 ドイツ

 Luftwaffeに核攻撃機があり、「核攻撃能力」がある。
 ここで言うLuftwaffeは、ナチス第3帝国空軍のことではない。現在のドイツ空軍、ちょっと前の西ドイツ空軍のことである。
 第2次大戦が終結し、2大戦勝国である米ソの対決が明確になると、欧州その他に下りた米ソ対立の最前線、ベルリンの壁を筆頭とする鉄のカーテンは、いくつかの国を東西両陣営の分断国家とした。第2次大戦の敗戦国、ドイツの場合はそれが特に顕著だった。
 なにしろかつての首都ベルリン(※1)は東西ベルリンに分断され、西ベルリンは西ドイツに属しながら、周囲を東ドイツに包囲された「陸の孤島」になってしまったのだ。正しく、米ソ冷戦の最前線に立たされた東西ドイツが、西側のNATOにとっても、東側のワルシャワ条約機構にとっても、大きな役割を担う事になったのは謂わば必然だろう。
 さらに、あくまでも東側の筆頭・ソ連を長とするワルシャワ条約機構に対し、西側のNATOは「NATO全体で一つの軍隊、一つの指揮系統」とする考え方、今で言う所の統合運用の考え方が強くあったようである。これが後のヨーロッパ連合EUにもつながったのではないかと思われるが、この考え方の故であろう、東西冷戦の最も重要な柱であるところの核抑止力についても、西ドイツに応分の分担が求められ、西ドイツもこれに応じた。
 かくして核兵器搭載能力を持つ攻撃機・戦闘爆撃機(※2)が配備され、核爆弾攻撃の訓練も重ねられた。モノがモノだけに、爆撃に精密さは求められまいが、またモノがモノだけに訓練は相当厳しかった。F-104G何ぞ得意とは言い難い低空高速侵攻訓練を重ねて事故が多発。それでもF-104Gは「未亡人製造機」とか「空飛ぶ棺桶」なんて陰口をたたかれながらも、NATO核戦力の一翼を担い、「運命の日」には東側に核爆弾をお見舞いできるよう、6機のF-104Gが24時間即応体制で核攻撃警戒任務に就いたという。

 勿論、冷戦華やかなりし当時も今も、西ドイツ転じてドイツは核兵器保有国ではない。ドイツの核攻撃機・戦闘爆撃機が搭載する核爆弾は、アメリカ空軍の物で、アメリカ空軍の管理下にある。つまり「運命の日」にあたってアメリカ合衆国大統領の命令があって初めてF-104GなりTornade IDSなりのLuftwaffe攻撃機・戦闘爆撃機に核爆弾の実弾が搭載され、勇躍Luftwaffe初の核攻撃に出撃する手筈だったし、今でもそうだ。
 
 つまり、西ドイツ=ドイツは、「核兵器は保有しないが、核攻撃能力はNATO軍の一翼として保有する。」方針を取った訳だ。

F-104Gの核攻撃待機任務:http://home.att.net/~jbaugher1/f104_17.html
Deffence News 08/07/14から:http://www.defensenews.com/story.php?i=3637173&c=FEA&s=SPE

<注釈>
(※1)今は再び、統合されたドイツの首都になっているが。

(※2)Tornade IDSは兎も角、F-104Gをこう表記するのは少々抵抗がある。核搭載能力はあっても、Star Fighterは本質的に迎撃戦闘機だ。


2 NATOに於ける核兵器

 先述の通り、肝心の核爆弾はアメリカ空軍の所有・管理下とは言え、西ドイツ転じてドイツは核攻撃能力を持つ攻撃機・戦闘爆撃機を配備・訓練し、核攻撃能力をNATO軍の一翼として保有する道を選んだ。
 アメリカは勿論冷戦時代以前からの核兵器保有国である。
 NATOで他に核兵器を持っているのはイギリスとフランスである。このうちイギリスは核兵器を潜水艦発射弾道弾SLBMのみに絞り、そのSLBMも米国開発のものとし、独自の核兵器開発は諦めている。SLBMは最も確実な核報復手段であり、上手い事安く核抑止力を手に入れている、と言えるが…パックスブリタニカの頃、即ち第1次大戦以前の20世紀初頭には「世界第2位の海軍と第3位の海軍が同盟して攻めてきても対抗できる世界第1位の海軍を保有する。」と言うドクトリンを持ち、実行していた「太陽の没する事のない」大英帝国のころを思うと、今昔の感は免れない。

 驕る英国も久しからず、か。
 
 一方フランスは、1966年にNATOの軍事機構から脱退して以来NATOとは一定の距離を置いており(※1)、航空機搭載核兵器も、それを搭載する航空機も、潜水艦発射弾道弾SLBM及び弾道ミサイル搭載潜水艦も、フランス独自のものを開発し、装備している。

<注釈>
(※1)今度のサルコジ大統領の下、来年再びNATOに復帰するそうだが。


3 剣は、自らの手にあるべきだ。

 「剣は、自らの手にあるべきだ。」副題にもしたこの言葉は、独自の核武装を決断し時のフランス大統領シャルル・ド・ゴールの言葉とされる。剣=強力な武器=核兵器を、他者(この場合は米ソか。)にのみ持たれるのは我慢がならないとする、ド・ゴールの独自路線に対する不退転の決意を示す言葉である。
 先述の通り、フランスがNATOの軍事機構から脱退したのは1966年。まだ冷戦真っ盛りのころである。その頃から取った独自路線の下での核抑止体制は、いささかユニークな物になったが、確かに「剣」を、フランスの手に握らせた。
 
 一方西ドイツ=ドイツは、NATO軍指揮下という集団安保体制の下、米空軍保有で米空軍管理下の核爆弾を以て、事故が多発した訓練をも乗り越えて、「核攻撃能力」を保持し、核抑止力の一端を担った。
 
 冷戦は終結し、ドイツの核攻撃能力を今後も保持するかは議論の対象となっているようだが、西ドイツが一端を担った核抑止力ガ、冷戦の終結=西側の勝利に貢献したことは、間違いない。

 「剣は、自らの手にあるべきだ。
  たとえ、その剣が、借り物であろうとも。」



補足:日本とドイツを分けるもの

 上記のように西ドイツ=ドイツは東西冷戦の最前線として、日本が「平和憲法を守れ」だの「核兵器廃絶」だの夢物語を叫んでいる間に現実的な「核抑止力」を確立して居た訳だ。
 同じ「第2次大戦の敗戦国」でありながら、日本とドイツを分けたものは何であろうか。
 西ドイツ=ドイツにあって日本にない物を数え上げてみると…

(1)目に見える陸上の国境線=ベルリンの壁。無人地帯に地雷原、機関銃座に監視塔まで付いているんだから。これはハッキリとわかる。
(2)集団的自衛権。それも保有は勿論行使できる、実のある集団的自衛権。
(3)東西冷戦に積極的に関わろうとする強い意志=国防意識
(4)核兵器に対するアレルギーが無い事

 上記に加えて、日本に伝統的にある武力や軍備に対する差別意識がないことも挙げられよう。

尤も、北朝鮮による核実験や弾道ミサイル発射という「今そこにある危機」にサラされている我が国では、さすがに意識改革の必要性が一部では認められてきたようだ。 北のミサイル 核保有論議に正面から取り組め http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090322/plc0903221801005-n1.htm